後日、俺はあの宣言通りに簡潔なラブレターを書き留めた。長冗な装飾文は彼女の目を滑らせるだけだろう。思いの丈をできるだけ短くまとめた恋文の方がまだ目があるというものだ。
「さてさて、結果はどうなるやら」
試験結果が張り出されるのにも似た心境で、俺は恋文の末尾に書き加えた校舎端の使っていない教室へと歩いていく。生憎と一夜漬けの試験結果、ってな感じではあるがそれなりの楽しみを胸に抱きながら。
はてさて、万が一にでも木場野さんが俺の誘いに乗ってやってきていたらどこまで至ろうか。順当にお友達から始めましょうか、か。それとも最後の最後まで行きついてみようか。
空は既に夕焼けも沈みかけ、所謂逢魔が時なんて言われる時間帯だ。昼と夜の境目であり、どちらでもないあやふやな時間帯。彼女にはぴったりで、俺にはチト似合っていない時間帯だ。
そんなわけで準備万端滞りなく、勇み足であるいていた俺は、
――――グシャリと、平面上の砲弾となった教室の扉に勢いよく弾き飛ばされた。
■■■
その、不運といえば不運な事故を、木場野由比はさして気にも留めていなかった。認識していなかったという方が正しいが。ともかく、それどころではないというのが彼女の現状だった。
弾丸が彼女の顔めがけて飛翔する。それはボールペンと言う名の、何処にでもある弾丸だった。だがそれは、確実に人を殺傷せしめる威力と弾速、そして命中精度を持っている。
それを由比は身を沈みこませてかわす。一拍遅れてその動作で舞い上がる黒髪が、数本ボールペンに巻き込まれ持っていかれた。
が、その回避に安堵する間もなく、次の弾丸が襲ってくる。
「あ~もぅ、さっさとぶちのめされてくんないですかぁっ!」
その弾丸の射手は男だった。当然と言えば当然と言うべきか、由比と同じ高校の制服に身を包んだ針金のような印象を与える細身の男だ。そこだけを取り出してみるならば至ってどこにでもいる印象だが、行っている動作が常軌を逸しているものだった。
放っているものは至って普通の筆記用具だ。ボールペン、シャーペン、定規、消しゴム。どこにでもあるもので、例え投げつけられたとて怪我はするものの決して、絶命に至るほどの威力など持ち得ないものが教室の中を舞っている。
明らかに異常な光景、しかしもっと異常なのはそれらの飛翔が彼の投擲によってもたらされたものではないという一点だ。
何せそもそも、彼はそれらの物に手を触れていない。主の意に従って獲物に喰らい付く猟犬のように、空間そのものを射出機として、一直線に由比の喉元に喰らい付かんとしている。
「生憎と、そこまで安い体はしていないわ」
由比はそれら魔性の攻撃を、絶えることなくステップを刻み続けて回避している。沈み込み、飛びはね、後退し、そしてまた走り出す。狭い空き教室の中を縦横無尽に駆け巡り、兎にも角にも回避し続けていた。
何せ威力は証明済みだ。たかがボールペン一本分の質量が教室の扉を弾き飛ばす様を見て、喰らってみたいと思うのは自殺志願者に他ならない。
一応、――殺しても死なない身ではある由比だが、怪我もすれば消耗もする。こんな出鱈目な暴力に身を晒していられる余裕はない。
「あ~あ~そうだろうよなぁ! そこまでやっすい体してねぇからこうして出張っているんだからよぉ!」
凶笑を上げる針金男に同調するように、筆記用具という名の弾薬の激しさが増す。
それは正に超能力者、などという形容が浮かぶ激しさであり。現実を汚染する異端の顕現だ。
それと対峙するにはこの場所はあまりに悪すぎた。狭く障害物も多く、その障害物ですらいつ弾薬に成り果てるかわかったものではない。拳銃で撃ちとれないならライフルを、ガドリングを、マシンガンを持ち出すのは当然の帰結だろう。
こんな狭い場所で放置されている椅子や机を砲弾として使用されれば、それだけで脅威度は上がってしまう。面積が広いということはそれだけ命中率が上がるということだ。普通なら考慮する空気抵抗やら何やらは、こんな出鱈目を行使する相手にあてはめるべきではないだろう。
「だぁもうっ! ちょろちょろと逃げ回ってんじゃねぇぞこのゾンビ女っ!」
「果てしなく馬鹿な言い間違いよ、それ」
ゾンビは死んでも動きまわるからゾンビなのだ。その初めの段階すら踏めない由比は、どう足掻いたところでゾンビになんてなれやしない。
「はぁ? 御高説たれてんじゃねぇぞダボがっ!」
「はぁ、短気な男……」
「うるっせぇっ!」
その短気さ故か、或いは噂をすれば影、なんていう言葉があるせいか。直後、由比が抱いていた最悪の想像は現実の物となった。
列を成して浮きあがる机と椅子、既に幾多の銃撃によって穿たれ傷だらけとなっていた残骸が進軍行動をとった。
まるでそれは教室そのものが浮き上がったかのような錯覚を与え、そして、無慈悲に口火を切られた。
木製の絨毯爆撃、鉄の匂いのしない飽和射撃。だが、まき散らすその威力は鉄の嵐と何ら変わることがない。
「――う、――――ぁ」
悲鳴は、漏れ出ることは無かった。絶え間なく射出される机と椅子がまき散らす威力は、先の筆記用具など比べ物にならない。したたかに由比の体諸共背後のコンクリート壁を打ち付けるのは最早ダンプカーの正面衝突だ。
爆音と特大の衝撃が由比の五体をミンチに変え、コンクリートを鉄筋諸共粉砕し、廊下に面していた壁を取り払ってしまうほどだ。
後に残るのは、灰色の粉末に塗れた赤黒い人の形だった物。既に新雪のようだった肌の白さも、滑らかな髪の黒さも見る影がない。
後に残るは肉塊から生じる血の匂い。そして、舞いあがる粉塵の埃臭さだけだった。
■■■
轟音と共に途切れた意識が繋がる。視界は曇り硝子に包まれた上にひどい手ブレが起こっていて、脳髄は未だに関電のような痺れとも痛みとも付かない感覚を全身に送り込んでいる。
――何がどうなってこうなってんだっけか?
えぇと確か木場野さんに思いの丈をしたためたラブレターを渡したというか机に入れて、はてさてその結果はどうなのでしょう、と勢い勇んで指定した教室に向かって――
あぁそうだ。何でか知らんけど教室の扉がトラップよろしく弾け飛んで壁にサンドイッチにされたんだっけ。
現状を再認識した脳髄が、なんとか動けと指令を発する。
しかし体は未だに再起動中。起き上がるのもおっくうで、痛みが起こす熱っぽさを床の冷たさが緩和している、そういう状態だ。
そんな状態だから、できることと言えば何とかして周りの状況を認識しようとするだけだ。ぼやかる視界に鞭を売って、脳内に押し込められた曇り硝子を外そうと躍起になる。
――そして目に入る赤黒い何か。
それは既に意味ある形を持たないほどにグチャグチャにされ、肉塊、としか言い表せない何かに成り果てている。
――待て、それはおかしい。
成り果てる、というのであれば元の形がいる。ただの肉塊であるのならば成り果てるという言葉は甚だ不適当だ。
焦燥に駆られ、もっともっとと視神経に力を込める。より鮮明に視界を得ようと脳内のニューロンがギアを上げ、ゆっくりと視界を覆う曇り硝子が剥ぎ取られていく。
――まず見えたのは、見覚えのある黒髪。夕闇の中で一層映える、既知感を刺激する白昼夢。
その事実を認識した途端、脳髄を怒りが駆け巡る。規格に合わない燃料が痛みをかき消し、鈍っていた体の回転数を最大速度へと瞬く間に持っていく。
あぁ、あぁ。よくもやってくれたな。運命じみた出会いに抱いていた機体感は、その分だけ濃密な怒りへと転換され、この惨状をもたらした元凶を探そうと視線が彷徨う。
元凶は、程無く視界のなかへと収まった。
見覚えのない針金じみた男が気だるそうに肉塊を掴み上げる。
――待て、一体お前は何をやっている。
――そもそもからして、目を付けていたのは俺が先だ。
――先約というのなら、一月前に既に済ませている。
だから、制約が外れる。
身の程に合わない渇望。果たしてはいけないものなのだと理解していながらも捨て去ることができなかったから、せめて一人、最もそそられた相手だけを標的にしようと、そう思っていたのだ。
だったら、何を我慢することがある。どこの誰かだか知らないが、人さまのメインディッシュに手を付けたからには、つまみ食いされても仕方がないよなぁ。
そうとも、これは必然の妥協。
目標を奪われたのだから、手近なものを見定めるのは致し方が無いのだ。
■■■
ゆらりと、何かが立ちあがるのを針金の男の知覚は認識していた。
獲物を殺さず――そもそもどう足掻いても殺すには至れない――無力化し、依頼主の元へと持っていこうとしたその時だった。
最弱にして最悪の<汚染者>、木場野由比。それだけしか認識していなかった彼の知覚は、ようやく巻き込んだ第三者がそこにいると認識した。
中肉中背、至って凡庸な雰囲気を滲ませる、人ごみに紛れてしまえばそれだけで永劫見失ってしまいそうなほど印象の薄い男だった。
どこにでもいそうで、こんな鉄火場には似つかわしくないその男は、頭からとめどなく流れ出る血で制服を染め、まるで幽鬼のように立ち尽くしていた。
偶然迷い込んできた第三者か、と男はあたりを付け、さっさと片付けてしまおうと、木場野由比の肉塊と成り果てた体を右手一本でつり上げながら、左手を振り払う。
その動作を号令として、筆記用具の弾丸十数発が一斉に幽鬼へと襲いかかる。
瀕死の体の人間一人にはあまりに過剰な火力の一斉投入。コンマ一秒の後には体中に弾痕を刻まれた死体が一つ出来上がる。それは男と、――もう一人の共通認識であり、
「お前、下手過ぎだろ」
眼前の勇気はそんな認識など歯牙にも駆けず、まるで這い蹲るように体を倒しながら踏み込み、弾幕の一切を回避しつつ体を起こし、木場野由比を掴み上げる右腕に向け、強烈なハイキックを繰り出した。
手首を狙い澄ましたその讐劇は男の手首を破壊し、木場野由比の体を開放する。
それはあまりに研ぎ澄まされた一撃であった。
まるで機械仕掛けかと見紛うほどに無駄のない一撃。凡庸な容姿には似合わない練磨の結晶。
「――――は?」
だから痛みよりも間抜けな驚愕が先に来た。あり得ない回避にあり得ない反撃。それらを目の当たりにして認識が歪み、一瞬の後に手首の骨を砕かれた痛みに悶絶する。
「あ、あり得ねぇだろおかしいだろうがっ! 雑魚キャラのくせして何で反撃してんだよテメェはっ」
「何言ってんだ。当然のことだろ?」
「はああぁっ!?」
訳が分からない。先ほどの状況を真実ただの一般人が遭遇したのなら、間違いなく穴あきチーズが出来上がる。
もしこれが男のように、木場野由比のように、<汚染者>としての異能を以って切り抜けたのならばわかる。しかし男の感覚は、目の前の幽鬼はなんの力も持たない一般人だと告げている。
つじつまが合わない。本来ならば反応すらできないはずだ。その異常を当然のことだと言い放つ幽鬼に、男は言いしれぬ感覚を覚え、
「死んどけよ今度こそっ!!」
自身の異能――視界に収めた物に対する念動力――をいかんなく発揮し、木場野由比を肉塊に変えたのと同等な密度の弾幕を繰り出した。
狭い教室の中を乱舞する筆記用具に椅子に机に窓にロッカーに時計に、場にあったありとあらゆるものが凶器と化した死のミキサーが出来上がる。
「――――だからお前下手だって」
その、死のミキサーが出来上がるコンマ一秒前、獲物を収めた視界から、ガラクタの撹拌機が起動するその一瞬を狙い澄ました、悪夢めいたその移動。
視界に収めることが力の発動の重要なキーである男にとって、その移動は正に致命的だ。
グシャリ、と己が両膝が蹴り砕かれる音をBGMに、無慈悲な死神の宣告は放たれた。
「――――ぇ?」
最早男の思考は痛みを感じる正常さすら持ち合わせていない。
何故自分の背後であの幽鬼の声が聞こえるのか、何故自分の足が破壊されているのか、何故自分は倒れているのか、何故あの幽鬼が倒れた自分に馬乗りになっているのか、何一つとっても何もわからなかった。
「いや、単純な理屈だぜ? 好きこそものの上手なれ、好きな物に関しては人間過程すっ飛ばして最善を選択することができるだろ。格ゲーのコマンドほとんど反射的に入力したり、麻雀とかで危険牌を殆ど勘だけで見抜いたり。つまり俺にとっては、――こういうことこそが好きなことなわけで」
そんな筋道は立っている様に見えて、殆ど破綻している理屈を幽鬼は至極当然と言い切った。
そも幽鬼は殺し合いなどしているつもりはなかった。ただ獲物を横取りした男を標的として、殺しにかかっていたのだ。曰く、自ら言うところの大好きな殺しが齎す嗅覚ともいうべき第六感だけを頼りに。
「まぁでも? 童貞すら捨てていない初心な奴でさ俺、うまくいくのか半信半疑プラス緊張し通しだったのよ。そこはアンタに感謝しとかないと、高級料理の味なんて想像できないけど、ちょっと高めのファーストフードの味なんてものはほら、食っていなくても想像がつくわけで。後はあれだ、主義を変えてのつまみ食いなんだから緊張してても仕方がないよね。つうわけでさっくりあっさり塩味風味でいこうか」
ごり、と首筋に押しあてられる鈍い切っ先。恐らくは男が盛大にまき散らした案ガンの中のどれかなのだろう。
先も言った通り視覚がトリガーである男にとって、首筋に突きつけられた視界に収められない狂気はそれだけで致命的だった。
趨勢は決定的であり、状況だけを見れば幽鬼の圧勝。如何に男が反抗を試みようとも、その前に突きつけられた狂気が男の命を絶つ。
絶体絶命。その四文字でしか言い表せない状況になってようやく、男はこの存在に手を出すべきではなかったと理解する。
「た、たす……」
遅きに失した助命の嘆願が男の口から漏れ――
「だからつまみ食いだって言ってんじゃん。――――時間なんて掛けていられるわけないでしょ」
――切る前に、にこやかに男の様を嘲笑う幽鬼の手が押し込まれる。
肉を断たれる感触、大事なものが流れ出る感触、自らの命が切り裂かれるその感触を感じつつ、男の命は二度と浮かび上がることのない闇の中に飲まれた。
■■■
噴き出る血の赤の熱さ。命を切り裂くその感触。
あぁ、分かってはいたがあんまりよろしくない。あれほど望み焦がれていたものなのに、いささか拍子抜けではある。
――う~ん、仕方がないっちゃあ仕方がない。
何せ相手が雑魚そのもの、ヒロインでもなければヒーローでもなく、ラスボスでもなければ隠しボスでもない。精々がチュートリアル用の雑魚なんだから、食ったところで返って腹が減るのは仕方がない。
――こうなればちゃっちゃと帰って不貞寝でもかまして、新たな出会いを求めるためのエネルギーでも充電しましょうかね。
そう考え、吹き飛ばされた瓦礫の中に埋もれていた自分の学生鞄を取り出した。
勿論準備万端で乗り出した今日この時、最後まで致してしまった時に備えて着替えの一つや二つ持ってきているのである。
そんなわけで血まみれの服を鞄に突っ込み、洗濯したての学生服に袖を通す。後はついでにチャッカマンを取り出して、先程の雑魚と、名残惜しくはあるが木場野さんであったものを燃やしてしまおう、そう考えた時だった。
幾度か聞いた、綺麗な声が屠殺場に響き渡った。
「――――ふぅん、道理であんなラブレターを送ってくるわけね」
え、これマジ? 俺の脳内の名残惜しさが作り上げた幻聴とかじゃないよね。
思わずあの時と同じように頬を自分で抓り、それが齎す痛みで声の実在を確かめる。
「恋するほどに殺したいから付き合ってくださいって……、普通順番が逆じゃないのかしら」
「いやいやいや、全然逆じゃないですからね!? むしろ俺にとってはそっちが重要なんだから」
そして痛みを確かめ、視線を声の方向に向ければ、そこにいたのは肉塊から血まみれ美少女にランクアップした木場野さんが、瓦礫の中で優雅に横たわっている。
モノクロもいいけど、これはこれでありなのかもしれない。そんな感じで見惚れていると、木場野さんは呆れつつ俺に致命的な一言を放ったのだ。
「変態」
「酷いっ! 純真な少年の想いを踏みにじるなんてっ! ――――まぁそれはそれとして、せっかく生き返ったんだから俺の思いの丈に対する返答を聞きたいわけなのですが」
「受け入れるわけないじゃない、このド変態」
そんなわけで、俺の初めての初心な想いは、絶対零度の冷たさを湛えた彼女の言葉に一刀両断されたのでした。――諦めてたまるかこん畜生。