4.
「初日の立ち会いは終わったけど、あなたはどうする? これから互助会に行くけれど」
「どうしよっか」
フィオナは悩んだ。シアラには互助会から娼婦たちに礼儀作法を教えてほしいという依頼があったが、フィオナはフリーなのだ。ギルドマンとして仕事するには、ちょっと遅い時間帯だ。
「そうだ、ちょっと料理したいかなぁ。ボア肉を狩ってくる約束もあるけど、職人さんたちに食べさせて感想が聞きたい。この街の人の口に合うか確かめたいんだ」
「良いわね。私も久しぶりに貴女の料理を恋しくなっていたの」
「まだ数日しか経ってないよ」フィオナは苦笑した。「うん。それなら市場も見てくるよ。あと、広間に野外調理場があるらしいからそこを借りて昼食を作ろうかな」
「楽しみね」
「できたものは互助会に持っていくから、待っててね」
シアラを互助会まで送り、フィオナは宿屋へ戻った。そこで手籠と調理道具の入ったザックとを背負い、帽子を目深に被り直して市場へ向かった。
市場は朝から活気に満ちていた。
多くの露店が立ち並び、威勢の良い客寄せの声が響く。布を振って客を呼ぶ者、まだ血の滴る肉を切り分けながら声を張り上げる者、焼きたてのパンの香り。調味料の入った陶器瓶がカチャカチャと鳴り、ハーブや香辛料を量り売りする露店から刺激的な香りが流れてくる。
「へぇ……」
エルミートの宿場町では見かけない品ばかりだ。干した海藻や色鮮やかな香辛料、見慣れない豆や乾燥果実。思わず足を止めたくなる。
「開店したら、こういうのも使ってみたいな」
胸を躍らせながら、今日必要な材料を探し始めた。
「肉と粉物は、と……」
フィオナは辺りを見渡した。あった。肉を吊るしている店へ近づく。
「これ、なんの肉ですか?」
「これはムーンカーフの――」
店主はフィオナの帽子から零れた白髪を見るなり、眉をひそめた。
「……白髪か。悪いが帰ってくれ」
「そう……」
怒鳴られないだけマシか、と内心ため息をつきながら帽子を被り直し、近くの店へ向かった。
「いらっしゃい。何を探してる?」
「あ、ボア肉ありますか?」
「あるとも。昨日狩ったばかりの新鮮で脂が乗ったのがな」
「じゃあ、これだけ」
「あいよ!」
籠一つ分に切り分けた肉を買い、次の店へ。
広い街だからか、嫌う者もいれば、商売と割り切る者もいる。
だからこそフィオナは、この街なら店を開けるかもしれないと思えた。
どうにか必要な食材は一通り揃った。両手いっぱいに食材を抱え、教えられた炊事場へ向かう。
市場の喧騒が少しずつ遠ざかり、代わりに薪の匂いと鉄鍋を打つ音が聞こえてきた。
この先に屋外炊事場がある。等間隔に並んだ竈に、共用の水場。旅人や屋台商人たちが思い思いに鍋を火へ掛けていた。湯気の立つスープの匂いや、串肉の脂が爆ぜる良い音がある。
空いている竈を探して歩いていると。
「……ん?」
ガンガンガンと鉄鍋に向かって棒を突き入れている男がおり、周りの二人が慌てている姿が見える。
ギルドマンだろうか。中肉中背の男で、前髪だけ白いメッシュが入った髪をしている。ポケットの多いジャケットに、腰には使う人が滅多にいないバスタードソードと軽装すぎる恰好。両隣には青髪の小柄な少女と、薄紅色の髪をショートポニーにした活発そうな女性、―――?
(まあ、気にはなるけど)
変な三人組だと思いつつ、料理、料理、とフィオナは口ずさみ、荷物から調理道具を取り出して着火器で火を熾し、薪を入れて火力を強める。
「さーてと」
職人は昼休みも短い。片手で食べられて、腹持ちが良く、冷めても味が落ちにくい料理がいい。
まずは、下ごしらえ。
市場で買った酢漬けの野菜をみじん切りにして水気を切る。玉ねぎなどの香味野菜も同様に切る。
ついでボア肉の塊を切り分け、角切りにしていく。半分は串に刺し、残りを包丁で細かく叩いてミンチにしていく。食感が残るよう粗目が良い。
熱した鍋に獣脂を溶かし、ひき肉を香味野菜とスパイスを加えて一緒に炒める。しっかり火が入ったところで醤油を一回し入れ、竈から下ろして冷ます。具はこれで完成。
次に鉄板を置いて熱し、トウモロコシ粉と小麦粉を合わせて溶いた生地を薄く焼き、トルティーヤを作っていく。焼けたらひき肉と刻み酢漬け野菜の具を乗せて、削ったチーズをかけて丸める。
ブリトーの完成だ。
「うん、悪くない」
味見してみると、トマトが無いので物足りなさはあるが、食べ応えはあり、肉の旨味とチーズのコク、野菜の塩気と酸味があってパンチがある。
トルティーヤをどんどん焼いていき、具を詰めて籠に入れていく。
生地が残り少なくなってくると、ふと濃厚な磯の匂いがした。見渡すと、先ほどのギルドマンらしき竈から漂っている。
椀を片手にスープを食べているようだ。
それが妙に気になったフィオナは帽子を外し、できあがったブリトーを三つほど皿に盛り、近づいた。
「……ん、なんか用っスか?」青髪の少女が言った。
「ああ、ごめんなさい。良い匂いがしてね。そのスープ、少し分けてくれませんか?」
「あー、俺は構わないが……」
「私もいいよー」
「先輩が良いならいいっス」
「そっか。じゃあ一杯な」
「ありがとう。良かったらこれ、どうぞ食べてみてください」
「お、すまねぇな。ありがたく頂くわ」
ブリトーと交換で、椀にスープを貰った。少し黄色く、濃厚な香りを放つ澄まし汁と、砕いた豆腐のようにふわふわとした灰色の塊。
「へぇ、かにこ汁?」
「……知ってるのか?」
「うん」
フィオナは椀に口を付けて、一口。
「ああ、本当にかにこ汁だ。懐かしいなぁ」
塩味だけだが、必要な処理もしてあってえぐみが無く、カニ味噌も溶かしてあって濃厚な蟹の旨味が詰まったスープだ。前の世では旅行先で食べただけだが、懐かしい味だ。
ただ、少しだけ不満があった。
「塩だけでも十分だけど、醤油をほんの少し垂らしたら蟹の甘みがもっと立つかな」
「……先輩が作った料理にケチつけるんスか?」
「ああ、ごめん。そういう訳じゃ」
失言した。慌てて顔を上げると、じっ、と真顔の男の目がこちらを見つめていた。
「……醤油?」絞り出すような声で男は言った。
「あ、うん。醤油。えーと、ちょっと待ってね……」
居づらくなったフィオナはいったん戻り、荷物から陶器製の小瓶を取り出した。
「これ。代用品だけどね。味は良いよ」
「……味見して良いか?」
「どうぞ?」
蓋を開け、その香りで表情が変わった。恐る恐る手の甲に醤油を垂らし、一舐めする。
香りこそあの麹香が無いが、ほんのりと甘い香りに味は強い塩気と酸味があり、魚醤のような生臭さは全くなく、醤油らしいコクがある。
男は静かに台に小瓶を置き、凄まじい速さでフィオナの肩を両手でがっしりと掴んだ。
「え、ちょ、先輩ッ!?」
「売ってくれ! 言い値で買う!!」
「そりゃ、構わないけど。『きみ、日本人?』」
必死な形相の男に日本語で小さく尋ねると、一瞬、無表情になった。しかしすぐに小難しい表情に変わった。
「……なんだ、ニホンって。俺知らない」
「え、醤油いらないの? 今からタレ味の豚串も焼くけどいらない?」
「はい私がそうです」
――いたわ、転生者。
* * *
一通り自己紹介を済ませると、フィオナは串焼きの準備を始めた。
「へえ、エルミート男爵領から来たんスか」
「うん、所属していた店が閉店しちゃってね。同僚に誘われてレゴールに来たんだ」
「え、このブリトー?っスか。めちゃ美味いのにお店閉めちゃったんスか」
「ピリッと辛くて、酸味もあっていいね」
「結構食べ応えがあるな」
「オーナーが引退したがってたからねぇ」
フィオナは串に刺した肉を竈で焼きつつ、質問に答える。
「こっちでもお店をやることになったけど、いま改装工事をやっててね。これは職人さんたちに振舞う昼食」
「そんなこともするんスか?」
「まあ宣伝だよ。食べて美味かったと思ってくれればお客さんとして来てくれるからね」
肉串につけるタレを作る。醤油、蜂蜜、エールをチャカチャカと雑に混ぜて、焼けた肉に浸してもう一度焼く。
余分なタレと脂が垂れ、パチパチと焦がしながら煙を上げる。甘く香ばしい醤油の匂いが辺りへ広がり、近くで料理していた者たちまで思わず顔を向ける。
「お、おおッ……」
「おー、良い匂いっスね」
「うわー、おいしそー……」
「ほい、特製ボア串、できあがり」
軽く焦げ目がついた肉串を渡すと、三人とも勢いよくかぶりついた。
「おお? 甘くてしょっぱくて、美味いっス」
「濃いめでおいしー」
「タレだ……、タレの味がするぅ……。美味ぇよ……」
二人が反応する横で、モングレルが泣きながら肉串を食べていた。
「えっ、ちょ、先輩、大丈夫ッスか? めちゃ泣いてるっス?!」
「え、だ、大丈夫?!」
「すまねぇ、この味が懐かしくて……」
気持ちはわかるだけに、フィオナは軽く流した。自分も、この醤油が完成した時は泣いて喜んだからだ。
フィオナは手際よく焼きあがった端から箱に詰めていくと、青髪の少女――ライナと名乗った――がおずおずと声を上げた。
「えと、すみません、お金払うんで。この肉串をちょっと分けてくれないっスか? 皆にも食べてもらいたいっス」
「あ、私も欲しいけどいいですか?」
「ああ、いいよ。いっぱい作ったしね。ブリトーも持っていきなさい」
「わ、ありがとー」
「あざっす!」
フィオナは試作品だから、と100ジェニーだけ受け取り、深皿に料理を乗せた。
「モングレルさんには醤油も入れておくよ」
「ありがてぇ、ありがてぇ……」
約束通り小瓶を渡すと、泣きながら両手を合わせて拝まれた。
「先輩……、なんでそんなに泣いてるんですか……」
「久々に食えたら美味くてなぁ……」
「いや、まあ確かに美味いっスけど」
「でも本当に美味しいよねー。お店ができたら通っちゃいそう」
フィオナは三人の言葉に嬉しそうにしつつ、少し困ったような表情を浮かべた。
「んー、来てくれるのは嬉しいけど、二人にはお勧めしづらいかなぁ」
「え、どうしてっスか?」
堪え切れず、フィオナは苦笑いを浮かべた。
二人はまだ首を捻っているが、モングレルは何となく気付いたようだ。
「いやー、お店って娼館でね。私は料理長で娼婦なんだ」
「……ええー!!」