Bloodborne:Memories of blood odor   作:水原 日助

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ただいま。
いただきます。
ごちそうさまでした。
さようなら。


帰宅

 幾度か意識を失いながらも、気が付けば見覚えのある景色の中に立っていた。

 

 ついこの前見た時よりも僅かに欠けた状態の月が、暗い灰色にくすむ空の隙間の、黒にも見間違える程に深い青の中に捉える事が出来る。

 

 膝から崩れ落ちそうな足を何とか奮い立たせながら、記憶を頼りに進んでいく。曲がり角にある、印のつけられた木の幹。水面に月すらも映さない泥沼。草原の中、ぽっかりと空いたように剥げた土地。不気味な形に見える岩。

 覚えがある。近い。もうすぐだ。

 

 無意識の内に息が上がり、脚運びが早まるのを感じる。興奮からか、身体の怠さがどこかへと押し込まれ、活力が疲れを無視して脚を突き動かす。俺はそれに抗う事なく、どころか身を任せて、砂利道を急いだ。

 

 場所は変わっていなかったが、外見に僅かばかりの変化があった。俺の記憶では、もう少しボロっちかったように思う。隙間明かりがもっと至る所から漏れ出ていた筈だ。明らかに手が加えられている。

 

 でも、まぁ、そんな事もあるか。

 きっと母ちゃんが家の修理をしたんだ。俺が奴らに連れ去られてから随分と経っているだろうし、それだけの余裕が生まれたんだろう。

 俺の身体もこれだけ大きくなったし、これで母ちゃんの手伝いを……父ちゃんの代わりだって出来る。

 

 随分待たせちゃったかな。謝らなくちゃ。でも、それよりも、言いたい事がある。たわいない挨拶なんだけど、家に帰って来たのならば、言わなくちゃ。

 据え付けのせいか、中々開かない扉を力尽くで押し開けて、言った。多分、笑顔で。

 

「ただいま!」

 

 家の中は、外見よりもずっと大きく変わっていた。

 物がずっと増えているのに、随分と整った印象を与える。オンボロだった筈のランプが大きくて頑丈そうなやつに変わっていたし、机や椅子まで新しくなっているみたいだ。けれど、椅子の数自体は変わっていない。3つ。父ちゃんと、母ちゃんと、俺の分。

 その3つには、母ちゃんと、知らない男と、同じく知らない子供が座っていた。

 

「なっ、誰だい、あんた!」

 

 そう声を上げたのは母ちゃんだ。身なりが随分とましになっているけれど、声はちっとも変っていない。怒鳴りつける時のあの口調。

 

「母ちゃん」

 

 俺は言う。自分の声色は随分と変わってしまったけれど、それでもわかってくれる筈だと思って。だって、母ちゃんをそう呼ぶのは、この世に俺しかいないんだから。

 

「俺だよ、母ちゃん」

 

 一歩歩み寄りながら、再び声を掛ける。そこに面影を見たのか、母ちゃんは目を丸くして、驚いた風に呟いた。

 

「まさか……お前」

「ただいま。帰って来たよ」

 

 そう答えた時、俺は自然と笑みが零れていた。その時の感情は、少しだけ立派になった自分の姿を見せるのが気恥ずかしい、そんなもどかしさ。

 まだ信じられないといった顔をしているので、大した意味はないだろうけど、捕捉しておこう。そう思い付き。俺は母ちゃんに話しかける。

 

「いろいろあってさ、逃げ出して来たんだ。あいつら酷いんだ。痛い事も辛い事も散々させられた。でも飯だけはちゃんとくれたからさ。ほら、見てよ。身体だけはしっかり大きくなったんだ。これならきっと父ちゃんの代わりに畑仕事だって――」

「なんで戻って来たんだい!」

 

 割って入った母ちゃんの言葉の意味が理解出来なかった。ぼうと見返して初めて気付いたが、母ちゃんの顔は、いつの間にか眉間に深々と皺を刻んだ、怒り狂ったような表情になっていた。

 

「逃げて来ただって!? 何て事……あんたの居場所は教会様だ、ここじゃない!」

「でも母ちゃん、ここは俺の家――」

「あたしの家だよ!」

 

 いや、あたし"たち"の家だ、そう訂正した。

 

「あんたはもう家のじゃないし、その対価も受け取った。あんたはもう教会様のものだ! 帰んな!」

 

 少しずつ言葉の意味がわかってきて、家に帰り付いたという喜びが消え失せていくのがわかる。変わりに奥底から湧き起こって来たのは、どろどろと粘ついた、強く激しい怒りだった。

 

「何だと……? 対価? ここが俺の家だ! 帰る場所だ! ここだけがそうで、他にはない! それに誰だよそいつら! 俺の家だぞ、出て行けよ!」

 

 怒りに任せて、見知らぬ男と子供に怒鳴り散らした。子供は持っていた食器を落とし、かたかたと震えて泣き出した。男はこっちを睨みつけながら、右手を後ろに向けたまま、じりじりと下がっていく。

 

「出て行くのはあんただよ! ここはあたしとこの人の家なんだからね!」

 

 また意味の分からない事を言った。この家は俺の家だ。俺の家で、父ちゃんと母ちゃんの家で、3人だけの家だ。こいつらのものじゃないし、こいつらに居場所なんかない。出て良くのはこいつらの筈だ。

 なのに、何故だ。どうして母ちゃんはこいつらの肩を持つ。

 

「お前を売った金で家を改築して、新しい人も見つかって、やっと順調に回り始めたところだったってのに……」

 

 母ちゃんの忌々しげな、呪詛に似た声が耳に届く。新しい人って何だ? その疑問に気付いたかのように、その答えを吐き捨てるように口にする。

 

「あぁそうさ、あんたの父ちゃんの代わりだよ! いや、代わりだなんて、比べるのが失礼なくらいの良い人さ! あんな愚図よりもずうっとまし! 働き者で、優しくて、劣るところが何一つない!」

 

 父ちゃんの代わりだと? こいつが? こんな奴が? 何言ってるんだ。代わりになんてなる訳ないじゃないか。こいつに何が出来るんだ。声も出さずに後ろに引っ込もうとする奴に。

 

「あんたは疫病神だ! お前さえいなけりゃ、もう少しはましな暮らしが出来たってのに! だから嫌だったんだよ、余裕もないのに子供なんて!」

 

 俺を睨みつけながら、唾をこっちまで飛ばさんばかりの勢いで捲し立てる。恨み辛みを、俺に向けて。息子に向けて。その意味がわかっているのか?

 

「あの馬鹿の血が入ってるってのがよくわかるよ! 聞き分けの悪い餓鬼が! あんたなんか……」

 

 わかっているさ。わかったうえで言っているんだ。そう理解するのには、次に言われた言葉が最適だった。

 

「あんたなんか生むんじゃなかった。あんたなんか、いっそ教会様のところで死んじまってればよかったのに」

 

 その言葉を聞いて、理解するよりも先に、身体に強烈な衝撃が叩きつけられた。爆音と熱。俺の腹に。噴き出した血が、みるみる痛みへと変わっていく。

 

「あ、ああぁあぁぁ~……」

 

 口から血と空気が漏れ出す。言葉じゃない、ただ出て来るだけの空気。力が抜けて、膝から床へと崩れ落ちる。腹を両腕で押さえながら、とてつもなく重くなった頭をなんとか持ち上げて、爆音の元を見る。

 

 あの男だった。暗がりからぬっと身体を出したところで、両手で銃を持っているのが見えた。この衝撃と、範囲と、痛みの深さ。散弾銃だ。ぼやけはじめる脳内でも、その事がはっきりと理解出来た。

 

「この人は立派な狩人だよ。あたしが欲しいって言えば、危険を顧みずにいつだって狩ってきてくれる。どこかの役立たずとは違ってね」

 

 狩人。散弾銃。だがその得物は、どう見たって"あいつ"の持っていたものとは違う。貧相で、粗末で、心許ない。ただの獣を相手にする為のものだ。

 それなのに。そいつの目は、あいつの目と驚く程よく似ていた。蹲る俺を、踏み躙りながら見下ろすその目が、俺の父ちゃんを見下ろしていた"あいつ"の目と。

 

 何が狩人だ。お前らの方が……お前らこそが。

 

 

 腹の内側で何かが爆ぜて、痛みを外へと噴き出す感覚があった。同時に肉体の全てが湧き立ち、沸騰して、ぼこぼこと肥大し、俺を包み込んでいく。感覚が強靭な四肢を形作り、身体が家具を押しやり、薄っぺらな壁へと叩きつける音が聞こえた時、視覚が元へと戻っていく。その時に見たもの。

 

 金切声をあげる皺くちゃの母ちゃん。叫ぶ事も出来ず、ただ泣くだけの子供。自慢の散弾銃を取りこぼした狩人の顔。その目のなんと、情けない事。まるで子供のそれじゃないか。"あいつ"は最期までそんな表情などしなかったというのに。所詮はただの獣を狩るだけの狩人という事か。

 いや違うな。お前は違う。狩人なんかじゃない。そして周りの"こいつら"も。お前らなんか、ただの――

 

 

 気が付くと、瓦礫の中に、血だらけになって立っていた。街から離れた寂しい土地の、かつて貧しい家がぽつんと建っていた筈の場所に。

 血の臭いがする。自分の身体から。自分を覆う血の膜から。粉々に砕け散った瓦礫の至る所から。

 それとは別の、足元に転がる物体からも。

 まだ温かい、ぐちゃぐちゃにひしゃげて潰れた肉の塊。

 それを見た時、思い出したように空腹感を抱いた。最後に食ったのはいつだったか、思い出せない。そんなにも前の事だっただろうか。

 

「腹が減ったなぁ」

 

 声に出して言ってみて、感覚との齟齬がない事を再確認する。

 俺は腹が減っている。そんな時、何を食えばいいんだったか?

 

 肉。

 生温かく、血の滴る、新鮮な肉。

 

 それが今、丁度、足元にある。

 食べよう。

 

 その場に跪き、両手を使って掴み上げ、口元へと持っていく。掴む肉の柔らかさ。熱。腕へと伝っていく血。むせ返る程に甘い臭い。噛み千切り、咀嚼し、飲み下し、喉を通過するこの感覚。

 

「美味しい」

 

 自然と口から言葉が漏れていた。血と肉の名残をふんだんに含んだ溜め息を吐き出しながら、なおも続く自分の声を聞いていた。

 

「美味しいよ、母ちゃん」

 

 

 ぴちょん、ぴちょんと音がする。

 周囲を濃厚な血の臭いが包む。

 月明かりに照らされながら、自身を包む全てを感じていた。

 肉を食いながら。

 母ちゃんを食いながら。

 とても美しく、美味しかったから、思わず笑い声が出てしまった。

 

 

 それなりに量があった筈だが、思っていたよりも随分と速く、呆気なく、ぺろりと平らげてしまった。腹が減っていたんだなぁと思いながら、膨れた腹をぽんと叩く。手と腹に残った血と血がぶつかって、ぴしゃりと音を立てて飛んだ。

 

 さて、これからどうしたものか。

 瓦礫の中で月を眺めながら思いを巡らしてみる。

 家には帰って来れたし、母ちゃんにも会えたし、食べたし。目的と呼べるものが見当たらず、やる事がなくなってしまった。帰って来たものの、肝心の家もなくなってしまったし。建て直すのも面倒だろう。口元の痒みを右手の人差し指で搔いていると、ある閃きが思い立った。

 父ちゃんに会いたい。

 母ちゃんに会ったのだから、次は父ちゃんだな、と。

 しかし、墓がどこにあるかわからない。そもそも墓があるのかすらも不明だ。あの母ちゃんの事だ、墓に入れるのすら面倒臭がって、どっかに捨ててきたかもしれない。そんな真似を冗談じゃなくやってしまえるのがあの人だ。こりゃあ墓参りといった形で会いに行くのは無理そうだな。

 

「なぁ母ちゃん、父ちゃんの墓ってどこだい?」

 

 俺は腹をぽんぽんと2度叩いて問うてみるものの、返事はなかった。わかりきっていた事だけど、いざやってみるとずっと間抜けな試みで、思わず笑みが零れた。

 

 そうしていると、また新しい閃きが舞い降りた。

 そうだ、森に行ってみよう。父ちゃんの最後に行ったっていう、あの森だ。狩人が禁域とか抜かしてたっけな。何が禁域だよ。父ちゃんが立ち入れるような場所だってんなら、きっと随分と杜撰な管理をしているんだろう。

 そこに行けば、もしかしたら、父ちゃんの"何か"が残っているかもしれない。きっと随分と時間が経っているんだから、多分何も見つかりはしないだろうけども、それでも、目的とするには十分だと思えた。

 

「よっこいせ」

 

 瓦礫の中から立ち上がり、身体をゆっくりと伸ばしてみる。腹ごしらえを済ませたからか、疲労感は何も残っていない。万全の状態と言えるだろう。

 ならば、何も迷う事はない。

 行ってみようじゃないか、あの森に。

 瓦礫を跨ぎ、血だまりを踏みしめ、暗い森へと進路を取って、歩き出した。

 もしかしたら、何か面白いものが見られるかもしれない。

 美味しいものとかが、見つかるかもしれない。

 

 

 暗く、深く、湿る不快な森の中。

 その中に足を踏み入れてから随分と歩き回った気がする。禁域などという割には、人の姿があちこちで見て取れる。いや、あれは最早人とは呼べない有様なんだけど。中には頭が吹き飛んで、無数の蛇が生えてるような奴だっているし。あれら全部ひっくるめて禁域って事なのか。出会う度にいちいち蹴散らしていくのは面倒だ。それに、騒ぎを起こせば奥から同じようなのが押し寄せてくるだろう。

 そう思ったから、出来る限りひっそりと、ばれないように移動していく。

 暫く歩いていると、今にも崩れそうな風車を見つけた。あちこち剥がれてぼろぼろ。かつてのうちの家といい勝負って感じの酷さだ。

 内部へ入ってみると、外見に負けないくらいの酷い荒れっぷり。吹き込む風が五月蠅いな、そう思っていると、その中に僅かに、人の声が聞こえた気がした。

 気のせいかとも思いはしたものの、上を見上げた事で、気のせいではないという事がわかった。明かりが見えたからだ。

 下の惨状から距離を置くように、暗闇をか弱く照らす文明の光。獣共が手に持つ松明とは違う。最低限の視界確保の為だけに調整されている。

 

「へぇ、こんなところにも人はいるのか」

 

 明かりの元へ直通で行けるような手段はなかったので、うろうろと歩き回りながら迂回路を探す。途中で赤い毛並みの、農具を持ったいかつい獣に出くわしたが、すんでのところで梯子を駆け上り、なんとか逃げ延びる事が出来た。農具を手放せば昇って来れない事もないだろうに。そんなに大事なのかね、あれは。

 

 光源が視界に映る頃には、気配を感じ取れるくらいまで近付いている事がわかる。臭いもする。人の生活の臭い、ってやつなのだろうか。血の臭いの中ではよくわかる。

暗く不安定な足場を進んでいく。臭いが、気配が一層強まっていく。

 その中で、ふと、自分のある感覚を認識した。

 腹を摩りながら、思った事を呟いてみる。それを満たす為の材料が目の前にまで迫った今、自分自身への確認も込めて。

 

「腹が減ったなぁ」




これにて、本編に繋がる形として、彼の前日談はお終い。
次にて完結。彼の最期を書きます。
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