6.
「うん、グリゼルダは問題ないわね。ヘイゼルはもう少しだけ練習しましょうか」
二人の所作を見届け、シアラは満足そうに頷いた。
互助会の一室。雇った娼婦二人にシアラが礼儀作法を教え、その隣でフィオナが様子を見ていた。
グリゼルダは女性にしては長身で、肩まで切りそろえた灰髪に褐色の肌を持つ。娼婦としての経験も長く、所作はほぼ申し分ない。
一方、ヘイゼルは娼婦になったばかりの新人だ。緩く束ねた茶髪に素朴な顔立ちで、礼や歩き方はまだどこかぎこちない。
最初は求人を見て多くの者が集まった。しかし、礼儀作法や接客の訓練を続けるうちに離れていく者も多かった。ただ金を稼げればいい、という者にはシアラの求める水準は厳しすぎたのだ。
「ヘイゼルさんは料理補助と配膳に固定したら? 二階はまだ早いと思う」
「えっと……、どうしてでしょう?」
おずおずと尋ねるヘイゼルに、フィオナは肩をすくめた。
「いきなり全部は無理だよ。まずは出来ることから」
「……でも、二階の仕事は?」
一瞬だけ空気が変わる。
シアラは少し間を置いてから答えた。
「無理に売る必要はないわ。したいなら、教える側が必要になるわね」
「……教える、ですか?」
ヘイゼルは言葉を選びながら頷く。
「その……、そういう仕事のやり方も、ですか?」
顔を赤くしながら絞り出すように言うと、フィオナは少しだけ目を細めた。
「安い店じゃないからね。肌を重ねるだけで喜ばれる、っていう単純な話じゃないし。行為買いでも一晩買いでも、それなりの技術が無いとお客さんはつかないよ」
「は、はぁ……」
「大事なのは、その時間を相手にどう過ごしてもらうか」
フィオナは当たり前のことを言うように続けた。
「そのうち私かシアラが見せるよ。こういうのは実際に見た方が早いし」
「見せる……?」
「そう。二階にお客様を迎えるところから、お見送りまでね。どんな顔で迎えるか、どう安心してもらうか。そういうのも全部仕事だからね」
ヘイゼルは顔を真っ赤にしながらも、目を逸らさなかった。
「……わかりました」
「そこまでやるのか? あまり聞いたことは無いが」グリゼルダが言った。
「喜ばれる振る舞いには理由があるの。安心していただける表情や受け答えには型があるわ。基本だけ覚えれば、あとは自分らしく応用できるの。私はそれで売れたもの」
シアラが補足を入れると、グリゼルダは少し悩んだ表情を浮かべた。
「……すまない。その、私も見せてもらって良いか? 正直自信がない」
「ええ、もちろん」シアラは手を叩いた。
「さ、もう一度歩き方からやりましょう。基礎ができれば、あとは早いわ」
「はい!」
「終わったらご飯ね」
「はーい!」
開店の日へ向けた準備は、一歩ずつ進んでいた。
* * *
レゴールに来て早ひと月。
ようやく店の改装工事が完了した。
「うーし、これで終わり、っと!」
「お疲れ様です」
テーブルの搬入も終わり、改装工事を取り仕切っていた親方は満足げに大きく息を吐いた。
シアラは静かに店内を見渡した。
磨き上げられたカウンターは、天井の明かりを受けて柔らかな光を返している。真新しい机と椅子が整然と並び、その奥には最新式の竈と広々とした調理台、十分な大きさの食器棚とパンドリーが備えられていた。
奥には小さいながらも風呂場が増設され、二階には接客用の寝室が確保されている。屋根裏部屋も、今日から住めるようになっている。
まだ大型の家具を入れただけで、細かな飾りつけは終わっていない。
それでも、ようやく自分たちの店が形になったのだ。
「こんなに早く完成するとは思いませんでした」
「いやいや、お前さんらが作る飯のおかげだわ。美味いもんだから皆張り切っちまったよ」親方は豪快に笑った。
「今日も途中からいーい匂いがするもんだからよ、早く食いたくてしょうがねぇや」
「ふふ。すぐ用意しますから、もう少しだけお待ちください」
そこへ、ヘイゼルがやって来た。
「シアラさん、お客様がお見えになりました」
「ええ、すぐ案内してあげて」
改装を終えたばかりの食堂には、工事に携わった職人たちや互助会の会長、近所の娼館の人々、そして人足および今回使った肉を提供してくれたギルドマンたちが次々と集まっていた。
「良いかしら?」
シアラが静かに視線を送る。それだけで、真新しい制服に身を包んだフィオナたちは頷き、一斉に配膳を始めた。
ハムやパテ、刻み野菜や果物のジャムを乗せたカナッペ。湯気を立てるオルゾットと雑穀で作った大鍋のパエリア。具沢山のシチュー、サラダ、ハッシュドポテト、パスタ。ブリトー、串焼き、もつ煮込み、ボア肉のハンバーグ、赤ワインソースを添えたロースト、等々。
並べられた料理は、この一か月で何度も改良を重ねてきたものばかりだった。改装に携わった職人たちへ昼食や賄いとして振る舞い、そのたびに味付けや量、食べやすさを見直してきたのである。
今日の席は工事の完成を祝う宴であると同時に、開店前最後の試食会でもあった。
料理が並んだところで、シアラはカウンター脇に立った。
その隣では、フィオナが用意されたエール樽の前に立つ。樽に木製蛇口《ザップフ・ホーン》を当て、木槌を握る。
「それじゃあ、――開栓!」
掛け声とともに、フィオナは勢いよく木槌を振り抜かれた。
小気味よい音と共に蛇口が打ち込まれ、樽から黄金色のエールが流れ出す。出席者たちから大きな歓声と拍手が起きた。
フィオナは慣れた手つきでジョッキへ注ぎ、次々と皆へ配っていった。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございました。皆様のお力添えのおかげさまをもちまして、店の改装工事を無事に終えることができました」
シアラは集まった面々を見渡すと、エールの入ったジョッキを掲げた。
「さて、難しい話は終わり。冷めないうちに頂きましょう。乾杯!」
『かんぱーい!』
それぞれが思い思いの料理に手を伸ばし、舌鼓を打った。
「雑穀なんて家畜の餌だと思ってたが……、こら美味いわ」
「やっぱりブリトーが一番よ。これがいい」
「芋が美味ぇ」
「いや、すげぇな。今までのも美味かったが、こんなに美味いボア肉は初めて食った」
「ふふ、このハンバーグは自信作。私が狩って調理したんだ」
「会長、楽しんでおられますか?」
「ああ、楽しんでいるよ。このエール煮が良いねぇ。酒とよく合う」
「このポリッジ美味しいわね。オルゾットっていうの? 毎日食べたいわ」
「小さいパンに色々乗せてあって、食べるのが楽しいね」
「ヘイゼルちゃん、このモツ煮もう一皿ちょうだーい!」
「はい、少々お待ちを」
「うまいうまい」
「このタレがいいなぁ! エールもう一杯!」
「ほら、遠慮しないで食え食え。エールもシードルも飲み放題だってよ!」
「え、と。僕も食べていいんですか? 依頼で物を運んだだけなんですけど」
「関わった人なら良いって言ってよ。だから腹いっぱい食っとけ!」
「ああ、後でどれが美味かったか言えよ。それで出す料理が決まるからな」
「あいよー! 全部食ってやるからな。任せろグリゼルダ!」
接客する面々は忙しさでバタついていたが、無駄のない所作で店内を行き来していた。
エールのジョッキが何度も打ち鳴らされ、店内には笑い声が絶えなかった。開店前の店とは思えないほど、この店はもう人で満ちていた。
「どれもめちゃ美味いっス!」
「ねー。この間のものも美味しかったけど、今日のは凄いね」
中心から少し離れた席で、同じテーブルに座ったライナとウルリカの二人が匙や手で摘んだりする中。
モングレルはナイフとフォークを使ってチャージディアのモモ肉のローストを食べていた。ジビエらしい赤身肉の旨味と弾力は食べ慣れたものだが、赤黒いソースをつけることでコク深く濃厚で、モングレルにとって懐かしさのある極上の味わいに変化する。
「……美味いな。特にソースが良い」
「以前、鹿肉は食い飽きたとおっしゃってたので、ソースから作ってみました」エールのお代わりを持ってきたフィオナが言った。「まあ、こういう日じゃないと作れませんけどね」
「そうなんスか?」
「ええ、手間がかかりまして。ソースを仕込むだけで一日仕事なんですよ」
(ああ、缶詰とか固形ブイヨンもねーもんな)
と、モングレルは内心で納得した。
石窯で骨やすじ肉をこんがり焼いて香味野菜とスパイスなどと一緒にアクを取りながらじっくり煮る。缶詰ひとつで済む工程が、この世界では一仕事だった。
「ああ、遅くなりましたが。今日は来てくださり、ありがとうございます」フィオナが言った。「場所が場所なので、ちょっと不安だったんですよ」
「気にすんな。タダ飯タダ酒が食えるって聞いたら来るだろ」
「っスっス」
「私もまた食べたかったしねー」
「ふふ、そう言っていただけて安心しました」
フィオナは少し考えてから口を開いた。
「そうですね。色街の入口に近いとはいえ、流石に“アルテミス”のお二人は来づらいでしょう。依頼があればクランハウスまで調理しに行きますよ。そちらの都合と、私の予定が合えばになってしまいますが」
「え、良いんスか?」
「本当に? やったー!」
「俺は?」
「呼べば行きますよ。料理以外でも、ね?」そう言うと、フィオナは娼婦の笑みを浮かべた。
「大変お世話になりましたので、そちらもご指名でしたら、ウンとサービスさせていただきますよ?」
「………」
「わ、凄い悩んでいる顔……」
「モングレル先輩……」
「痛ッ、ライナ、つま先をグリグリと踏むんじゃない」
「フィオナさん」と、グリゼルダがやって来た。追加の料理が欲しいとのことだった。
「申し訳ありませんが、これで失礼いたします」
フィオナが立ち去ると、モングレルは大きく息を吐いた。
「あいつ、引っ掻き回すだけやって、いなくなりやがった……」
「でも、モングレルさんと凄く仲良くなったねー」
「……先輩は、ああいう人が好みなんスか?」
「うん? いや、俺の故郷とあいつの故郷は近くてな。その時の思い出話をしたらえらく懐かれたな」
「故郷の……」
「ご歓談中、失礼します。ギルドマンの皆様。楽しんでおられますか?」
各所に挨拶で回っていたシアラがやって来た。
「本日はお越しいただき、本当にありがとうございます」シアラは深々と頭を下げた。
「今回の料理では食材までご用意いただいて、それにフィオナも皆様にはお世話になったようでして。お礼を申し上げたく参りました」
「いや、こっちこそ美味い飯をご馳走になってるしな」
「っス」
「来た甲斐があったよー」
「そう言っていただけると嬉しいですね」
シアラは穏やかな笑みを浮かべたまま、モングレルへ視線を向けた。ただ、その瞳の奥にだけ僅かに探るような色があった。
「フィオナから故郷のお話を伺いました。あれほど喜んでいたのは初めて見ました」
羨ましい、という言葉を続けて言いそうになり、飲み込んだ。
「雑談しただけだ。そんな大した話じゃねぇよ」
「ふふ、とても晴れやかな顔をしていましたもの。ただ、フィオナは一階で皆様をお迎えいたしますので、二階をご利用の際は私にお申しください」
「え、いや、大丈夫っす……」
「ふふ、そうですか。食事もお酒も十分にありますので、最後まで楽しんでいってください」
一礼し、シアラが静かに去っていく姿を見て、モングレルは再び息を吐いた。
「モングレル先輩なんかやったんスか……?」
「やったっけなぁ……?」
「……シアラさん、笑ってたけど怖かったねー」
何で俺、ラノベの主人公みたいなことになってんだ……?
モングレルはこれ以上考えるのをやめ、酒と料理に意識を向けた。少し冷めてはいたが、それでも十分に美味かった。
* * *
日も暮れ、竣工式の祝いも終わった後。
昼間の喧騒は無くなり、大量の皿もジョッキも片付けられて清掃も綺麗に終わっている。この場にはフィオナたち四人だけが残っていた。
「まずは、一日お疲れ様でした。どうだったかしら?」
シアラが一人ひとりに視線を向ける。
「あれだけみっちりと教えられたからな。練習の方が疲れたぐらいだ」
「……少し疲れました。あと、いきなりお尻を触られて、びっくりしました」
「最初はみんな驚くものよ。慣れれば、自然と上手にあしらえるようになるわ」
「はい」
「でも、最初にしてはよくできていたわ。頑張ったわね」
「ありがとうございます」
微笑むシアラにヘイゼルはほっとしたように笑みを浮かべ、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「フィオナからは何かない?」
「んー、接客は大丈夫そう。料理の方が問題かなぁ」
フィオナは今日の客たちの様子を思い返しながら腕を組む。その仕草で豊かな胸が持ち上がり、ヘイゼルが「……おっきい」と思わず小さく呟いた。
「味は概ね好評。ただ、カトラリーを使う料理は思ったより受けなかったね。逆にオルゾットやパエリア、カナッペは誰からも評判が良かった」
「やっぱり、雑穀料理を看板にした方が良さそうね」
「うん。肉料理は少し絞って、日替わりにした方がいい」
定番メニューはおおよそ見えてきた。だが、それだけでは客は飽きてしまう。シアラもフィオナも、これだけで商売を続けられるとは考えていなかった。
「他の料理は作れそう?」
「材料と値段次第かなぁ。手間のかかる料理は定番にはしにくい」
「じゃあ、なんで今日は出したの?」
「私が食べたかったから」
「……あなたねぇ。そういうところよ」
シアラは呆れたように肩を落とし、それでもどこか楽しそうに笑った。
「ふむ、串焼きはどうする?」グリゼルダが尋ねた。
「それが悩みどころなんだよね」フィオナは頬に指を当てた。「ギルドで聞いたんだけど、レゴールじゃ冬になると狩りがほとんどできなくなるらしい」
「そうなの?」
「ああ、その通りだ」グリゼルダは頷いた。
「狩場であるバロアの森の奥地にはサンライズキマイラがいる。冬になると暖を求めて魔物は全て奥に引っ込むんだ」
「……危険じゃない?」
「サンライズキマイラが森の奥から動くことは無いな。ただ、稀に咆哮を上げて魔物が混乱して暴走する、ということはあったな。ま、冬は森でゴブリンすら見かけなくなるから、猟にならないのは確かだ」
「はい、レゴールでは冬場は基本的に保存食が中心になります。家畜のお肉もちょっと出ますが、とても……」
「……獲れないなら仕方ないわね。でも、肉はどうしようかしら」
しばし四人は黙り込んだ。
冬は新鮮な肉が手に入りづらい。保存肉は塩辛く臭みも強く、そのまま店で出せる代物ではなかった。
「……今から自家製のベーコンやオイル漬けを作って貯められるなら良いんだけど」
「多少ならできるでしょうけど、ここの
「ですよねー」
肉を安く、しかも美味しく出す方法。誰も決め手を思いつけずにいた。
「あ、あの……」ヘイゼルが小さく手を上げた。
「あの、ハンバーグを串焼きにできませんか? 今日、娼館のお姉さま方が食べやすいって喜んでました。これなら塩漬け肉も、美味しく食べられないかと……」
最後は自信なさげだったが、ヘイゼルが言った内容にフィオナは一つの料理が思い浮かんだ。
「……小さく、団子。そうか、つくね。それなら肉を塩抜きして、香草を入れれば匂いもごまける」フィオナは顔を向けた。「ヘイゼルさん、家畜は冬でも屠殺しているんだよね?」
「は、はい。貴族向けに家畜を絞めてお肉を出していると、肉屋の女将さんから」
「できそう?」
シアラの言葉に、フィオナは頷いた。
「うん。貴族向けなら精肉の時に切り落としが出るはず。これを団子にする。あー、軟骨や根菜を入れればかさ増しになって歯ごたえも出るか。スープやパエリアに入れる手もある。良いね。ヘイゼルさん、言ってくれてありがとう」
「い、いえ。お役に立てたなら良かったです」
照れくさそうに頬を染めるヘイゼルを見て、フィオナも穏やかに微笑んだ。
「それなら、冬の料理も何とかなりそうね」
「うん。まずは肉屋に行ってみる。あと加工場も見ておきたいな。モングレルさんが詳しいみたいだし聞いとくよ」
「……そうね、お願いするわ」
「仕入れ先が決まれば、一歩前進だな」
グリゼルダの言葉に、四人の表情からようやく重苦しい空気が消えた。
試食会で見つかった問題点も、こうして一つずつ形になっていく。まだ課題は残っている。それでも、この店なら乗り越えていける。そんな手応えが、四人の胸にはあった。
「あとは、これね」
「うん」
シアラが持ってきたのは、白い布に包まれた長方形の板。
「それは……?」
「店の看板よ」
中身は一枚の古めかしい銅板だ。丁寧に磨かれてはいるものの、浮き彫りの月下美人と文字には長い年月が刻まれていた。
――前のオーナーから引き継いだ、“宵の艶花”の看板だ。
全員で外へ出ると、店先にはまだ何もないブラケットだけが残されていた。
フィオナとシアラは二人で足場に乗り、銅板を持ち上げる。少し重く感じる看板を、ゆっくりと、丁寧に吊り下げた。
夕暮れの名残を受けた銅板が、静かに鈍い光を返した。
「……帰ってきたわね」
シアラが小さく呟く。
「うん」
「明日、開けましょう」
「はい」
三人の返事が重なった。
四人は顔を見合わせ、誰からともなく小さく笑い合った。