Bloodborne:Memories of blood odor 作:水原 日助
自らの命が潰えるその時、そこにこそ生の本質はある。
戦い続けた日々。その終わりもまた戦いの先に。
我、狩りの本質を見たり。
嗚呼、良い人生であった。
先に動いたのは狩人だった。
姿勢が一瞬で深々と前に倒れ、自重をふんだんに受けた両足が、弾け飛ぶバネのように肉体を押し出してきた。その勢いのままに恐ろしい速度で繰り出される突きは、掠めた俺の左腕の肉を吹き飛ばした。
速い。先程よりも明らかに。
分かち合う事を止め、ひとり占めする事を選んだ狩人。手負いの相手に建て直すだけの猶予を与えるその考えに、俺は全くとして理解が及ばなかった。それが今となれば理解出来る。手負いでなくとも狩れるという現れ。一切の驕りなく、相手と己とを冷静に天秤にかけ、その上で尚、自らが勝ると確信しているが故の選択。
数で勝っていた筈の先程までの状況とは、この男にとっては枷でしかなかった。一対一で相対して初めてわかる。同じ場に誰かがいる事が、どれだけ動きに制限をかけてしまうのか。その誰かを機能させ続ける為に、どれだけ気を削がれてしまうのか。
今この場には俺と奴しかいない。故に狩人は、その枷から解き放たれ、鋭くも軽やかに絶え間なく、俺の攻撃に一切触れる事もなく、一方的な攻撃を続けてくる。
俺の手数は先程に比べて大きく増している。
正面に位置取るこいつだけに集中すればいいし、全力でなくても人を殺傷するには十分である事もわかっている。先走りがちな殺意を意志でもって抑えながら、より速く、より多くの攻撃を相手へと打ち込んでいる。
なのに、どうして当たらない。
質は上がった筈だ。数だって増えた筈だ。それなのに、何故。どうして。
あの狩人は、初撃から攻撃を見切っていた。わかっている。それを踏まえた上で攻撃を繰り出している筈なのに。
右手の突きから間髪入れずに左手による振り払い。勢いを乗せた右手の叩き付けへと繋げ、離れた敵へと左手で突く。
間なんてないに等しい筈だ。考えるよりも肉体を動かす事を意識して、相手の隙やミスを誘う為の連撃。ぼろを出したところへ付け込み、確実な痛手を負わせる。
三人に向かわせていた意識を1人へと注げてしまえば、必ず敵の方に限界が来る筈、そう思っていた。
だが、こいつにはその限界が見えない。
こちらの攻撃を完全に見切り、動きを合わせ、確実なタイミングで確実な一手を与え続けている。一度としてミスなどない。動きに隙も生まれない。完璧な回避と、完璧な反撃。それをずっと持続している。
勝てない。このままでは。
手も足も出ずに削り殺される。狩られる。敗北の形はこんなにもはっきりと思い浮かぶのに、勝利の形はまるで思い浮かばない。確実にひとりずつ、殺せると思ったから殺してきた。その先の事を後回しにして、今出来る確実な殺し方を実行してきた。
だが、今。自分自身を捨てたとしても、殺せる手段が思い浮かばない。
どうすればいい。どうすれば。
その焦りが動きに出る事は必然だし、そこに狩人が気付くのもまた必然だ。
右手の突きを繰り出した後、次に繋げるべき攻撃が一瞬遅れた。
狩人は突きをくるりと翻るように躱しながら、その動きから生じる遠心力を乗せた突きを、俺の顔面へと放つ。
鋸槍の先端は左目上部に突き刺さり、頭骨を削るようにして抉り抜いた。
頭部を激しく揺さぶられる衝撃。視界がぐらつく。
その時、痛みと衝撃からか、それとも場所が場所だからか。傷周辺の感覚が、嫌に明瞭に理解出来た。
皮膚を突き破り、肉を突き刺し、それらを頭蓋にこすり付けるようにして、鋸状の部位が通過していく。噴き出した血と、頭を揺らす衝撃と。
その中で最も強く意識したのは、肉体そのものではなく、鋸槍の方だった。
突く事によって硬質な体毛を掻き分けるようにして皮膚へと到達し、そのまま肉へと突き刺さる。僅か一手で把握された俺の身体の特性。
だが先程の突きは、今までのようなただの突きではなかった。体勢のせいかは知らないが、僅かばかりに捻りが加えられていたのだ。確かにそうすれば、より深い傷を与える事が出来るだろう。しかしそうして来なかったのは、押し分ける筈の体毛が捻る事によって得物に絡み付く危険性を考慮していたのかもしれない。
絡み付く。その中で俺の皮膚は、体毛によって引っ張られる。
捻り、ばね、反動。
硬い体毛。
この思い付きは、俺自身がこの肉体をどこまで自由に出来るか、そしてどれ程の力を出せるかに掛かっている。が、他に手はない。これしかない。
揺らぐ視界が元へ戻ると共に、緩やかだった時間が急速に元の速さで流れ出す。
追撃を加えようとする狩人の攻撃を左手の払いで牽制した後、大きく後方へと飛び退いた。そしてそのまま右手を全力で捻じるように引いた。筋肉がおかしな方向へ働きかけ、皮膚がみるみるうちに捻じれ上がっていく。それに伴って硬い体毛が擦れ合い、カチカチと異音を立て始める。
狩人から見れば、恐らく立て直しを図る目的で退避し、追撃に来たところを右手の突きで迎撃する構えと考えるだろう。間違ってはいない。そしてそのまま突きを躱しながら接近し、再び一方的な攻撃を続ける算段の筈。
狩人は臆する事なく、最短距離で向かってくる。俺の返り血で赤く染まり始めていた装束を翻しながら、爛々と光る眼が俺を見つけている。
それに真っ向から向かい合いながら、尚も力を入れ続ける。骨が軋む感覚があるが、それでもまだ、壊れる限界まで。
狩人が突きの範囲に侵入するまで残り僅か。
つまり、今だ。
右手へ込めた力を、前方の狩人目掛けて解き放った。
力をかけられて捻じれた皮膚は、千切れる事なく、元の状態へ戻ろうとした。その動きに釣られるように、硬い体毛も凄まじい勢いで元の位置へと戻る。その時に、風が生まれた。ある程度の硬度と面積、速度を以て一斉に振り回された体毛は、手を軸として渦上の風を生み出したのだ。
だが、実際に生じたその風は、思っていたよりも遥かに凄まじい威力と範囲で狩人へと向けられた。
土を巻き上げる、などといった生易しいものじゃない。地表を削り取るような荒々しい跡が、異変を察知して後方へと退いた狩人よりも尚先まで続いていた。
腕のリーチは完全に見切られている。ならば、どうにかしてその範囲を伸ばすか広げられないかと考えた末の一手だった。皮膚を捻り、一気に戻す事で生じる風圧を突きに纏わせ、そのまま相手へとぶつける。僅かにでも相手の動きを鈍らせられれば、すかさず左手で追撃を繰り出す。
が、これは予想以上の殺傷力だ。生まれた風はさながら小竜巻であり、そこに巻き込まれた狩人が木屑のように宙へと舞い上がってしまったのだから。
狩人は滅茶苦茶に揺すられる操り人形のように空中で揉みくちゃにされ、そのまま地面へと落下した。その際に"ばきり"と音がして、左腕が肘から折れる。散弾銃は遠くへと飛ばされ、地表と接触する際にストックが折れ曲がって破損した。
予想以上の結果に唖然として、追撃を止めてしまっていた。その事に気付いたのは、狩人が右手の鋸槍を杖にして立ち上がろうとした時だった。
まだ動けるのなら、やる事はひとつ。
追撃。
「ウォォオオオオオッ!!」
雄叫びを上げ、狩人へと突進し、右手で薙ぎ払いをかけた。今のは自分の声なのかと驚きながら、しかし命一杯の殺意を込めて。
杖にしていた鋸槍は可動部からへし折れ、持ち手だった部位が狩人の右脇腹へと突き刺さる。俺の右手はそれだけでは止まらない。巻き込まれた狩人の右腕が折れ曲がり、肘が2つみたいになったのも束の間、新しく出来た肘から先が千切れて宙を舞う。右膝が外側へとひしゃげ、不格好に跳ね上がる。
全力を余すところなく受けた狩人の身体は、弾かれるように吹っ飛び、長々と地面を転がっていく。そこには、俺の右手から始まる真っ赤な絨毯が出来上がっていた。
俺はその上を歩くようにして進み、狩人の側へと立つ。そこに転がるのは、いらないからと投げ捨てられた、力なく崩れ落ちている、肉で出来た操り人形だった。
手足が正しく畳まれていないし、衣服もずたずた、血と土で汚らしい。そして至る所に黒い針金のようなものが突き刺さっており、それが風に乗せられて飛んだ体毛だと理解するのには、少しだけ時間が必要だった。その毛の間を、青白い光がパチパチと行ったり来たりしているのが見える。それは雨の日に時々見た、暗い空を駆け下りる雷に似ていた。
ぼろ屑に等しい姿に成り果てていたが、驚いた事にまだ息がある。だが今やすっかり弱々しく、瞳にあった筈の妖しい輝きも見られない。肌色だった場所も全てが赤黒くに塗りたくられており、やはりそういう人形としか見えない。俺はそんなボロ肉を見下ろしながら、こう呟いた。
「死ねば物と言ったな」
俺の言葉に、目がこちらを見返す事で反応を示す。
「今のお前はまさに物だ」
返事は返って来ない。ただ力ない眼差しだけが俺を見ている。
「お前は狩人なんかじゃない。お前は、お前の方こそ獣だ。狩りに飢えた獣だ。そして、今から獣ですらなくなる」
右手を高々と振り上げる。月明かりを遮って出来た影が、狩人の顔を覆い隠す。
「死ね」
父ちゃんの敵だ、とは考えなかった。
右手を振り下ろす。狩人を覆う影が濃さを増していく。
その中で、ほんの一瞬だけ、狩人の瞳が光って見えた。
その光で浮かび上がった目の形は、にんまりと笑むように歪んでいた。
狩人はもういない。俺の右手の下へと消えた。ここにあるのは壊れた人形だけ。
肉体がうねるように内側へと潜り込んでいき、元の、人の形を作り上げる。全身の感覚が曖昧で、足元がおぼつかないが、それでもよろよろと歩き出した。
道なんてよくわからないけれど、それでもきっといつか辿り着く筈だ。俺を待っていてくれて、迎え入れてくれる筈だ。
「帰ろう、俺の家へ」
木々生い茂る森の上、暗く深い海のような空に浮かぶ白い月が、ただただとても美しかった。
ヌワツカモーン
残り2話を想定。