「さとりさまーっ!」
地霊殿の一室。さとりの部屋に明るい声が響いた。
さとりは読書を中断して、入室してきたお燐を横目で見る。
「どうしたの」
尻尾を振りながらご機嫌そうに、お燐はさとりの目前に歩み寄る。お燐ったら、いつもノックしないで入ってくる。別にさとりとしては構わないのだけれど。ただ、無駄に騒々しいのはいただけない。
「さとりさまったら、またそんな暗い顔して。幸せが逃げていきますよ」
「本の続きが読みたいの、早く要件を話して頂戴」
さとりに急かされ、お燐は改めて持っていた何かを差し出した。
「こんなものを地上で手に入れてきました。店主が『さみしさを解消する魔法の道具』って教えてくれたんですけど」
「『さみしさを解消する魔法の道具』……?」
お燐の手には手の平サイズの四角い物体が握られていた。
薄さはひとつかみほどで、色は一面が白く、もう一面は黒。白い側には林檎のマークが入っている。お燐から渡されて持ってみると、思っていたより少しだけ重かった。見た目は四角い手鏡に似ている。ひんやりと冷たくて、表面をなでてみたけれど、見たこともない素材でできているみたいだった。
この得体の知れない物体が何であるかは、さとりの記憶にはない。
さとりはお燐の心を読む。
「なるほど、これは『携帯電話』というのね」
「名前は『あいふぉん』です。香霖堂ってお店でいただいてきたんですよ。どうやら河童が外の技術を導入して造った道具らしいです」
「いただいてきたって、お代は?」
「無料でした」
「無料?」
彼女の朗らかな回答に、さとりは首をかしげた。
香霖堂という店の名前は聞いたことがなかったが、無料で渡しているのなら、なにかしらの魂胆があのではないだろうか? お燐は世間知らずだし、騙されて変なものをつかまされているとも限らない。さとりは不審な匂いを嗅ぎとり、ジト目で四角い物体を凝視する。
そもそもこれは、どうやって使うのだろう。
「ほら、ここを押すと」
お燐が白い物体の、横についてる突起を押した。
「きゃっ!」
さとりが上にしていた黒い面に、何かが映る。危ない危ない、びっくりして落としそうだった。
青い背景の上に、小さな絵が等間隔で並んでいる。「メール」など、下にはどうにか読める文字が配されていた。
じー……。さとりが画面を見つめた。
ちょっと怪しいけれど、とっても綺麗だ。中に別の世界があるみたい。妙に持ち心地も良いし。
――これが〝さみしい〟を解消してくれるのだろうか?
「これ欲しいですか? さとりさま」
興味津々な様子を見てとったお燐が、頭上から声をかける。さとりの肩がはねた。
「べ、別にいりませんよ。わたしは別に、さみしくなんか、ないんですからねっ」
「へぇー。そうですかー」
「あっ!」
お燐がにやけた笑みを浮かべて、携帯電話を取り上げる。
「それじゃこれは、わたしが処分してきますね。わたしもお空も欲しくありませんし、さとりさまが入り用でないなら、ゴミになっちゃいますから」
「お待ちなさい!」
さとりが真っ赤になり、慌ててお燐を引き止める。
「た、確かに必要はありませんが(そわそわ)……せっかくお燐が持ってきてくれたのですし(そわそわ)、それに『さみしさを解消する』なんて、きっと善意で造られたものに違いありません(そわそわ)。ですから、捨てるのは少々悪い気がしますよね(そわそわ)?」
さとりは、見るからにそわそわしていた、
「さとりさまー」
「はい。なんでしょう」
「どうして『ほしい』って、素直にいわないんですかー?」
「……」
にやにやするお燐。
さとりは真っ赤になりながら、うつむいた。
✽
――かくしてさとり、携帯を入手。
お燐が部屋を出ていった後、さとりは一人でベッドに寝転がりながら携帯をいじっていた。
だけど、使い方がよくわからない。お燐は教えてくれなかったし。さとりは適当にいじってみることにした。
最初は驚きの連続だった。おそるおそる触れてみると、なんと画面の中が動いたのだ。
どうやら指に従い、中に映っているものが切り替わるらしい。こんなものを造ってしまうなんて、河童の技術も大したものだ。
「……うわぁ」
ふと、さとりが「picture」と英字の入ったものを触ると、画面が切り替わって数十種類の絵が姿を現した。
水の中に泡が浮かんでいる絵。宇宙の銀河。色とりどりの草花。白銀の雪景色。ずっと地霊殿にこもっていたさとりには、どれも真新しくって、絵を拡大してみるごとに嬉しさがいっぱいに広がった。
……素敵。なんて素敵。
さとりはうっとりして画像に見入っていた。どこだかよく知らないけれど、とにかく素敵。見ていると感動が溢れてくる。
なるほど。これは、たしかにさみしくない。
「いいわね、これ。きっと地上には、こんな素敵なものが、たくさんあるんでしょうね」
さとりが羨望の思いで、日の光が当たる世界を思い浮かべたときだった。
「あっ!」
思いがけず、手が変なところに当たってしまった。画面が元に戻ってしまう。
「いけないっ。どこだったかしら……」
慌てて記憶を辿り、見ていた画面に戻そうとする。思ったよりこの道具は使うのが難しいみたい。彼女が押したのは、全く違う「メール」と名前のついた場所。
「?」
これは違う、と、さとりが「戻る」を押そうとしたところ。視界の隅に「宛先」という項目が目に入った。
「宛、先?」
これも動くのかな、とさとりが「宛先」と書かれた場所を押した。
画面が移り変わって、誰かの名前が一人だけ出てきた。
(……?)
とりあえず押してみたところ、画面が戻り、「宛先」の横に文字列が並んだ。
下に目を移らせてみると、「本文」とある。
(なんだか、手紙みたいね)
なんてことを思いながら「本文」を押す。画面が移り変わり、下にひらがなが映し出される。
(え……もしかして……)
「あ」の部分を押すと、上下左右に「いうえお」が並んだ。試しに「い」の方向へ指を動かしてみると、白紙だった部分に「い」の文字が出た。
やっぱり。これは、文字を入れることができる。この道具は手紙としても使えるってことだ。
(だけど地底の手紙って、地上には届かないのよね……)
地底で携帯を持っている子なんて、さとり以外にはいない。たとえ地底の誰かの元に届けたとしても、操作法がわからなくて、受け取った誰かが読んでくれるとは限らない。
それに、とびっきり嫌われた妖怪の手紙なんて迷惑だ。まさに不幸の手紙。そんなの、誰もほしがらないに決まっている。
(ばかなこと、考えちゃいけないわ)
(でも……ちょっと書いてみたいかも)
さとりは、届くことのない手紙を書くことにした。
この手紙はポストには入れない。入れちゃいけない。これはひとときの戯れ――いや、まさしく自慰そのものに違いないのだから。
でも、誰に届くこともない手紙なんだから、なにを書いても許されるはず。
なにを書こうか少しだけ迷った。結局、たった一言〝さみしい〟と入れることにした。嫌われ者には過ぎた本音を晒しても、誰もさとりを責めない。ただし共感してもくれないけどね。憂いだ顔で微笑みながら、要領よく文字を入れる。
――本当は、ずっと誰かに聞いてほしかったのに。
「あら、これは?」
書き終わり、「完了」を押したとき。
そこに現れた「送信」の文字が、さとりの目に飛び込んできた。いかにも「押せ」って雰囲気の位置にある。
「送信って、どういうこと?」
不思議に思いながら、さとりは「送信」を押した。