早苗はさとりの部屋を訪れた。早苗はさとりの数少ない友達だ。
二人はお喋りに花を咲かせていた。今日も今日とて、話題は外での出来事。これはさとりの希望で、早苗は今回は話のネタにと「文々。新聞」を持参した。早苗の解説にさとりが時折質問をして、頻繁に笑い声が上がる。
今度は早苗の方から質問した。
それは、かねてから疑問に思っていたこと。
「さとりさんは、面白そうに地上の話を聞きますね。どうしてそう地上に興味をお持ちなんですか」
古明地さとりといえば、妖怪の中でも群を抜く嫌われ者のはずだ。
なのに彼女を地底へ追いやった者へ、どうして興味を向けるのだろうか。早苗は不思議でならなかった。
「我々はずっと地の底に封じられて、地上との隔壁が根強くあります。ですが、もう昔とは違うのですから、そういう感情を持ちたくありません。それにしても、わたしが地上にいたころと比べて、地上は大きく変わったのですね」
「それについてですが」
早苗は目を細めて、話を切り出した。
「実際に、さとりさんが外へ出てみてはいかがでしょうか」
ごくり、と早苗は固唾を飲む。
百聞は一見にしかず。一度、さとりを地上に連れ出したいと思っていた。
ただ、さとりの方はといえば、外に行くには抵抗があるはず。無論この話は駄目元で切り出したものだったのだが。
「ええ、口だけではいけませんよね。やってみましょう」
さとりは、意外と乗り気なようだ。
むしろ、即決。
彼女の解答が予想外だったため、逆に早苗は戸惑った。
「自分で提案しておいて何ですが……地上には人間がたくさんいますよ?」
「知ってます」
声を低めて早苗がいうと、さとりは尻込みもせず笑顔を返したのだ。
早苗は噂できいたのだが、さとりは大きく変わったらしい。
昔は他人とのコミュニケーションを放棄し、地霊殿に引きこもって、動物たちだけが話し相手で――そんな、自らの殻にこもった少女だったと聞く。
だからだろうか。こんなとき、さとりが決まってこういうのは。
「早苗さんが一緒だから、平気です」
その言葉に、不意に涙腺が緩んでしまうことに、早苗は気づいていた。そうして、さとりが自分を必要としてくれていることが。
――こんなにも、幸せなんだ。
「というわたしの心情は、さとりさんに筒抜けなんですよね?」
「そういうのは口に出さなくていいんですよ!」
さとりは真っ赤になりながら叫んだ。
早苗は右手を出して、さとりの左手を握りしめる。しっかりと、指をからめて。
さとりの手を引きながら、早苗は地霊殿を出た。
✽
目的がないのも何なので、さとりに家業を手伝ったもらうことにした。
そんなわけで、人里にいるさとりは早苗と同じ姿。これはさとりの希望であり、一旦守矢神社に引き返して、予備の装束を着せたのだ。
人里は、それなりの数の人間が、往来を行き来している。
驚くことに、さとりはあっさり人間に馴染んでいる。彼女は今度守矢神社で行われる、神事のビラを笑顔で配ってくれていた。
「早苗さん。他に何をすればいいですか?」
「そうですね――」
思いの外、さとりは楽しそうだ。ビラをもらってくれる人に頭を下げ、時折軽く会話などもしている。文句なしの良い働きっぷりだ。
だが、早苗は思う。彼女は陽の光が届かない場所に閉じ込められて、どうして自分から、自らを追いやった者に歩み寄れるのだろうか。無論、自分という人間も含めて。
「わたしは自らの意志でここにいるんです」
「えっ?」
「心が読めると、知らなくてもいいことまで知ってしまうんですよ。妖怪が人間に同情してしまえば、退治する・されるの関係が崩れてしまう。この関係こそが幻想郷では理想のはずですが、あろうことかわたしは人間を囲うことで、自らの体裁を保つこともありました。今回もそうです。利用しているのです。わたしは妖怪のくせに、あまりに臆病で弱いですから――ただそれが人と妖、そのお互いのためなら、わたしは厭いません」
「さとりさん……」
「実はわたし、早苗さんも利用したんですよ。守矢神社の服を着て、自分は危険でないと知らしめるため――地上が昔と変わったと頭ではわかっているのですが、もしわたしの能力が知れてしまったらどうなるか、怖くて――」
押し殺した声で、さとりが打ち明けた想い。
袖に隠れた第三の目が、わずかに顔をのぞかせる。その目は一体、何を見ているのか。
さとりが自嘲気味に言葉を続ける中、里の人間が声をかけてきた。
「話し中でしたか、早苗さん」
よく守矢神社へ参拝に訪れる青年だった。彼は信者の一人である。早苗も何度か話したことがあるので記憶していた。
「いえ、問題ありませんよ」とさとりは愛想笑いを浮かべた。「早苗さん、安産祈願のお守りあります?」
「えっ? おれ、妻が妊娠したって教えたっけ?」
瞬間――さとりの顔が引きつった。
最近は早苗と過ごしていたから、心の声に対応して話してはいけないということを失念していたのである。「妻が妊娠したから安産祈願のお守りがほしい」――と流れ込んできた思考へ、咄嗟に応答してしまった。
過去、それで人から遠ざけられというのに。
さとりの体がわなわなと震えて、手の平に汗が滲んできた。
「うーん……」
男は悩んでいる。
当然の疑惑だろう。
それから、男ははっとして――
「ああ。もしかして、あんたがあの古明地さとりさんかな? なるほど、心が読めるから、こっちが要件いう手間がいらないってか。こりゃ便利だ」
朗らかに笑う男を見て、さとりは不可解な表情を浮かべていた。
「え――早苗さん、これはどういうことですか?」
「その、これはですね――すいません、お伝えするのを失念してました」
予期せぬ状況を前に、挙動不審になっているさとり。
心を読んでもらう方が早そうだと判断した早苗は、心の中で説明した。
幻想郷には何でもすぐ記事にする新聞屋がいて、里の人間も定期購購入している。以前の地霊殿での異変では、さとり含め地底の住人は大方記事にされてしまった。そして異変がないときでも、何かしら本人のプライベートや近況を許可なしに載せてしまう。
「幻想郷には、個人情報保護法なんてありませんからねぇ。多分さとりさんのこと、里の人間ほとんどが知っていますよ」
「え、――えええっ!」
知らされざる事実に愕然となり、恥ずかしい内容が明るみに出ていやしないかと焦っている模様。
早苗は苦笑いを浮かべながら、
「まあ、そういうことですから。今回ばかりは文さんに感謝して、肩の力を抜いて振舞ってくださいな」
人間は、あなたを受け入れてくれる。
――身をもっておわかり頂けたでしょう、さとりさん?
「ええ、ええ…………」
さとりは呆然としていたが、やがて早苗の言葉が理解できたのか、満面の笑みを浮かべた。
きっと地上へと伸ばした彼女の手は、何かをつかんだに違いない。
そんなとき。どこかで何かが、小さく光った気がした。
✽
数日後の地霊殿。
「文々。新聞」を持ってきた早苗は、さとりと一緒に表紙を眺めていた。
そこには、守矢神社の巫女装束を纏った少女が二人で、活動に精を出している姿が写されている。見出しは「地霊殿の主、奉仕活動に貢献」だった。
「あら、わたし」
二枚目の写真には、笑顔のさとりが写されていた。
「わたし、こんな顔で笑うようになったんですね」
「何かいいました?」
「いいえ」
さとりが無邪気に早苗へ笑いかけた。
その笑顔は早苗にとって、一番大切なもの。
ずっと守り続けたい、大好きな妖怪の――