全七話。
TS転生者が主人公。
作中には娼館や、ほんのりとした性的な描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
問題ない方は、どうぞお楽しみください。
1.
ハルぺリア王国、エルミート男爵領。とある宿場町の娼館“宵の艶花”。
窓の外では、宿を決めた商人やギルドマン、日銭を稼ぎ終えた男たちのざわめきに、女たちの甘い呼び込みが絡みつく。夕闇に灯りが点りはじめ、街はゆるやかに夜の顔へと変わっていった。
その喧騒を遠くに聞きながら、寝台に寝転がるフィオナは心地よい酒の酔いと甘い香油の匂い、柔らかな体温を楽しんでいた。
「ねえフィオナ。レゴールで、私と一緒に店をやらない?」
「うーん?」
膝枕をしていたシアラが、ふいにそう言った。癖のない長い濡羽色の髪と、白磁のような肌の美女が、藍色の瞳を細めてこちらを見ていた。目線をずらすと、ベビードールに形の良い胸が映る。
手を伸ばすとしっとりと吸い付く肌の奥にある張りのある感触がなんとも心地よい。
「もう、真面目な話よ」困った表情を浮かべながら優しく手を叩かれた。
「良い子だから、起きて頂戴。ちょっと足が痺れちゃった」
「んー」
名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、フィオナは身を起こした。
シニヨンにした白髪に穏やかな金色の瞳を持つ整った顔立ちに、肉感豊かな肢体。閨を共にした男たちからの評判はすこぶる良く、隠れた人気を誇る娼婦だ。
今夜の客が来るにはまだ早い。料理の仕込みも、武具のメンテナンスも終わり、娼館も束の間の静けさに包まれていた。
だから暇を持て余してシアラの下へ押しかけ、寝台に引きずり込んでその温もりを楽しんでいたのだが――
「オーナーがね、ここを閉める決断をしたの」
「ああ、やっぱり?」
「ええ。アーケルシアの息子夫婦と一緒に住むって」
「評判の料理屋らしいね。オーナーの手も借りたいんじゃないかな」
「ふふ、そうかもね」
シアラは小さく笑って、それからいたずらっぽく付け足した。
「でもそれって、貴女が手を貸したからでしょう?」
「……そうかな。あの子にはちょっとした思いつきを言っただけだよ」
「大事なレシピを渡しているのに? この店のサービスだってそう。お陰で私は、この街で一番になれた」
「ここまで育ててくれたからねぇ」
アイディアと言っても、"前"の記憶から使えそうなものを引っ張り出しただけ。
その記憶も、ずいぶんと薄れてきている。
何故か女として生まれ、ハルぺリア人の両親から白髪金眼で生まれた。そこからこの娼館に流れ着いた。
ただそれは、今なら幸運だったのだと思える。
「来たときは、あんなに痩せていたのにねぇ……」
しみじみと呟いて、シアラが身を寄せてくる。傍に温かさを感じると同時に、伸ばされた手が胸を下から押し上げ、太ももを撫で回していく。
「すごく育っちゃったわね」
「ん……。そう思う? 私もびっくりしてる」
くすぐったさと心地よさから、吐息まじりの笑みがこぼれた。
「あんな鳥ガラみたいな身体だったのにね。背ももうちょっと伸びればよかったけど。うん、食べて寝て運動したお陰かな」
「……私もギルドマンになろうかしら。最近太ったのよねぇ」
「ダメ。あとそれはお酒の飲み過ぎ。いくらザルでもね」
「飲むのも仕事だもん」
「可愛いけど、飲み過ぎはダメ」
案の定、シアラは頬を膨らませ、拗ねたように唇を尖らせた。
少し雰囲気を変えようと、フィオナは口を開く。
「……そういえば、どうしてレゴールなの?」
「そうそう、その話よ」
待ってましたとばかりに、シアラが身を起こした。その拍子に熱と重みが離れて、ほんの少しだけ寂しくなる。
「オーナーから纏まったお金と、この店の名前を引き継いだの。それを元手にレゴールで新しく店を開きたい」
「店?」
「ええ。客も女の子も笑って働けるお店。料理とお酒でくつろいでもらい、望む人には上階に案内する。無理に売る店じゃないわ。誰かに甘えたくなった人だけを上へ案内すればいい。居心地が良くて、疲れを癒して、また来たいと思える店を作りたいの」
「娼婦は続けるの?」
「続けるわ」シアラは言い切った。「引き継いだ以上は店の名前は残したいし、この身体はまだ売れる。それに、レゴールでお店を買ったらきっとお金が無くなっちゃうわ。だったら、自分で稼げる間に稼いで、そのお金で店を大きくした方がいいでしょう?」
「なるほど」
「それに、街へ流れてくる人もどんどん増えてるって聞くわ。商人も冒険者も職人も、寝床も酒場も足りないくらいなんですって」
シアラは期待を隠しきれないように笑った。
「レゴール伯爵の手腕もあるでしょうけど、ケイオス卿のお陰ね。聞いたことがあるでしょ?」
「ん、まあ……」
知っている。この店に来る客が、何度も自慢げに語っていった。あれこれと便利な道具を次々に生み出す発明家だとか。気になって客から話を集めてはみたものの、遠い街の噂ゆえに、断片ばかりで要領を得ない。
ただ、相当に手広くやっているらしい、ということだけは分かった。
エルミート男爵のリバーシのように、突発的にこの世界で生まれる例もあるが、もしかしたら。
ケイオス卿は、自分と同類なのかもしれない。
「この街も悪くないけど、やれることはもうやり切ったしね。私はレゴールで勝負してみたい」
「他のみんなは?」
「何人かは移籍して続けるけど、多くは就職するって。エリーは結婚するそうよ」
「そっか……、寂しいね」
ぽつりと漏らした言葉に、シアラも少しだけ表情を和らげた。
「ええ。でも、笑ってお別れしましょ?」
長い付き合いだった。血の繋がりはなくても、家族みたいなものだ。
毎日顔を合わせて、喧嘩して、笑って、酒を飲んで。誰かが病気になれば看病し、稼ぎが悪ければ皆で補った。
娼館という場所だが、フィオナにとっては間違いなく故郷だった。
「きっと、またいつか会えるわよ」
「そうだね」
どちらからともなく、二人でくすりと笑う。
「それでね、フィオナ」
シアラがこちらへ向き直った。膝と膝が触れ合い、間近でにっこりと微笑まれる。
ただそれだけなのに、嫌な予感がした。
「お店の役職。料理長兼共同経営者。どう?」
「なんか責任が重くない? 私は経営なんて分からないよ」
「経営は私がやるわ。あなたは料理長。共同経営者なのは、対等の立場でいてほしいから。今と同じように働いてくれれば良いわ。まあ、税金の計算は手伝ってほしいけど」
「便利屋扱いじゃない?」
「そうね」
「否定しないんだ。ひどいなー」
わざとらしく落ち込むフィオナに、シアラが少し拗ねた表情を浮かべた。そして、するりと膝の上へ乗り上げてきた。柔らかく、熱と重さを感じると同時に、両腕が首に絡みつく。
「だって、あなた以上の料理は食べたことが無いし、美人で私のことを理解している人を、他に知らないもの」
「……シアラに口説かれちゃった。お客さんに自慢できるわね」
「本当のことよ」
真顔で言い切られて、少し気恥ずかしい。ただ、首に触れる手は微かに震えていて、目の前のシアラをよくよく見る。――その瞳の奥に、隠しきれない不安の色があった。
「私だけじゃ足りない。あなたがいて、初めて私の思い描く店になるの」
「んー、お給料は?」
「今の倍。休んだり、ギルドマンとして働く日もあるでしょうけど、給与はきっちり支払うわ」
「……少し、待って」
フィオナはそっとシアラの腕をほどき、居住まいを正した。冗談めかした空気が抜けて、シアラも真剣な顔でこちらを見つめ返す。
さて、どうしよう。
このぬるま湯のような毎日は、心地よかった。
ギフトのお陰で、ギルドマンでも、料理人でも、流れの娼婦でも生きていける。
今の仕事もこの街も、嫌いじゃない。慣れちゃったし、十年以上も暮らせば縁も思い出もできる。
けれど、それは娼館があったからだ。ここが無くなるなら、この街に残る理由も無い。
ただ。嫌な思い出も多いが、割と名残惜しい気持ちも芽生えている。
レゴールに行ってみたら。
シアラがいる。その夢の手伝いも心が惹かれる。前は料理人になりたかった気がする。
ケイオス卿がいる。実態は違うかもしれない。でも、もし。本当に同類なら。
会って、前の世界の話をしたい。俺の記憶が夢じゃなかったのを、確かめてみたい。
「……うん、決めた」フィオナはシアラに向き合った。「私も、一緒に行きたい」
「――ありがとう、フィオナ! 一緒にレゴールで一番の店を作りましょう!」
シアラは満面の笑みを浮かべると、そのまま力強く抱き着いてきた。
「わっ」
顔が甘い温もりに埋もれる。汗ばんだ肌越しに、早鐘のような鼓動が伝わってきた。
抱き締められたまま、フィオナは苦笑した。
「びっくりした」
「ふふ、何に?」
「どっちも」
シアラは小さく忍び笑いを零した。吐息が耳元にかかり、こそばゆい。
「夢は大きく、よ。それに、貴女に断るかもしれなかったもの」
「一度、レゴールには行ってみたかったんだ。シアラと一緒なら楽しそうだしね。……倍のお給料も魅力だけど」
「そこ以外にも少しは悩みなさいよ」
呆れたように言いながらも、シアラは嬉しそうだった。
フィオナもその背中に腕を回した。軽く背をさすってあげると、締め付けが緩んだ。
窓の外からは変わらず花街の喧騒が届いていた。
客を呼ぶ声。酔っ払いの笑い声。馬車の車輪の音。聞き慣れた故郷の音だ。
最初は嫌だった場所だが、少し寂しい。その感情があったのにも驚く。
けれど、先の楽しみができた。
レゴールは、どんな街なのだろうか。
新しい店は、どんな形になるのか。
新しい暮らしには、どんな出会いが待っているのだろうか。
(会ってみたいなぁ)
ただの偶然かもしれない。でも、その人がどんな人物なのか、興味は尽きなかった。
「何を考えているの?」
「未来のこと」
「あら」
「まあ、悪くなさそうだなって」
そう答えると、シアラは満足そうに微笑んだ。
その笑顔を見ながら、フィオナもまた小さく笑みを浮かべた。
後日。
馴染みの客や街の人たちを集めて盛大に閉店の宴を行った。
それまでの数日、フィオナのもとには馴染みの客や友人たちが次々と顔を見せた。別れを惜しむ言葉を幾度となくかけられ、そのたびに胸が少し痛んだ。こんなにも寂しさを覚えるとは、自分でも意外だった。
二人は皆に見送られながら、レゴール行きの馬車に乗り込んだ。
緩やかに動き出した馬車から街が遠ざかっていく。その景色が見えなくなるまで、フィオナは静かに見つめ続けていた。