Bloodborne:Memories of blood odor   作:水原 日助

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管理される者に選択権はなく、管理者の規定範囲でしか、自由に振る舞う事を許されない。
しかし自由とは、抑圧の中にこそ存在する。
人は比較するからこそ物事を判別出来る。
鎖を外されただけで、首輪は付いたままなのに、自由だと認識してしまう。
ならば、鎖も首輪もない状態こそが、自由なのではないか?
否。そこに抑圧はなく、まして解放もない、道理の通用しない混沌だけがあるだろう。
ならば、鎖からも首輪からも、混沌からも逃れた状態こそが、自由と呼べるのではないか?
否。それは最早、生命からの解放、死に他ならないだろう。
故に、自由を享受したいのならば、抑圧を受け入れるしかないのだ。
尤も、管理者が管理を放棄したのならば、死を受け入れるしかないのだが。


管理者の決定

「何ァ故だッ!!」

 

その叫びの後に、無数の金属が、冷たく甲高い音を立てて軽やかに散らばっていく。

 

「落ち着いてください」

「順序は何の変化もない! 輸血液も、肉体も、生まれも! 何一つ変わらない筈なのに!」

 

ヒステリックな喚き声は扉越しにもよく響く。耳を澄まさずとも嫌でも耳に入り込んでくる雑音を、俺は意識して聞き流した。

いい加減、聞き飽きていた。

 

「しわがれた老人、発育途中の子供、男女問わず全て、何度も試した! だと言うのに……」

 

低く重い金属音が耳に届く。恐らく手術台に拳を叩きつけたのだろう。

何度目なのだ、その反応は。

 

「何故! 『抱擁』が再現出来ないッ!!」

 

 

かつてない熱と歓喜に包まれたあの瞬間から、随分と時間が過ぎたように思う。

相変わらず、どれ程の月日が経過したのかなど知りようがなかったが、幾つもの違う悲鳴が、部屋に響いては聞こえなくなっていった。

咳を繰り返すばかりの老人は二度と檻には戻って来なかったし、檻ですすり泣いていた筈の少女はいつの間にか毛むくじゃらの犬になっていた。そんな入れ替わりが何度も続く中、俺はたまに呼ばれては身体を開かれるだけだった。手足も腹も、男たちが言うには頭まで開いたって話だ。そりゃあ変わらず痛かったが、中身を引きずり出される事はなかったし、頭に至っては言われるまで知りもしなかった。

そして、俺の身体を弄る度に男たちは言うのだ。どうしてこれだけが、と。

 

 

そしてまた、隣の部屋で怒鳴り散らす。きっと器具をぶちまけては、ご丁寧に拾い集めて洗い直しているのだろう。

流石にそれを笑おうものなら、檻を蹴られるどころでは済まないな。しかし、俺は愉快でならなかった。俺を散々痛めつけていた奴らが、突然に俺を尊ぶように扱い始め、部屋に入って来ては優しげな声で今日の調子を聞いてくる。

調子はどうだい? 上々さ。何か変化はないかい? 傷が痛む。

そうやって具合が悪そうにすれば、温かい肉が運ばれてくる。俺がそれを頬張ると、嬉しそうに頷きながら言うのだ。

今日も大丈夫そうだな、と。

 

その顔を思い出すと、思わず口角が上がってしまう。

檻の中が窮屈だと言えば、あるいは出してくれたりするのだろうか。そんな事を考えていると、隣の声は、涙声に変わっていた。

 

「うぅ……くそぅ、何が違うんだ。サンプルだってあれだけあるのに」

「どちらも段階を踏んでではあるのですが、何を変えたって、どうしても外見が先に変態するんですよね」

「きっとある筈なのだ。我々が気付いていないところに、差異が……」

「しかし、切開しての経過観察でも変化なしです。ともなると、異なる視点から観察する必要があるのかもしれませんね」

 

突然、男の泣き声が止んだ。それに驚いていたのは俺だけではなかったようで、会話していたもうひとりの男が訪ねる。

 

「何か、思いつきましたか?」

「サンプルの数を、もっと増やすしかない」

「しかし、変態過程も完了後もくまなく……まさか」

「君、付いてきたまえ」

 

そう言うと、ふたつの足音は遠のき、重々しい扉の音と共に止んだ。

隣の部屋から出た、あるいは別の部屋に入り、扉を閉じたのだろう。だが、間を開けて再開した会話は、変わらず俺の鼓膜を揺らし続ける。

 

「君は、あれが失敗作だと思うかね?」

「……いえ、成功でしょう。人の形を保ったまま、内側だけが獣になる。それに『抱擁』の幻覚です、疑う余地はないと思われますが」

「しかし、その成功例が再現出来ないでいるのが現状だ」

「はい。だからこそ、他の失敗作とを隔てる不確定要素の解明を……」

「もしその不確定要素そのものが再現不可能だとしたら?」

 

男が息を呑む感覚がこちらにも伝わってきた。返答を待つ事なく、抑揚をなくした声が続く。

 

「医療教会はかつて、『獣の抱擁』に辿り着いた。しかしそれを禁忌とし、封印した」

「はい。『獣の病の制御』、その試みは失敗したと」

「だが、『獣の抱擁』という名前が残された」

「……つまり、かつての医療教会も、今日の我々の成果には辿り着いていた、と?」

 

空間を介しても伝わってきそうな重苦しい沈黙の後、再び言葉が交わされる。

 

「我々は思い違いをしていた。我々は、かつての医療教会を越えたのだと、そう思い込んでいたのだ」

「人のまま獣の強靭さを手に入れる、その目的は達成された。しかし、禁忌として封印された。何故……」

「きっと、あれと他の検体は、我々の手でどうこう変えれる範囲の外で違っているのだよ」

「それが、再現不可能な不確定要素」

「それこそが、医療教会が失敗と判断した原因なのだろう」

 

しかし、と、もうひとりの男が食い下がる。宥めるような事ばかり言っていたが、この口調からして、彼も実験の経過に納得がいっていなかったようだ。

 

「たとえそれがわからないとしても、その不確定要素を持つ人は確かにいるのでしょう? ならば、その人たちにとっては間違いなく獣の病の制御と言えるのでは――」

「君は、私が獣だとしたら、どうするね?」

「は?」

 

突然、突拍子もない質問が飛び出した。思わず間の抜けた声を上げる相手と一緒に、俺も思わず首を傾げてしまった。

しかし、問うた側の男の口調は真剣そのもの。それに、そんなふざけた冗談を言うタイミングじゃないって事くらいは俺にだってわかる。

 

「しかも、人とまるで見分けのつかない獣だとしたら?」

「何を――」

「それが、他の獣と同じように、人を食らうとしたのならば?」

 

 

隣にいる人が、獣であったならば。その獣が、人を襲うとするならば。

イメージが湧かないならば、ある夫婦の一時で考えてみよう。

 

畑仕事を終えて帰って来た男、それを温かく迎える女。

お帰りなさい、今日も泥まみれね。あぁ、おまけに汗だくだ。そうなの、ご苦労様。あぁ、飯の支度は出来ているかい?

出来ているも何も、私の御飯はあなたよ?

ぱくり。

 

…………。

冗談じゃない。

 

 

「確かに要素を持つ者からしたら、この上ない幸福だろうさ。だが、中身が獣である事に違いはない。識別不能な事を良い事に、好き放題に暴れまわれる」

「しかし、あれにはそういった傾向は見受けられませんが……」

「人らしい狡猾さを持ち合わせているのかもしれん」

「そんな……」

 

つまり、俺がその中身だけ獣の人間であると言いたいのか? 何て言い草だ、確かに生肉が食えるようにはなったが、人を襲って食おうだなんて考えていない。文句を言いたくなってきた。こっちに来たらきっぱり言い切ってやる。

 

「それに、実験した検体数に対しての、圧倒的なまでの成功例の少なさ。それが要素を持つ者の数を表しているのだろう。多数は少数を許せない。しかもその少数が多数の中に紛れ込んでいるとしたのならば、言いがかりを付けて磔、火炙りだ」

「魔女狩りの再現……」

「あるいは、多数と異なる少数、獣にならない者たちによる特権階級が誕生するかもしれん。そうなったとしても、衝突は必至だ」

「全ての者がそうなれる要素が解明出来なかったからこそ、『獣の抱擁』は禁忌とされた……」

「あぁ、恐らくそういう事だろう」

 

肉が金属にぶつかる音の後、擦る音がしたから、きっと扉に背を預け、腰を落としたのだろう。声を抑える事はなくなったが、暗い口調で細々と会話が続けられる。

 

「なら、我々がして来た事は……」

「先人たちの失敗のなぞり直し、なのだろうな」

「そんな……」

「『獣は狩るもの、被る皮に非ず』。あの教訓はこれを表していたのかもしれないな」

 

その後の、長い沈黙。扉の向こうから、すすり泣く男の声が聞こえてくる。こっちで聞いた少女の声とはまるで違う、なんとも情けない泣き声だった。

しかし、押し潰されそうな程の重々しい空気を押し退けて、こんな言葉が発された。

 

「だが、そんな我々だからこそ出来る事がある」

 

そう力強く言い切る声には、決意が感じられる。後戻りは出来ないからこその、前を向いた者の覚悟が。

 

「あの検体の、全組織を摘出する」

「全て、ですか?」

「あぁ。筋肉や骨だけじゃない、再生の問題から摘出不能であった内臓も、脳すらもだ」

「しかし、それではあの検体は――」

 

あの検体、恐らく俺は。

 

「あぁ、死ぬだろうな。内臓の再生は、その複雑さと元の脆さからか、運動器官に比べて遥かに遅い。摘出から再生するまでの期間が長く、しかも代わりになるものがない訳だからな。人、獣問わず臓器の移植も試みられてきたが、適応するまで耐えられなかった」

「唯一の成功例を、殺すんですか?」

「失敗と結論付けられた試みの成功例だ。殺処分も兼ねてのサンプル回収、これは間違いなく次に繋がる筈だ」

「医療教会の失われたサンプル群、そのひとつの、しかも禁忌の獲得……」

 

 

なんて事を、興奮を取り戻した男たちは話していた。

それから後は、餌に少量ずつ毒を混ぜるとか、狩人に了承を得て処分を手伝ってもらえだとか、好き勝手に決めていた。

 

 

全組織を摘出したあの検体は、死ぬだろうな。

だがそれは、間違いなく次に繋がる筈だ。

 

俺は、どうやら死ぬらしい。

身体を再生不可能なくらいにバラバラにされて。別々に保管されて。

それが後の実験に活かされていくのだろうと。

 

そんな。

そんな事。

 

 

冗談じゃない。




彼はちょっと余裕が出て来たからか、口調が砕け始めてます。それもこの話だけですが。
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