行く当てもなく、ただ少し一人になりたく、無我夢中でホテルの中を走り回り、気がつけば屋上に飛び出していた。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・・・くそ・・・・情けねえ・・・未練タラタラじゃねえかよ・・・カッコワリい・・・」
逃げ出した自分を嫌悪しながらも、しかし戻る勇気もなく、金網に寄りかかって空を見上げた。
答えが出ないままにこの日を向え、そして逃げ出してしまった。
そんな自分が悔しくて、惨めで、とても上辺だけでも「おめでとう」とコナンは言えずに、ただ一人黄昏ていた。
すると・・・・
「コナン君。こんな所で何をしているんだい?」
「えっ? あ、・・・・新井出先生?」
もっとも会いたくない男に会ってしまった。
「せ、先生こそ・・・何で?」
「いや~、時間が経つにつれて少し緊張しちゃって・・・・少し落ち着こうと思ってね」
照れながら頬をかく新井出先生は、とても三十を過ぎているには見えないぐらい若く、どこか少年のような一面を見せて笑った。
その笑顔をどうしても直視しづらく、コナンは少し俯いてしまった。
もっとも会いたくない人との二人きり。
この男には本来感謝をしなければならない。
自分では無理だったが、蘭を支え、幸せにしてくれるこの男に感謝しなければならない。
だがやはり心は素直で、複雑だった。
「新井出先生・・・・」
「なんだい?」
「あなたは、・・・・彼女を愛していますか?」
すると新井出はどうした?
先ほどのように少年のような笑いをやめ、真剣なまなざしでコナンに向って応える。
「ああ、もちろんだよ」
どれほどの強い想いかは、それだけでコナンにも伝わった。
当然だ。
同じ女を愛したもの同士だから分かる。
「そうですか・・・・」
だから本当に何も言うことはなかった。
だが、ハッキリと告げたはずの新井出先生は、すぐに顔を苦笑させ、コナンと同じように金網に寄りかかり、空を見上げた。
「でもね、・・・コナン君。・・・・こんなこと・・・こんなことは式の直前で、本当は言ってはいけないんだけど・・・・本当は一つだけ不安があるんだ」
「・・・えっ?」
意外な言葉にコナンが新井出先生を見ると、彼は少し複雑そうな表情をしていた。
そして、その口からゆっくりと語られる、彼の心境・・・それは・・・
「僕は直接会ったことはない。でも、君も知っているだろ? ・・・工藤・・・・新一君のことを」
「!?」
自分の事だった。
「僕は卑怯なことをした・・・・工藤君を待ち続け・・・寂しい想いをしていた彼女の気持ちにつけ込んだ・・・」
「で、でも、あなたは本当に蘭・・・・ねーちゃんを・・・大切に思っている、そして先生の存在に彼女は救われた。あなたが後ろめたく思うことなんて、何もありませんよ」
俯く新井出に思わずコナンはフォローを入れてしまった。
まさか彼の口から「工藤新一」の名前が出てくるとは思っても居なかった。
すると・・・
「違う・・・僕が・・・後ろめたく思うのは・・・・工藤新一君に対してだよ」
「!?」
彼の複雑な想いは、自分に・・・「工藤新一」に対してのものだった。
「君だって分かるだろ? あんなに純粋で・・・・優しい彼女に認められ、想われている男が、彼女を大切に想っていなかったはずはない。僕は結果的に彼女の一番であったはずの工藤新一君から彼女を奪った・・・・そう思うと、彼に対して申し訳ない・・・許されない・・・認められない・・・・そう思えてならないんだよ」
「新井出先生・・・・」
「工藤君を大切に思う彼女も好きだ・・・・でも・・・僕は・・・・彼女の好きな人には認められないんじゃないか・・・・彼ならもっと彼女を幸せに出来るんじゃないか・・・・そう思ってしまうときがあるんだよ・・・・」
蘭はどうやら男を見る目があるようだ。
以前まではただの優男だと思っていたが、この男はここまで蘭を大切に想っている。
でもだからこそ・・・
「ふざけんじゃねえ・・・・・」
「えっ?」
そんな男だからこそ・・・
「甘ったれてんじゃねえぞ・・・・・・」
「・・・コナン君・・・」
言わずにはいられなかった。
「あんたはアイツが選んだ男なんだろ? アイツを幸せにする男なんだろ・・・アイツと結婚するんだろ? ・・・だったら・・・そんな風にビビってんじゃねえ・・・」
「・・・・・・・」
「これから・・・あいつを幸せにしてやるのは・・・あんたなんだよ! 一人で悲しんでいたあいつの涙を拭って救い出してくれた・・・あんたなんだよ!」
「コナン君・・・」
「俺じゃねーんだ・・・」
「・・・えっ?」
「もう、俺じゃねーんだよ!!」
コナンは眼鏡を外しておもいっきり叫んだ。
場所も時も事情も構わずに、一人の男として叫んだ。
すると、素顔で叫ぶ江戸川コナンに、新井出先生は表情を変えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・まっ・・・・・・・まさか・・・・君は・・・・・」
ありえない事だ。
こんなこと絶対にありえるはずはない。
だが、新井出先生は声を震わせながら、ありあえないことを思ってしまった。
すると、コナンは信じられないような表情をしている彼に向って、まっすぐ見つめながら頷いた。
「ああ、・・・・そのまさかだよ・・・新井出先生」
「・・・・く、・・・・工藤・・・・君・・・・・」
こんなことが本来ありあえるだろうか?
10年前に死んだはずの男が、目の前に存在している。
こんな事態、医者である彼には何が何だかさっぱりだった。
だが、一つだけ分かっていることがある。
それは、目の前に居る工藤新一は、今の自分を叱咤して、後押ししようとしているのである。
「・・・工藤君・・・・なんで・・・だって君は・・・・」
「先生・・・生きてる人間を幸せにできるのは・・・・生きてる人だけさ・・・・死んだ人間にはなんもできねーよ。幸せにする事どころか・・・・喧嘩することも・・・なじる事も・・・和解する事だってな・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「工藤新一が何で死んだのか・・・それを言うことはできねー。でも・・・あんたが居たから・・・・アイツを泣かせたままなんていう最悪の結末は避けられた・・・俺はあんたに・・・悔しいけど、感謝しなくちゃいけないんだろーな」
信じられないようなものを見る目で新井出先生はコナンを見る。
しかし、動揺する一方で、その一言一言の言葉が心に刻まれていく。
目の前で自分を叱咤する、眼鏡を外した江戸川コナンの言葉をだ。
するとコナンはフッと小さく笑い、再び眼鏡を掛けた。
「・・・・なんてな、新一兄ちゃんがここに居たら多分そう言うんじゃねえかな?」
「えっ? いや・・・えっ? でも・・・き、君は・・・・」
「下らねえことを気にすんなよ、新井出先生。それと・・・俺がこんなこと言えたもんじゃねえが・・・・・・蘭姉ちゃんを頼んだぜ、新井出先生!」
多くは語らない。コナンはニッと笑った。
すると、動揺していたはずの彼もその言葉を聴いて瞬間、ピシッと姿勢を整えて、真剣な顔つきで頷いた。
「・・・・・・・・・・・・・ああ・・・・・・・・・男の約束だ」
新井出先生はそれ以上謎については尋ねなかった。
本来、コナンも絶対に語ることのなかった事だろう。
それを今日この日、自分に告げてくれたことの意味を、そして江戸川コナンではなく、工藤新一の心遣いを新井出先生は察し、そして受け止めた。
「時間だ・・・僕は先に行っている。だから・・・・」
「ああ、俺は必ず二人を見届ける」
新井出先生はその場から立ち去り、コナンはまた屋上に一人取り残された。
だが、先ほどまでとは違い、やけにスッキリした表情をしている。
それは多分、蘭を幸せにする男を、自分も今認められたからかもしれない。
そして彼は「工藤新一」に対しても気にするほど、心優しい男だった。
あの人なら蘭を任せられると、強がりではなく本音で思えてしまい、そのことがコナンの心を軽くしたのだった。
「もうええんか?」
新井出先生が居なくなり、また一人だけだと思った屋上に、今度は別の男が現れた。
タイミングを見計らっていたのか、その男は実に良いタイミングで現れた。
「ったく、聞いてたのかよ服部」
「ああ、な~んや、辛気臭い話ししてるんかと思ってな~。お前が正体バラしそうになったときは、驚いたけどな~」
「はっ、別にそんなんじゃねえよ。んで、オメーは何の用だよ?」
「ああ、この前お前が電話してきたときの態度が気になってな~、ほんでさっきあの茶髪の姉ちゃんに教えてもろたんや」
「へっ?」
「なんや、工藤。お前・・・10年分の記憶がサッパリ抜け落ちてるそうやないか~♪」
「・・・・悪かったな・・・・」
普通は言いにくいことなのに、この男は実におもしろそうに言ってきた。
思わず怪訝な顔をしてしまうが、だがそれもこの男らしいなと、妙に納得してしまった。
「ほんで~、あの姉ちゃんのことをごっつう好きやった頃に戻って。ショックでここまで逃げ出した・・・ゆうところか?」
「うっ・・・ま、まあ・・・否定はしねえよ」
「茶髪の姉ちゃんが言うとったで~。自分には出来ひんから、代わりにお前の相談に乗ったってくれゆうてな~」
「えっ、・・・・灰原が? ・・・・そうか・・・あの野郎・・・無理しやがって」
どうやら服部がここに来たのは、灰原の差し金らしい。
自分はつくづく灰原には見透かされているんだなと、笑えて来た。彼女は本当に自分を理解しているんだなと、感じてしまう。
「でも、まあ・・・・な~んか、スッキリしたよ。蘭と・・・そして新井出先生とも話して、何か胸のモヤモヤが取れた気がした」
「ん、さよか? ほならもう大丈夫なんか?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「工藤?」
「なあ、服部・・・・和葉ちゃんとはどうなんだよ?」
「ああ!? いきなり何ゆうとんのじゃ、ボケえ!! どうも何も、俺らはそうゆうやないで!」
こちらは本当に20代後半なのかと思えるような反応だ。
まるで中学生のように否定する服部を笑う一方で、直ぐに真剣な表情になってコナンは告げる。
「そうか? 俺はお前たちは・・・後は言葉だけで言いと思うけどな・・・・・」
「あん?」
「なら・・・その言葉は早い方がいい。言葉が届くうちに・・・間に合ううちに言ってやった方が絶対に良い」
「・・・・ああ?」
コナンの実感の篭った言葉を分かったのか、分かっていないのか・・・
しかし何かを感じ取ったのだとしたら、結局後は服部と和葉の二人次第。
コナンもそれ以上は言うことはなかった。
「なあ、工藤・・・お前はこれからどうするんや? あの茶髪の姉ちゃん・・・・何もない表情しといて、内心ではかなり落ちこんどるで?」
「んなことは分かってる・・・・だから・・・ちょっと考えていた・・・どうやったら俺はこの現実を受け止められるのか・・・・どうやったら蘭との決着をつけて、灰原を正面から見ることが出来るのか・・・・」
「・・・答えは出たんか?」
「・・・ああ・・・・今・・・そしてこの数日間・・・・そして昔のことを思い返して・・・分かったんだ・・・俺が・・・何をしたいのか・・・」
10年後の世界。
慌てふためき、みっともなく走り回った自分は、蘭の結婚を聞きつけ、焦るように告白した。
だが、そうじゃなかった。
たしかに、胸に秘めていた蘭への想いを伝えたかったのは本心だ。
だが、10年も工藤新一の存在に心を引きずられていた蘭に対して掛けてやる言葉・・・いや、自分がまず言わなければならない言葉は、そうじゃなかった。
「何で俺が灰原を正面から見れなかったのかは・・・蘭への未練だけじゃねえ・・・・この前、灰原が工藤新一に対して謝ってくれて・・・・そして今日、新井出先生と話してみて・・・ようやく俺は気づいちまった」
「・・・・ほなら、・・・・お前の心の中に残っている物はなんなんや?」
「俺の中に残っているもの・・・・それは・・・・罪悪感だ」
途方もない月日、そして工藤新一の存在により人の人生を左右させてしまった自分自身。
10年前の工藤新一の死・・・いや、それ以前に蘭の前に江戸川コナンとして現れてから・・・・江戸川コナンは多くの人の人生を巻き込んだ。
そして、何より涙を堪えながら待っていてくれた蘭に対して、彼はたまに電話をしたり、たまに解毒剤の試作品で元の姿に戻って会うだけで、何もしてやれなかった。
――大事なときにいつも居なくって電話ばかりじゃない・・・たまに帰ってきたって、また直ぐに居なくなっちゃうし・・・
ただ「待っていてくれ」そんな言葉だけを残し、蘭をずっと縛り続けていた自分は、本当はまず何と蘭に言ってやらなければならなかったのかを、ようやく気づいた。
――いつも私だけ置いてきぼり・・・私のこと何だと思ってるのよ・・・
それは・・・
「俺は・・・一度・・・ちゃんと蘭に謝らなくちゃいけなかったんだ・・・・」
工藤新一の罪を、蘭に謝罪しなければいけなかったことに、ようやくコナンは気づいたのだった。
「・・・・せやけど・・・もう、工藤新一は死んでんねんぞ? あの、姉ちゃんも今更お前が工藤新一やってゆうても、信じひんぞ? もう、10年も前の話なんやから」
服部は切なそうに現実を告げる。
死んだ人間には謝ることすら出来ないのだと、告げた。
だが、コナンは首を横に振った。
「服部・・・・オメーは先に式場に行っててくれ。俺は少し準備したいことがある」
「は、はァ!? お前こんな時に、何ゆうとんねん!?」
「安心しろよ、俺はもう大丈夫だ! いい加減、自分の罪から逃げて誤魔化すのはやめた。許されなくても・・・・謝罪しなくちゃ、俺は始まらねえ」
「お、おい工藤!?」
「式が終わる前には必ず戻ってくる!! だから、待ってろよ!!」
「お、おおい、ちょ、待てぇ!?」
コナンは走り出した。
この世で一番好きだった人へ懺悔するために。
もう逃げないし、誤魔化さない。
正面から罪を認めて謝罪しなければ、これから先の全てと向き合うことは出来ない。
だから彼は、工藤新一の犯した最大の罪とようやく向き合うことにした。