守原英康は異端である。
彼の傍にいるのは老いた
上屋敷から離れた場所に小さな屋敷――と言っても、世間からすれば十分に立派で大きい――を建て、そこに自身より遥かに若い妻と息子、僅かな侍従だけが住んでいた。
何故かと言えば、彼は周りから恐れられていたからだ。
まずは見た目。凶相の男である。まるで悪鬼だ、と呼ばれるほどだった。
騎兵将校として身体は鍛えられているのだが眼光鋭く、眉間には鏨で刻み込んだかのような皺が歳を重ねる毎に増えている。常に何かを睨みつけているようで、口数が少なく、滅多なことで表情を動かすこともない事から気の弱いものなら怯えてしまう雰囲気があった。
そして、有能過ぎた。
英康は生まれてすぐに歩こうと動き出し、言葉を理解していた。
少年期には多くの知識を吸収しようと様々な教師に師事し、特に語学には特別な才能を有していたようで母国語である<皇国>だけでなく、この<
青年期にはちょっとした発明品で特許を取っては売り、その金で守原の旧式艦と潰れかけの回船問屋を買い取り、商売を始めた。丁度、<皇国>が再統一された時期でもあり、時流に乗れたのだろう。そこから各地との交易で大きくなり、皇都でも有数の大店へと発展させた。
この頃には当初は天才だ、神童だと褒め称えていた一族も、凶相になっていき、常に何かに駆られるように動き続けている英康の姿に圧され、恐れる様になる。
英康はこれに気付いていたが止まる事無く、陸軍将校として忙しく動き回る傍ら、稼いだ資金で新しい商会を設立し、斬新な発想で次々に新しいものを生み出していった。それは衆民向けの品物が多く、貴族的な思想の強い一族と大多数の将家からの反発も大きかったが英康は実力で黙らせた為、恐れは嫌悪と妬みに変わった。
すると英康を排除しようと考える者が出た。
だが、英康は当主であり兄の長康と非常に仲が良く(これは英康が芸事好きの長康の為にと劇場を建てた事も大きい)、また五将家の駒城と西原とも個人的に仲が良かった。何か事が起きればこの三者が動きかねない。
しかもこの時、東洲で反乱が起きた。反乱は鎮圧したがこの時に掛かった戦費で将家は大きく疲弊し、また天領での自由化政策による発展で将家領は発展が遅れがちになり、財政難に苦しむようになる。将家は対応に追われ、ちょっかいを出している暇が無かった。
守原家はマシな状況だったが、今の贅沢な暮らしを維持する為には、英康から何かにつけて行われる援助が必要不可欠になっており、表向き敵対する者は居なくなった。
壮年期に入ると大富豪で好事家の須ケ原三郎太と共に熱水機関の実用化に関わり、これを兵器開発に応用した。武器商と提携し、今まで蓄えた資産を費やしていく英康に「また始まった」と誰もが呆れ果てたが、その甲斐あり、後に<皇国>軍にも正式採用される事になる兵器群の研究が始まった。
そして今から十年ほど前に長康が病気で倒れると、長男の定康がまだ若かった事から弟の英康が当主になる、という様な機運が一族内で高まっていた。
だが、英康は家を継ぐことに全く興味が無かった。むしろ嫌っていたのだ。
一族を集め、眉間に何時もよりも深い皺を作り、苦虫を噛み潰したような顔で「私はあくまで当主代行である」と宣言するほどだった。当主になれば家に縛られ、今までの様に好き勝手にできなくなるのが嫌だったらしい。そして定康に少しづつ当主の仕事を教えていき、五年後には全ての権限を渡して自分は屋敷を建て、そこに真改と妻と子、僅かな侍従と共に移り住んでしまった。
以来、<皇国>では変人として有名になる。
その後、英康は陸軍大将、そして北領鎮台司令長官となった。五将家の直系であり、有能。また北領には守原は権益を持っていたから当然の事だった。
ただ、本人は物凄く嫌がった。北領に行くなど嫌だ、と喚き叫ぶなど、今まで見た事が無い程の取り乱しっぷりだった。
これには誰もが驚き、療養中だった長康が慌てて説得に向かったのだ。それでも嫌がっていたが、最終的には渋々と同意し、今までの様に出来なくなるので信頼できる番頭達に任せ(将来的には自身の息子に正式に商会を継がせる予定)、自分は北領に着任した。
そこで今まで培った人脈や資金を使い、北領の発展と今後の準備に勤しんでいた。
そして、皇記五六八年一月一四日。
<帝国>軍、北領・奥津湾に襲来。宣戦布告は無かった。
英康は即座に北領鎮台約三万を集め、天狼原野に布陣。
そして、<帝国>軍襲来から二週間後。
東方辺境領姫であり、東方辺境領軍・東方辺境鎮定軍総司令官ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナが率いる<帝国>軍約二万二千が現れた。
皇記五六八年一月二八日 北領 天狼原野 <皇国>軍 野戦陣地
北領鎮台司令部は、野戦陣地を一望できる丘の上に張られた大天幕に設けられていた。その中で、英康は導術士からの定期報告を受けた。
偵察に出した翼竜によれば、現在、<帝国>軍は陣地より北東約二十里の街道上を進軍中。軽装で機動力を好む<帝国>兵の場合、あと二刻ほどで会敵する事になる。
もうすぐ決戦の戦端が開かれる事に司令部参謀たちは緊張のあまり身体を震わせた。不安を覚えた彼らは一斉に司令長官である守原英康を見やった。
何時もの変わらない、まるで悪鬼の様な顔である。傍には老剣牙虎の真改が寝そべっていた。
「ようやく来たか」重苦しい声で英康は呟いた。
「導術兵、各部隊へ通達。『<帝国>軍接近。皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ』以上だ」
何時もと変わらない姿。そして、この言葉に勇気づけられた参謀たちは英康に見事な敬礼をする。英康も返礼し、「暫く外で考え事をする」とだけ伝えると大外套を着用し、真改と共に天幕から外に出た。
肌を鞭打つような寒気が襲い掛かって来て、急速に熱が奪われていく。同時に、憂鬱な気分になった。
(結局、原作通りになるのか……、あー嫌だ、戦争したくねぇ)
心の中で呟く。
主人の苛立ちを察したのか、真改が小さく鳴く。英康は苦笑いすると、大丈夫だ、とその額を揉んでやった。
皇都にいる定康によれば、先だって<帝国>から送られてきた文章には「貴国の商船隊による海洋貿易の不当な独占」と書かれていたそうだ。
馬鹿々々しい、と英康はため息をついた。
そもそも、<皇国>の廻船問屋が世界各地に格安で荷を運び続けたのは<帝国>が経済を活性化させると歓迎した事でもある。
英康自身も、自分の商会や提携先の大店を使って考案した娯楽や化粧品、熱水機関によって大量生産した生糸や鋼材などを<帝国>に売りつけて富を幾らかむしり取っていたが、これは些細な事である。
悪いのは<帝国>の経済が混乱したのは前時代的な社会構造による歪みと正貨流出の対応を間違えた所為であり、それが物価の高騰を招き、経済の混乱を起こしたからなのだ。彼らの頭じゃ経済のけの字も分からないのだから、こんな結果になったんだろう。
「だが、全てはこの日の為にやってきたのだ……」
そう、全てはこの日の為に。
英康は、生まれてから<帝国>軍の襲来から備える為に今まで活動して来た。
この世界を知っていた。そして自分の未来に絶望し、あんな情けない感じで死にたくない、という思いから幼少より活動してきたのだ。朝から夜まで勉強し、そして妙に詳しく頭の中にある知識を元に商会を設立し、現行のものより十年は先をいく高性能な兵器を開発してきた。
死亡フラグ満載の北領には来たくなかったが、代わりに実験部隊である剣虎兵や導術士を多数抱え、多額の金をつぎ込んで軍備を整え、この日に備えていたのだ。
英康は眼下の野戦陣地を見やった。
それは奇妙で広大な陣地だった。北領街道を挟むようにジクザクに掘った壕と土嚢の壁が築かれ、その前面を三重の鉄条網が張り巡らされている。鉄条網は腰までの高さしかないが、必ずどこかでひっかかるように設置されている。
一年以上前より時間をかけて天狼原野に構築された陣地は見た目は貧弱だが、実際には要塞並みの防御力を持っていた。
この<
その為、銃火に晒されながらも素早い伝達を行う為に密集隊形を取るのが常識である。
だが、<皇国>には念話と千里眼を扱える導術兵がいる。彼らがいれば部隊間でのやり取りもでき、千里眼によって弾着観測も可能。つまり、壕に籠ったまま攻撃する事が可能なのだ。
そして、英康は更にこの利点を伸ばすべく新兵器を用意させていた。
北領の全ての兵の装備には最新の旋条銃である、在阪六四式施条銃と新型実包を装備させていた。これは前世において革新的な発明であったミニエー銃とミニエー弾と呼ばれていた。
陣地には最新兵器である
この時点では<帝国>はまだ翼竜部隊を持ってきていないと英康は知っていた為、確実な情報を得る為に翼竜に導術士を乗せて偵察に出し、随時報告させている。これで<帝国>軍の動きや規模まで全て分かっていた。
欲を言えば陣地防衛に絶大な効果を発揮する機関銃も欲しかったのだが、未だ故障や欠陥が多く実用化できていなかった。
また<皇国>軍のあまり士気を上げるためにこの寒気でも暖を取れるようにと商会で販売している携行ストーブや黒茶を配給し、時には酒も振る舞った。
そして更に、英康は「魔王」こと新城直衛を重用していた。
確かに凶相で、出自は東洲の内乱で生まれた孤児。しかも非常に臆病で屈折した性格の持ち主と人に好かれるような人物ではない。
だが原作主人公であり非常に有能なのだ。これを遊ばせる気など英康には無かった。
英康に呼び出された彼は露骨に嫌がっていたが、英康が自身の権限で陸軍少佐へ昇進させ、そして「好きにやってよい」という令状まで渡されて独立大隊を編成することになったのである。
尤も、新城は「好きにやってよい」という言葉通りに自分好みの部隊を編成するために装備は当然ながら全て最新のもので固め、
まあ英康もやれと言ったのが自分なのでその通りにさせ、また「実戦に近い訓練が必要だろう」と尤もらしい理由をつけてこき使い、北領各地に出没する山賊の討伐をさせるなどもした。決して人員の入れ替えや掛かった費用に頭を抱えた所為ではない。
(とんでもなく金は掛かったが、防備は万全。兵器も人も出来る限りのものを揃えた。何より魔王様もいる。これで勝てなかったら大恥だな……)
真改が鳴いた。振り返ってみれば、司令部の面々がやって来た。もうすぐ会敵予測時間だという。
「そうか」
それだけ言うと、英康は従兵長に頼んで熱い黒茶を貰う。香りを楽しみ、身体を内側から温めていると導術士から報告が入った。
<帝国>軍が視認できる位置まで来た。
中々に動きが早い。英康は空になった金茶碗を従兵長に返すと、腰から望遠鏡を取り出す。報告通り、軍勢は視認できる位置にまで<帝国>軍はやって来ていた。
一旦、軍勢は止まったが、暫くして進軍を開始した。
原作と同じく、平射砲を半里まで進めて砲撃し、その後は隊形を変えずに一気に押し潰す気なのだろう。
傍から見れば<皇国>軍はちゃちな穴倉に籠り、杭に鉄線を張っただけの貧弱な守りしかないのだから仕方ないかもしれない。
だが、知らないという事は時として罪となる。
「敵勢を指定砲撃内まで引き込め。二里をきったところで砲撃を開始する」
こちらの砲の大小合わせて百門を超える。そして有効射程が短いものでも二里を超える。鉄の塊である円弾ではなく、玉薬の詰まった榴弾が装填された。
英康は悪鬼の様な笑みを浮かべて呟いた。
「さてはて、砲兵は戦場の神だ。戦いは数だ。弾幕はパワーだ。それを帝国の無頼者たちに教えてやろうじゃないか」
後に天狼会戦と呼ばれる戦いが、ここに火蓋を切って落とされたのである。
2019/10/8 文章の一部修正を行いました。