やっと書けた。楽しんでいただければ幸いです。
皇記五六八年一月二八日 午前第九刻 天狼原野
轟音と硝煙が、この戦場を支配していた。
「なんとも凄まじいですな、これはっ!」
猪口曹長が怒鳴るように言った。連続的に起きている砲声に負けないように、自然と声が大きくなるためだ。
新城直衛少佐はそれに答えず、後方からの轟音に首をすくめたくなるのを堪えながら目の前の光景をじっと見ていた。傍には愛猫の千早が控えており、今は鳴りやまない砲声を五月蠅そうにしている。それに気付いた新城は小さく笑みを浮かべながら千早の額を揉んだ。
目の前ではいま正に、新しい戦争が行われている最中だった。
北領鎮台所属、独立捜索剣虎兵第十一大隊は野戦陣地の最前線、その左翼を任されていた。剣虎兵、つまりは軍用に調教した
司令部の予想通り、<帝国>は横隊隊列へ隊形変換を行わなかった。平射砲を押し出し、中隊横列を縦に並べた大隊縦列のまま前進を続けた。
前進を続け、敵の先方集団が北領鎮台の設定した殺し間へすっぽりと収まったと同時にかき集めた百門を超す新型砲――野戦砲による一斉砲撃が始まった。
翼竜に乗った導術兵の射弾観測と「一里先にある家屋の窓を狙撃できる」とまで言われる高精度の野戦砲、そして完全主義な砲兵達の芸術的な技が合わさり、狙い通りの場所へ撃ちこまれた。
着弾と同時に榴弾の着発信管が作動、爆発。たっぷりと詰まった玉薬が鉄片と雪と土砂をまき散らし、押し出していた砲ごと敵を粉砕した。
たった一度の斉射で敵勢は酷い壊乱に陥った。砲撃の射程と威力が高すぎたからだ。
更に降り注いだ砲弾と轟音、視界を遮る土砂にますます混沌とした状態へ陥っていく。
今までの砲は前装式滑腔砲と呼ばれるもので、主に円弾、つまり球体の鉄の塊を撃ち出すものだ。砲の口から玉薬と砲弾を入れ、爆発によって砲弾は砲腔内をゴロゴロと転がりながら飛び出していく。
砲の種類によって射程は違うが、撃ち出された砲弾はまともに弧を描かず急角度で落ちていく。そして着弾した後も飛び跳ねながら人馬を殺傷する兵器だ。
これはボウリングをイメージすると分かりやすいかもしれない。ボウリング玉が砲弾で、ピンが人。そのボウリング玉が吹っ飛んできて、バウンドしながら向かってくるのだから結構な威力があった。
他に一昔の手投げ爆弾を大きくしたような霰弾というのがある。これは敵の真上で爆発させ、飛び散る破片や衝撃で殺傷するというものだ。
これらに対し、野戦砲と榴弾は違う。まず野戦砲は<大協約>世界でも初となる、前装式
その名の通り砲内部に旋条を施したものでどの国でも研究はされているが、実用化には至ってなかった。長大な射程を生かせる射着観測や厳密な照準、弾道学などが未成熟であり、また資金の問題など高い壁があったからだ。<皇国>でも研究はしていたが、実用化に程遠かった。
しかし、<皇国>の好事家の須ケ原三郎太と守原英康陸軍大将が関わった事で一変する。かつて熱水機関の実用化を成功させた大富豪で変人の二人が再びタッグを組んだのだ。
近年に復活させた道術兵を用いて射弾観測させ、弾道学等の技術的な問題はわざわざ北領に軍需工場を建て、金に飽かせて大量に造らせた砲を全て使い潰す勢いで砲撃訓練を行わせた事で解決したのだ。
噂では制定までの試験だけで並みの商家なら三つ四つは潰れているほどの資金を注ぎ込んだらしいが、守原大将は顔色を変える事無くこの新型砲を採用し、北領鎮台全体に配備させた。
この野戦砲は大金をかけただけに性能は段違いである。
性能を生かす事が可能になった事で射程は最低でも今までの倍以上、砲弾は丸球から椎の実形へと変わった事で高精度の砲撃が可能になった。また椎の実形の砲弾は今までよりも大量の玉薬を詰める事ができ、相手を一方的かつ高威力の砲弾を浴びせる事が可能になったのだ。
その野戦砲を扱う北領鎮台の砲兵は土塁の壁の中に隠れながらひたすら装填しては撃つを繰り返していた。流れきれない白煙が陣地を覆っている。もっとも、視界が悪くなっても導術兵による通信と観測で変わらない精度を保つことは可能だった。
常々、守原大将は「砲兵は戦場の神」やら「砲兵とは敵兵ごと大地を耕すのが仕事」と言っていたが成程、これを見れば全くその通りだと思う。少なくとも、いまこの場ではその通りの仕事をしていた。
『敵軍接近。騎兵突撃。一個中隊ト推定』
導術士からの通信に北領軍は素早く対応した。
「第三砲群、弾種切り替え! 榴散弾!」
「弾種切り替え! 弾種切り替え!」
「榴散弾だッ、急げ!」
一時的に砲撃が止む。同時に、土煙の中から<帝国>騎兵が群れをなして飛び出してきた。一目で馬格が良いと分かる軍馬ばかりで、後ろからは猟兵がまばらになって駆けている。あの砲弾の雨の中でも立て直した部隊がいるらしい。
未だ戦意は衰えておらず、砲撃が止まった今が好機とばかりに雪原を駆け出す。
司令官が砲撃に痺れを切らして騎兵に突撃を命じたのか、それとも独断専行なのかは分からない。
どちらにせよ、その未来は変わらないのだ。
姿を現した<帝国>兵に対し、今度は備え付けた平射砲と塹壕に籠る銃兵の十字砲火が出迎えた。長距離狙撃が可能なライフル銃はその真価を発揮し、瞬く間に敵兵を狙い撃ちにしていく。それでも怯まない。砲弾の爆風と舞い上がる土砂に塗れながら雪原の上を駆け、先に死んでいった戦友達の肉と血を踏み越えていく。
そして少なくない数が鉄条網前までたどり着いたが、飛び越えることはできなかった。
鉄条網にぶつかった騎兵はそのまま馬から投げ出されるか、柵を嫌がり嘶く馬を宥めようとして撃たれるかのどちらかだった。猟兵も棘に引っ掛かってもたついていた。
「先輩、榴散弾というのは?」近くに来た西田中尉が言った。
「霰弾に似たようなものだ。ただ、前方に指向性を持たせてより殺傷力が高くなっているそうだ」
「うわぁ、そうっぽいですねぇ……」
砲撃が再開される。撃ち出された砲弾が敵軍の上空で時限信管が作動。筒から大量の鉛玉がばら撒かれる。胸甲騎兵に帝国猟兵がまるで箒で掃くように薙ぎ倒されていくのを見て西田は顔をしかめた。
榴散弾は対人特化の砲弾だ。その威力は凶悪の一言に尽きる。銃兵大隊全てに直属している銃兵砲中隊、そこで運用される四斤山砲でも敵の頭上で作動すれば、広範囲を薙ぎ払える代物だった。
ただこれは長く続かない。榴弾の製造にリソースが割かれており、また榴散弾は扱いが難しい。信管に刻時器と同じような絡繰を使用していて高価なため、数が揃えられなかったのだ。少し撃ったらまた榴弾に切り替わる事になっている。
僅かな時間で敵は駆逐され、砲撃がまた止んだ。鉄条網の前では人馬が穴だらけになり、肉と血で雪原を赤黒く染めていた。誰一人、突破する事はできなかった。
「『柵と壕で陣地を造り、全力で隠れながら火力で叩き潰す』。上もよく考えてますなぁ」
「本当ですよね。こうも事前の予測通りに進むとは思いませんでした」
「色々と考えるのが上の仕事だからな。お陰で僕らも楽ができる」
軽口を言う二人に新城が少し冗談を含ませて答えると、二人は笑いを噛み殺したような顔になった。目の前では戦争をやっているのにこうして部下達と談笑している。それが酷く奇妙でおかしかった。
今も砲撃に負けず<帝国>猟兵が走り、鉄条網を超えられずに倒れて屍の山を築いていく。まるで射的の的だ。だが、この状況を打破するには前進しか方法が無いのを新城は知っていた。
<帝国>は現地徴発、つまり村落や敵の倉庫から糧秣を奪っていく軍隊だ。兵は最低限の荷物だけ持って動くから機動力もある。
そして恐ろしいのは精強な騎兵だ。騎兵の攻撃力はその速度からなる衝突力である。けたたましい叫びと馬蹄からなる人馬一体の突撃に歩兵は圧倒され、平静でいられなくなってしまう。特に今回の戦争では<帝国>で獰猛であると謳われる
故に決戦主義であり、速攻を好む。決戦を行えばその結果は圧倒的な勝利か、壊滅的な敗北のどちらかとなるため、一度の決戦で情勢が決まるのは間違いない。
<帝国>は年中戦争をやっているような超大国であり、軍事技術の蓄積も豊富で兵も精強。率いる東方辺境鎮定軍総司令官のユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナは中々の人物らしい。そうでなくても皇帝の血縁者だ。優秀な参謀や顧問団ぐらいは付けているだろう。
これに対して<皇国>がまともな戦争をやったのは二十四年前の東洲の内乱の時だ。その後はちゃちな田舎貴族の蜂起や野盗の群れとやり合うだけで、大規模な軍事行動は無かった。今回の戦が初陣だという将兵も多くいる。
これらを考えれば、まともにぶつかれば勝つのは難しい。
なら、決戦をしなければいい。そして鎮台は野戦築城を行った。
この野戦陣地は塹壕と土嚢、そして鉄条網で出来た要塞だ。<帝国>ご自慢の騎兵も天狼原野一面に張られた鉄条網によって突撃を封じられている。騎兵の速度が無くなってしまえば人馬の突撃による心理的な圧迫感も無い。唯の置物となる。
ならば鉄条網を排除すればいいのだが、これには専用工具を持った歩兵か、爆薬を取り付けて破壊するしかない。鋭剣や馬、砲撃でどうにかなるような代物ではない。
それに、この野戦陣地の改良を手伝わされたのが自分の大隊なのだ。守原大将直々の命令で鉄条網と塹壕線の野戦陣地を訓練の一環として何度も攻め込んでおり、これの厄介さはうんざりするほど分かっていた(新城だけでなく、伊藤中佐の騎兵大隊や他の銃兵部隊も生贄となった)。
城攻めに必要なのは攻城兵器と大量の歩兵、そして
しかし、今は冬季。雪と凍った大地を掘るのも一苦労だ。また身軽さを至上とする<帝国>猟兵全員に円匙を装備させているとは到底思えない。
つまり、現状では騎兵は無用の長物である。糧秣を馬鹿食いし、<帝国>軍の貧弱な兵站を圧迫する。
<帝国>も策源地である奥津湾から次々と物資を揚陸させているが、ここは<皇国>領だ。初歩的な発想があれば<皇国>水軍――東洋海艦隊が北上し、奥津湾を封鎖してくると考えるだろう。
そうなれば<帝国>の兵站は崩壊し、海と陸で挟まれることになる。
準備不足かつ時間もない<帝国>は、これらを避けるためにひたすら力攻めをして突破するしか無い。
鉄条網と塹壕によってどこを攻められても十字砲火になるように造成され、大量の火砲を有する要塞を、だ。
しかもこの後方にある北府と軍需工場から新品の小銃や砲に糧秣もどんどん届く。弾薬の欠乏と明日の飯を全く気にしなくていい。
時間が経てば経つほど<皇国>が有利になる。<帝国>もそれが分かったのか、最初の突撃以降は騎兵を動かさず猟兵のみの突撃に切り替えている。
となれば、次に来るのは歩兵支援。
「敵陣地から砲煙を確認!」
「退避!」
新城は即座に号令を出した。<帝国>砲兵の布陣が完了したのだ。指揮下の兵達が掩体壕に駆け込んでいくのを見やり、それからゆっくりと入った。指揮官としての見栄と、慌てれば恐怖で足をもつれさせると分かっていたからだ。その後ろを千早が歩く。
千早が掩体壕に入った頃に爆発音が響き、バラバラと破片が塹壕内に飛んできた。霰弾だ。音が小さい事から騎兵砲か小口径の擲射砲で撃ち込んでいるらしい。身軽さを優先したのか重砲は持ってきていないようだ。射程ギリギリから撃っているなら砲弾のブレも大きく、霰弾が塹壕の中へ転がってこない限りは大丈夫だ。
「これだったらすぐに止むかな、千早」
今頃は上空から俯瞰している翼竜と導術士が<帝国>の砲撃陣地を探しだし、位置を伝達していることだろう。そうなれば砲兵達の反撃が始まって砲弾の雨を叩きつけられることになる。
新城の入った掩体壕は前線司令部を兼ねているため通常よりも頑丈に造られ、そして広い(といっても、兵達のよりちょっとマシなだけだが)。椅子に座ると懐から細巻を取り出し、小刻みに震える手で火をつけた。うん、南領の最高級品なだけあって美味い。香りと味を楽しみ、煙を吐き出す。同時に、子供の頃から妙に自分に絡んでくるしかめっ面の司令官を思い出した。
新城と守原英康の出会いは、新城(この時は「直衛」という名しかなかった)が駒城の屋敷に住むようになって暫く経った時だった。
駒城は特に貴族然とした守原とは何度も対立している仲だった。
そんな状況下で駒城の屋敷へやって来たのが、当時三十代半ばで色々と有名だった守原英康だった。
守原で唯一衆民から受けが良いとされる英康はこの日、自身が携わる商会の視察の帰りに近くを通りかかったため挨拶しに来たと言った。どう考えても、噂になっている二人を見に来たというのが丸分かりだった。
挨拶もそこそこに、二人に会いたいと英康が切り出した時は流石の篤胤も顔を顰めた。
守原家の当主の弟でありながら英康は駒城と仲良くしようと動き、また商売でも何かと融通してくれる(何故なのかは誰も分からなかったが)人物だった。また守原は家風なのか、隠し事せず素直に動く。お陰で謀略がやりやすいが、この場で直球で言われると篤胤も断れなかった。
篤胤は家令に二人を呼びに行かせ、英康に挨拶をさせた。
「二人がその子供達ですか?」
「そうですな」
子供が見れば泣き出してしまう恐ろしい形相に、蓮乃は怯えた表情を浮かべ、直衛はじっと見つめなおしていた。
「ふむ、成程」英康は言った。「良き子達だ。己の顔を見ても泣きださない。それと、そちらの男子は人を選ぶが、美女にはモテそうだ」
泣きださないというのは分かるが、その後の直衛へのよく分からない批評にこの場にいる誰もが微妙な表情を浮かべる事になった。
これが英康と新城の出会いであり、奇妙な関係の始まりでもあった。
時折駒城の屋敷にやってくる際には必ず土産を持ってくる。それは茶菓子であったり、流行りの品だったりと様々だ。これに当初は蓮乃が気に入ったのかと駒城の面々は考えたが、英康自身が全力で否定した。
(ただ後に英康が何十歳も年下の女子を妻にした事からやっぱり蓮乃を見初めていたのでは、という噂は絶えなかった)。
特に新城には様々な書物を与えるなど、傍から見れば育預相手になぜそこまでするのかが分からないくらいだった。
新城は子供の持つ冒険心からなぜ自分にここまでするのですかと直接訊ねたことがあった。英康は気に入ったからと答えた。あと、子供の内は貰えるものは貰っておけ。将来に役立つかもしれんと言った。
新城は趣味が悪いなと思いつつ、まあ本は貰えて嬉しいし、なにより悪い気はしなかった。顔が恐ろしいのを除けば唯の気の良い人であったからだ。
その後、守原との関係は新城が特志幼年学校へ行った事で疎遠になったが、新城が陸軍将校になって北領に配属される際に再会する事になった。
「久しいな」
北領鎮台、司令長官室。この部屋の主である守原英康は相変わらずの凶相だった。以前会った時よりも、眉間の皺は深くなっている気がした。
英康は椅子に腰かけたまま軽く手を払った。
侍従官達も慣れた様子で、直ぐに用意していた茶器を置いて一礼して外へ出ていく。残るのは英康と彼の老剣牙虎の真改、そして新城だけだった。
「座れ。黒茶でよいか? 細巻は机の上から取れ」
変わらないな、この人は。新城は思った。
昔から英康は内密な話か、親しい客を持て成す際は自らが茶の用意をする。さて、今回はどっちだろうか。まあ確実に内密の話だ。面倒事だろう。何せ新編する部隊の為に強引に引き抜いたと義兄から聞いているからだ。
憂鬱な気分になりながらたっぷりの詰め物をされた柔らかい椅子に座り、遠慮なく机の上にある細巻を取る。さすがは五将家一と謳われる金持ちだ。南領産の最高級品だった。噛めば良い香りが鼻を駆け抜ける。
ふと、自分の姿を見て思う。椅子に深く腰掛けながら高い細巻を吸い、北領鎮台の司令長官が入れた黒茶を待っている。まるで自分が皇主になったような気分だった。ああ、これは楽しい。
気分が良くなったところで黒茶が出てきた。短くなった細巻を捨てる。英康の商会が輸入している<帝国>の白磁の茶器に炒って荒く挽いた西領豆の黒茶。やはり美味い。
互いに茶を飲み、一息ついたところで英康が切り出した。
「新城少佐。貴様にやってもらう事がある」
「はい、大将閣下。いいえ、自分は大尉であります」
新城の畏まった態度に英康は目を瞑り、眉間の皺をほぐし始めた。
「何のために人払いしたと思っているのだ。堅苦しいのは嫌いなのだ」
「……辞令では大尉の筈ですが?」
やはり面倒事だと露骨に嫌そうな表情を浮かべ、新城は言い直した。昔から目の前の人物は砕けた口調を好む。そうしてやるとしかめっ面のままだが、少し和らぐのだ。
「私が引き上げた。後で新しい辞令を貰うといい」英康は続けて言った。「北領鎮台での賞罰はある程度好きに出来る。あと、五将家というのは何処にでも伝手があるからな」
あまり知りたくなかった言葉だ。つまり目の前の人物が好きに出来る訳だ。物事が自分が知らないところで動いているのが分かり、新城は不機嫌になった。
それを感じ取ったのか、英康は続けて説明した。忌々しそうな、言葉にするのも嫌そうな口調だった。
「私だってこんな馬鹿げたことなぞしたくはない。だが時間が無いのだ」
「どういう事でしょうか?」
「端的に言えばだ。恐らく数年内、早ければ来年には帝国と戦争になる」
思わず顔を顰めた。やっぱり碌でもない話だった。
「新城、帝国の経済状況は知っているか?」
「はい、閣下。いいえ、自分には分かりません」
「そうか」英康が言った。
「少し経済の事にも目を通しておくといい。私の様にいくらか金を儲けていると老後は自由に生活できる」
貴方は幾らかどころかじゃないと思いますが、という言葉が口に出かかったのをグッと堪えた。言ったところで目の前の人物は声に出して笑うと思うが、流石にそれを口に出して試す気は無かった。
「<帝国>は巨大な国家だ。ツァルラント大陸の大半を支配する大国であり、千年もの歴史を持つ。皇帝と一部の大貴族が巨大な権力を握り、国を動かしている。ここまでは良いか?」
新城は小さく頷き返した。
よろしい、と英康は頷き、黒茶で喉を潤してから再び喋り始めた。
「しかし、経済を見れば大国なだけあって巨大だが、それに見合った強さが無い。二十人ほどの大商人が権力者と結託して帝国全ての経済を握っており、また農奴制を敷いている。これは各地で反乱を起こされないように意図的に地方の経済を貧弱にしている面が大きい」
これが<帝国>と<皇国>の違いであった。
歴史、気質、風土の違い。様々な要因があるが、一番の違いは絶対的な権力で国を治めているか、どうかだろう。
<帝国>は一番強い、つまり最も軍事力がある者が皇帝である。
<皇国>は敬意というあやふやなもので上に座っているのが皇主である。
<皇国>の皇主は将家によって権力を取り上げられ、その将家も今では力を失いつつあった。五将家による統一後、天領における支配が緩み、それに対処するための法案が逆に将家や豪商といった支配者層を弱体化させた。押さえつける存在が弱くなった結果、衆民が力をつけて表に出てくるようになった。そうなれば彼らにも欲が出てくる。街に衆民向けの商品が出回るようになり、伝統的な支配者層しかいなかった官僚団に衆民が入るようになった。ますます将家が弱まり、衆民が力をつけていく。
つまり<皇国>は、支配層による統制が緩んだから衆民が台頭し、経済発展を遂げたのだ。もっと言えば、<大協約>世界においていち早く中世から脱却し、近代化してしまったのだ。
急速に経済発展していく中で商人達は競争の中で生き抜き、そして合理化と合併を行って強くなった。そして体力がある商会が販路を求めて外へ目を向けるのも当然だった。
より豊かな生活を、より多くの富を求めて<皇国>の商船団が世界中を駆けまわった。特に<皇国>の回船問屋はそれまでの常識からすれば格安の料金で輸送を行い、そして原料を輸入して加工品を売る加工貿易を始めた。これは<帝国>の貧弱な経済では賄いきれない需要を満たしていった。
しかし、近代と中世では考え方が合わず、歪みが出てくる。
そして起きたのが<帝国>経済の悪化であった。まるで日米貿易摩擦と同じような結果を生みだした。
回船問屋による輸送費の安さと熱水機関の発明、そして合理化で生み出された高品質低価格の<皇国>産の品物が<帝国>産を駆逐し、産業の壊滅に追い込んだ。街には失業者が増え、治安が悪化した。特に貧弱なままで置かれた地方は大打撃を受けた。
それでも取引を今更止める訳にはいかない。そのため正貨、つまりは金で取引するようになる。
<皇国>の品を買うため、<帝国>は大量の金を吐き出すことになったのだ。結果、<帝国>は正貨不足による産業の停滞、物価の下落を引き起こした。金が無いから物が買えず、また金の代わりに物納が増えたためだ。
これだけならまだどうにかなった。だが、止めを刺したのは彼らの経済方策だった。
「正貨不足を理由に改鋳を強行したのだ。いくら国が価値を保証しても、鉄屑が金と同価値になる筈がない。貴族や商人たちは改鋳前の正貨を溜め込み、更なる正貨不足と価値の下落によって物価の高騰を招いた。お陰で経済は悪化の一方だ」
更に悪循環は続いた。彼らは産業の停滞による高い失業者率を抑制するために強引な雇用創出を行い、賃金上昇による更なる物価上昇を招いた。これを見て一部の貴族や大商人達が穀物の値を釣り上げた。大量の輸入品によって実質的な資産が目減りしたため、その補填をしようとしたのだ。
これに対する解決策は一応はある。農奴制という構造の歪みが赤字を生み出しているのだから、今の体制を効率化し、堅実に経済成長すればいい。そうすれば自ずと均衡がとれ、物価も落ち着く。
しかしこれが出来る筈がなかった。支配者層が自らの既得権益の解体、即ち衆民の未来の為に自死を強要するものだからだ。
「それで皇国、という訳ですか」新城が呟いた。
「そうだ。金が流出するのは皇国の商船が原因。しかも新興国で国土も小さく兵数も少ない。うまくやれば世界中に張り巡らされた皇国の商業網も手に入る。帝国からすればいい事尽くめだ」
最も、皇国を手に入れたところで良くなる筈がない。だが多少の延命になる。民衆の不満を少しでも解消でき、戦争もまた経済活動であるから新しい雇用も生まれる。
何より、彼らにとって戦争とは馴染みのある分かりやすいものだった。
「今まで強盗殺人で生活してた者が、金が無くなったから真面目に働くと思うか?」
「いえ、全く思いません」
これが全てであった。
「だから戦争なのだ。支配者には未来よりも今が大事だからな」
成程、分かりやすいと新城は思った。
しかし、なぜそれで自分が巻き込まれなきゃいけないのか。自分はしがない陸軍将校で、確かに五将家の駒城と繋がりがある。だが所詮は東洲の孤児で育預だ。駒城からの支援を求めるなら意味をなさないだろう。自分を育てた駒城親子は情の厚い方々だが、家と個人の利益を考えるなら家を優先する人種でもあった。
「駒城との支援も貰えれば嬉しいがな。だが、いま必要なのは貴様の才覚なのだ」
「はぁ」
ますます分からない、といった表情で新城は返した。
はて、そんなものがあったか。人への嫌われやすさと顔なら目の前の人物にも負けない自信はあるが。
英康は机の上の横にどけると地図を広げ、その上に駒を置いた。
「鎮台は三万。<帝国>軍は二万と仮定。場所は天狼原野。どちらも行軍隊形で移動中。予想会敵時刻は二刻後。これを受けて鎮台は銃兵旅団が横隊へ隊形変更。騎兵は両翼に突撃準備隊形で待機。砲兵は適当な場所に布陣。射程は一里としよう。<帝国>は猟兵が大隊縦列。騎兵は両翼に配備。砲は移動速度を優先して平射砲に小口径の擲射砲のみ。貴様が<帝国>ならどうする?」
英康が見せたのは、原作でおきた天狼会戦と同じ構図であった。
新城は一瞬面食らった表情を浮かべたが、直ぐに地図をじっと見つめた。
<帝国>軍は数が少ない。なら、まともにぶつからず先手を取ってしまおう。隊形を変更せず突っ込ませて火力を集中させる。隊形変更中の鎮台横列は素晴らしく大きな的だ。逆にばらけている<帝国>軍からすれば火力が分散している。
いや、難しいか。散開しても戦える兵なぞ、育成に時間と金の負担が大きいものになる。帝国という大国となればそれが顕著だろう。
しかし、他の方法では勝つのは難しいか。
そこまで考えて、新城はなにを真面目に考えているのだろうかと思った。どうせ聞かれたから答えるだけなのだ。話も個人的な内容。これが気に入らなくても特に何かやる人でもない。言うだけ言ってしまおう。これ以上考えるのが面倒になったともいう。
「……僕が<帝国>指揮官なら、そのまま突っ込ませます」
「ほう、続けろ」
新城は地図の上の駒を動かした。
「まず先手を取るために平射砲を前面に押し出して攻撃。その後は隊形変更せず、猟兵による大隊ごとに突撃を行います。そうすれば横隊のままの鎮台は碌に救援に動けず、火力も分散しています。逆に<帝国>軍は火力で圧倒できます。その後、頃合いを見計らって騎兵を突撃させ、止めをさします」
これを聞いた英康は笑みを浮かべた。それは眉間の皺と相まって悪鬼の様な顔だった。相変わらず怖い。正面から見てしまった新城は背筋からぞわりと這い上がるような感覚に首をすくめたくなった。
「やはり貴様は良いな。その通りだ」
新城が語った内容は、原作において<帝国>指揮官だったユーリアが行ったものと同じであった。
「私も<帝国>ならば貴様が言った通りにやる。そもそも長大な横隊隊形なぞトロいうえに巨大な的だ。意味がないわ」
どうやら気に入る答えだったらしい。新城はそう判断した。
「……司令部の参謀を集めて先と同じものをやらせたのだ。貴様と同じような発想に至ったのが草浪大佐だけだ。酷い奴になれば鎮台の行軍時の見栄えに勇壮な号令を見れば<帝国>軍はたちまち瓦解するとほざいたわ」
ああ、うん。それは酷い。
こめかみを押さえる英康に新城は同情した。
ただ、他の参謀達は仕方が無いだろう。鎮台はここ百年で常識となった戦術通りに動いており、まったく妥当のものだ。それ以上でもそれ以下でもないが。新城のやり方はまともな方法では無い。まともにぶつかれば数が強い方が勝つ。当たり前の事だった。むしろ自分と同じように動かしたという草浪大佐が気になるぐらいだ。
「まあ、帝国への対策はいくつか考えてある」英康が言った。「しかし、備えは幾らでもあっていい。自由に動かせられる部隊が一つでも多く欲しいのだ」
「それで自分、という訳ですか?」
「そうだ。先程の発想と、剣虎兵学校での経験があれば問題無いだろう」英康は言った。
「現在、独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長に空きがある。貴様にはこれを率いてもらう」
大隊長、と聞いて新城は再び面食らった表情を浮かべた。
「確かに、僕は剣虎兵学校にいました。しかし、大隊の指揮運営の経験はありません」
「大隊運営については少々学んでもらうが、そこまで気にしなくても良い。そも、剣虎兵自体が新設されたばかりで他に詳しい奴なぞいないのだ。これを編成した際に動物を扱うからと騎兵将校を無理やり大隊長にしようとした奴がいるぐらいだ」
「それはなんとも」どうでもよさげな声で新城は言った。
「ただ、その案は私が潰した。その騎兵将校はそこそこ有能でな。騎兵部隊を率いてもらわんといかん。あとは大隊長だけだが、傍から見れば左遷でやる奴がおらん。だから、貴様を引き抜いたのだ」
成程、もうお膳立てはされているのか。剣虎兵学校へ赴任した際に大尉になっただけでも自分には早いと思っていたが、まさか少佐になって大隊長とは。異例の昇進だろう。
「貴様の大隊は司令部直轄の独立部隊になる。私以外に上官はいない。定数は八百。これ以外は好きにやれ」
「好きに、とは?」
「言葉通りだ。人員や装備はある程度揃えているが、気に入らない奴がいたら飛ばしても構わん。代わりを送ってやる。足りないものがあれば全て用意する」
新城にしては珍しく、一瞬呆けた顔になった。目の前の人物が何を言っているか理解できなかったのだ。
「……何故、ここまで良くするのです?」
険しい表情で新城は言った。大隊を動かせられる喜びはすっかり消えている。それ以上に疑念が強くなっていた。
餓鬼の頃は気に入ったからと言っていたが、それだけで大隊を任せるような人物ではない筈。でなければ陸軍大将にはなれないし、ましてや<皇国>有数の商会を作り出すことも出来ない。そのような甘い世界では無いと新城は考えている。
しかし、いくら考えてもその理由が分からなかった。
「ふむ、理由か。この実験部隊は私が始めたもの。失敗したくなかったのが一つ。馬鹿に任せたくなかったのが一つ。あとケチ臭いのは嫌いだ。そして何より、私が知る中でこの部隊を使いこなせるのが貴様しか思いつかなかった」
返ってきたのは、最大の賛辞だった。
英康は原作を知っているからだが、新城からすれば全く違う意味になる。
馬鹿ではなく、失敗しないこと。つまりは「兵を生き残らせつつ、いかに戦果を上げられる」ことが出来ると言っていた。これは新城のモットーと同じであった。
剣虎兵はその獣染みた戦闘力と機動力から隊列を組めない。また強襲や奇襲には最適だが、その機動力ゆえに部隊がバラけやすく、部隊の分断、各個撃破の危険を孕んでいる。
また第十一隊の特性上、複数の兵科を有する諸兵科聯合部隊であり、指揮が複雑になりやすい。通信を行う導術兵を活用する必要があるが、これも新しい兵科であり、うまく使わないといけない。
そして剣虎兵は他と違って補充が難しい兵科だ。人は他から引っ張れるが、猫は調教が間に合うかどうか。名誉と戦果は上げたが、部隊は壊滅しましたでは全く意味がない。
そこまで考えて新城は思い出した。
目の前の人物は騎兵将校ではあるが、剣牙虎を調教し、猫と共に銃兵が隊列を組まず強襲する戦術を考え、実践した人だった。
ああ、だから隊列をボロクソに言ったり、剣虎兵を知っている人物を大隊長にしようとしているのか。
その上で兵を無駄死にさせず、かつ様々な兵科の運用が出来る。これに新城が最適だと判断した。そう言われたのだ。
(これは、うん。聞いといてなんだが恥ずかしいな)
罵声や嫌味には慣れていたが、褒められるのは慣れていなかった。思わず頬を掻いて苦笑いしてしまう。ちょっとした思いつきが浮かぶ。
「……昔から思っていましたが、趣味が悪いですね」
「今更だな」英康は即答した。そして、顔を歪めた。「それに、お互い様だろう?」
互いにまじまじと見つめ、そして声を出して笑った。失礼しました、と新城は言った。顔には笑みが浮かんでいる。
どうにも、調子が狂う。ここに来てからずっと良い気分のままだった。
しかし、悪くない。大隊長か。陸軍将校において大隊長ほど「楽しい」職務は無いと言われる。
新城もその考えに賛同していた。自立性が高く、戦場にいると実感しつつ部隊を動かせられる。自分が指揮する大隊その光景を思い浮かべ、自然と頬が緩んだ。
それを見た英康も、笑みを浮かべた。心なしか、眉間の皺も薄くなっていた。
「さて、では何だったか……。そう、部隊の話だ」
新城は居住まいを正した。
「先にも言ったが、好きにやって構わない。だが、時間は余り無い事だけは覚えておけ」
「は、分かりました」新城は言った。「ところで、最新の銃火器や猫だけでなく、怯えない軍馬を持っていっても?」
「構わん」英康が言った「私が全て責任を持つ。遠慮なく好きなだけ持っていけ。足りなければ内地から取り寄せる。文句を言う奴がいたら私が潰しておく。戦争ではこき使うことになる。思う存分、やってくれ」
了解しました、と新城は敬礼で答えた。
それからは早かった。
新城が着任した大隊は最初からある程度は好みに合わせていたのか、兵は命令をよく聞き、士官の質も悪くない。また幼年学校で付き合いのあった面々も部下として配属されており、新城は気を良くしていた。
新城の気を更に良くしたのが支給された物の数々だった。兵器は英康が言う通り全て最新式だった。鋭兵ですら充足できていない新品のライフル銃と新型実包を大隊全員分に調教済みの剣牙虎、騎兵砲に代わる最新の四斤山砲、猫に怯えない軍馬とたっぷりの糧秣。更に真新しい冬期用の軍服に携行用のストーブに黒茶や酒と至れり尽くせりだった。
あまりの待遇の良さ(と、この世の地獄のような訓練)に兵達が驚き、何やったんですかと何人も新城に訊ねてくるぐらいだ。
これに対し、新城は笑って答えた。
「僕は言われた通りにやっているだけだ。どうしても聞きたいなら、僕の上司に言ってくれ」
理由を聞きに行ったものはおらず、また新城は自分の部隊を作り上げた。
そして、新城とその部隊は最前線で活躍する事になる。
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「皇国の守護者」は書くとしても北領戦まで。あと2話ぐらい。どう考えても帝国が勝つ手段が思いつかない。
絶望的な状況で悪戦する魔王様を書きたかったけど書けない。こんなん魔王じゃねぇと思うかもしれませんが、どうかひとつ。