Bloodborne:Memories of blood odor 作:水原 日助
しかし、ある成功者は言った。
「成功するまでは失敗ではない。それは過程に過ぎず、諦める事で初めて失敗となる」
だから、諦めなければ、無駄な犠牲ではないのだ。
積み上げてきた犠牲の上にこそ、成功は成り立つのだから。
まぁ、犠牲に痛みはつきもので、それを被るのは何時だって成功者ではないのだが。
馬車に揺られて、どれ位が経っただろうか。
仄暗い荷台の中に倒れ込んでいると、ふいに揺れが収まった。続いて複数の足音が近付いてくる。
暫くすると幌が開かれ、幾人かの男たちが顔を見せた。月明かりのおかげでなんとか男だと判別出来た。その中には、御者席に座っていた狩人の姿も見て取れる。相変わらず目だけしか見えなかったが。
「随分と痩せていますな」
「貧しい家だったからな。だが、母親の承諾は得ている。快く引き受けてくれたよ」
「それはまぁ、難儀な事で」
「珍しい話でもないだろう」
「ですなぁ。ふふふ……」
狩人と男たちの会話を、自分に関係ない事のように聞き流していると、男たちのうちの1人が手を伸ばし、俺の腕を掴んだ。
「さぁ、来るんだ」
そう言って、ぐいと力任せに幌の外へ引きずり出された。
そこは暗い森の中だった。
木々が黒い影となってひとつの輪郭を形成し、周囲を覆っている。しかし、空までは遮っておらず、そのおかげで月明かりが射し、影としてではあるが辺りの状況が認識出来た。
だが、馬車の向いている先は、それとは別のものが見えた。
木々の作る輪郭とは明らかに異なる、直線で構成された大きな影。
大きな建造物だった。
大きさからして、立派なものなのだろう。だが不自然な点があるとすれば、窓にも、入口にも、明かりが一切ない事だろうか。そのせいで、きっと豪奢な筈の見てくれがわからず、威圧感と不気味さしか感じられない。
そんな大きな影を眺めていると、男たちがその影に向かって移動を始める。腕は依然として掴まれたから、俺も連れて。
アーチ状の巨大な門を潜る。重い音を立てて金属製の柵が開かれ、そこに出来た隙間に男たちが吸い込まれていく。
俺も潜ってから暫く経って、また重い音を立てて柵が閉まった。
馬車は門の前で放置されている。こういうものは、門の内に停めるものではないのだろうか。
門から建造物までの距離は、思った以上に空いていた。その間は石畳が丁寧に敷き詰められており、門と建造物とのちょうど中間地点に位置するであろうところには、枯れた噴水があった。水は流れていないし、水を出すであろう彫像の形もおかしい。きっと欠けているのだろう。でなければ、こんなおかしな形をした像が噴水に置かれる筈もない。
男たちはこのまま建造物の正面、つまり入口があるであろうところまで行くとばかり思っていたが、しかし違った。
噴水を左に避けてから、軌道修正する事なくそのまま逸れ続け、建造物の左にある、隙間と称せる程の細い道に入っていく。
建造物と壁によって月明かりが遮られ、その道は暗い。人ひとり分の幅しかない細道を、俺たちは一直線に並んで歩いていく。前には複数の男たち。俺を挟んで後ろには、あの狩人が続く。
俺は首だけを捻って、狩人の方を見た。光源のない暗い道では人影としか捉えられなかったが、それを好都合と、力一杯に睨みつけた。きっと狩人の方からも俺を人影としか見えていないから、こうして睨みつけたって気付きはしないだろう、と。
だが、狩人の目はこっちを見た。
俺からは、狩人は人の形をした影としか見えていない。当然、目も黒に塗り潰されて、判別など出来ない筈だった。
だが、狩人の目がこちらを見た事に気付いた。暗闇の中で瞳が微かに妖しく光り、俺の顔をあの時と同じ冷たい目で見下ろしたのだ。
それに気付き、慌てて視線を戻した。見間違いにはとても思えなくて、俺が睨みつけていた事に気付いて何かしてくるんじゃないかと恐ろしくて。
だが、狩人は何もしてはこなかった。何もせず、何も言わず。他の男たちと同じように黙々と歩き続けている。
俺が視線を戻してから、そう時間も掛からずに、道は開けた。
着いた場所は、四方を壁に覆われた空間で、その殆どを埋めるように、小さな小屋が建っていた。
壁に覆われた空間自体が、ただでさえ小さかった俺の家よりも狭い。それよりも更に小さい小屋など、何の役に立つのか想像出来なかった。それもこんな場所に。そして、そこに俺が連れて来られた意味も。
先頭に立つ男が、小屋の扉を開け、中へと入っていく。
ここからは空は見えるが月明かりは射し込まず、開かれた扉の中はまるで見えない。小屋の中に光源はないらしく、その暗闇の中へ、男たちが次々と消えていく。
俺の腕を握っていた男は手を放し、顎でしゃくって、後に続くように促した。その男が小屋に消えていく様子を見ていると、突然、背中を押された。押した相手は、俺の後ろにいる、あの狩人だ。
「中に入れ」
正直に言えば嫌だったが、抵抗など無駄だろう。相手は狩人、獣を相手取る連中。俺みたいな子供が相手ならば、素手でだって殺せる筈だ。
狩人に言われるがまま、俺は小屋へと踏み入れる。
入ってしまえば、中の様子はある程度掴めた。
本当に狭く、何もない。
地下へと続く階段以外は。
外から見ても気付かない程に、階段を僅かに降りた位置に、うっすらと光源が見えた。その僅かな光のおかげで、この穴が階段なのだと辛うじて気付けた。
この狭い空間に誰もいないという事は、先に入っていった男たちは、この階段を下りていったのだろう。
後ろを見ると、狩人は既に小屋の入口に立っていた。俺が下りるのを待っているようだ。
「中に入れ」
また同じ口調で、同じ言葉で、催促が来た。
ささやかな抵抗として立ち止まり続けてやろうとも思ったが、抱えられるか、それとも蹴り飛ばされるかだろうと思ったから、大人しく従った。
取り敢えず、奥に見える光源を目指して進む。壁に手を突いて、ゆっくりと。一歩、また一歩と、踏み込む先に階段がある事を確かめながら。
そんなもたついた真似を暫く続けていたら、特に何がある訳でもなく、あの光源の下に辿り着いた。ずっと下を見て進んでいたが、暗闇の中に自分の足が見えた事で初めて気付いた。
そして光源の先には、扉があった。入口から見ても気付けなかったのは、光源が下だけを照らすように工夫されていたからだった。
扉は真っ黒に塗られており、何の材質で出来ているかもわからない。光源が近くにあるにも関わらず、視覚的には殆ど闇と同化している。
「随分と時間をかけたな」
突然後ろで声がして、驚いて振り返った。
そこには、狩人の下半身が見えた。光源によって照らされて、下半身だけが浮かび上がったのだ。
「転げ落ちた方が余程早かっただろうに」
その言い分には腹が立ったが、言い返す事は出来なかった。
暗闇に包まれている事による圧迫感のせいだ。
全身くまなく掴まれているように、圧されるように息苦しい。
「扉を開けろ」
狩人の命令が耳に届く。
文句のひとつでも言ってやりたかったが、この圧迫感から逃れたくて、言う通りにした。
扉に触れて初めてわかった。金属製だった。ひんやりと冷たく、硬い手触り。
そして、押してわかる。結構分厚い。とても重く、子供の俺が全体重を乗せてでも、ゆっくりとしか開かない程に。
そして、その扉が僅かに開いた瞬間、中の臭いが外に漏れだした。
血の臭い。
腐敗の臭い。
それが立ち込めている。
思わず鼻を覆った事で扉は半端に開いた状態になったが、後は内側から開いた。先に行った男の手によるものだった。
「中に入れ」
三度目となるこの言葉に従うより前に、俺は狩人に質問した。ついさっきまで気にもしていなかったが、この臭いを嗅いだ事によって、今更になって不安に駆られたから。
「俺はどうなる。実験って、何だ……?」
「何、簡単な実験だよ」
狩人の声と一緒に、鉄の軋みが聞こえる。扉が開き切った音だ。そして
悲鳴が耳をつんざいた。
絶叫。
初めて聞いた、本物の叫び。
周囲の事など気にも留めない、なりふりなど一切構わない、全力で叩きつけられる感情の爆発。
「寝転がるだけでいい。後は全て我々がやる」
悲鳴のした方、扉の向こうを見た。
中は僅かな明かりしかなく、だからこそ、暗闇の中にいた俺にでも、何が起きているのかが見えた。
見えてしまった。
台の上に寝かされた男が、白い格好をした男たちに囲まれている。
白い格好の男たちの手には、様々な金属製品が握られており、その全てに真っ赤な血が付着している。
男たちがそれらを台の上に寝る男に突っ込む度に、悲鳴が響き渡る。台ごと男が震え、跳ね、その度に血飛沫を吹き散らす。
「君の役割は、あの台の上に寝る事だよ」
狩人の声が聞こえた。だが、その言っている意味までは、今の頭の状態では理解出来なかった。
およその結末は見えているが、凄惨さをどこまで表現出来るか……