Bloodborne:Memories of blood odor   作:水原 日助

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追い詰められた時、人は何に縋るのだろう。
奇跡か、それとも神か。
形なきものを信じるな。
ならば他人か?
優しい言葉を投げかけて、近付いてくる者を信じるな。
ならば何に縋ればいい?
縋るな。
己以外の要因によって窮地を脱そうとする者に、この世界は容赦しない。


檻と手術台

血に濡れた白服の男に腕を掴まれ、地下室の奥へと引きずられていく。

目に見えている物が、聞こえている音が、嗅ぎ取れる臭いが、正しく認識出来ない。

いや、認識出来てはいるのだ。ただ、それに対しての反応を肉体が取れない。

だから逃げ出す事もせず、ただ男に引きずられるまま、部屋の奥へ。

 

そこにも頑丈そうな扉があった。その扉を男が開けると、闇が広がっていた。

また光源がない。その中へ躊躇もなく入っていく。

部屋に入ってから、ほんの僅かに右に歩いたところで立ち止まった。どうもこの部屋はそんなに広くはないらしい。

 

「ここに入ってくれ」

 

男の"ここ"が何をさしているのかがわからない。

俺の目には変わらず暗闇が見えるばかりだ。

 

「あぁ、そうか。見えていないのか。夜目が効かぬのは不便よな」

 

そう言うと、男は俺の頭を手で押さえこんで、そのまま前に押した。

力の入っていない身体は、押されるままによたよた進み、何かにぶつかって倒れてしまった。

倒れた床は硬く、冷たい。この感触は、入口で触れた扉と同じ、つまり金属製だった。

 

「暫くしたら、また呼びに来る。どうかその時は、暴れたりしないでくれよ」

 

ふたつの異なる金属音がした後、足音が遠のいていく。扉から微かに漏れる光に照らされ、白服の男の背中が見えた。だが、扉が重い音を立てて締まると同時に、その姿は見えなくなった。

 

 

冷たい金属の床に身体を横たえてから暫くして、やっと身体の感覚が正常に機能してきた。

それと同時に、五感の認識を正しく処理するようになってくる。

自分は檻に入れられていた。四方が金属の柵、床と天井が金属の板に覆われた、とても狭い檻の中。

視界を部屋全体に移す。闇に覆われた部屋の中には、自分が入れられているものと同じ檻が複数並べられている。その中には何かが蠢いているのが見える。恐らくは、俺と同じようにここに連れて来られた人間だろう。

同じ境遇の者がいる。その安心感は俺に落ち着きをもたらした。とは言え、この状況に対しては何の解決にもなっていないが。

 

自分が押し込められた方の柵、つまり檻の入口を揺すってみる。金属同士がぶつかる音がして、開かない。鍵が掛かっている。俺が檻に入れられた後にしたふたつの金属音はこれだろう。

 

視覚情報の処理が終わったから、次は嗅覚。

血の臭い、腐敗臭。入口を開けた時と同じに臭いがして、思わず嘔吐しそうになる。続く悲鳴と実験の光景も思い出してしまったが、それについては考えないように意識する事で、なんとか嘔吐せずに済んだ。

しかし、この部屋には、その時に嗅がなかった別の臭いがある。鼻に纏わり付くようなそれらではなく、ちくちくと刺してくるような。

嗅いだ事はある筈なのだが、どうしても思い出せない。

 

次、聴覚。

動きを止めて目を閉じ、耳を澄ましてみると、自分以外にも呼吸音が聞こえた。それとは別に、声らしきものも。

よかった、この人たちはまだ生きている。この状況について何か知っているかもしれない。

そう思い、自分の正面に位置する檻に向かって、話しかけてみた。

 

「聞こえますか」

 

返事がない。構わず続ける。

 

「俺の声が聞こえますか」

「う、うぅ……」

 

声がした。正面から、あの檻の中から。

 

「聞こえますか。ここは何処ですか? あいつらは誰ですか?」

「うぅう……」

 

呻き声が聞こえる。低い音が耳に届き、鼓膜を振るわせる。

 

「答えて下さい!ここは何処なんですか?」

「う゛ぉえあぁがぁぁぁぁあああぁ!!」

 

呻き声は突然奇声に変わり、檻の中に見えていた影が柵にぶつかった。音からして鍵が掛かっている方、入口側へ向かって。こちらへ向かって。

 

「ん゛ぇえぇぇぃぃいおごうぅぅお!!」

 

そのまま何度も柵にぶつかり、その度に金属音を響かせる。

騒々しさに気付いたのか、他の檻でも奇声や金属音が響き始める。先程まで静かだった筈の部屋は、一気に雑音で埋め尽くされた。

 

「何だ、騒々しい!」

 

その声と共にひとりの白服の男が部屋に入り込んできた。繋がっている部屋の明かりが漏れて、俺の目の前の檻を照らした。

 

中にいたのは、人型の獣だった。

 

全身を赤黒い体毛で覆われ、爪は鋭く伸び、異常発達した犬歯が生えている。瞳は溶けて焦点が合っておらず、体毛で覆われた腕で柵を掴んでがちゃがちゃと揺すっていた。

その時、理解した。この部屋を満たす、嗅ぎなれない臭いは、獣の臭いだった。父ちゃんが狩りに出る事なんて殆どなかったから、数回嗅いだ事があるだけで、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 

「あぁ、またお前か。いつもいつも……」

 

そう言って煩わしそうに呟いた白服の男は、柵を掴む獣の手を目掛けて蹴りつけた。

短い悲鳴を上げて、およそ人のものとは似ても似つかぬ悲鳴を上げて、獣は手を引っ込めた。

それを合図にしたように、他の檻も一声に収まり、部屋は再び静まり返った。

その様子を見て溜め息と舌打ちをして、白服の男はこちらを向いて尋ねた。

 

「お前、こいつに何か言ったか?」

「お、俺は、別に……」

「ふん。まぁいい。別に初めてでもない」

 

そう言うと、男は腰あたりをまさぐり、ひとつの鍵を取り出して、俺の入る檻の鍵を開けた。

 

「お呼びだ。外に出ろ。抵抗するなよ、ただでは済まんぞ」

 

そう言って、柵を開き、俺に外に出るように顎で促した。

今起こった事、今見た事で頭が一杯になり、思考が麻痺していた。

獣。人型の獣が檻の中に入っている。

獣なんて、見つけたら教会や狩人に知らせるものだし、捕らえる必要なく殺すものである筈だ。それなのに、ここにはいる。俺と同じ檻に入って。

混乱を極める頭は、男に言われるがままになり、大人しく檻から出てしまった。

とは言え、従わなければ何をされるかわからなかったし、どの道今の俺には、従うより他にない。

 

だからって。

行先に来るまで、最初に見た手術台の前に来るまで、これから何をされるのかを考えていなかったのは、いくら何でも間抜けが過ぎる。

 

 

「…………え?」

「台の上へ」

 

今更になって状況を理解した俺を差し置いて、手術台を囲んで待つ白服の男たちは静かな口調で指示を出す。

台は綺麗に拭かれている。だが、たとえ綺麗に拭けていたとしても、臭いはまるで取れていない。生臭い血の臭いと、それを誤魔化す為に撒かれたのか、別の臭いが合わさって、折角抑え込んでいた吐き気を掘り起こす。

嘔吐した。

だが、床に向かって吐いた筈が、出た先にあったのはバケツだった。

白服の男のひとりが、俺の変化に素早く対応し、床に合ったバケツを口の前へと押し込んだのだ。

 

「おや、今更」

「我慢していたんでしょうなぁ」

「まぁ、丁度いい。実験中に吐かれるよりはましだ」

 

突然の嘔吐に、男たちは特に驚く事もせず、どころか俺の背中を軽く叩く事までしてみせた。

気遣いなのかはわからない。

血と別の臭い、それに吐しゃ物が合わさる事で相乗された異臭によって、俺の胃の中のものを全て吐き出し切るまで、背中はずっと叩かれ続けた。

 

 

 

「さて。では、気を取り直して」

 

男たちの内のひとりの掛け声と共に、清掃は終了し、再び手術台を囲むように集合した。

 

「さ、君。台の上へ」

 

口を濯いで吐しゃ物の味を流し終えた俺に向かって、指示が出される。

実験は中断こそしたが、中止にはならなかった。俺が嘔吐したところで、止める気などなかったようだ。

俺はまだ精神が落ち着いてない。嘔吐したからか、足がふらつくし、視界が揺らぐ。

それに手を貸すようにしてきた白服の男に、俺は縋ってしまった。そして、促されるままに、台の上に寝てしまう。

するとすぐさま、男たちによって、手足を台に固定されてしまった。手首、足首だけでなく、膝や肘、首に胴も固定される。

身動きが取れない。子供の力ではどうする事も出来ない。

そんな今更になって、俺は状況を理解し、慌て始めた。

胴を捻り、手足を動かして、なんとか拘束から逃れようとする。だが、びくともしない。それでも恐ろしさのあまり、力任せに暴れ出したところで、手術台を囲む男のひとりが語りかけてくる。

 

「そう心配しなくてもいいよ。君は最初なんだから。まだ痛い事はしないよ。ちょっと腕に針を刺すだけさ」

 

その声は妙に優しくて、こんな状態でも落ち着きを取り戻してしまう程に澄んだ声だった。この人は優しい。この人は信用出来る。そんな何の根拠もない感情に呑まれて、俺は抵抗を止めた。

 

それを合図に、別の男によって、俺の右腕に針が刺し込まれた。その針は、管によって赤黒い液体が入った容器に繋がっていた。これをどうするつもりなのか、俺にはわからなかったが、以前として落ち着いた面持ちのまま、その様子を眺めていた。

 

「では、いつも通り、極少量より始める」

「どんな感じか後で聞かせてもらうから、しっかり覚えていてね」

 

視界の隅で男が、天井から下がる器具によって吊るされている、液体の入った容器を弄る。

 

すると一瞬で、視界がぐにゃりと揺らぎ始めた。

 

輪郭が歪み、光が溶け、視界の隅から闇が這い上がって来る。

聞こえる音は、水の中にいるようにくぐもっていて、鼻と口を通る空気からは、暖かな熱が身体の奥へと染み込んでいく。

身体の認識がぶれ、手足の感覚が指先から流れ出る。

やがて下半身が消え、上半身も消え、顔も消え、最後に脳が残った。

暫くの間、脳だけが取り残されたが、その感覚すらも消えた時、俺の意識は閉じた。

 

 

その様子は、周囲を取り囲む男たちによって見られていた。当然、あの優しげな声の男にも。

だが、その時の俺は知る筈もない。

その目は、あの狩人のように。

白い帽子とマスクで顔を覆い、目しか見えないこの男たちもまた、俺を見下ろす目には、一切の情を含んでいないという事を。




取り敢えず、一話3000字を目安に更新していこうかな。その位の方が読みやすいだろうし、修正もしやすそう。
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