さとりの自室にて。
彼女は昼ごはんを終えてから、早苗さんと電話していた。
『今日のごはんはお味噌汁でした。早苗さんは?』
『わたしのところは、ビーフストロガノフです。これから作るところなんですよ』
『それは美味しいのですか?』
『はいっ。わたしの得意料理なんです。よければ今度いらしてください、ご馳走しますから』
さとりは思わず口をつぐんだ。
いけない。早々に話題を転換しなくては。
『あっ、しまった。わたしももう少し、後に食べるべきでした!』
『どうしてですか?』
『だって。全然違う場所に住んでいるのに、同じ時間に同じことをするって、なんだか素敵じゃありませんか』
打ってから気がついた。今の、ちょっと恥ずかしかったかも。
でも早苗さんには、自分の心の中を包み隠さず打ち明けたい。それで早苗さんが同意してくれたり、嬉しく思ってくれたりするのは、なんて幸せなんだろう。
そんな幸せの真っただ中だった。
終わりを予告する不吉な音が、携帯電話から発せられたのは。
『早苗さん。今の音、なんでしょう?』
『音?』
『はい。なんだか、さっきからずっと鳴っているんですが。わたしの方だけみたいですね』
『もしかして――充電?』
『どういうことですか』
『おそらく、電池が切れかけています』
『電池?』
『この機械を動かすには電池が必要です。
電池は、太陽の光を当てることによって蓄えられます。
それが切れると、もう会話することはできなくなります』
えっ、とさとりの声が漏れた。
早苗さんと話せなくなる。今まで胸を満たしていたものが丸ごと抜け落ちて、今まで以上の空虚が胸に残ってしまう。
そんな想像をして、底知れない恐怖が湧き上がってきた。
『いやです! いやです!
早苗さんとせっかくお友達になれたのに、こんな形でお別れなんて!』
さとりは何度も、どこかにいる誰かの名前を呼んだ。上ってくる嗚咽は抑えることができなかった。
『あなたは暗い場所に住んでいるといいました。
もしかして、そちらには太陽がないんですか?』
『ない、ですけれど』
『そこはもしかして――地底、ではありませんか』
ドクン――
さとりの胸が大きく打った。
地底。それは、忌み嫌われた妖怪たちが住まう場所。
でも、やっぱり嘘はつきたくない。
『ごめんなさい。わたし、ずっと隠してました』
打ち明けてしまった。決して教えてはならないことを。
『さとりさん』声が返ってきた。『会いにきてください』
さとりの目が大きく見開かれた。
どうして?――携帯を持つ手が震える。
『わたし、さとりさんに会いたい』
『いけません』
声には強い意志がこめられていた。
『わたしは、本来地上に出てはならない妖怪です』
『でもそれは昔のことでしょう?』
『あなたに嫌われたくないのです』
彼女の言葉どおり、お燐やお空は何度も地上に出ている。
が、それは彼女たちが、地上で受け入れられているから可能なのであって。
サトリという、他人の心を見透かしてしまう妖怪が歩いていたとしたら、人々は嫌悪を露にして彼女を見るだろう。しかも彼女の場合、他人の嫌悪が直に伝わってくる。
もし早苗さんに『気持ち悪い』なんて思われでもしたら。
そんなの、耐えられるわけない。
『早苗さんだけには嫌われたくないんです。わたしはサトリ。人の心を読む妖怪です。今までわたしなんかの話し相手をしてくださって、ありがとうございます。もうお別れですね』
虚しくて、心細くて、涙が溢れてきた。
――普通に「会いに行きます」って、どうしていえないの?
『さよならはいいません。わたしは守矢神社で、さとりさんを――』
そこで声は途切れた。
✽
「あれ、早苗。あんたご飯は?」
守矢神社。
夕食の時間、席についた神奈子と諏訪子は、早苗の分の食事が用意されていないことを不思議そうに尋ねた。
「お二方で召し上がってください」
「どうしてさ?」
「ちょっとした私用で」
早苗の分の食事は冷蔵庫に入っていた。それと。実はもうひとり分、冷蔵庫の中には用意されている。
彼女が来るまで、早苗は待つつもりだった。
✽
朝、早苗は目を覚ます。携帯が鳴っていた。
「――あ」
画面に表示されていた名前は。
古明地さとり、だった。
「充電できたんだ」
早苗は電話に出ようとして、手を止めた。
――電話してくるということは、外に出て充電だけして、地底に戻ったのだろう。守矢神社にくるなら、直接会いにくればいい。状況を察した早苗は肩を落とした。
結局、さとりさんとは会えなかったな。
早苗が残念がったそのときだった。
「出ないのですか」
「ええ、今でますよ……って」
え――と早苗が振り向けば。
そこには、気の弱そうな女の子が立っていた。胸のあたりには不機嫌そうな大きな目がついている。
「きていただけたんですね」
「きちゃいました」
「信じてました。思ってたより早かったですけど。それって、余程わたしに会いたかったと解釈していいんですよね?」
「それは……」
わたしは会いたかった。
さとりさんに。会いたかった。
「聞こえましたか、わたしの声?」
「ええ。――ですが、早苗さん」
「はい?」
「大事なことは口でいってほしいです」
「いいじゃありませんか。――よく地上に出ると決心できましたね」
「実のところ、地上に行くのは怖くありませんでした。ですが、あなたに会うのが怖かった。わたしはサトリですから、無意識に心を読んでしまいます。心の中を覗かれるなんて、誰でもいい気はしないでしょう。直接会えば必ず嫌われる。ですが、早苗さんが『会いたい』と強く願ってくださったから、わたしはここにくる決心ができたのです」
「電話越しでは、心は読めないのでは?」
「――はい。でも聞こえてきたんです。電池が尽きる間際、大きな声が。早苗さんの感情が流れ込んできて、わたし、初めてサトリでよかったと思いました。こんなわたしを、大切に想ってくださるということ。だから、どうしても会いたくなっていたんです。例え嫌われてしまうとしても」
早苗は少し不機嫌そうな顔だった。
「わたしの心、読めてるんですよね? どうしてそんなこと、いうんですか」
「え……そ、それは……」
「わたしの頭の中、さとりさんで一杯でしょう?」
心を読まれるということに、抵抗がないといえば嘘になる。
でも、心を読まれてしまうことと、さとりに会えなくなることを天秤にかけたら、どちらに傾くかは自明なのだ。それに、〝好き〟って気持ちがそのまま伝わることは、気恥ずかしくも嬉しいことであって。
「さとりさんが嫌われているなんてことは、奇跡でどうにでもしてみせます。わたしは東風谷早苗。奇跡を起こす巫女です」
「えっ」
早苗はピッとさとりに指をつきつけて、
「わたしが奇跡をご覧に入れましょう。これから先、さとりさんにたくさん友達ができます。そしてずっと、わたしに幸せにされるのです」
「……っ!」
真っ赤になったさとりが、恥ずかしそうに慌てふためいた。
「な……なんてことおっしゃるんですか……っ」
といいつつも、さとりはどこか嬉しそうで。
「さ、ご飯にしましょう。冷蔵庫の中にあるんです」
早苗がさとりの手を取った。そしてやわらかに微笑み、じっと見つめる。そんなふうに見つめられて、さとりの目から大粒の涙がこぼれてきた。
さなえが、そんなさとりの体を抱きしめる。さとりは早苗の腕の中で、堰を切ったように泣いた。それは誰にも見せることのなかった涙。彼女の頭を、やっと巡り合えた友達が、いつまでもなで続けてくれていた。