Bloodborne:Memories of blood odor   作:水原 日助

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その身に訪れた終わりは、今まで見てきたような激しさもなく、痛みもなく。
ただただ静かで、穏やかで、淡い期待を抱いたものだった。


彼の終わり

 あの狩人が言うには、民間人を受け入れている診療所があるという話だ。どうやら保護や治療を行っているらしい。

 随分な話じゃないか。そんな良い人の下には、さぞ多くの迷える人々が集まっているのだろうな。

 腹ごしらえには丁度いい。食べ残しを口に放り込んで、市街にあるらしいその、ヨセフカ診療所なる場所を目指す事にした。

 

 しかし、あの狩人に会った時は本当に驚かされた。

 食事に夢中だったってのもあるが、敵意や殺意といったものを纏っていなかったからだろうか。接近に気付く事が出来なかった。そりゃあ誰にでも悪意を向けるような奴なんてそうはいないだろうが、場所が場所だ。獣共のうろつく、禁域と呼ばれた森。俺の身なりも随分とみすぼらしいし……と言うよりもこれは、最早服を着ているとも言えないな。そこいらから布切れを見つけては身体の各部に巻きつけているだけだし。

 こんな場所で、そんな相手にさえ、臆する事なく平然と話しかけて来たあいつ。もしかしたらあれも、そういう風に狂った後だったのかもしれない。

 ……そう言えば臭いもしなかったな。いや、違うな。あの狩人共とも、母ちゃんみたいな人間とも違う、別の臭いがした気がする。ありふれているようで、しかし生じていないという訳でもない……夜の臭い、とでも言うような、そんな曖昧で朧げな香りを漂わせていた気がする。

 

「……単に俺が油断してたって可能性もあるか」

 

 俺があそこから逃げ出してからそれなりの日数が経過しているから、追手が送り込まれて来てもおかしくない筈だが、今のところそういった様子は見受けられない。さっきの妙な狩人と、馬鹿な獣共くらいなものだ。禁域などと言っておきながら、侵入する事自体は容易かったし。

 教会"様"などと言われておきながら、その影響力というか、規模自体は聞く程のものでは、それか今や過去のものなのかもしれない。

 その認識が油断になっているのか。どうもそれだけが原因とは思えないのだが。

 

 まぁ何にせよ、そこに行ってみようじゃないか。父ちゃんの何かがここで見つかるなんて思っていなかったし、新しい目的を得られたという点においては、足を運んだ甲斐はあったと言えるだろう。

 

 冷たい夜の中、街へ向かって歩いていく。獣共を避けて進むとなると、自ずと険しい道になってくる。草木を押し退け、岩を登っていくうちに、次第に舗装された道へと出た。経年劣化が進んでこそいるが、森の中に比べればずっと歩きやすい。靴があればもっとよかったのだが。

 

 ヤーナム市街。俺の生まれるよりも前にその賑わいは終わりを向かえ、今となってはすげ変わるように獣が蔓延る物騒な場所となってしまっている。

 だが、聞いていた通りの立派な街だ。そこらで唸り声やら悲鳴やら、破壊跡やら血痕なんかが撒き散らされているものの、街並み自体は綺麗に飾り立てられている。父ちゃんの昔話として聞くだけで、実際に足を運んだ事はなかったけれど、まさか今になって訪れる事になろうとは。

 死んだ父ちゃんか、それともあの狩人に感謝するべきか。

 

「でもまぁ、ちょっと趣味じゃないかな」

 

 貧しい家庭で育ってきた俺としては、ここはかえって落ち着かない。獣の代わりに人で溢れ返っていたとしても、同じ事を感じただろう。

 

「もうちょっと、いや、更に廃れてくれた方が住みやすそうだ」

 

 獣の数を減らして、街並みも崩して、隠れ潜んでる生き残りももっと減らして。そうしてやっと、俺の好みの場所になる。新しい目的としては、随分と大きなものになりそうだ。

 しかしまずはその一歩目として、件の診療所へと行ってみよう。松明揺らめく獣の群れをやり過ごしながら、狩人が教えてくれた建物へ向かった。

 

 出入り口は開け放たれており、中に入ると、無数の診察台と、食い散らかされた遺体が目に入った。空気はしんと静まり返っており、獣が立ち入った痕跡こそあれど、居座っている風には見られない。

 診察台と、その横に備え付けられた血液瓶と管が、あの地下室を思い出させる。嫌な記憶だ。忘れてしまいたい。

 ここでもあそこと同じ真似をしている、とは考えられないだろう。拘束具はずっと簡素なものだし、設備の質よりも数を揃える事を念頭においていると見える。それだけ大規模という訳ではなく、狭いスペースに入るだけ詰め込んだようないい加減さ。奴らのような組織だったものではない筈だ。

 手術台の間を縫うように進み、奥にある扉へ。そこには、一本の上り階段があった。その最上段に位置する扉は閉ざされており、微かに生物の気配がする。

 

 診療所という割に、人が見当たらず、どころか獣すらもいない。ならば、この扉の向こうにいるらしい存在とは何なのか。見当外れと見切りを付ける事なく、階段を上っていく。軋みを立てて微かにたわむ感覚を裸足で感じながら、前の扉から目を離す事なく、一段ずつ踏みしめる様に上っていった。

 扉の前に立つと、板を隔てた先の空間に、確かに気配を感じる。これは獣ではない、人の気配だ。少なくともあの狩人に騙されて、獣の巣と化した場所に誘い込まれたという訳ではなかったらしい。思えば辺りはどこもかしこも獣ばかりだ。人が生き残っているならば、静かにじっと隠れ潜んでいる事が最も利口な選択だろう。

 なれば、ここにいるのもそういう人か。そう判断した俺は、人が来たのだとわかるように、扉を三回、軽く優しくノックした。

 

「どなた?」

 

 女の声が返ってきた。澄んで冷たい、川の水のような声だった。"あいつ"のような無感情な声でもなく、まして狩りに狂う熱を帯びた風でもなく、母ちゃんのように怒鳴り散らすような煩さもない。今まで俺が聞いた事もないような声色だった。

 

「あの狩人さんから聞いて来ました。匿ってもらえませんか?」

「そうなの。ちょっと待ってね、今開けるわ」

 

 狩人に教えてもらった、俺が言った内容はそれくらいなものだが、それだけで十分だと言うようにすんなりと、閉ざされていた扉は開け放たれた。

 

 扉の向こう側の空気が流れ出る。

 その臭いは血に似て濃く、しかし明らかに異質な、嗅ぎ慣れないものだった。

 そしてそれを纏い姿を見せた女は、真っ白で身軽な、しかし極めて頑丈に縫合された衣服を纏い、首から背中にかけて繊細な刺繍の施された布を纏っていた。

 何よりも、その目つき、雰囲気。それは明らかに"あいつ"に近い、ただの狩人とは決定的に違う、獣狩りを主とする狩人のものだった。

 

(狩人だと!?)

 

 全く予想していなかった正体に驚愕し、思わず後方へと下がりながら身構えた。

 てっきり女医だと思っていた。保護はさておき治療ならば医者の領分だろう、狩人は獣を狩るだけだ。その安易な思い込み。それ故に突然の遭遇に対して、困惑よりも先に、明確な警戒心と敵意を露見させてしまった。

 敵意を向けられたならば、返ってくるものが優しさである筈がない。ここで一戦交える事になる。だがここは実に狭い。身体を作り変えたとして満足に動けるかどうか。鼓動が早まるにつれて沸き立ち始める内側の肉を感じていた。

 だが、対して当の狩人は、驚きの表情こそ見せたものの、戦闘に備えるような仕草を見せない。右手を口元に当てながら、俺を足先から頭までじろじろと見渡し始めた。そして暫くした後、こう呟いた。

 

「あなた、人ではないのね。随分と獣に近い」

「何?」

 

 俺の正体が見破られた。だがその焦りよりも、俺の口からは否定の言葉が飛び出す。

 

「俺は人だ。獣じゃない」

「ふぅん…………」

 

 含みのある返答の後、俺の足元あたりに視線を移しながら、押し黙る狩人。恐らく何かを考えている。対応手段と見て間違いはないだろう。すぐに戦闘に移る事なく、言葉で揺さぶりをかける魂胆だろうか。

 

「ここでは、獣の病の治療を行っているの。人には予防を施し、獣は元に方法を研究している」

 

 突然、視線もそのままに喋り始めた。恐らく俺に向かって。何の目的で? 時間稼ぎか。それとも隙を見せるのを待っているのか? 姿勢を崩す事なく、俺は狩人を睨み続ける。

 俺の返事を待つ様子もなく、狩人は言葉を続ける。今度ははっきりと、俺に向かって問いかける。

 

「あなた、人に戻りたくはない?」

 

 …………何だと?

 明らかに動揺した。重心と視界がぐらついた。決定的な隙が生まれる。

 だが、狩人は何もして来ない。代わりに下ろしていた視線を上げて、包帯越しに俺の目を見てくる。その声と同じくらい、ひやりと冷たい眼差しをしていた。

 

「あなたはかなり稀有な例だわ。獣に限りなく近付きながら、しかし人の形を保ち続けている。その領域にあるのならば、私の考案した治療法が有効に作用するかもしれないわ」

 

 人に、戻れる。

 俺は獣じゃないと、そう何度も言ってきた。しかしその裏では、自分の肉体が変になっていく感覚を味わう度に、獣ではなくとも、既に人でもないのだと思ってしまっていた。

 人に戻れたのならば。

 今まで考えてこなかった事。逃げ出す事に精一杯で、逃れる事に必死で、やがて諦めてしまっていた事。それがもしも、叶うのならば。

 

 臨戦態勢は無意識のうちに解かれ、正面に位置する狩人を見据える。

 俺の目を見て、答えを待っているのだ。

 口内に溜まり始めた唾を飲み込んで、俺は答えを口に出した。

 

「その治療法ってのは、痛いのか?」

 

 

 手術台の上に寝そべり、手足に拘束具を嵌められる。麻酔で軽減されるものの、不測の事態によって跳ねる事も予想される為、念を入れての処置との事だ。

やっぱり地下での出来事を思い出すから嫌だったが、必要と言われれば仕方がないと諦めて、受け入れた。

 ひんやりとした金属の感覚が背中から伝わってくる。硬くて、冷たくて、いい気分じゃない。それなのに、やけに穏やかな気持ちでいられた。あわよくばを夢見て興奮する訳でもなく、静かな心持ちのまま、狩人の支度を待つ。

 

「待たせたわね。それじゃあ、始めるわ」

 

 声と共に、視界に狩人が現れる。俺が頷くのを確認すると、手早く腕に管を差し込んだ。

 幾度となく体験した、認識が溶けていくようなあの感覚に襲われる。だが、その進行は緩やかで、隅からじわりじわりと覆いかぶさっていくような、実に静かなものだった。

 

「効きが遅いようね。耐性がある、という事なのかしら」

 

 狩人の声は、僅かな震えこそあれど、くぐもる事なくしっかりと聞き取れた。

 次第に症状が現れ始める俺を眺めながら、狩人はこんな質問をする。

 

「人に戻ったら、何がしたい?」

 

 人に戻ったらやりたい事。戻る事をまず考えていたから、その先の事など考えていなかった。鈍くなり始めた脳内に、人だった頃の記憶を思い浮かべて、考えてみる。

 

「ぼろっちい家に住んで、畑、耕して……血の臭いがしないものを、腹いっぱい、食べたいなぁ……」

「ふふっ。それはいいわね」

 

 笑い声こそ届いたが、視界に映る狩人の輪郭がぼやけ始める。

 この街を、俺の住みよい場所に変えてしまおうなどと考えていた筈だった。なのに、思い浮かんだのは、俺の子供の頃の、父ちゃんと母ちゃんと暮らしたあの貧しい日々の記憶ばかりだった。

 結局、俺に必要なのはそれだったのかもしれない。欲しくもないのになってしまった異常な肉体ではなくて、ひとりでも生き抜き、食らっていけるだけの力じゃなくて。

 腹ではなくて、心とかそっちの方を満たされたかっただけなのだと、今更になって気付いた。

 

「なぁ……俺は…………人に、戻れるのかな……」

 

 既に視界には何も映らない。肉体の感覚も綻び始め、霧散して来ている。

半ば無意識に発したその言葉に、水の中のようにくぐもった声で、狩人はこう返した。

 

「いいえ。あなたは……人より優れた存在に生まれ変わるのよ。私の手によって。偉大なる神秘の元に」

 

 言葉の端々から漏れ出す熱は水音によって薄れ、意味すらも擦れさせた音としてだけ、脳内に響いた。

 

 

 やがて視界と同じように、感覚も、思考も、何もかもが、真っ黒な闇の中に溶けて消えた。




熱が冷めるにつれてドゥンドゥン雑になっていってる。それは書き手自身が一番よく感じてるんだなぁ。

今作の主人公は、「身を窶した男」と言われる、"恐ろしい獣"その人でした。
見るからに怪しくて、おかしくて、そして普通に強いアイツです。
この人を書こうと思い立ったのは、そこそこ解釈のしようがあるキャラであったからですかね。正直よく覚えていません。
狩人を毛嫌いし、人殺しと罵り、しかし獣になりきれている訳でもない。実に謎めいたおいしいキャラでありました。

彼とルドウイークくらいしか言語を解する獣がいない事から、ルドウイークと同時期の何かを要因としてその特異性を獲得したものと解釈(後付)。
"獣の抱擁"と"獣の爪"によって完全獣人化するが、そのビジュアルが"恐ろしい獣"と似通っている事、先の解釈から"獣の抱擁"こそがそれに至る道と設定(割と後付)。
「獣の病の制御」を目的とした実験の成果である事から、「治療ではなく制御、すなわち獣の力を利用する方向性の研究だった」とした。
しかしその果てに生まれるものは「獣の力を持った人」という危険な存在を社会に紛れ込ませる事であり、また完全な制御に至る不明な要素を持つ被検体そのものが少ないとする事で、優位性を持つ少数の迫害ないし特権階級化を名目とした事実上の失敗として片付けた(思いつき)。
家族や実験の件は正直蛇足。これらの設定を物語として機能させる為の肉付けに過ぎない。
彼がヨセフカ診療所にて使者に成り果てていたのは、ヨセフカに負けたからではなく、「人に戻れる」だとかいう甘い言葉に乗っかってしまったからだと思っていた。
「獣だと? 獣だとっ? あんたに何が分かる! 俺だってなあ!」
この台詞からどうも開き直っている訳でもなく、好きでこうなった訳じゃねぇんだよ感があった。から、見るからに怪しい奴の言葉にすら、ホイホイ従ってしまったのではないかと。まぁ結局変わり果てた後も廊下の隅の埃食ってるようだから、満たされない感は消えてないんでしょうね。
さりげなく地下室での白衣連中の一人を足潰しただけで殺さずにおいたのは、そいつが逃げ延びた先がヨセフカ診療所であり、研究の続きをどこの馬の骨とも知れぬ奴らに対して行っていた事にしたかったからです。そして本編の主人公が現れ、ヤーナムの血を受け入れろとか適当言って、同じ配合の輸血をされた事によって、カレルによって限定的ではあるものの獣化に成功した、みたいな。その後はまぁ、偽フカにぶち殺されたんじゃないですかね。禁忌を掘り返そうとする異端として。あるいはその成果を自身の研究に応用する為に奪い取ったとか。


とにもかくにも、これにて終わりです。
無駄に時間ばかりかかったが、なんとか書き終える事が出来た。これが何かに繋がってくれりゃあいいのだがなぁ。
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