第一話
俺が童貞を捨てた翌日、やはりというべきか学校は結構な騒ぎになっている……、などと思っていたのだがそういう風にはならなかった。どういう伝手とか手段とかあったのかは知らないが、木場野さんがあの男の死体の処理を買ってくれたのだ。調子乗ってやってしまった俺にとっては渡りに船、施しをくれるっていうのならありがたくもらっておきましょう。
そんなわけで向後の憂いなく登校した俺は、昨日より軽い足取りだ。何せああやって初めての体験を味わったのだから。
「おはよう木場野さん。今日もいい天気だね!」
全く以ってそんなことない曇り空が教室の窓から覗いているのだが、俺の心は晴れ晴れとしているんだから問題ナッシング。これ幸いにとフレンドリーさを高めて元気よく挨拶をした。
「おはよう。――吉良一刀(きら・かずと)君」
しかもこうして彼女が俺の名前を呼んでくれる。仔細がどうであれそれは確かな前進で、ついつい口元がつり上がりそうなほどになるのを抑えるのに必死になってしまう。
「ニヤニヤしないで、気持ちが悪いわ」
「そう言われてもねぇ、気になる女の子から名前を呼ばれるだけで舞い上がってしまうほどに、年頃の男の子というのは哀れな生き物なわけですよ」
「もう一度言うわ、気持ちが悪い」
涼やかな、というのを通り越して絶対零度のブリザードの如き視線で睨みつけられる。それはそれでありかも知れなくて実際俺の大切な所がビクビクと悶えてしまいそうではあるが、それはそれで情けなさ過ぎる。だって俺責められるより責めたいし。ドMな殺人嗜好者とかどんな矛盾存在だといいたい。
「……はぁ」
「うわ何その表情、見下されるのはいいかも知んないけど呆れられるのはちょっとアウトかな」
「基準が分からないわ」
「だって見下されるのは一応見てもらってるってことでしょ? 視界の中に入れられてるってことじゃん。呆れられてそっぽ向かれてアウトオブ眼中になるよりよっぽどましだよ」
「……はぁ」
「うわまたその表情? ちょっとショック」
「――あなたって昨日のこととか気にならないの?」
「別に? あんなものはただのつまみ食い。その程度のこと、いちいち日を跨いで拘泥する様な事じゃあない。こうして大事になっていない以上、そのまま終わる話題だよ」
「あんな力を使う人間や、こうして死んでいない私を前にしても?」
そうはいってもあの名前も知らない男なぞ、あまりに雑過ぎて余裕綽綽で処理できてしまう小物だ、どうでもいい。――いや、それよりも、
「前者はどうでもいいけど、考えてみれば後者は気になるね。――君って死にがたいの? それとも死なないの?」
「さぁ? 確かめたこともないし、確かめられたこともない。分からないとしか言えないわ」
「そりゃ御愁傷様。終わるかどうかも分からないってつらいんじゃないの?」
「――そこはもう、慣れたわ」
そう言って木場野さんは俺に向けていた冷ややかな視線を途切れさせ、遥か彼方を見る様な面持ちでそう呟く。果たして、その「慣れた」という言葉にはどんな感情が込められていたのか、恐ろしく無色で、底の見えない深海の様な色が浮かんでいた。
その色に対して、探りたいという思いが無かったと言えば嘘になる。しかし、そこまで踏み込むにはあまりに俺は彼女のことを知らなさ過ぎた。やはり、性急に踏み込み過ぎるのはよろしくない。ここは亀の様な速度でも、ゆっくりと確実に一歩一歩を進むべきだろう。
「さっきはどうでもいいって言ったけどさ、――結局あいつって何だったわけ」
手も触れず、ただの日用品すら狂気に変えていたあの男の力。どうでもいいのは変わりはしないが、会話の矛先を変える質問としては適している。
「<汚染者>って、聞いたことは無い?」
「へ?」
とはいえそこでそんなとるに足らない都市伝説を聞くとは思いもしなかった。だがしかし、その都市伝説は眼前の彼女に少しばかり絡みついている。……もしそれが根も葉もあるものだったら?
「……あれってマジ話だったの?」
「ええ、字面通りよ。種類を問わず何らかの歪みから汚染を受けて変わり果ててしまったモノ。被汚染者でありながら汚染源となり得るもの。人の形をした歪み。要するに異端の存在を乱暴にひと括りにした言葉よ」
「種類を問わず、ってのは?」
「外れる要因って言うのは千差万別だからよ。オカルトじみた土地の歪み――つまりは陰の気の影響もあれば、噂話に上がっているように環境汚染の影響もある。時には外的な精神的ストレスが原因でもあるし、それらが重なりあって発症する者もいる」
つまりあれか、わけのわからないものを分からないままに適当に名付けたってわけか。
外的要因によって変わってしまったモノ。それだけが共通していることで、それ以外は系統立てられないのであればそれも仕方がないか。
「今でこそ<汚染者>なんていう名前だけど、昔はそういう存在が妖怪、化け物の伝承の元になったりもしたわ。つまりそういう名詞は、わけのわからないモノに少しでも形を持たせようと思った、人間社会の防衛機構の発露よ。無貌の怪物より、名前のある怪物の方が少しはましだ、なんていう後ろ向きな、ね」
「確かに、殺したのに殺せてなかったなんてのは如何にもありふれてるしね。――あれ? じゃあ昨日の男は?」
はて? あんなサイコキネシスじみた能力が話に上る伝承とかあったかな、と頭を巡らす。取り立ててそういう話に詳しくない頭を捻っていると、考える間もなく答えは返ってきた。
「――――何言ってるの、ポルターガイストなんてありふれた話でしょう?」
ああ、そりゃアイツが雑魚なのも当然だわ。
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足りない。
足りない。
何かが足りない。
――――私には、いつも何かが足りていない。
ピースの足りないジグソーパズル。絵面が完成しないそれなんて、世間から見ればただのゴミでしかない。
価値が伴わずに場所を占有しているただのゴミ。そんなものを受け入れる場所なんてどこにもない。
向けられる視線は拒絶の視線だけ。何故ここにいるのだという疑問の視線だ。
好悪すら伴っていない、――ここにいることが間違いだと平静に告げている。
ああやっぱり、拾い集めて形を整え、無理矢理あてはめたピースじゃぼろが出る。
ぼろぼろになったモノは、いつかゴミとして処理されるだけ。
――――ああ、だったらまた、新しいピースを探さないと。
だって私には、もう本物なんてないのだから。
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時間は少しさかのぼる。吉良一刀と木場野由比が出会う少し前、未だ高校では一学期が継続している2010年五月頃からこのN県古倉市では奇妙な連続変死事件が発生していた。
被害者はいずれも今年入学したばかりの女子高生。特に進学校や名門校と言ったランクの高い高校の生徒ばかりが狙われているものだ。
人気のない路地、或いは空き地、廃墟と言った所に、顔面が剥ぎ取られた女子高生の遺体が撃ち捨てられていて、古倉市警察署では殺害事件として捜査を開始。
顔面、と言ったがそれは常軌を逸するほどに徹底していて、眼球や鼻、そして歯に至るまで、凡そ個人の特定に繋がりそうな顔のパーツ全てが切りとられていた。恐らく、学生証といった個人を特定できる遺留品がなければ、被害者の特定はもっと遅れていたことだろう。
その点から捜査本部はこれを猟奇殺人として捜査し、特に不審者などの目撃情報を徹底して探しだそうとするも、一件の手掛かりもないままに捜査は暗礁に乗り上げてしまう。
或いは、そういう風に操作を攪乱させるためのカモフラージュかとも思われたが、どの被害者も性別と年齢以外何の関連性もなく、交友関係もバラバラなため、その方向からでも何の手掛かりも得られなかった。
そして更に極め付けに、捜査本部を混乱させた異常な点がある。
これまで判明している被害者は四人。そのどれもが検死の結果判明した死亡推定時刻が、捜査で得た被害者の最後の目撃時刻よりも大幅に前なのだ。つまりは、死んでからも被害者は生きていた、なんていう出鱈目な状況が浮かび上がってきたのだ。
しかもその最後の目撃情報は、友人や両親と言った親密な関係にある人物が、間近でしっかりと会話を交わしたうえでの目撃情報なのだから、見間違えなどということも考えにくい。
そうして、この事件の捜査は、犯人の目的も不明、状況に至ってはもっと不可解、何も手掛かりを得ることもなく無為に時間を浪費し続けているのだった。
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まず必要なのは観察だ。形を整えるにしても、大きく外れた形は整えきれるものじゃない。
だから、整えられた綺麗なピースが望ましい。けれどそいう物はそうそう見つかるものじゃない。
ふらり、ふらり、あてどなく町の中を歩いていく。茫洋とした足取り、定まらない目的地。いや、目的地なんて最初から決まっているけれど、それは全く視界に入っていない。
だから視界だけは、眼球だけは全霊で稼働させる。せわしなく眼球が動き、それに伴って視界も大きく揺れ動く。
見定めるべきは人の群れ。その中心。カタチはどうあれ人の輪の真ん中にいる人間は肯定されているからそこにいる。肯定されていない群れのリーダーなんてものは、存在からして矛盾している。
それはつまり、求める形に合致しているということだ。目的地を塞ぐ扉の鍵。私が求めて止まないピース。
「……あぁ、あれなんかいいかも」
だから、目ぼしいモノを見つけた時は、こうして羨望の声が漏れ出てしまう。
視線の先には、快活そうな女子高生を中心に、和気藹藹とした空気を醸し出す人の群れがあった。
私が欲しいピースはああいうものだったから、それまで忙しなく彷徨っていた視線は、その中心にがっちりと固定される。
ロックオン完了。
まるで黒塗りの背景に彼女だけが浮かんでいるよう。そのぐらい集中して彼女の一挙手一投足を観察する。
歩き方。癖。身につける物のセンス。会話のタイミング。表情の浮かべ方。漂ってくる彼女の香り。ありとあらゆるデータを、私が持つありとあらゆる感覚器官で捉える。
人間とは集合体だ。無意味とすら思える、無駄で膨大な要素の集合体。けれどそれは個性として、存在を確立させるのに必要不可欠なもの。
だから、決して手を抜いてはいけない。ありとあらゆる物事において、前準備を怠った事象の結果などたかが知れている。
もう何回これを失敗しただろう。――――最初に失敗した時の記憶はもう、かすれ切っていて思い出すことは叶わない。
今度こそ、絶対に。追いたてられるように観察を続ける。
人は一人では生きられない。居場所を認めてくれる誰かが存在してこそ安堵できる。
なら自分は?
認めてくれなかった私は、一体どこにいればいい?
今こうしている瞬間も、私はどこにいるのかさえ分からない。
雑多に立ち並ぶコンクリートの建物は、まるで生い茂るジャングルの様。
けれどそこに、必要のないものを受け入れる余裕はない。
弾きだされた者は、そうしてずっと彷徨っていくしかない。
「……今度こそ、絶対に成功させないと」
その恐怖を抑え込み、私は更なる観測を続ける。
言って機の漏れも逃さぬよう、私は今、自分を観測機器に変えた。
“自分”はいらない。価値など無いから。
私にとって価値があるのは、こうして観測し続ける対象だけ。
この時ばかりは、信じてもいない神に祈る。
――――どうか、これで終わりにさせてくれ、と。
だってそうしないと、私はどこにも帰れない。
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その日、古倉市の有名進学校に通う宮森明日香はなぜかずっと、何者かに観察されている様な悪寒を覚えていた。
絡みつくような視線。しかしその視線は粘着質なモノではなく、まるで高性能カメラの様な無機質さを持っていた。
言うなれば下心のないストーカーとでもいうべきだろうか。
そんな変な印象を感じていたので、気のせいだと割り切っていた。
「じゃあね明日香。また明日」
「うん、また明日」
中学のころから陸上部に所属し、それでいて学業の成績もそれなり以上。それを以って危なげなく進学した明日香は、その快活な性格も相まって自然と部内の新入生の中では中心的な存在となっている。
言うなれば天性のリーダーシップ。自然と人の上に立てる素質を持っている。
順風満帆、その四文字が何よりも似合う順調な人生。両親もクラスメイトも、そして何より彼女自身が、そのまま人生が続いていくのだとある種楽観するほどに、彼女の周りには希望が満ち溢れていた。
それを脳天気だと詰るのは酷だろう。
人間というのは経験から成る生き物だ。
積み重ねた経験を、周りの環境から受け継ぎ、飲み干し、自分の物として、成長していく。だから、人間は未知という物にひどく弱い。
大病にかかったことがない者にその苦しみが理解できない様に、転倒ことさえない彼女の人生には、どこか危機感というものが欠落していた。
――――好都合。
その様に、どこかの誰かがほくそ笑む。
「え!?」
それがトリガーになったのか、明日香は足を止める。
なぜなら、今の自分のいる場所がおかしかったから。
見知らぬ場所ではない。家の近所にある小さな二階建ての廃ビル。借手も現れずに随分と長い間放置されっぱなしの、そのビルの玄関前に明日香はいた。
しかし、何故自分がここにいるのか分からない。
先ほどまで遊んでいた友達と別れた場所から自分の家までのルート上に、このビルは無い。寄り道をしなければたどり着けない場所。
そもそも、行く理由など欠片もないはずなのになぜか自分はここにいる。その異質さは明日香の精神に恐怖を誘うには十分だった。
「ははっ、疲れているのかなぁ、私……」
踵を返し帰ろうとする明日香。こんな気味が悪い状況になど付き合っていられない。
既にすっかり日も暮れていたせいか、走り気味で明日香は足を動かし始める。
夜の闇に染まった住宅街、その中をかき分けるように走る。
向かうのは自分の家の、その見知った明かりだ。
とにかく安堵できる状況が欲しい。それだけを胸に明日香は夜の闇に消えていった。
■■■
「――――な、何でよおっ!?」
そう、走り始めた筈だったのだ。夜の中、息を切らして走り始め、明日香の脳髄が目的地を認識し、足を止めた先はスタート地点である廃ビルの前。
駆け抜け続け息を切らせた彼女を嘲笑うように、廃ビルの奈落に繋がっていそうな玄関がぽっかりと口を開けている。
「な、何よこれ?」
あまりにも気味が悪過ぎる。自分の体が自分の物でないような感覚に囚われ、一歩後ずさる。
合成樹脂の靴底が砂利を噛みこみ、小さな靴音を響かせる。
「――ひぃっ」
思わず、息を飲む。
後ずさった筈の足が、何故か一歩踏み出している。
「……やだ、私、……帰るのよぉっ」
既に精神は狂乱に陥り、幼子のように泣きじゃくるも、二本の脚はその制御を離れ、一歩一歩ゆっくりと廃ビルの階段を登りはじめている。
「助け――――!!」
尋常ならざる事態に巻き込まれていると理解した明日香は、周囲の民家に助けを呼ぶ声を上げようとするも、それすら意思通りにはならない。
声は途中で途切れ、足は止まらず、やがて、廃ビルの中の一室に辿り着く。
「……あなた、誰?」
そこにいたのは、見知らぬ少女。
年は明日香と同じぐらいだろうか。量販店で売っている有り触れた普段着を身に纏った少女がそこにいた。
その地味な服同様に、長くなければ短くもない髪型も、纏う気配も、何もかもが小ぢんまりと纏められた地味な少女だ。
恐らく、人ごみに紛れこめば瞬く間に見失ってしまいそうだ。
だが、そんなことよりも、明日香の心胆を震え上がらせているものがあった。
――――顔がわからない。
無論のこと、廃ビルに電気など通っている筈もないので部屋の中は何一つ明かりは無いのだが、窓から差し込む周囲の光や月明かりで、至近距離ならば相手の顔の詳細が確かめられるぐらいの光源は確保されている。
だというのに、見えているというのに、――相手の顔がわからない。
見えているはずなのに、誰なのかが分からない。
目も耳も鼻も口も、人の顔にあるべきパーツの悉くを明日香の視界は認識しているというのに、脳内に結ばれるその顔は無貌としか映らない。
「私が誰か、か……、私もね、それを見つけたいの」
「……ぁ……!?」
無貌の少女は、そう言って最早何一つ自らの意思で行動できずに立ち尽くす明日香の顔に手で触れた。
「だから頂戴」
「……っ……ぎっ……!?」
「あなたを頂戴」
直後、無貌の少女は手にしていたナイフを、彼女の顔に差し込んだ。
本来なら頭蓋骨に阻まれ、容易には突き通せない筈のその刃は、しかし何の抵抗も見せずに吸い込まれる。
吹きこぼれる鮮血が明日香の視界を真っ赤に染め、金属の冷たさを伴う激痛が明日香の脳髄を焼く。
だが、自由にならない彼女の体は、その程度の自由すら許しはしなかった。
刻一刻と流れ出る命の感触を明確に感じ取りながら、抗うことすら許されぬ恐怖は、普通の人間である明日香の彼女の精神を壊すには十分だった。
僅かに自由になる口の端が、歪で壊れた笑みを形作る。
「なぁんだ、もう壊れちゃったんだ。――でも大丈夫、ちゃんとあなたになってあげるから」
瞬く間に壊れた明日香を前に、無貌の少女は差し込んでいたナイフを更に押し込み、明日香の脳髄を損傷させて死に至らしめる。
絶命の間際、明日香の視界にはなぜか自分が映っていた。
それを疑問に思うことなく、恐怖に感じることなく、あっけなく宮森明日香という少女は理不尽にその幕を途切れさせた。
後に残るは一つの死体と、――――血まみれの“宮森明日香”だけであった。