「クソッ・・・・蘭・・・・蘭・・・・・」
結局日は沈み、辺りは暗く、外灯の中をコナンは歩いていた。
結局見つからない蘭の名前を呟きながら、トボトボと歩いていた。
だが、適当に歩き回っていたと思っていたら、そうでもなかった。どういうわけか気づけば工藤新一の家の前までたどり着いていた。
恐らく、自然と足がここまで向ったのだろう。
探偵としての嗅覚か、もしくは自分と蘭との絆かは分からない。
だが、なんとなく家に向うと、家の鍵が開いていて、中には女性の靴があった。
「蘭だ!」
一瞬でそれが蘭のだと分かった。
コナンは顔を綻ばせて、急いで部屋の中へと駆け込んだ。
そこから先は迷わなかった。
広くて部屋も数多くある自分の家だが、コナンが真っ先に向った部屋。
それは推理小説で部屋を囲まれた広々とした書斎。
初めて江戸川コナンが蘭と会った部屋だ。
「あっ・・・・」
扉を開けると、一人の女性が背を向けて立っていた。
部屋の電気はついていないため中は薄暗いが、そこにいる人物が誰なのかがすぐに分かった。
(蘭!)
ようやく見つけた蘭にホッとしたコナンが部屋の電気をつけようとした。
しかし・・・
「つけないで」
「えっ?」
「泣いている顔・・・コナン君に見られたくないから」
すると目の前の女性は手で目元を軽く擦って、ようやく振り向いてくれた。
笑顔でも決して誤魔化しきれない涙を溜めながら、コナンに微笑んだ。
(・・・蘭・・・)
不覚にも美しいと思ってしまった。
部屋が暗くとも月明かりの光が差し込んで、彼女の姿はよく見えた。
10年という月日で、大人になった蘭は昔の面影を残しながらも、実に美しい女性へと成長していた。
だが、その美しい微笑がどうしても切なく見える。
「ここには・・・新一との思い出がいっぱい詰まっているの」
そして、それを見るだけで辛かった。
「・・・・・結婚するの? 新井出先生と・・・・・」
「・・・・うん」
「・・・・・・・」
小さく頷いて肯定する蘭。
今すぐ駆け出して抱きしめたい衝動を抑えながら、どうしようもない現実に唇をかみ締めた。
「どうしたの?」
「どうしたって・・・だって・・・そんなの・・・・お、俺が・・・・・」
「・・・コナン君が?」
自分が今何を言おうとしているのか分かっているのか?
だが、分かっているが止められない。
ただ、ギリギリのラインまでの言葉を選びながらコナンは呟く。
「・・・こ、困るから・・・・・」
「どうしてコナン君が困るの?」
軽く首を傾げながら、蘭は苦し紛れのコナンの言葉にアッサリ尋ね返してくる。
それがとても苦しい。
「それは・・・・・」
なんと言うつもりだ?
自分が工藤新一だから?
10年前に死んだフリして、実は生きていましたと言うつもりか?
「だ・・・だって・・・・」
蘭の10年間をあざ笑うかのような・・・・幸せを奪う言葉を・・・・・囚われていた蘭をもう一度・・・・
「お、俺が・・・・・俺が・・・・・」
違う・・・
工藤新一だからどうではない。
江戸川コナンだからどうではない。
言わなくてはいけないことはそうではない。
ずっと知っていた蘭の気持ち・・・・返さなかった自分の気持ち・・・・言わなかった自分の気持ちを・・・・・
「俺が毛利蘭を好きだから!! オメーのことが、ガキの頃からずっと好きだったからだよ!!」
自分が言いたかったのは・・・自分が今まで言えなかった本当の気持ちを、彼は叫んだ。
ずっと言いたかった「好きだ」という言葉。
メガネを外し、10年前に死んだはずの工藤新一の姿と表情で、蘭に向かって初めて告白した。
ずっと言えなかった「オメーのことが好きなんだ」という言葉をこの瞬間、正体も秘密も全てを抜きにして叫んだ。
「だから・・・・だから・・・・・」
だが・・・・・それ以上は言えなかった。
結婚するなとは、決して言えなかった。
(工藤新一じゃなくても・・・・俺が・・・・今度こそ俺が幸せにしてやるから・・・・・江戸川コナンとしてでも・・・・ずっとオメーの傍に居るから・・・・)
などと、言える筈がない。
本当は想いを告げる資格も無いのである。
それほど自分の10年の罪は重い。
だが、言わずにはいられなかった。それほど彼もまた、蘭を愛していたから・・・・
「本当に・・・・高校生になったら新一そっくりになっちゃったね」
目を瞑って拳を握り締めるコナンの目の前まで近づき、優しく微笑みながら蘭はコナンのメガネを直す。
「ありがとう。コナン君の気持ち・・・とても誇らしく想う」
自分が工藤新一だと心のそこから叫びたかった。
でも言えなかった。
10年経っても言うことができなかった。
そして蘭が自分のメガネを掛けなおしてくれたとき、ようやく理解した。
もう自分は工藤新一ではなく、江戸川コナンに過ぎないのだと。
「ありがとう・・・・コナン君・・・・今ので・・・私はようやく新一への想いに決着をつけられた気がしたわ・・・」
そして彼女の中で今この瞬間、工藤新一は本当に死んだのだ。
「ゴメンね、コナン君。私は新井出先生が・・・・智明さんがいるから、あなたの気持ちには応えられないの」
涙を流さぬように、優しく微笑む蘭。
最愛の人の見せる笑顔は、新たなる旅立ちの決意を秘めている。
過去から解き放たれるための。
「昔ね、歩美ちゃんが言ってたわ。コナン君は私のことが好き。でも私には新一がいる・・・だからコナン君の気持ちには応えられないって言ってあげないとコナン君が可愛そうだって。・・・ゴメンね・・・・10年も掛かっちゃって・・・」
蘭の表情は、態度は、もう江戸川コナンに対する毛利蘭の接し方になっていた。
男と女、恋人でも幼馴染でもない、家族に対する申し訳なさを含んだ切ない表情だ。
「ら、・・・蘭・・・・俺は・・・・」
「ありがとうコナン君。今まで傍にいてくれて・・・私を何度も守ってくれて・・・・」
「蘭・・・・・ねーちゃん・・・・」
自分では無理なのだ。
「好きなの? 新井出先生を・・・・・・・」
「・・・・ええ・・・・好きよ」
工藤新一は江戸川コナンになれても、工藤新一になることはもう出来ない。
だから、蘭とはコナンとして支えてやることしか出来ない
そう、必要なのである。
蘭を支えるのではない、幸せにするには別の形のパートナーが必要なのである。
(バーロ・・・泣くんじゃねえ・・・・蘭だって・・・必死に堪えてるんだ・・・俺が・・・泣くんじゃねえ! 言うんだ・・・言ってやるんだ・・・・俺が言える・・・・俺が言うことが許される言葉だけでも・・・・・コイツのために・・・・)
もう自分に出来ないのである。
守ることも、支えることも、傍にいることも出来る。しかし蘭を幸せにすることは、もう自分には出来ないのである。
「幸せに・・・・なってよね・・・・」
涙は流さない。
懸命にこらえながら、今自分に出来る精一杯な笑顔で蘭に微笑む。
それがコナンとして、そして工藤新一として出来る最後のこと。
笑顔で蘭を送り出すことなのだ。
「うん、約束するよ」
その日は別々に帰った。
蘭はもう少しだけ居て思い出に浸りたいと告げた。
その言葉で理解した。恐らく蘭がこの家に来るのはこれで最後なのだろうと。
これで本当にお別れなのだと、理解した。
「10年か・・・・いや・・・ガキの頃から合わせて20年近く掛かって、一番捕まえたかった犯人が時効になっちまうなんて・・・・・とんだ名探偵だぜ」
工藤新一は許されないことをした。
蘭が新一を許せるのかを聞くことは出来ない。
蘭ならきっと許してくれるかもしれない。だが、この日は自分自身への罪の深さがいっぱいで、夜の闇が暗く感じた。
「巻き込みたくない・・・泣かせたくない・・・・そんな一身だったのに、何が正しかったんだろうな・・・・俺は・・・・・アイツに何をしてやれたんだ? ・・・・ふっ、情けねえ・・・結局涙を流させることしかできなかったじゃねえか・・・・」
組織と戦っている時も、逃げずに堂々と日の光の下で生きてきたのに、たった一つの失恋がこの世の全てを暗闇に変えた気がした。
「ゴメンな、・・・・いや・・・おめでとう、蘭。お前は最低な探偵からようやく釈放だよ。・・・・幸せになれよ・・・・・」
しばらくは立ち直れないかもしれない。
蘭だって時間が掛かったんだ。
自分もしばらくは、耐えられないかもしれない。
でも最後にこれだけは言わせて欲しい。
「蘭・・・・俺は本当にオメーのことが好きだったんだぜ? この世界中の誰よりも」
そしてこの日、工藤新一最後の未練が消え、彼は本当に江戸川コナンとなったのだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・・?
「・・・なあ・・・・・おい・・・・もう十分エンディングまで向えたろ? そろそろ・・・・・そろそろ実は夢だったっていうオチじゃ・・・・ねえのか?」
コナンは不貞腐れたように夜空に向ってボヤいた。
だが、その返答を返す者は誰も無く、世界に変化も見られない。
どうやらこの世界で江戸川コナンの役割はまだ終わっていないようだ。
「おいおいおいおい・・・まさか・・・・本当にこのままじゃねえだろうな?」
夢か現実かは分からぬ悪夢のような世界で、彼はまだこの10年間の自分の人生を見なければならないのである。
工藤新一ではなく江戸川コナンとして生きてきて、それにより蘭だけではなく、他の者たちの人生にどのような影響を及ぼしたのか・・・・・・
「江戸川君・・・・・本当にどうしたっていうのよ」
工藤邸の隣にある博士の家で、蘭とコナンのそんなやりとりをまったく知らずに、博士のいない家で、灰原はコナンの名を思わず呟いてしまった。
夕方の出来事に、嫌な思いを募らせながら、誰もいない広い家の中ボーっとしていた。
「久しぶりね・・・あなたがあんなに彼女のことを叫んでいたの・・・でも、当然よね・・・・それがあなただったもの・・・・・でもね・・・・昔、そうやって彼女を追いかけていたあなたを見ていた私の気持ち・・・どれほど切なかったか分からないでしょうね・・・・・。まさか・・・・もう一度そんな気持ちになるなんて思わなかった・・・・・・いえ、予想できたことなのに・・・・あなたはひょっとして、彼女のところへ帰るんじゃないかって・・・・幸せだったから・・・・すっかりそんなこと考えていなかったわ」
ギュッと手を握り締め、より一層不安が増す。
「私の許されない罪・・・本来結ばれるはずだった貴方たちを引き裂いた悪魔の女・・・・あなたを想う彼女からあなたを奪い去った魔女・・・・でもあなたは優しかったから・・・私を傷つける言葉を何も言わなかったから・・・・甘えてしまったのね」
深まる謎と不安を抱きながら、ため息をつきながら灰原はあきらめて寝室へと向った。
「でもね・・・・もう無理なのよ・・・死ぬのは怖くなかったはずの私も、もう死にたくない・・・・そして、あなたを失うのが今では死ぬより怖いわ・・・・・」
重い空気を漂わせ、しかし途端に灰原は小さく笑った。
「ふふ・・・なんてね。ちょっと暗くなりすぎたわね」
そして軽く伸びをして、頭を左右に振って余計なことを考えるのを止めた。
「まあ、いいわ・・・名探偵さん、明日は事件の真相を絶対に話してもらうわよ」
とにかく今日は寝て、朝一番でコナンに会いに行こうと決めて、ベッドへと倒れこみ、コナンにとってのありえない出来事の一日が終わるのだった。
「・・・・・・・・そして・・・・私を・・・一人にしないで・・・・お願いだから・・・・そして・・・」
――――ずっと傍に居てね