「……はい? 俺が?」
「うむ。頼めないかの?」
「ああ、まあ。友達だから教えるのはいいけどアホのモモちゃんが根気良くできると思ってるの?」
パチン。
「そう言われると弱いのぅ。自分がやりたい事や楽しめる事なら夢中になれるが、勉強方面はどうしても苦手での」
「それが普通。勉強熱心なのはあまりいないと思う。俺なんか過程があったから成績が良いだけでその過程が無かったらモモちゃん以上の馬鹿だったかもしれないよ? ギャンブルだけに夢中で裏の人間に殺されてる未来があったかもしれないし」
パチン、パチン。
「……ま」
「待った無し」
「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬ……年寄りはもっと労らんかの?」
「――ねえ知ってる? ライオンって弱い獲物を狩る時も全力を出すんだよ?」
腕を組んでドヤ顔。碁盤の状況を見ながら宏輝は鉄心にトドメと差すように言葉を発する。唸る鉄心が待ったを言っても宏輝は容赦をしない。勝負事は真剣に本気でと信念を持っている彼は後先の事を考えずに発言して煽りに煽って煽りまくる。相手が鉄心でなければどうなるかは目に見えているだろう。特に百代が相手だとボコボコにリンチされるだろう。
言わずもがな。宏輝と鉄心は何回目になるか、学長室の将棋盤で将棋で勝負していた。圧勝を収めた宏輝は将棋盤の駒を片付け、髭を撫でながらしょんぼりとした顔をしている。
「ハァ。ワシ、いつまでも宏輝君に勝てんわい」
「頑張れとメッセージを送ろうジジイ。何事も回数を重ねる事で上手になるよ。俺なんか初めはばあちゃんに負けに続く負けで心を折られた事も何回もあった」
「ばあちゃん。つまりは、宏輝君の祖母さんかの?」
度々、宏輝から出る彼の祖母の話題。謎に包まれているが、今の天井宏輝を形成する事に大きな影響を与えているのだが、まだ誰にも話していないので鉄心が知る由もない。
「いい人だったよ。勉強もギャンブルも色々教えてくれた」
「ホッホ。性格が捻くれているが本質は優しい子のお主だ。さぞ、美しい女性だったじゃろうな」
「…………ウン、ソウダネ」
ふい、と宏輝はそこはかとなく鉄心から目を逸らす。自分だけ知っている祖母の実態を知っている宏輝としては顔を逸らさざるを得ない。
(あれは美しいけど魔性の女、魔女が適切な言い方だ。あんなヒト、もうこれからも会えそうにないと思うぞ)
「ところで授業はどうした? 宏輝君、まだ授業があるじゃろ?」
「面談だよ。自習時間だけど何か話したそうな顔をしてたから将棋のついでに来てみた」
「うむぅ。まあ、致し方あるまい。学長直々の成績優秀者との面談という名目にしておこう。特例でよいか?」
「感謝感謝。本来ならSクラスだからその事について面談をするって事にしておこう」
いそいそと将棋盤を片付ける。そんな様子を学長室の偉そうな社長椅子に座る鉄心は子や孫を見守るような生暖かい視線を宏輝に送りながら茶を啜っている。将棋を堪能したので満足なのか、ホッホッホッホと笑っている。
「それで引き受けてくれるかの? モモの件」
ガタガタと学長室の棚を触っている宏輝に声を掛けると、少し悩むように頭の米神をポリポリと掻いて唸る。色々と考えて今後の予定を立てている彼はこの話を受ける事で得られるメリットとデメリットを考えているのだ。短い付き合いの百代の性格を考えると、重労働になるのは目に見えている。まだ遊びたいと思っている宏輝にとっては百代の教師をして時間を潰されるのは勘弁願いたいと思っている。悩みに、悩む。
「ふむ。仕方あるまい。教師をしてくれるのであれば夏休みの補習は免除しよう」
「成績優秀だから免除はされると思うんだけど?」
「ふむむ、あいわかった。上食券三十枚でどうじゃ?」
「五十」
「……わかったわい。手配しよう」
やっふーと喜ぶ。天井宏輝、川神百代の個人教師に任命されるのであった。
◆
少年は目を閉じる。何かを考えるのではなく思うのでもなくただ無心に心と意識を欲求に委ねる。周りの声も気にせずにゆっくりとゆっくりと・・・。
「Zzzz」
居眠りである。この少年、堂々と授業中に昼寝をするが如く居眠りをし始めているのだ。その顔は幸せそうに、涎を垂らす勢いで破顔して綻んでおり、とある特定の人物を苛立たせるには充分な理由だ。
「天井。起きろ天井」
授業を担当する教師はピクピクと青筋を立てて居眠りをする彼を見下すように睨んでいる。睨んでいる教師の心情が見るだけですぐにわかるほど、憤慨している。
居眠りを堂々とする宏輝を見て教師は頭を抱えたくなる。川神学園内の教師陣の間では、天井宏輝という生徒は成績最優秀、難しい編入試験を満点で突破しているので期待の的であるのだが、ある意味期待外れの生徒だ。
付け加えると、この授業をしている教師も宏輝の娯楽部創設に反対する人間であった。が、天井宏輝をあまり知らなかったからこそ言いくるめられて多数決による創設承認を許してしまう事になったわけだ。
「天井ィィィィィィィ!!」
「ぬおっ! 何だ何だ。誰かが屁をこいて臭くなったのか!?」
「んなわけがあるか! いいから廊下に立ってろ馬鹿モンが!!」
ベシベシベシベシと額を教材の教科書の角で叩きまくられる目が虚ろな宏輝。一回叩かれる毎に眠気が吹き飛んで意識がシャキッとし始めるが、殴られ続けて額にジンジンと痛みが伝わる。
(やっべ。ついまた居眠りしちまった)
「あー、サーセン。少し昨日の夜にパーチーに行ってたもんで。睡眠不足っす」
「知るか! ガキがパーティーとか生意気すぎるぞ! 反省文書いて提出しろ!」
「えー。でも学長も一緒にいたんすけど。もっと言えば川神学園の先生方が殆どいたんすけど? 呼ばれませんでした? あっ。ボッチですか」
ゴスッ。トドメが如く、教師の持っている教科書の角を思いっきり宏輝の額に命中させた。グラングランと頭が揺れる彼を極限まで憤慨した教師の手によって廊下に投げられるのであった。完全に自業自得ではあるが、おちょくる宏輝も悪い。目がチカチカするのを自覚しながら校舎の廊下で情けない姿で寝転がる。
痛みに悶える彼に救いの手が。たまたま廊下を歩いているある人間が彼を助け起こし、廊下の僅かな埃が付着している服を払う。
「大丈夫か?」
「畜生。思いっきり殴りやがって……って誰? 着物とはまた斬新な奴だね」
「嗚呼、私の事は知らないのか。無理もないだろう。私と君は何の関係も無いが、君は川神学園では有名すぎるからな」
「有名で悪いな」
宏輝に手を貸しながら立ち上がらせるのは男性、年齢的には少年だが見た目はイイ大人というイメージが似合いそうな者だった。川神学園指定の制服ではなく、茶会を開く時のお偉いさんが着るような見事な和服である。長い袴に羽織と地面スレスレなのを宏輝が気にしている。
この少年が言う有名なのは編入試験でトップの成績を修めただけではなく、高校生活の始まりである一年目から濃すぎるキャラを貫いて爆走しているために良い意味でも悪い意味でも有名なのだ。おそらく、今の川神学園在校生徒に質問すれば誰もが天井宏輝という少年を知っていると答えるだろう。それほど短い時間で人々の記憶に強烈な印象を刻んでいるというわけである。
「自己紹介は必要かな?」
「ああ。こうして会うのは初めてで……もしかして先輩?」
「いや、同学年だ。一年S組に所属している京極彦一。よろしく」
「うむ。天井宏輝。よろしゅうしてやろう。よきにはからえ」
「ふむ。生意気というのも噂通りか」
少年、京極彦一と名乗る彼は肩を竦めて宏輝の態度に呆れ果てていた。反対に、宏輝自身は京極の見た目から似非貴族のように挨拶を交わすというお茶目な部分を見せているだけだが、初対面相手では失礼だと思う者もいるだろう事を忘れてはいけない。
「あ、あー。思い出した。京極彦一ってSクラスの成績トップのか」
「残念だが君には負けるよ。天井君。入学試験よりも難しい編入試験で全教科満点は私でも無理だよ」
「そう? 結構基本的な事ばかり出てたから少し考えればわかると思うぞ」
「成程。君はかなりの変人のようだな」
「ストレートだねェ。ダイヤモンドでできた俺の心でもその言葉は傷付くんですけど」
「顔が笑っているぞ」
その言葉に、にひっと誤魔化す。京極から見れば傷付くという発言をした時に笑っている顔が宏輝の顔に張り付いていた。
「五月蝿いぞ天井ィ! 大人しく立ってろと言っただろ!」
「む。先生」
「――京極? お前、授業はどうしたんだ?」
「お忘れですか? 担当の教諭が急な風邪で休んで自習になったのですよ」
「ああ。そうだったな……オイ、天井はどうした?」
そこで京極は気付く。隣にいたはずの宏輝が忽然と姿を消していた事を。同時に、京極はこう思った。
――あの野郎、逃げやがった。
これが後に川神学園を代表する成績優秀者の名を連ねる二人の初めての出会いであった。
余談だが、宏輝は川神学園学長室に逃げ込んでおり、放課後に怒られた教師に更に怒鳴られる事になっていた。
京極彦一は天才です。所謂、正統派の天才で勉強ができる真面目というイメージ。変わりに天井宏輝は天災であり、正統派や王道ではなく邪道の天才というイメージで変人の天才です。二人は頭が良いのですが、思考回路は全く違います。
京極彦一 → 堅物。真面目。
天井宏輝 → 発想が柔軟。非真面目。
でよろしいかと。今年の一年で言えば、トップは宏輝で次点が京極を設定に。実際はどうか知らんけど。