5.
朝、宿屋にて。
フィオナが宿に頼んだお湯を持って部屋に戻ると、シアラはまだ毛布に包まって気持ちよさげに寝ていた。
「シアラ、朝だよ起きて」
「んー……、もう少し寝かせてぇ……」
眠いのか、甘えるような声を出して背中を向ける。
「ダメ。今日は互助会に行く日でしょ」
「あー、うぅ……」
思い出したのか、シアラはゆっくりと身体を起こした。何も着ていない。着せたはずの寝間着がベッドからパサリと落ちた。
半眼となったフィオナを気にしたそぶりも無く、形の良い胸を揺らし、寝癖で跳ねた濡羽色の髪を振りながら口元に手を当てて欠伸をする。
「……おはよう」
「はい、おはよう。寝間着は?」
「……んー、寝れないから脱いだ」
「ホントにもう。風邪ひいちゃうわよ……」フィオナはため息をついた。
「お湯を貰って来たから顔を洗って。下着と服はここに置いておくから」
「ありがとー……」
ふわぁ、とまだ眠そうに欠伸をしながらシアラはベッドから降りて顔を洗う。冷えた朝の空気に温かい湯気が立ち昇る。少しずつ意識がはっきりしてきたのか、湯で顔を洗ううちに目が開いてきた。
「目は覚めた?」
「半分くらいねぇ」
そう言いながらも、シアラは手際よく濡羽色の髪を梳かし、身体を拭いて出された服を着て身支度を整えていく。長年の習慣か、一度動き始めるといつもの姿に変わる。
「じゃあ朝ご飯にしよっか。今日は良いベーコンが入ったんだって」
「あら、それは楽しみ」
食べ物の話になると元気になるのは相変わらずだ。その姿にフィオナは小さく笑い、二人は一階の食堂へ下りた。
今日の朝食は塩味のオートミールのポリッジに厚焼きベーコン。飲み物はハーブ水。
これらを楽しく食べた後、二人は部屋に戻って準備をしていた。
ドレスに着替え、化粧を済ませたシアラが尋ねた。
「フィオナは今日はどうするの?」
「ギルドに行ってくるよ。狩りに誘われてね」
「あら、先日言っていたギルドマン?」
「うん。バロアの森を案内してくれるって」
シアラは今日も互助会へ。一方のフィオナは、ギルドマンとして働く日だった。
職人たちにもブリトーや肉串の評判は良く、フィオナも張り切って料理を作り続けていたが、そろそろ活動して貢献度を稼ぐ必要があった。でないと、面倒で退屈な強制任務に参加しなければならない。
昨日、偶々モングレルと再会し、狩猟とバロアの森の中を案内もしてくれるとのことになった。フィオナにとっては願ってもない機会だった。
「さーて……」
装備を着たフィオナは最後のチェックを始めた。
まずは武器。警杖、山刀、ヨシ。
次に防具。帽子、ケープ、
ツールベルト。投げナイフ、ポーション、水筒、ヨシ。
あとは背嚢。ロープ、革紐、杭、布、非常食、……各種調味料、ヨシ。
……量が多い調味料の確認に手間取ったが、これで全部整った。
「フィオナ、気を付けてね」
「うん、夕方までには帰ってくるよ。シアラも頑張ってね」
「ええ、いってらっしゃい」
シアラを互助会まで送ると、フィオナは帽子を被り直し、ギルドへ歩き出した。
* * *
「お、来たか」
ギルドに入ると、既に以前と変わらぬ姿でモングレルが待っていた。
「おはようございます。お待たせして申し訳ない」
「気にすんな。今来たところだ」モングレルが言った。「きっちり着込んできたな」
モングレルが見た感じ、フィオナの防具は革を主体に金属で補強されている。十分に使い込まれており、見た目だけならシルバーランクでもおかしくない風格があった。
「どの仕事も身体が資本ですので、怪我をしないようにしています」フィオナは居住まいを正して言った。
「バロアの森は初めてですので、ご迷惑をお掛けすると思いますが、今日一日、よろしくお願いします」
「硬いな、まあ今日はよろしく」
「よろしくお願いします」
互いに頭を下げ、二人はそのまま街門へ向かった。
「おーす」
「おーう、モングレルか。今日は見ない顔もいるな。新人か?」
「おはようございます」
フィオナは帽子を取り、一礼する。門番は少し驚いたような表情を浮かべた。
「彼女はフィオナだ。先日レゴールに移籍してきたばかりで、今回はバロアの森の案内だな」
「アイアン3のフィオナと申します。よろしくお願いします」
「おお、丁寧にありがとよ。モングレルが付いているなら大丈夫だと思うが、その髪は目立つ。森の中で絡まれるかもしれんから気を付けろよ」
「はい、ありがとうございます」
再び一礼し、門番と別れる。それから馬車に乗り、バロアの森まで向かう。
バロアの森の入り口まではそれほどかからない。作業小屋もあり、土が踏み固められた広場もある。
近くでは伐採作業が行われているのか、ギルドマンが哨戒する中で木を切る独特の伐採音や枝を打つ音に紛れて人の声が聞こえ、とにかく人が多い。
「そういや今日は伐採任務もあったな」
「んー、流石に賑やかですね。できれば森の中も案内してくれればと思いましたが」フィオナはぐるりと辺りを見渡した。「無理そうですね。ちょっと危ない」
チャージディアは好戦的で、伐採音を嫌う。環境が変わる中で森の中を、土地勘の無い人間が歩き回るのは拙い。
「チャージディアがやってくるのを待ち構えるか。それで良いか?」
「はい。それでお願いします」
「もう行けるか?」
「あ、少々お待ちを」
フィオナは腰の山刀を抜くと、柄から警杖の先に差し込んでボルトで繋ぎ合わせ、革紐を巻いていく。
「薙刀。あー、確かグレイブだっけか?」
「ええ。少し短めですけど」
柄に山刀を取り付けると、木漏れ日で刃先が鈍く光った。槍ほど長くはないが、剣より間合いを取れる。森の中でも枝に引っ掛かりにくく、取り回しも悪くない。
「こっちではあまり見ないな、そういや」
「元は山岳地帯の猟具だそうです。普段は山刀として、柄に棒を差し込めば槍としても使えるように改良されたようです」
「へぇ」
「剣を買えなかったので、前の持ち主から譲ってもらったんですよ」
言いながら革紐を最後まで巻き締めた。
「よし。準備完了です」
グレイブを肩に担ぐ姿を見て、モングレルは口元を緩めた。
「それじゃ、森へ入るか」
「はい」
道は踏み固められ、木漏れ日と鳥の声が響いている。のどかな風景が広がっていた。
「かなり歩きやすいですね」
「まあな。ここらでもゴブリンは出るし、今日ならチャージディアも出てきておかしくないからな。気を付けてくれ」
モングレルは慣れた足取りで森を進んでいく。危険地帯とは思えないほど気楽な様子だが、その歩みに迷いがない。
一方のフィオナは周囲を見回しながら後に続く。握るグレイブに自然と力が入った。
「……っと」
ある程度進んだところで、フィオナは止まった。しゃがみこんで足元を確認する。
「ここに足跡がありますね」
「え、マジ?」
「マジっす。チャージディアかな。まだ新しいと思います」
フィオナは立ち上がり、辺りを見渡した。動いている様子は無く、気配を感じない。
「近くにいるなら、木を叩いたら来ませんかね?」
「そうだな、まあやってみるか」モングレルが剣でバシバシと木の幹を叩いた。「おーら、早く来ないとゴルフ場にしちまうぞー」
「ゴルフってこの世界にあるんですか?」
「さあ、知らね」
暫く待ち。
移動しようとしたとき、奥の茂みが音を立てて揺れ動き、一体の魔物が現れた。
「来たな」
「来ましたね」
「キュゥ」
現れたのはチャージディアだ。
「じゃあやるか。ほら、かかってこーい」
モングレルが再びバンバンバン、と木の幹を叩いて挑発する。
茂みから飛び出したチャージディアは耳を立てると、一瞬こちらを見据え、一直線に突進してきた。
「キュゥ!」
モングレルに駆け出したディアが頭を下げ、鋭利な角を向けた瞬間。
「オラァ、パリィ!」
「キュワ!?」
「からの、クリティカルだ!」
モングレルは力づくで角を剣で横殴りし、態勢を強引に崩す。頭を揺さぶられふらつくディアの横へ回り、一撃。首を半ばまで断たれたチャージディアは血をまき散らし、そのまま横倒しになった。
「ええ……? チャージディアの突進を力で潰しますか」
「まあ、慣れだな慣れ」
直後、茂みの奥で枝を踏み折る音が響き、再び草木が大きく揺れる。二頭目のチャージディアだ。
「お、もう一頭か」
「折角なんで、私がやります」
「ほーん、大丈夫か?」
「はい。周りの警戒をお願いします」
言うや、フィオナはグレイブの切っ先を下に構えた。
静かに息を吸って、吐く。呼吸と同時に魔力を全身に回し、二頭目のチャージディアに向けて突進した。
向かってくるのを確認したチャージディアはその場で頭を下げ、後脚で前に跳ねて角で突き込んだ。
「フッ!」
「キュァ!?」
寸前で角を避け、斜め前に踏み込んだフィオナが穂先を跳ね上げるように薙ぎ、喉元を深く裂いた。
チャージディアは短い悲鳴を上げ、血を噴き出しながらフィオナが避けた場所を駆け抜けて徐々に遅くなり、最後は振り返ろうとして足から崩れ落ちた。
「巧いな」
「慣れですかねぇ。前の店でも偶に肉を狩ってたので」
互いに軽く笑い合う。そのまま倒れたチャージディアを確認する。
「二頭ともまだ若い個体ですね」
「だな。剣を怖がらなかった」
「二頭も狩れたのは良いことですが。これ、どうやって運びましょうか」
チャージディアの体重は成体で100㎏を超える。一頭だけならフィオナも運べるが、流石に二頭は辛い。
「二頭とも俺が運ぶか。警戒は頼むわ」
「え、大丈夫ですか?」
「いけるいける」
モングレルは手頃な木を切って枝を払い、天秤棒を作った。そのまま後ろ足をロープで括った鹿を両端に乗せる。
「よっ、こいせっ!」
「わーお」
モングレルは軽々と持ち上げた。
フィオナも娼館やギルドで色々な人を見てきたが、ここまでの身体強化を見るのは自分以外で初めてだった。
「いや、絶対ブロンズのレベルじゃないでしょ。金メダル獲れますよ」
「上がると面倒なんだよ。そんじゃ、こっちに川がある。そこで水に漬けて冷やすか」
案内された先にあったのは、ギルドマンからは“砂取り川”と呼ばれ場所で、川は浅く、周りは砂利で作業しやすくなっている。
モングレルは担いでいた棒を降ろし、二頭の鹿を川の中に沈めた。
「冷えるまで少し時間があるが、どうする?」
「このまま内臓の処理をしますので、モングレルさんは休んでいてください」
フィオナは背嚢から解体包丁を取り出すと、慣れた手つきでチャージディアへ刃を入れ、気道と肛門を革紐で縛った。
モングレルは「助かる」と短く言って荷物を降ろし、近くの石へ腰掛ける。
川のせせらぎだけが、しばらく二人の間を流れた。
「……折角ですし、お話でもしませんか?」
「おん? いいぞ」
腹膜を裂き、内臓を傷付けないよう慎重に取り出していく。
「ケイオス卿って、ご存じですか?」
「――まあ、人並みには」
「そうですか。私はケイオス卿を転生者だと考えてまして。一度会いたかったんですよ」
モングレルは苦笑した。
「転生者ねぇ」
「違うと思います?」
「いや。便利な道具を作る奴はいるからな。まあ、考えることはある」
フィオナは少し笑った。内臓は特に異常は無く、どれも食用可能だった。
「やっぱりそう思います?」
「思うだけだ。証拠はないな」
「んー、リバーシのような例もありますからねぇ」
少し沈黙が流れる。ただ、リバーシの話をしたときに少し顔を顰めていたのが気になった。
その理由も気になったが、それ以上詮索するつもりはない。今は別に確かめたいことがあった。
「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ? 俺はケイオス卿じゃねぇけど聞いてやるよ」
フィオナは深呼吸して、それからモングレルに顔を向けて口を開いた。
「前の世界って、本当にありましたよね?」
モングレルは思わず片眉を上げた。
「随分な質問だな」
「私、もう前の記憶はかなり薄れちゃっているんですよ。姿も性別も変わり、今ある記憶が私なのか、俺なのか、誰に教わったか分からないときがあるんです」
「………」
「だから時々怖くなります。日本とは都合のいい夢であって、本当は最初から存在しなかった記憶なんじゃないかって」
モングレルは返事をしなかった。
腰のバスタードソードの柄へ手を添え、指で柄革を何度かなぞった。
「……あったと思うぞ」小さく息を吐いて、モングレルは言った。
「俺も細かいことは忘れた。でも、日本で生きていたことだけは覚えている。急な雨でずぶ濡れになったとか、サウナみてぇなクッソ暑い中を歩くだけで死にそうだったこととか。そういうどうでもいい記憶だけ妙に残ってる」
視線を上げ、フィオナを見やった。
「これが夢だったなら、俺も同じ夢見てることになるな。だからまあ、あったんじゃないか?」
「……そうですか」
小腸を洗っていた手を止めて、フィオナは小さく息を吐いた。こわばっていた肩からも力が抜けた。
「良かった」フィオナは静かに微笑んだ。
「ありがとうございます。本当に、それだけ聞ければ十分です」
(……良い笑顔なんだけどなぁ。手に包丁と臓物ぶら下げてなきゃ)
モングレルは内心ごちた。
それから二人は協力してチャージディアを吊るして解体をしつつ、前の世界の他愛ない思い出を語り合った。食べ物のこと、乗り物のこと、今では名前も思い出せなくなった街並みのこと。断片的な記憶を繋ぎ合わせるような会話だった。
ただ、結局一番盛り上がったのはエロ話だった。そのまま今世の話と変わった。
「風呂目的だったんだけどな。“金杯の蜂蜜酒”ってところに行ったんだよ」
「……ああ、レゴールの高級娼館ですね。確かソープみたいな店だとか」
「そうそう。金も高かったし、相手も顔は良かったしで一発抜いて気持ちよくなろうかなーと思ったんだけどよ。脇や下のわしゃわしゃと生えた毛を見て萎えてな……」
「あー、そもそも剃刀が高いですからね、この世界。手入れするにも質が悪い物が多くて、肌も弱いところですから当たり負けしやすいと聞きますね」
「やっぱそうなのか。だから風呂で洗ってもらって、そのまま寝ちまったんだよな」
「随分と高いお風呂ですねぇ」
フィオナはふと何かを思いつくと、にやりと品のない笑みを浮かべた。
「ちなみに私はツルツルですよ。いかがです?」
「聞いてねぇよ」
「娼婦ですし、今の話の流れなら言うでしょう?」
「そうかもしれねぇけど!」
二人は笑いながら残りの作業を進めた。程なくして解体も終わる。
「そういえばこれ。分配、どうしましょうか?」
「俺は
内臓を入れた袋や天秤棒の準備をしながらモングレルが言った。
「え、肉は?」
「鹿肉は飽きたからいらね」
「ええ……」
ジビエに飽きた、という言葉に思わず苦笑した。言われてみれば焼くか煮るかして、塩とハーブ、柑橘で味付けするだけの料理では辛いものがあるか。これだけ腕も良ければ何頭でも狩れるだろうし。
「まあ、要らないというならいいですが」
「あ、毛皮は一枚くれ。ラグマットが欲しいんだ」
「わかりました。では、毛皮はそれぞれ分ける。二頭の角と、一頭と半分の肉は売却してモングレルさんに。残りの肉と内臓は私が貰っても?」
「俺は一頭分で良いぞ。貰い過ぎだ」
「……案内料とかも含んでいるのですが」
「じゃあ、今日の晩飯でも作ってくれ。久々にレバニラ炒めとか食いたい」
「はあ、わかりました。ではそのように」
「頼んだわ」
二人は手早く肉を部位ごとに切り分け、即席の天秤棒に吊るしていく。食べない部位だけを森へ返し、血の付いた手や刃物を沢の水で洗い流した。
帰り道は時間が無いからと身体強化して森を駆け抜けた。途中でゴブリンを見掛けたが、そのまま蹴り飛ばして広場に帰還。ちょうど空いていた馬車へ飛び乗り、そのままレゴールへ戻った。
レゴールへ戻る頃には、陽も西へ傾き始めていた。
東門の解体所で討伐証明の尻尾と売却する部位を引き渡し、ギルドで依頼の報告。報酬を受け取った。
その後、フィオナは約束どおりモングレルについていき“スコルの宿"へ向かった。
宿の女将と交渉して厨房を借りると、チャージディアの足一本を礼代わりに渡した。女将は目を丸くして喜び、快く厨房を貸してくれた。
フィオナは竈を確かめ、モングレルにレバニラ炒め、タン塩、ハツの竜田揚げを振る舞った。
「うめぇ。やっぱレバニラ最強だわ。タンも揚げ物もうんまい」
「それは何よりです」
モングレルはエールを飲み干し、料理もあっという間に平らげた。その表情は満足げであった。
(……本当に食べ物で釣れる人だなぁ)
フィオナは苦笑しつつモングレルに別れを告げ、軽い足取りで帰りを待つシアラの下へ向かった。
帰ったら、シアラと今日の話をしよう。
狩りのこと。料理のこと。そして、懐かしい故郷の話ができたこと。
今日は良い日だったんだ、と。