2.
レゴールの街は、噂に違わぬ活気を見せていた。
「へえ」
西門の馬車駅で乗合馬車から降り立ったフィオナは、感心したように辺りを見渡した。
噂以上だ。石畳の道は綺麗に整備されており、道の脇では交易品の積み込みや積み下ろしが忙しなく続いていた。人夫たちは威勢よく声を張り上げ、商人たちは帳簿を片手に商談を交わしている。
「ここがレゴール。やっぱり賑やかね」
シアラは目を輝かせた。二人が歩き出すと、すれ違う人々が自然と振り返った。
目深に帽子を被り、荷物を背負う軽鎧姿のフィオナと、旅装でも隠しきれない美貌のシアラ。どこかの令嬢と護衛だろう、と囁く声が聞こえる。
「次の行き先は?」
「まずは互助会かしら。早めに顔を出しておかないと」
ここに来る前、前オーナーから紹介状を貰っていた。
宿場町にもあった、娼婦たちの互助会だ。仕事の紹介から病気の検査と治療、揉め事の相談まで面倒を見てくれる。前オーナーの知人が元締めらしく、まずは挨拶へ向かうことにした。
「この恰好で良いかしら? 臭わない?」
「いつもの花の香りだよ。どのみち泊まる宿屋も聞かないといけないし」
「……そうね。街中に行くのはあっちの馬車かしら?」
馬車を雇い、座席から見える景色を眺める。
街の大通りは更に活気があった。馬車が行き交い、人の流れが途切れない。
弓を持った女性だけのパーティが歩き、雑貨屋には見たことが無い道具が置かれて客が群がっている。
行き交う人が多い分だけゴミも捨てられているが、清掃作業もちゃんとしている。白いメッシュの入った特徴的な髪のギルドマンが、都市清掃をしながら街の人と笑顔で会話しているのが見えた。
「女性のギルドマンも多いわね」
「それだけギルドの仕事が安定してあるんだろうね」
何となくだが、レゴールの街は生活感を強く感じる。人が根を張って暮らしている街、と言うのだろうか。人と物の出入りが多いのは同じだが、次の日には入れ変わる宿場町とはちょっと違う雰囲気がある。
「良い街ね。地に足がついている」
「そうだね」
暫く、二人で街の様子を眺めていた。
「お客さん、着きましたよ」
「ありがとう」
「シアラ、段差があるから気を付けて」
フィオナは先に降りて手を差し出した。シアラが降りてから荷物を降ろす。
色街の入り口には、石造りの建物が建っていた。装飾は看板のみで、椿の花の絵が描かれている。ここがレゴールの娼婦の互助会、カメリアの会だ。
建物の中へ足を踏み入れると、静かで、事務所らしい落ち着いた空気が漂っていた。
机に向き合い、書類仕事をする女性の姿が見える。
紹介状を渡すと、直ぐに奥の部屋へ案内された。
「おーう、アイリーンのとこの子か。そろそろ来ると思っとったよ」
中にいたのは、互助会の会長を務める初老の男性だった。
アイリーンとは前オーナーの名だ。思っていたより親しげな様子に、シアラも目を丸くしている。
「お待たせして申し訳ありません」
「なに、勝手に待っとっただけさ。美人さん二人に会えたしな。さあ、座ってくれ」
ベルが鳴らされ、すぐに茶が運ばれてきた。ハーブティーだ。湯気とともに漂う穏やかな香りが鼻をくすぐり、一口飲むと、馬車旅で強張った身体がほどけていくようだった。
「長旅、ご苦労さん。アイリーンから話は聞いとる。店を一軒持ちたいそうだな」
「はい。そのためにレゴールへ参りました」シアラが姿勢を正す。「勝手が違いますので、まずはご挨拶をと」
「ありがとう、歓迎するよ。今のレゴールは儲かる分、揉め事も多くなった。会員ならこちらも守りやすい」
「では、加入の手続きもお願いします」
「ああ、書類も用意しとる。規約を確認したらサインしてくれ」
会長は引き出しから規約を取り出した。前の街と大差ないが、保証は少し手厚い。
シアラは流麗に、フィオナはできるだけ丁寧に署名した。
「よし。これで今日から会員だ。何かあったら頼ってくれ」会長は満足げに頷いた。
「ありがとうございます」
「では次。本題になる」
会長はそう言うと、二人をじっと見た。二人の表情が、自然と引き締まる。
「アイリーンは元気にしとったか?」
「はい。別れの時も厳しい方でした」
「そうか」会長は苦く笑った。「あいつらしい」
言いながら引き出しを開け、一通の封筒を取り出す。
「これを預かっててな。"レゴールへ来たら渡せ"と言われとった」
「私たちに?」
「開けてみな」
シアラは封筒を受け取り、慎重に封を切った。中から一枚の書類が、するりと滑り落ちる。
「……え?」
拾い上げた書類に目を落とした瞬間、思わず声が漏れた。
フィオナも隣から覗き込み、目を見開く。
「これって……」
「間違いじゃ……」
「間違っとらん。ウチで纏めたからな。二人のものだ」
色街の一角に建つ宿屋の、権利書だった。代理購入者の欄にはアイリーンの名前。
シアラは慌てて封筒の中を探り、もう一枚入っていた手紙を広げた。
見覚えのある達筆な文字が連々と並び、下に宿屋について書かれている。
『――店構えこそ古びてはいるが、造りはしっかりしている。あとは好きにしなさい』
ただ最後の一文だけ、書き殴ったように乱れていた。
『――世話になった。何かあったら、訪ねてきなさい。 アイリーン』
部屋が静まり返った。小さな息遣いと、カップから立ち上る湯気だけが、ゆっくりと揺れている。
シアラは何度も権利書と手紙を見比べていた。手に持つ書類は微かに震え、皺が寄っている。微笑を浮かべていたが、目尻がわずかに潤んでいる。
「ふふ。来る前は『店の名前だけはやる』なんて言われたけど……」
「あの人らしいね」
本当に、不器用な人だ。意地でも口では言わず、素直じゃない。
「その店は、アイリーンからの指定でな」会長が続けた。「小さくてもいいから、建物だけ用意しろと言われてな。だが空き家になって長い。所々痛んでおるから、住めるようになるまで時間がかかるぞ」
「いえ、十分です」シアラは手紙を大切そうに胸へ抱いた。
「私たちには大きな贈り物です」
「そう言ってくれると、あいつに顔向けできるよ」会長は茶を一口すすった。
「昔、アイリーンには世話になってな。手紙で"二人は恩人だ。私に礼をする気があるなら助けてやれ"って来たんだ」
「まあ……」
「さあ、必要な手続きはもう済ませてある。あとは、お前さんら次第だ」
二人は深々と頭を下げ、譲渡書類に署名した。
「これで店は君たちのものだ」
「ありがとうございます」
「礼なら、アイリーンに言ってやりなさい」
「はい。オーナーが悔しがるくらい、立派な店にしてみますよ」
「そうしてやれ。お礼より嬉しがるわ」
会長は愉快そうに笑った。
「さて、書類は終わりだ。問題なければ建物を案内させよう」
「はい、本当にありがとうございました」
「相談事があればいつでも来てくれ」
退出後、二人は受付係に案内されて色街の石畳を歩いていた。
昼のレゴールの色街は大通りのように賑やかだった。
軒先では娼婦たちが談笑し、店先では使用人が箒を片手に掃除をしている。笑い声と共に、風に乗って香の匂いが流れてきた。
それ以上に、男の野太い大声と土っぽい匂いを漂わせた作業員が目についた。
「最近じゃ、連合の踊り子やサングレールの歌い手も増えましたし、各国の大手の商会も続々と店を出しているんですよ」
目線に気付いた受付係が説明してくれた。
「その所為か、昼間は改装工事で賑わってるんです」
「なるほど」
シアラは興味深そうに辺りを見回した。ライバルも多い。また宿場町の昼は静かだったので、こう賑やかなのは新鮮だった。
そう話している間に、目的地に到着した。互助会からすぐ近く、色街のまだ入り口付近にあった。
「こちらです」
通りから狭い路地裏道へ入った先に、ぽっかりと空いた土地に建つ小さな建物があった。
二人も立ち止まる。
正面には色褪せた看板。窓枠の塗装は剥げ、木のフレームを見せる壁はヒビ割れて蔦が這って茂っている。門から見える狭い庭には雑草が生い茂り、入口の扉も陽焼けしていて古さを感じさせた。
「……ここが」シアラが小さく呟く。
「ええ。昔は『待宵亭』という店でした」受付係は懐かしそうに建物を見上げた。
「閉店して十年近くになります。色街の入り口に近いのですが、狭くて立地が分かりづらく、これ以上の拡張ができません。その所為か、使う人がおりませんでしたので」
鍵が差し出される。古びた鉄の鍵は思ったより重かった。
「どうぞ、中へお入りください」
シアラは一度だけフィオナと顔を見合わせ、小さく頷いた。
「開けるわ」
鍵穴へ鍵を差し込むと、鈍い音を立てて扉がゆっくり開いた。
中は薄暗い。踏み入れても軋まず、コツコツと床を蹴る音が響き、長年放置されていた建物とは思えない堅牢さを感じさせた。舞い上がった埃が玄関からの陽射しに照らされ、金色の粒のように輝く。
酒場だったのだろう。長いカウンターと蜘蛛の巣が張った暖炉がそのまま残っている。それ以外は何もない、がらんどうの部屋だった。
「……ここ、本当に潰れた店なの?」
シアラが思わず息を呑む。長いカウンターに近づいて埃を払うと、赤く艶のある一枚板でできていた。
フィオナは壁へ手を添えた。表面の漆喰は黒ずんでひび割れており、触るたびにボロボロと崩れ落ちていく。しかし下の煉瓦に損傷は無く、床板や柱にも腐食が見当たらない。
「これ、バロアの木だね」
「わかるの?」
「色と木目でね。
想像していたより、ずっと広い。物が無いせいかも知れない。近くに二階へ続く階段があり、奥には崩れた竈が並ぶ厨房と食糧庫。厨房の隣には娼館の主人が使っていただろう部屋がある。
階段を昇って二階には客室が並び、大型のベッドを入れても十分な広さがある。娼婦たちが寝泊りしていただろう屋根裏部屋もあった。ただ所々に雨漏りの跡があるため、補修が必要だ。
「立派な店だね」
「ええ」
シアラはゆっくりと店内を見渡した。
今は埃だらけで古びている。けれど、不思議と荒れ果てた印象はなかった。
「ここを、私たちの店にしましょう」
「そうだね。まずは、どこから手をつけるか考えないと」
フィオナは店の奥まで視線を巡らせ、厨房らしき場所や棚の並びを確かめる。
「掃除さえすれば直ぐにお店として使えそう」
「何日かかるかしら」
「頑張れば五日?」
「……十日は見るべきじゃない?」
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
その笑い声が、静まり返っていた店の中へ初めて響いた。