「なんじゃとォ!? この10年間の記憶がない!?」
外にまで聞こえるほどの博士の声が阿笠邸に響き渡る。
時刻は夕方。
放課後に生徒たちがそれぞれ帰宅している時間帯、コナンは探偵団の友達や、一応恋人らしい灰原には用事があると言って、一足早くに博士の家まで行き、朝には言えなかった真実を語った。
最初は新一を見た瞬間、朝のことを怒ってドアを直ぐ閉めた博士を説得するのに少し時間が掛かったが、ようやく博士がコナンの身に起こっている異常事態を知った。
「そうじゃねえよ。目が覚めて起きたら何故か10年後の世界だったんだよ」
「同じじゃよ! 新一・・・お前はこの10年どうしていたのか、まったく知らないんじゃろ?」
「ああ。だからこうして博士に相談に来てんじゃねえか」
高校生が子供になる薬がある世界だ。
この世でも摩訶不思議な体験を二度も経験する。しかし前例があるとはいえ、流石の博士も驚きを隠せない。
「じゃったら・・・じゃったら何故今朝に言わなかったんじゃ!? こんな大問題を何故黙っとたったんじゃ!?」
「バーロ! 言おうと思ったら、博士が追い出したんだろうが!」
「むっ・・・じゃ、じゃがそれは新一が哀君の悪口を言うから・・・・・」
博士は「仕方ないだろ」と言った口調でむしろコナンが悪いという感じである。
だが、そんな博士に対してコナンがため息交じりで言った。
「仕方ねえだろ~。ま~さか俺が灰原と付き合ってるなんて、予想もしてなかったんだからよ~」
「えっ?」
困ったような顔で呟くコナンの言葉に、博士はまた顔色が変わった。
博士も「10年前のコナン」と言われて、ようやく当時を思い出し、そして寂しそうな表情となった。
「・・・・・・そうじゃったな・・・・10年前なら新一はまだ・・・・・蘭君を・・・・」
「ああ・・・・、その状態のまま目が覚めて、起きたら蘭が他の男との結婚が決まって、俺は予想もしてなかった女と付き合ってることになってる・・・・メチャクチャきついぜ?」
「おお! 蘭君はとうとう結婚が決まったのか!」
「ああ、式はいつか知らねえけど、これで完全にフラれちまったよ・・・・・・・」
両肩を竦めて儚げに告げるコナンに、博士はかける言葉が見つからない。だが、コナンもそんなしんみりとした空気をすぐに払拭しようと、あわてて首を振って話題を変えた。
「・・・まあ、博士に相談したいのはそのことじゃなくてだな~、とりあえず今後のことを博士や父さんに母さん、それに灰原にも俺の今の事情を話して、色々と協力してほしいんだよ・・・・」
「うむ、・・・・・・そうか・・・・まあ、たしかにそれはそうなんじゃが・・・」
「ん? なんだよ・・・」
「・・・のう、新一・・・その・・・」
何かを言いよどんでいる博士だが、コナンは直ぐにピンと来た。
「ふっ、・・・ああ・・・灰原だろ?」
「・・・うむ・・・・」
博士の言いたいことはコナンにも分かった。
10年前のコナン、すなわち工藤新一が心から想っていたのは蘭だった。
子供のころからずっと傍に居てくれた人で、そして彼女のためなら命だって賭けられた。
博士にだってそんなことは分かっている。分かっているからこそ、言いにくいのである。
「学校では灰原には結局言えなかったよ。俺が何も知らねえってことを・・・・あいつが・・・・あんな顔するからよ」
博士や両親、そして灰原に自分の事情を話して今後の対策を練ろうとしたのだが、その灰原が問題だった。
10年前より、柔らかくなり、普通の高校生のように今を楽しそうに生きている灰原を見ると、コナンも真実を語るのを躊躇った。
「ワシも新一と蘭君が小さいときから知っておる・・・・じゃが、この10年で培った君と哀君の絆も、それに負けていないとワシは思っておる」
そう、新一と蘭の絆など博士には十分に分かっている。
しかしこの事実を灰原に伝えることは、この10年のコナンと灰原の二人を見てきた博士も気が進まなかった。
「まあ、一番驚いたのがそれだよ。なーんで、俺が待っていてくれる蘭じゃなくって、灰原を選んだのか・・・・そして・・・どうして灰原の奴は俺をあんなに信頼してくれてんのか。俺の知ってる灰原はあんな女の子らしいこと言わねえし、あんな風に笑ったことなんてなかったからな」
「・・・新一・・・・」
「でも・・・・やっぱ本当のことは言った方がいいのかな・・・このままじゃ俺はまた女にウソをついちまうことになるし」
「なっ、し・・・新一!?」
「だってそうだろ? 下手なウソついて誤魔化すことの意味は、昨日散々味わってんだよ・・・・たとえ、灰原を悲しませることになろうとも、もう真実を捻じ曲げたくねーんだ・・・・」
江戸川コナンとして己の姿と名前を偽り続けた人生は、自分に何をもたらした?
蘭のためと想ってつき続けたウソが、結局自分たちを最終的には引き裂いた。蘭を何度も電話越しで、そして目の前で泣かせた末にだ。
だからコナンは今の事情を灰原に話した方がいいだろうと思っている。
だが、それでもやはり昼間の灰原の表情を思い出して、踏み出すことが出来なかった。
「・・・新一・・・・哀君の10年前の生きがいは、解毒剤を完成させ君を元に戻すことで、薬を作ったことの償いをすることじゃった。しかし、君が元に戻れなくなり、彼女は生きる目的を無くした・・・・・・新一・・・・お前はそんな哀君に新たな生きる喜びを与えたのじゃよ」
博士も今の目の前に居るコナンが、10年前の蘭を好きだった頃のコナンだとしたら、今のコナンの悲しさは想像を絶するものだろうというのは理解している。
自分としても、コナンにこれ以上ウソをつき続けさせて、苦しめるような真似はしたくなかった。
だが、それでも全てを話すことが本当に灰原のためになるのかというと、頷くことは出来なかった。
「でも・・・・やっぱ気が進まねえよ・・・あいつが俺のことを想ってくれてるんなら、尚更できねーよ。蘭の時みてーに、自分を偽ることなんてな・・・・」
「新一!? じゃが君は哀君にとっては・・・・・もし・・・・これまでの全てを君が忘れていると知ったら・・・・・10年かけて積み上げてきたものが無くなったと知ったら・・・・哀くんは・・・・・」
「んなこと分かってるよ。だから、俺も学校では躊躇しちまったんだよ・・・自分の犯したことを罪だと思い、自分の命を軽んじて・・・人のために自分の命を簡単に犠牲にしようとするような女が、10年かかってようやく普通の女みてーに幸せそうに笑ってんだ・・・博士の気持ちも分かるよ・・・・」
コナンの記憶にある灰原は、自分が黒の組織の人間であり、薬を作っていたことに酷くコンプレックスを持っていた。
自分の気持ちも隠し、他人とも必要以上に深く関わろうとせず、関心も示さず、そして自分のことで皆に危害が及ぶ可能性を感じ取ったとき、躊躇わずに命を差し出そうとした。
そんな灰原を何度叱咤したことかと思い出す。
だが、今の灰原からはそんな感情はまったく感じられない。もしそれが博士の言うとおり、自分と一緒に居ることで灰原を変えたのかと思うと、どうしても悩んでしまった。
「へっ、相変わらず自分のことになると答えが出ねーよ。情けねえ・・・・」
「・・・新一・・・・」
答えは出ない。
本当に全てを言うべきか、それともこのまま騙し続けるか、相変わらず自分は同じような選択肢を突きつけられる。
だが・・・
「でもな・・・博士・・・・これだけは言っておくぜ?」
「ん?」
「たしかに俺は蘭が好きだったけど、10年前の時点でもちゃんと灰原とも約束してんだぜ? 必ず・・・守ってやるってな。俺の知ってるあいつは、タフじゃねーからな」
それがコナンの灰原に対する意地だった。
あのひねくれている女を、死にたくない、自分は大丈夫だ、もう逃げ出さないと思わせるまで、意地でも死なせてやらない。必ず守ってやるというコナンの約束は、10年前から続いているものだった。
その約束だけはコナンも知っている。
だから、全てを言うにしろ言わないにしろ、灰原を守ってやるというのは変わらないと、コナンは博士に告げた。
その言葉だけで、とりあえず博士もホッとした表情になった。
だが・・・
そんな二人の会話を、扉の前で黙って聞き耳を立てている人物が居ることに、コナンも博士も気づいていなかった。
コナンの様子がおかしいと感じ、急いで帰宅しようとした彼女が全てを聞いていたことに、二人は気づいていなかった。
「・・・バカね・・・・・守ってやるなんて言っている時点で私を信頼してないんじゃない・・・・・・」
彼女は少し俯きながら、触ろうとしたドアノブから、ゆっくりと手を降ろし、その場にしばらく立ち尽くしていた。
「・・・・付き合う前の時でも、・・・私のことを好きじゃなかった時でも・・・あなたは私を対等な相棒だと思ってくれてたんじゃないの? 肝心なことは何も話さないで・・・・一人で抱え込んで・・・悩んで・・・・余裕の振りして・・・・本当にバカよ・・・・あなたは・・・」
僅かに目元に涙を浮かべてしまった彼女は、その涙が絶対に相手に悟られないよう、しばらく目元が乾くまで、ドアを開けずにジッとしていた。