誰もが本音と建前を持っていて、適度に二重人格である。そんなことが書かれた本を、さとりは以前読んだことがあった。
だけど、中には本音と建前が一致する者もいる。
例えば、それは鬼。
「ねえ、さとり。今日は知り合いのところに連れてってあげるよ」
正直者の鬼、星熊勇儀はわたしを地霊殿から連れ出した。
しばらく歩いて訪れたのは、橋姫の元。
「またきたのね」
「ああ、きたよ」
橋姫は勇儀と、慣れたふうなやり取りを交わす。呆れたような橋姫の声。腰に手を当ててため息をつく彼女は、不機嫌を隠そうともしない。わたしが勇儀だったなら、きっと頭にきているだろうと思う。だけど勇儀はまるで逆だった。むしろ愉快に思っていたのである。
そして、実は橋姫の方も――
だから彼女の顔が、笑顔みたいに見えた。
✽
わたしたちは三人でお酒を飲んだ。
会話に入ると、橋姫が不機嫌になるので黙っている。わたしはお酒に強いほうじゃない。気分が良くないから丁度良い。
「勇儀はどうしてここへくるの?」
「特別な意味はないよ。邪魔だったかい?」
「そんなことないけど」
お酒のせいで、うまく心を読めない。わたしが酔ってぼんやりしているというよりも、勇儀や橋姫の思考が曖昧なのかもしれない。
少なくとも、迷惑そうな様子は、橋姫に見当たらなかった。
「わたしが嫌われ者ってこと、知ってるでしょ」
「ああ。お前さんほど嫌われてるやつも珍しい。張り合えるのは、さとりくらいだろう」
わたしは苦笑いした。橋姫はすっかり気落ちして、
「そう思うなら、こなければいいのに」
「わたしは嫌いじゃなから」
勇儀の真摯な眼差しほど、破壊力があるものはない。
真っ直ぐに見つめられて、橋姫は赤面する。
心が読めなくてもわかる。これは勇儀の本音だ。
そんなとき。
「パルスィだ。さとり様と姐さんも」
釣瓶落としと土蜘蛛が近づいてきた。彼女たちは、地底公認のカップルだ。いつも土蜘蛛が、釣瓶落としの入った桶を抱えて歩いている。
「キスメと外行きたいからさ。橋渡っていい?」
「気をつけてね」
橋姫は彼女たちの通行を許可した。
二人がデートに行く中、勇儀が戸惑った表情を浮かべたので、
「巫女がきて以来、外に行く連中が増えたの。それに彼女たちは無害だから大丈夫」
と説明する橋姫だったが、
「やけに仲よさそうだったね。パルスィが二人と」
「旧地獄には結構知り合いがいるのよ」
「いたのか、わたし以外にも仲良いのが」
「ただの知り合いよ!」
声を大にした橋姫の頬が染まる。
「お酒飲んだり、お話するのは勇儀だけ。だから――わたしたち、友達よね」
不安そうにきく。
勇儀が一瞬、黙り込んだ。
すぐに快活な声で応じる。
「ああ! わたしとお前は、良い友達さ!」
(あれ?)
気のせいだろうか。
勇儀の本音と建前が、違ったように思えたのは。
✽
翌日。お酒のお礼に勇儀宅を訪れた。
「勇儀?」
呼んでみても返事はない。
下駄はある。きっと寝ているのだろう、――と思ったら物音がした。失敬して居間を覗いてみる。
勇儀は酒瓶を手に、背を向けてうつむいていた。
(なっ……)
前に回ると、信じられないものが目に飛び込んできた。
なんと、あの勇儀が泣いていたのだ! 怪力乱神と恐れられる彼女が!
「さとり!?」
「なぜ泣いているのです」
やっとこちらを認識し、慌てて目をこする。
「泣いてない! こっちを見るな!」
勇儀が嘘をついた。
見つめると、彼女はウッと固まる。どうやら、いつもの彼女ではないらしい。
「どうしたのですか」
パルスィに友達っていわれちまった。心の声が聞こえる。
「友達? それがどうして泣く原因に?」
胸が苦しいんだ。友達っていわれると。
(友達が、苦しい?)
心に共感して、胸が締め付けられる。
「!」
頭に電撃が走る。
もしかして、そうなの? そういうことなの?
彼女は柄にもなく、唇を震わせていた。
「相手は橋姫ですよ」
「パルスィを悪くいうな!」
バゴンッ!
勇儀の拳が卓袱台を割る。腰が抜けそうになった。
「本気ですね」
「……」
最初見たとき、きれいでさびしい人形みたいだった。
あまりにはかなげで、たよりなくて、誰かに抱きしめてもらいたがってるようだった。
あの透き通った緑の瞳に暖かい光が灯れば、どんなにきれいだろう。
「そう、思ったんだ」
「昔、橋姫は今ほど明るくはありませんでした。伝えればいいじゃありませんか」
「だめだ。もし断られたら、またあいつがひとりぼっちになる。わたしはいい。けどあいつには、さみしい思いをさせたくないんだ」
「勇儀の気持ちが伝わってきます」
「ああ、さとり! わたしの気持ちがわかるのはお前だけだよ。わたしは伝えない。わたしは我慢する。それでいいんだ……」
✽
翌日。勇儀に着いてきてといわれて、橋を訪れた。
わたしは橋の下へ隠れ、様子をうかがう。
「パルスィ。恋愛ってどう思う?」
橋の上からは、声がちゃんと聞えてくる。
「藪から棒ね」
「この前キスメとヤマメと見てね。ああいうの、妬ましいかい?」
「いいえ」
妬ましくないなんて、珍しい。
「だって、別世界のことみたいなんだもの。嫌われ者のわたしには、一生縁のないこと。誰かに愛されるなんて――そうでしょう?」
「いや、あの」
「いいの。今は勇儀がいてくれるから、さみしくない」
「パルスィ」
「友達って、いってくれたもの」
幸せそうな、声。
「友達、な」
しかし、勇儀は暗い声だったので。
「え、――何よその顔」
「あっ、違う!」
橋姫の渇いた笑い声が響いた。嗚咽が混じる。
「そうなんだ。わたしの勘違いだったんだ」
「友達だよ!」
今度はためらいのない、勇儀の声。
「わたしたちは友達さ」
(ああ)
勇儀はきっと笑っている。こんな引き裂かれるような痛みに耐えて。
勇儀。橋姫、喜んでるよ。
わたしは橋の下で、勇儀の代わりに涙を流した。
✽
これは、わたしがまた別の日に、橋姫の前を通りがかったときの話。
突然、橋姫はわたしの元まで走り寄ってきた。何かと思ったら、彼女は開口一番こうきいてきた。
「前からききたいことがあったんだ。ねえ、あんた心が読めるんでしょう?――勇儀ってさ、わたしのことどう思ってるの?」
どう思ってるの、ですって……?
わたしは眉をひそめながら、うつむき気味の橋姫を見つめた。
「それは聞くに及ばないはず。――あなたは愚劣です。あの勇儀が『友達』だといったのですよ。それを疑い、挙句に心の内を盗み見ようとするなんて恥を知りなさい!」
なんてことだ。
勇儀は、こんなろくでもない子を好きになっていただなんて。
橋姫。このことは、勇儀に報告するからね。
「いや、違う! 違うのよ! 勇儀が嘘をつかないことは、ちゃんと知ってるわ。わたしが勇儀を信じてる」
橋姫は慌てて手を振った。
「ならどうして、わたしに勇儀の心を尋ねるのです」
「いや、その――勇儀が、さ。わたしのこと、友達以外に、何か思ってたりしないかな、なんて――」
「!」
橋姫の思考、わたしの中へ流れ込んできた。
ほのかに暖かいそれは、勇儀が橋姫に抱いていたものと、全く同系統のものだった。
あまりにおかしなことを見つけてしまって、わたしは呆れていいのか、喜んでいいのかわからなかった。実に不思議な心境だ。
わたしは笑ってしまった。
「――橋姫」
「なに?」
「それは、あなた自身で確かめることです」
「……」
そうね、と一言。
それからすぐ、わたしは彼女の横を通り過ぎた。
ふたりはこんなに好き合っていたのに、どうしてすれ違ってしまったのだろう。
――まったく。嘘つきな二人だ。