四月。桜が舞い、桜が散る新しい時が始まるに相応しい季節だ。そんな季節にとある少年、天井宏輝もまた、新しい季節を始めようとしていた。
「あらあらまあまあ。似合うわねぇ」
「ど、どうも。あんまり褒めちぎらないでください。照れます」
「照れちゃって可愛いわ。ヒロちゃん、次はこっちを試してみてご覧なさい?」
シュルと白いシャツの襟に巻いたチェック柄のネクタイを解き、老婆のマダムから手渡された別の柄のネクタイを受け取る。新しい学校、川神学園への入学兼編入が決まって制服も身元保証人であるマダム宅に届き、試着してネクタイをしようとプチファッションショーを開いていた。
本当は指定されたネクタイがあるのだが、比較的自由な校風にネクタイの種類や制服を改造をする事は許されている。大人のファッションに着慣れている宏輝としては、ネクタイを着ける事に抵抗は一切無い。次々と渡されるネクタイを着け替えている。
「珍しいわ。今時の子ってネクタイは堅苦しいから嫌って言う事が多いのにね」
「要は慣れです。僕はこういった服を着る事が多かったので嫌いだとは思わないです。寧ろ、大人の魅力を引き出せると思っています」
「まあまあ」
ほっこり。それが似合う仕草をするマダムを余所に、宏輝は慣れた手付きでネクタイを結んで綺麗に着ける。鏡を見ながら歪んでいるのが無いように微調整をしていると、マダムに肩を叩かれてその動作を止める。マダム自身が宏輝のネクタイを結び直すように微調整する。宏輝の方が背が高いので少し身を屈むのであった。
「ありがとうございます」
「ううん。こんなお婆ちゃんの我が儘だから。ヒロちゃんには大人の格好が似合う子でいてあって欲しいの」
「は、はあ。少し重い感じですね」
「そこまで受け止めなくてもいいわ。あなたはあなたの人生を歩めばいいの。ギャンブルが好きなら楽しめばいい。百代ちゃんのような可愛い子と付き合いたいなら付き合いなさい。あなたには未来が沢山あるのよ」
ネクタイを結びながらマダムは宏輝に諭すように語り掛ける。その言葉に宏輝はどう反応すれば良いかわからず、為すがままにマダムにネクタイを結ばれていた。宏輝が大人の服装を着慣らしているのはギャンブル場に入るため、子供ではなく大人に見えるようにしているからだ。以前に、彼の師である彼の祖母と共にアメリカにあるラスベガスで荒稼ぎをした経歴がある。その経験もあって、ネクタイを結んで大人っぽく見える格好に抵抗を感じなくなっているのだ。
また、マダム自身はまだ子供である大人に見せる背伸びをしている彼に道を説く。自分が歩んだ人生の経験を活かして間違った道を歩まないようにしたいと思っている。
「悪い事はするなとは言わないわ」
「や。それはそれで問題でしょマダム」
犯罪を勧めるような言い方に宏輝は顔を引き攣らせる。まさか悪い事をするなではなくしてもいいみたいな言い方をするとは思わなかったのだろう。マダムの見た目からは優しそうな老婆でそんな事を言うはずがないと宏輝自身も思うほどなのだが。
「悪い事をしてもいい。良い事をしたくないならしなくてもいい」
「マダムマダム。ただの犯罪講座みたいになってますって」
「だけどこれは忘れないで。『自分が決めた道は何があっても貫き通す事』、人に言われて縛られない自由な子であって欲しいの。少し使い古された言葉だけどわかるかしら」
「まあ、大体は。縛られないで自由に生きたら会社ですぐにクビになりますって」
「大丈夫よ。いざとなれば私の知り合いの経営する企業に加えてもらうから」
何といういきなりの大きなコネ。と宏輝は呟いた。このマダム、名の通りに川神市どころか世界でも屈指の大金持ちなのである。それ故にコネは幾らでもあるのだが、まさか高校生から就職先が見つかるとは夢にも思っていなかったのだろう。戸惑いを隠せずにズルリとシャツがズレていた。
「さっ。これでいいわ。今から入学式でしょ? 私は行けないけどしっかりとね」
「はい。感謝します」
ネクタイをしっかりと結んだ彼はマダムに頭を下げると、川神学園から送られていた物の中にあったペラペラの鞄を持って家から飛び出す宏輝だった。マダム宅の二階から川神学園の方向に走る彼の姿をマダムはまるで孫を見詰めるような眼差しをしていた。
――そして、入学式。
◆
「おーいモモちゃん」
「意外と遅かったなヒロ」
川神学園体育館。入学式の会場である会場前に宏輝の友人である百代が白い制服を身に包んで彼を待っていた。タッタッタッタと彼女に走り寄る彼の額には少ない汗が付着しており、ずっと走っていた事が伺える。
「勘弁してよ。ここからマダムの家までどれくらい離れていると思ってんの? 十分走り続けたんだよ俺」
「……あー、遠いもんな。ばーちゃんの家から」
「そういうこと。そろそろ行こっか? 入学式には決まった席があるんでしょ?」
「ふふふ……もう調べているぞ。何故かお前は成績最優秀なのに私と同じFクラスなんだが、何でだ?」
「知らないよ」
乱れた息を整えながら百代と歩き、入学式の会場である体育館に向かう。美少女の百代に童顔の宏輝は注目の的になっており、新しい同級生となる少年少女に見られていた。正確には、天井宏輝という少年一人を見ている人間が多かったりする。
―― アイツが天井宏輝
―― 編入試験を満点で突破した奴か
―― Sクラストップなのにわざわざ一番下のFクラスに移ったらしいぞ
―― 腹立つ。成績が優秀だからって余裕を見せやがって
「――ねえねえモモちゃん。何か背中が寒くなってるんだけど何で?」
「こんな美少女の私と一緒にいるからだろ。うりうり」
「ちょ!? おっぱい当たってるって! 押し付けないでって!」
「おっぱいって言うな。せめて豊かな胸と言え」
宏輝の頭を抱え、グリグリとする。その際に腋に挟んでいるので百代の豊かな胸が顔に当たっており、必死に抵抗をしようとするが、歴然な力の差にビクともせずに百代に為すがままの宏輝だった。それには周りの目を更に強くし、男子の嫉妬に塗れた視線が宏輝に中心に射抜くのであった。
キリキリと痛み始める胃と頭を摩りながら二人は移動し、指定された席に座る。その間にも、Sクラスからキツい視線が宏輝を射抜いており、始まる前からグッタリとしていた。
「モモちゃん。俺、死にそう」
「辛いのか? なら膝枕をしてやろうか?」
「もう黙って。その発言のせいで目線がキツくなるんだよ」
『オーイ。ワシの話はちゃんと聞こうの? ワシ、学長じゃよ?』
「そもそもの原因はテメェだろ……!」
静かに怒る宏輝に百代は楽しそうに背中をバシバシと叩いて遊ぶ。真っ白に燃え尽きたボクサーのように項垂れている彼に救いはないのだろうか。入学式から疲れる宏輝だった。
『今年から新しい校則を導入しようと考えておる。担任の教師から説明をするように頼んでおるからしっかりと話を聞くように。以上、学長からじゃ。長ったらしい話は好きではないのでここで入学式は終わり。それぞれのクラスに移動して担任の先生を待つのじゃ』
もう嫌な予感しかしないと宏輝は心の中で思っていた。彼の予想は的中し、Fクラスに移動した後に気絶する程のショックを受ける事になるのだ。
肩を落とし、トボトボと歩く彼はもう疲れ切っていた。反対に胸を張って歩く百代に注目が行く・・・主に胸に。豊かな胸が揺れる様を思春期を抜け出そうとしている新高校生はガン見していた。
「もうサボりたい」
この一言に全てが詰まる。宏輝と百代の所属するFクラスに移動し、自分の席に座っている間に宏輝は疲れた様子で机に顔を付けて死んでいた。入学式から目立っているため、疲れている彼の様子を見ているクラスメイトが多かった。
さて。ここで誤解の無いように説明をしておこう。天井宏輝という人物は高校生ではあるが、正確には“高校一年生の半年目”である。よくサボっていたが、成績は上位に食い込むほど優秀な生徒であった。なので、出席日数が足りなくとも、優秀だったのでギャンブルにのめり込んでいるのが以前の彼であった。今回の川神学園に入学したとしても、早速サボる気満々であったのだが更にサボりたい気持ちが強くなるのだった。
――始まって早々、前途多難な展開になるのであった。