朝、咲夜に起こされると、わたしは一緒に食卓へ向かった。
前までは、必ずお姉さまと朝食をとっていた。だけど最近、お姉さまはよく博麗神社に泊まってしまう。ずっと一緒だったお姉さまがいない時間は、わたしにとって我慢のひとときだ。
食卓に行くと、お姉さまはまだ起きていなかった。
「ねえ咲夜。今日はわたしがお姉さまを起こしてくるわ」
毎朝、わたしたちを起こすのは咲夜の役目だ。だけど今日は、わたしが起こしたい気分になったのだ。
廊下を走って、お姉さまの部屋に到着する。中に入ると、お姉さまは安らかな寝息をたてて眠っていた。
「お姉さま」
声でもぞもぞ体を動かしてから寝返りを打ち、ぼんやり目を開けた。
「ああ、フラン……おはよう」
「おはよっ! 朝ごはんできてるよ」
少しだけ寝ぼけた表情をのぞかせて。お姉さまが微笑んだ。
わたしのお姉さまといえば、幻想郷でちょっとした有名人だ。キュートな見た目なのに、強くて、頭も良くて、カリスマも抜群。そんな姉を持っていることがわたしの自慢であり、たまにだらしないお姉さまの素顔を知っていることは、ちょっとした優越感だった。
わたしのお姉さま。実は朝が弱くて、一人では起きられない。料理もできないし、紅茶も淹れられない。咲夜がワックスをかけた床で、足を滑らせることもある。そんなお姉さま、きっと紅魔館の住人以外は誰も知らない。
先に食卓へ向かっていると、小さい足音が聞こえてきた。お姉さまが歩く音だ。
「おはよう、フラン」
さっきより冴えた声で、お姉さまが微笑みかけてきた。カリスマ性抜群。胸が喜びでいっぱいになるのを感じながら、朝ごはんが始まった。
✽
お姉さまは鼻歌を歌いながら、食後の紅茶に口をつけた。
「お姉さま。最近その歌よく歌ってるけど、何の歌?」
「え?」
お姉さまはきょとんとした顔だったが、すぐ思い当たったのか、頬をかきながら照れた。
「いけないわ。歌ってた、わたし?」
「お姉さまって音楽とか聞かないのに、どうしたの?」
鼻歌を歌っているときのお姉さまは、妙に嬉しそうで。
でもその笑顔は、わたしが知っているものとはちょっと違う。歌が和風のせいだからだろうか、どこか遠くに感じる。
「これ、霊夢に教えてもらったのよ」
霊夢。その名前が、頭の中で反響した。
お姉さまは、最近変だ。博麗神社に通うようになってから、わたしは今までにないお姉さまを知るようになった。
「お姉さまはどうして、博麗神社に行くの?」
何度かそう問いかけたことがある。まともに返事されたことは一度もない。決まって表情の裏に、恥ずかしさとか照れが見え隠れしている。
「もう、フランったら。どうしたのよ」
声が少しだけ、からかうような調子を含む。こうやってごまかされるのは嫌いだ。
「子供扱いしないで。お姉さまとわたしは、五歳しか違わないんだからね」
「あら、ごめんなさい。そうだったわね」
クスリと笑って、お姉さまは優雅に紅茶を飲んだ。
そう、五歳。たった五歳違うだけなのに、どうしてお姉さまはこんなに大人なんだろう。そしてどうして、わたしはこんなに子供なんだろう。早く大人の淑女になりたい。
ティータイムの後、お姉さまは博麗神社に行くことを咲夜に伝え、ロビーへ向かった。わたしも見送りについて行く。
「行ってらっしゃいお姉さま」
お姉さまはわたしに手を振り、嬉しそうに空へ羽ばたく。後ろ姿はまたたく間に小さくなり、見えなくなった。お姉さまに「行ってらっしゃい」の挨拶をするのは好きじゃない。だってそれは、わたしも一緒に行かないことを意味するから。
「お姉さま、今日はいつ帰ってくるかな……」
そうため息をついて、わたしは部屋に戻った。
✽
お姉さまは、思ったより早く帰ってきた。わたしにお姉さまが帰ってきたことを知らせたのは咲夜であり、帰宅するなり自室へ向かったらしい。
いつも遅くまで帰ってこないのに。今日はまだ、日が沈む頃合だ。
なんだか嫌な予感がする。けどお姉さまに「おかえりなさい」をいいたくて、部屋のドアをノックした。
返事が返ってこない。咲夜は間違いなく、お姉さまが帰ってきたとわたしにいった。不安が押し寄せてきて我慢ならなくなり、ドアに向かって呼びかる。
「お姉さま、いるんでしょう?――開けるね」
お姉さまの顔を見たくないようで、見たいようで。わたしは返事が返ってこないドアを開けた。真っ暗な部屋の中に、体が震えた。
いるんだよね? そう思って恐くなったのは一瞬で、ベッドに盛り上がりを見つけた。
「お姉さま!」
予想外に大きな声が出たが、構わずお姉さまの元まで駆け寄る。
お姉さまはシーツを握り締めて、横向きの体勢でじっとしていた。いつものお姉さまらしくない光景を目にして、わたしは息をのんだ。
「お姉さま、どうしたの。病気?」
「だめじゃない、ノックはちゃんとしないと」
「したよ」
お姉さまはわたしを認識すると、すぐに体を起こした。わたしたちは吸血鬼なので、部屋が暗くてもお互いの顔がはっきりわかる。跪いてお姉さまの様子をうかがおうとしたとき、シーツの上についた手の平から、冷たい感触が伝わってきた。
これは、もしかして。
「お姉さま、泣いてたの?」
お姉さまが、真っ暗な部屋で泣いていた。きっと神社で何かあったんだ。それも、こんなに弱々しくなるくらい悲しいことが。
「大丈夫よ」
しかし。お姉さまは普段と変わらず、気丈に振る舞って笑顔を向けた。
「怖い夢を見ていたの。あら、そういえば明かりをつけるのを忘れてたわね」
そう立ち上がりかけたお姉さまの体を、わたしは真正面から抱きしめた。鼻が触れ合うまで顔が近づけられる。
目を開けると、真っ赤な目があった。涙のにおいがしてきそう。
「お姉さま、何かあったんでしょ? 霊夢と喧嘩したの?」
目をそらすだけで、答えてくれない。
触れあった肌からは、お姉さまの感情は伝わってこない。ただ痛ましい何かに耐えていることだけはわかる。真っ暗な部屋で、たった一本灯った蝋燭が消えてしまいそうな――そんな恐怖が這い上がってきた。
「それとも、本当に具合が悪いの? お姉さま、何かいってよ。悲しいの? どこか痛いの? ねえ……泣きたかったら、泣いていいんだよ。フランの前でまで、気丈に振舞おうとしないで。わたしが抱きしめててあげるから、いつものお姉さまに戻るまで、ずっと……」
隠し事はいや。わたしは唯一の肉親なのに。
ああ、どうしてわたしも泣いてるんだろう。なぜか目から涙が溢れてくる。ちゃんとお姉さまの支えになってあげたいのに。わたしが泣いていると、お姉さまが泣けなくなってしまう。お姉さまは、優しいから。
「フラン、ありがとう」
柔らかく、慣れた手つきで、お姉さまの手がわたしの頭をなでる。
わたしはより強く、お姉さまを抱きしめた。わたしと一緒くらいの体からは、お姉さまの匂いがする。
「少しだけ、このままでいい?」
お姉さまの声が、少しだけ震えた。
「わたしがいるから」
「そうね。フランがいるものね」
顔をお互いの肩に載せているから、表情はわからいけれども。お姉さまは泣いていた。わたしの肩に、生温かい水の感触が伝わってきたからだ。
辛かったけれど、お姉さまがわたしの前で弱さを見せてくれたことが、少しだけ誇らしくあった。お姉さまとは姉妹だから、同じ遺伝子を受け継いでいる近しい体だから、きっと悲しさを分かち合える最良の存在はわたしであるはずだ。わたしたちは、とても長い時間抱き合った。