楼観剣。
ある妖怪が鍛えたとされる大太刀である。
その事について聞きたいと、人里に住む稗田阿求とかいう少女がやってきた。
何でも、「妖怪についての本」を書くために色々と聞きまわっているらしい。
その中で私の祖父の事や、楼観剣について全くわからないらしく、そして楼観剣がいつ、誰に、どういった経緯で鍛えられることになったかを持ち主である私に聞きたいらしい。
私も詳しく知っている訳でもないので、すごく答えづらい。
ただ、私が幼い頃に一度だけ祖父であり剣の師匠、魂魄妖忌から聞いた話がある。それで良ければ話そうと思う。
◆
私の祖父、魂魄妖忌が楼観剣の刀匠に出会ったのは、京を出て武者修行の旅をしているときだったと言う。
時は承和、平安時代初期の頃である。
当時、魂魄家は京の、<やんごとなき御方>の身辺を警護する武芸者の一族であった。この時の武芸者というのは基本的に、戦による立身出世を願う、腕っぷしが自慢の身分の低い存在である。
魂魄家は半人半霊であるため、特に身分は低かったが、武功を重ねることによって高い地位と<やんごとなき御方>の身辺を警護する名誉を得ることができたという。
京を守る武芸者は祖父のように厳格な人が殆どだったが、自身の名前すら書けず、素行の悪い者も少なからずいたという。
そのために貴族たちからは侮られていたが、妖怪という災害から身を守るために無くてはならない存在だった。
妖忌自身も、武芸者の一員としてその役目を果たしており、何ら疑問を持たずにそのまま一生を過ごすものだと思っていた。が、ある頃から状況は変わってしまった。
陰陽師、そう呼ばれる術者が現れたのだ。
大陸や古来より存在する呪術を寄せ集め、ひとつの術となした陰陽術はまだ新興の呪術であり、それを扱う術師は当初は胡散臭い存在だったが、その利便性をもって受け入れられることとなった。
陰陽師は〝表〟では火を操り、風を起こし天候を操ってみせた。〝式神〟という、低位ならば木の葉や紙に擬似生命を、極めれば大妖怪すら使役する。
陰陽五行を利用した卜占により物事の吉凶を占った。そして、術者というのは今も昔も学者である。
つまり、頭がとても良いのだ。物事を深く考え、貴族たちの相談役にもなった。
また〝裏〟では、政敵に対する呪い、その防衛に借り出されていた。
ある妖怪と戦う際、武芸者は数十人の兵と大量の武具が使い、多数の死者が出てようやく討伐できたが、陰陽師は同等の妖怪を熟練の術者が一人、式を打つことで楽に討伐してみせた。
呪術をもって妖怪から京を守り、高い知識をもって政事の相談もできる陰陽師。
人、妖怪と戦うことしかできず、学は無く野蛮人と貴族から見下されている武芸者。
維持するだけの金がかかり、全てにおいて陰陽師に劣るとされた武芸者たちは貴族から次第に疎まれるようになり、規模を縮小していった。(その後、この武芸者たちが〝武士〟という名になり、新しい時代を作ることになる)。
妖忌が百歳を迎えたぐらいの頃に、長く仕えていた京から離れることとなった。半人半霊はゆっくりと年を取るために見た目はまだ十代前半の、幼さの残る顔立ちだった。
私がまだ小さいころに、
「長い間、やんごとなき御方に仕えていたのにも関わらず、何故お暇を貰ったのですか?」
と聞いたことがあった。
祖父は私の質問に対し、目を瞑り、熟考した後にゆっくりと語り始めた。
「恐れられていた、のだろう」
「恐れられていた、とは?」
「良いか、妖夢。我々、魂魄家は半人半霊という珍しい種族で、妖怪に近い存在だ。歳を取るが、ゆっくりだ。その当時の私は百年経っても子供にしか見えず、だが剣で京では敵う者なしと言われていた。妖怪という天災が猛威を振るったあの時代は、私は畏怖の対象で、いつ、妖怪の本性を出すのか怖かったのだろう」
そう語る祖父の顔は少し悲しげだった。
元々、半人半霊というのは珍しい種族で、生まれてくる者も少ない上に魂魄家は度重なる妖怪の襲撃で一族の数を減らしていた。この時になると、都を守る半人半霊は妖忌ただ一人だけであったため、関わりのある人が極僅かだったことも理由のひとつらしい。
さて、身辺の整理をしているとき、妖忌はこれからどうするかと思い悩んでいた。
今まで京を守る武芸者として生きてきた。だが、それがなくなったら自分から何が残るのか。剣の道とは何か、それが分からなくなってしまった。
そして、はたと気が付く。幼いころから京、その周辺の事しか知らないことに。
すると、自分が今まで狭い中で生きていたことを痛感し、世の中を見て回りたい、という欲求が強くなっていった。
「そうだ、旅をしよう。世の中を見て回れば、剣の道もはっきりとしてくる」
妖忌の気持ちは、ここに固まった。
翌日。
旅支度を整えた妖忌は、腰に家宝である大小二本の剣を佩き、長年住み慣れた家を出た。
そして、変わり映えしない街並みを眺めながらゆっくりと外へとつながる門へ歩く。
門に辿り着くと、一人の男が待っていた。
「お久しぶりです、妖忌殿」
そう言ってきた人物に、妖忌は見覚えがあった。
妖忌のことを怖がらず、良く慕ってくれた貴族の少年だと思い出す。同時に、人の進みは早いとも思った。記憶の中にあった幼い少年は、今では髪に白髪の混じる、老境に差し掛かった男になっていた。
「お主、老けたな」
「ははっ、人間は年取るのが早いですからね。それよりも……」
男は妖忌の旅装姿を見やり、そして苦渋の表情になった。
「申し訳ありません」
そういって、男は頭を下げた。
「何故、頭を下げる?」
「あの御方を始め、少なくない方々が妖忌殿にお暇を与えることに反対を申し上げましたが……」
「陰陽師、なにより貴族の反対が大きかったのだろう」
「……はい」
「それが決定ならば、仕方あるまい」
あっさりと妖忌は言った。武芸者は元々、下に見られ、使い捨てされる。そういう存在だ。
妖忌の一族のように厚遇されたのは望外の事で、今までの待遇が良すぎたのだ。一族が居なくなり、自分一人となった以上はお役目も果たせられない。
ならば仕方ないことなのだと妖忌は思った。
「本当ならば、今までの恩賞として妖忌殿には荘園の一つでも与えるべきですが……」
「いらんよ。それに貰ったところで私のような者に管理できんよ」妖忌は言った。「それに、私はこれから旅をすると決めたんだ。思い返してみて自分がこの周辺か知らないことに驚いたよ。なら、長い人生を旅しながら剣の道を追及して行こうと思う」
妖忌の言葉に、男は何か言いたそうな表情になり、そして何かを吐き出すように長いため息をした。
「本当に。貴方は、そういう人でしたな……」男は言った。「では、これだけでも持って行ってください。当座の足しにしてください」
男が差し出したのは、保存食と塩、銀が入った袋であった。暫くの間、これだけで過ごすには十分な量だ。
「こんなものしか差し出せなくて心苦しいのですが……」
「いや、これは有り難い」
「もっと寄越せと言っても、バチは当たりませんよ?」
「これ以上物を持ったら動きづらい。十分だよ」
そして、男に下男が寄ってきた。どうやらこれで終いらしい。
「時間のようだな」妖忌は言った。「元気でな」
「ええ。妖忌殿もお気をつけて」
「達者でな」
「ええ、さようなら」
そして、振り返らず歩みを進める。
妖忌の旅が始まった。
◆
さて、旅を始めた妖忌だが、最初は苦難の連続であった。
旅慣れしていない身体、京と違う風習と文化、妖怪と間違われて襲われる、阿漕な商人に騙されて路銀を奪われるなど、多くの事が起きた。
だが、それも良い経験として受け止め、少しづつ世の中を知ろうと努力を続けた。
そして、旅を始めて数十年。
ある時、山間の小さな村に辿り着いた妖忌は村全体が重苦しい雰囲気に包まれているのを感じ取った。
近くにいた村民に訪ねると(この時、今までの経験で半霊の部分は隠すようにしていた)、何でも、妖怪が原因のようだ。
昼夜関係なく現れ、襲われた場所には薙ぎ倒された大木に大きな足跡と、爪で引き裂かれたような無残な遺体だけが残っていた。その姿を見たものはおらず、何処にいるかもわからない。村には妖怪専門家はおらず、貧しいため陰陽師は呼ぶことができないそうだ。
昔から近くの山には見るも恐ろしい巨躯の妖怪が棲んでいるという言い伝えがあり、恐らくその妖怪の仕業だろうと村民は言った。
「なら、私が行こう。これでも腕に覚えがある」
それは有り難いですが、と村長は胡乱気な表情で答えた。随分と草臥れた旅装姿とはいえ、見た目は紅顔の少年である。妖忌は二刀を抜き、剣舞を見せて実力を認めさせようとしたのだが、結局、余所者だからどちらでも良かったのだろう。村長はため息交じりに妖怪が居るという山までの道を教えたのだった。
妖忌は幾らか食糧と水を分けて貰うと山に入り、特にあても無く妖怪を探し回った。
そして日が傾き、空が茜色に染まり始めた頃に、それと出会った。
それは露出の多い白い衣服を纏い、小柄ながら長い黒髪に褐色の肌の少女。
見るだけでゾッとするような人外の美しさを持つ、妖怪だった。
「あなたが、この山にすむ妖怪か」と、妖忌は訊ねた。
「いかにも」
そう答える妖怪の声は実に蠱惑的で、慣れていない者ならば陶酔してしまいそうなもの。
成程、外見と声で人を惑わし、そして血と精を奪うのか。村で聞いたとおりに恐ろしい存在であると妖忌は判断した。
「貴様が村を襲い、人を殺しているのはわかっている」
「……おい、ちょいと待て――」
「黙れ! 命乞いなど聞かぬ!」妖忌は二刀を引き抜き、吼えた。
「そして聞け! 我が名は魂魄妖忌、半人半霊の武芸者なり!
貴様のような悪漢は、今日この地で! 我が二刀によって潰えるのだッ!!」
妖忌が一気に間合いを詰める!
「天誅ゥ!」
「人の――」
左半身。妖忌の繰り出した刺突を避け、襟と袖を掴む。
「話を――」
足を蹴り払い、身体を思いっきり引き付けて背負い込む。
「最後まで聞かんかッ、このクソガキャア!!」
柔術・山嵐。
轟音と共に妖忌は頭から地面に突き刺さり、そのまま気絶した。
「ほーん、下の人里で惨殺体が、ねぇ……」
近くの手頃な岩に腰かけた少女はなんともつまらなそうな表情だった。
対する妖忌は顔を土まみれのまま、地べたに正座していた。首が痛むのか、時折しかめっ面して頭や首をさすっていた。
「ふっつーに考えれば、私ではないと分かるはずだが?」
「うぐゥ……」
少女は巨躯どころか小さく、人を引き裂く爪など持っていない。妖怪だから人よりも力はあるが、流石に地面を陥没させるほどの剛力は無かった。
「どうやってそういう事が出来るか、私に教えてほしいんだがなぁ?」
続くネチネチとした言い分を妖忌は黙って聞き続けた。妖怪だから襲われても仕方がないという時代であったから別に聞く必要もないのだが、これは単に自身への不義理を許せなかっただけだ。
少女は妖忌の反応を見てつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「まあいい」少女は言った。「もう日が暮れる。ついてこい」
「は? いや、自分は野宿を……」
「やめておけ。冬が終わったとはいえ、夜の山は寒い。道具はあるのか、無い? 暗闇の中、凍えた身体で件の妖怪と戦えるのか?」
妖怪に正論を言われた妖忌は押し黙った。
「ま、そういう訳だ、ウチに来るといい。直ぐ近くだしな」
「男女は七つを――」
「ガキに興味は無い」
「いや、これでも百さ――」
「ガキだな。あとその三倍の歳を経ってから言え」
「(このババア……)」
「なにかいったか」
「イエ、ナニモ」
「まあいい」
これは少女の口癖らしい。
「ついでだからその背負子も運んでくれ。人をババアなんて思えるのだからもう元気だろう。嫌とは言わせん」
妖忌はただ無言で頷くしかなかった。
◆
この時の出会いは本当に人生の中で最悪だったと妖忌は振り返っている。
さて、この女妖怪。名を小鉄と言い、一本だたらと呼ばれる妖怪であった。一本だたらは鍛冶をする妖怪である。
小鉄はその中でも腕の良い鍛冶師として有名だった。妖忌もその名を知っていたが、まさかここにいるとは思わなかった。
ただ、妖忌からすれば丈の短い、側面を縫っていない貫頭衣の様な服だけを纏い、肌の露出の多い彼女は当時の常識からするととんでもなく非常識に見えたという。
小鉄は山の中腹にある小さなあばら屋に住み、そこで鉄を集め、注文に応じて金物を造っていた。
妖忌はそこへ連れていかれ、一宿だけでなく、焚き火と食事を馳走になった。焼き魚に山菜と茸の鍋物は量も多く、濃い目の味付けが美味かった。
食事後、小鉄は妖忌へ剣を見せて欲しいと頼んだ。ずっと気になっていたらしい。
渋る妖忌を口で丸めこめ(祖父が悪態と共にそう言っていた)、二振りの剣を受け取ると笑顔になったという。
「では拝見させていただく」
拵えは装飾が嫌味にならない程度に抑えられ、質実剛健という印象を受ける。
そして、丁寧な手つきで黒漆の鞘から剣を引き抜いた。
その剣を見た小鉄の口から思わず感嘆の息が零れた。
「なるほど、なるほどなぁ。これは凄い。対妖怪用の剣か」
そりは浅く、直刃、小切っ先で掃き掛け帽子。剣から刀へ変わるころの過度期の剣で、これまた実直な印象を受ける。
「材質は安来の鋼、良質だな。造りは切れ味よりもまず妖怪にぶつけても折れないよう、耐久性を重視。鍛造中に霊力を込めて……、ふむ、更に術で刀身を強化しているな」
この当時は主な購入者が貴族であり、実直な剣より華美な装いの剣が喜ばれる時期だった。過剰なまでに装飾され、刀身もギラギラと光る、見た目は良いが切れ味も耐久性も無い。斬るたびに刃が欠けるはまだ良い方で、中には枝にぶつけただけで折れる刀があったのだ。
が、見た目は良く派手なため、貴族たちの
妖忌の二剣はその真逆だった。頑丈で実直。青楼剣は妖力を刀身に纏わせることが可能で、白楼剣はその補助という役割だ。二振り同時に使って初めてその真価を発揮する。造りも切が感じられ、ここ数十年の間に打たれたことが分かる。
最近では滅多に見られない想いの篭った、それでいて全く新しい名剣だった。
「いや、つい興奮してしまった。ここまで良い刀は久々なのでな」
「己には十分な剣です。これを打ったのは都一とされる鍛冶師がまず折れないように、と打ったものです」
「ほぉ、なるほどねぇ」
これは素晴らしいと小鉄は褒めちぎられ、妖忌も悪い気がしなかった。
途中、妖忌はふと口にした。
「己に、剣を見せていただけないか」
それは純粋な願いだった。高名な鍛冶師だから、さぞ見事な剣があるのだという期待感もあった。
小鉄はその言葉を待ってましたとばかりに、一振りの剣を持ってきた。ここにある中でも一番のものだと言う。飾り気の無い簡素な拵えだったが、断りを入れてから抜いた剣は業物と呼ばれるに相応しい出来だった。軽く振ってみる。やや重たいが、良い感触だった。
「素晴らしい剣だ」
小鉄はその礼というのか、明日の妖怪探しに同行すると言い始めた。妖忌は即座に断ったが、小鉄がこの山の妖怪の寝床なら知っていると言い出ると、妖忌も納得し頷いた。頷く仕方なかった。まだ短い付き合いだが、言い出したら止まらないかなり強引な性格だと、妖忌は見抜いていたからだ。
そして、一夜明けた次の日。
二人は朝靄が残る山の中を歩いていた。
「しかし、人里を襲う妖怪か……」小鉄が言った。
「何か気がかりが?」
「ん?ああ、この山には精々、妖精、妖獣といった小妖怪しかいないんでな。当てはまる奴も熊妖怪の奴一人しかない。ただ奴は力はあるが臆病でな。時々、この山に来る人間に悪戯を仕掛ける程度で危険な人里に行ってまで人を襲うとは考えられない」
「だが、実際に大勢の人が犠牲になっている」
「だからだよ。普通、妖怪は空腹時に人を襲う。そして一度襲えば暫くは人里には近づかない。必要以上に近づけば自分が危ない上、短期間で襲い続ければ人間が居なくなるからな」
短い間に何人も襲われ、そして喰われた跡も無いというのはおかしい。
複数の妖怪の仕業なら考えられるが、妖忌の話では現場にあった足跡はどれも同じもので、ひとつしかなかったと言う。
単独で、同一の妖怪が人を喰う事もなく潰して満足するのか。
「そいつはきっと――」
轟音。絶叫。
衝撃で山が揺れ、森が騒めいた。多くの鳥が空へ飛び立っていく。
「近い」妖忌が言った。
「行くぞ」
二人は漂ってくる妖力を元に駆け出し、その現場へ辿り着いた。
熊妖怪が寝床にしている洞窟の近くだった。地面には巨大な円形のくぼ地が出来ている。その中心にいたのは、十尺はあろう、巨大な妖怪だった。
黄色く濁った眼、大きく捻じ曲がった二本角を持つ頭に、赤銅色の体躯。手足は剛毛に覆われ、熊を思わせる鋭い爪を生やしている。
鬼だ。
その足元には原型の留めていない、別の妖怪のものと思われる血だまりができていた。
「よりによって鬼か……」
妖忌はしかめっ面のまま剣を抜き、構えた。妖忌は京の守りの職に就いていた時、何度も鬼と戦っているがこれは別格だった。体表から湯気の様に立ち上る妖力が見え、肌を刺す殺気は今まで見た妖怪の中で最も強く感じられた。
「まて、コイツはまさか」
「オ、おぉア、オオ■■■■■――っ!!」
鬼が咆哮し、一段と妖力が増す。妖力は黒い霧の様に体表に纏わりつき、中からはギョロギョロと動く黄色い眼だけが光っていた。
「ふん、
「え?」
「妖怪ってのは、妖力の塊なんだ。年月が経つにつれて妖力が増えるが、その分、妖力を制御しなければならない。こいつはそれが出来なかったんだよ」
妖怪とは人間とは違い、妖力の塊なのだ。そして妖力が増えるということは、欲望や衝動が大きくなることでもある。
そのため、いかに増大した自身の妖力、衝動を制御できるかである。妖怪は長く生きると活動が活発ではなくなる――昔より大人しくなるという意味だ――のは、自身の妖力、衝動を完全に制御できるようになったからである。
そして稀に、自身の持つ衝動と増大した妖力を制御できず、暴走する妖怪もいる。
「じゃあコイツは」
「そうだ。しかもコイツは大妖怪並みだな。このままだと死ぬまで暴れ続けるぞ」
「あまり気分の良い話では無いな」
妖忌は軽口を叩く。その顔は険しく、冷汗が垂れていた。
ぐるん、と鬼の眼が二人を捕らえた。
「くるぞ」
直後、鬼が再び咆哮し、我武者羅に突進を始めた。その巨体からは信じられない速さだった。丸太の様な両腕を振り回し、二人を薙ぎ払おうとする。
それを大きく飛んで避けた。
「二人がかりなら何とかなるな」小鉄が言った。
「いや、己一人でやる」
妖忌は静かな声で言った。二刀を構え、口角がつり上がっている。
その顔を見た小鉄は一瞬表情が消え、そして本物の馬鹿を見る様な顔つきになった。
「……鬼だぞ。いくら何でもキツいぞ」
「かもしれん」
ぞんざいな言葉で返した。
「それに、向こうもこちらを見て放さないのでね」
「……ふん、好きにするといい」
既に二人は妖力を漲らせ、にらみ合っていた。眼中に無いと言われた小鉄は更に後ろへ下がった。
均衡が崩れたのは、その直後だった。
「おおお!」
妖忌は一足で間合いを詰めた。鬼が拳を妖忌の顔面に目掛けて打ち抜く。それを避け、抜けざまに右手に持った青楼剣で胴を薙いだ。ギヂンッ、と生物とは思えない甲高い金属音が響いた。
「やはり、硬い……!」
手のしびれを治す暇なく振り向きざまに鬼の裏拳が飛んでくる。しゃがんで避け、足に一撃。入らない。蹴り。頭上を掠めた足で髪が焦げるのを感じながら転がって避ける。
先程と同じような間合いに戻る。再び妖忌は踏み込む。鬼の前蹴りが飛ぶ。左手の白楼剣を合わせてずらし、半身になって避ける。そのまま弓を引くように引き絞った右手を放った。
狙いは、股間。
青楼剣の刺突は狙い通りの場所に突き刺さった。が、浅い。切っ先のいくらかしか突き刺さっていない。
「■■■■――ッッ!!??」
鬼が絶叫し、両腕を妖忌へ振り落とした。妖忌は即座に剣を引き抜き、そのまま股間の間を潜り抜けていった。
妖忌は二刀を構えて立ち上がった。
鬼は暫く悶えながら腕を振り回していたが、ゆっくりと振り向いた。半開きになった口からはだらだらと涎が零れ、血走った眼で妖忌を睨み付けていた。
さて、どうするべきか。妖忌は思案した。思ったよりもこの鬼の表皮は硬い。必殺の刺突も大して効いていないようだし、今ので青楼剣の切っ先が潰れていた。二度目は出来ないだろう。
なにより、回避を前提にしているから己の斬撃が軽い。だから剣が弾かれる。
ならば、
「
妖忌は足幅を広く取り、腰を据える。
そして、怒りのままにがむしゃらに突進してくる鬼を見据える。
「おおおっ!!」
鬼の剛腕を避け、一歩踏み込んで胴を薙ぐ。かすり傷程度。目の前には鬼の抜き手。
寸で躱すが爪が掠り、顔の皮膚がはじける。目に血は入らない。問題無し。
「つぅあっ!!」
返す刀で右腕に打ち落とす。表面のみ。まだ斬れない。
今度は左足が掠る。若干動きづらくなる。問題無し。
「……まともじゃない」
目の前の光景が信じられなかった。呟く声も少し震えていた。
本来、人が妖怪と戦うには、回避中心の攻撃となる。妖怪の一撃は当たれば致命傷であり、中には毒を持ったモノもいるからだ。
しかし、これだと体重の乗らないため、どうしても斬撃が軽くなってしまう。
故に、妖忌は腰をおとし、重い斬撃を放てるようにした。
まがりなりにも、大妖怪の、鬼の一撃だ。それを至近距離で、致命傷にならないよう紙一重で躱し、斬ることに全力を注いでいる。
正気の沙汰ではなかった。
妖忌は鬼の剛腕に白楼剣を合わせ、強引に弾いた。鬼の体勢が大きく崩れた。
「おォおおァああっ!!」
剣技・炯眼剣。
渾身の一撃は遂に、鬼の左腕を斬りおとした。
だが――、
「剣が持たない、か」
かつて宮廷に仕え、妖忌に下賜された刀は高名な鍛冶師が打った名刀であった。
それでも、狂化した鬼の腕を斬った代償か、はたまた妖忌の腕についていけなくなったのか、あるいは両方か。
ぱきん、と軽い音をたて、青楼剣が半ばから砕けた。
「■■■■―――っ!!」
怒り狂った鬼の右腕から繰り出された拳が妖忌の腹に吸い込まれていった。
妖忌の小さな身体がくの字に折れ、骨の折れる嫌な音と共に吹き飛ばされて地面に転がっていく。
(これ以上は無理か)
小鉄は即座に妖忌の前に立ち、鬼と相対する。だが、背中を掴まれどかされてしまう。
「ゴッ、ゲホッ……、ベェッ! どけ、己はまだ戦えるぞ」
「その身体で、ましてや折れた剣ではまともに戦えないだろう」
妖忌を見れば吐血が多い。あばら骨とどこか内臓がやられたのだろう。
そして肝心の青楼剣の刀身はほんの少し残すだけ。残った白楼剣は儀式的な側面が強く、切れ味があまり良くない。まともには戦えないだろう。
「折れてなどいない。青楼剣がちょっと短くなっただけだ。まだ戦える」
その言い分に小鉄は顔を覆い、わざとらしいため息をついた。こいつは本当の馬鹿だ。いや、武芸者とはこういう人種だったなと思い出した。
「……骨は拾ってやる」
「ご随意に」
妖忌は満身創痍だった。息をするだけでも激痛が走り、急速に失われる体温に顔色は青白く変化している。
だが、戦意は未だ衰えず煮えたぎっている。眼はギラつき、紅く染まった口は獣の様に歯をむき出しにしていた。
「待たせたな、続きをやろう」
変わらぬ調子で二刀を構えた妖忌に反応したのか、正気を失ったままとはいえ鬼は鬼なのだろう。
真っ向勝負に応えるように唸り声と共に腰を落とし、残った拳を見せつけるように握りしめ、巨躯を捩じらせて腕を引き絞った。
互いに、最後の一撃を放つ。
最初に動いたのは、鬼だった。
その力に任せた剛脚で思いっきり地面を踏み潰す。
一瞬。ほんの一瞬。
大地に叩きつけられた鬼の剛脚による衝撃で妖忌の動きが止まった。
鬼が凄惨な笑みを浮かべて嗤う。大きく引き絞って溜めた右腕が、音を超えて一気に放たれた。
「か ハ ぁ」
妖忌も嗤う。全ての景色が遅くなる。死闘の中でしか味わえない快楽と狂気に満ちた表情を浮かべ、溜めに溜めた妖力全てを開放。身体強化。全身から血を噴き出し、身体の限界を超えた動きで鬼の叩きつけた左腕に飛び乗った。
「ッラぁァ!!」
「■■、■■■■■■■■■―――っ!!??」
白楼剣が鬼の目に捻じりこまれ、絶叫を上げてのたうち回る。
一呼吸。妖力圧縮。青楼剣に注ぎ込み、青白い刀身をつくりだす。
剣技・断命剣[冥想斬]
「己の、勝ちだ」
妖忌は両手で青楼剣を振り、鬼の首を切り落とした。
「……ハァ、とんでもない男だな、お前は。本当に一人で鬼を倒すとは」
術師のように弾幕を張るわけでも、陰陽師のように式神を使うのでもなく。
一対一の真っ向勝負。己の身体と剣で鬼を倒す。神話の時代でも滅多に見れない光景を、今この場で見られると小鉄も思わなかった。
「己の方が強かった、それだけです」
丁寧に鬼の首を袋に包んだ妖忌は全身血塗れとはいえ、五体満足だった。ただ手に残った青楼剣の残骸をもの悲しそうに見つめていた。
「……本当に良い剣だったな」
「ええ、本当に。下賜されて以来、ずっと共にしていた――」
ぐらりと、妖忌の身体が傾げた。慌てて小鉄は支えてやる。
「と、お前は重傷人だったな。家まで戻るとしよう」
小鉄は鬼の亡骸を妖術で燃やし、鬼の首の入った袋を持つ。そしてそのまま妖忌を抱え込んだ。
いわゆる、お姫様抱っこと呼ばれる格好だった。
「……いや、恥ずかしいのだが」
「仕方ないだろ。これが一番楽だ」
小鉄は妖忌がずり落ちないようにと身体を密着させた。勿論、ワザとである。そうなれば大きめの胸も妖忌に当たることになる。妖忌は身動ぎするたびに柔らかい感触があるため、そのまま動けなくなった。妖忌の顔が赤いのは、きっと血の色だけではないだろう。
「さて、戻ったらお前さんの治療と、刀を打ってやらんとな」
「――えっ?」
思わず、といった表情で妖忌は顔を上げた。目の前にある少女の顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。
「久々に良いもの見せてもらった。新しい刀は私が打とう」
「本当かッ!?」
「嘘は言わん」小鉄は言った。
「んっ、それに、ここまで強く求められれば、嫌とは言えんなぁ」
艶のある声に妖忌は固まった。見れば己の手が小鉄の大きめの胸を強く握っていた。
小鉄は紅潮させた顔をゆっくりと近づけた。
「え、いや、これはっ!」
「ほらほら、動かないお姉さんがギューと抱きしめてやろう」
いたずらめいた笑みを浮かべているのを見て、妖忌は動けない自分に悪態をついた。顔が熱かった。
「……お前はやっぱり嫌いだ」
「私は好き」
「うえぇ!?」
まさかの切り替えし。
小鉄の笑いで赤くなった顔を見た。
またからかわれた。そう思った時、妖忌は遂に意識を失った。疲労と出血、妖力の消耗で限界が来たのだ。
「……本当に良い戦いだった。しかしまあ、我ながら御しやすい性格だったとはねぇ」
小鉄は火照った顔で小さく呟き、眠る童顔の少年の髪をそっと撫でた。
◆
鬼との闘いから一週間後。
小鉄の治療と献身的な世話を受けたお陰でもあるが、半人半霊である妖忌は人よりも回復が早い。既に問題無く動き回れるようになり、妖忌の新しい刀も完成していた。
妖忌が旅立つときが来たのだ。
「つまるところ、妖怪と戦うには力がいる」
朝、二人は向き合っていた。小鉄の手には布に包まれた長物があった。
人ならば霊力。妖怪ならば妖力。神族ならば神力。遠い異国には魔法使いという、また違う力を持つ存在がいると聞いているが、根本的には同じ力である。
「妖怪というのは、ざっくり言えば「物質化した妖力の塊」だな。人間と違い、身体能力が総じて高く、普通の武器では妖怪は持つ妖力に弾かれて斬れない、持たない。近付けば一撃で吹き飛ばされる。
最近では陰陽師のように式神、退魔士の弾幕、巫女が禊の力で妖怪を退治するのが常識となっている」
雑魚妖怪はともかく、〝名付き〟となると、まず一撃で終わる。だからこそより遠くから攻撃を加える技術が発達しているのが今の状況である。
それ自体は小鉄も仕方ないと思っている。だが、好みでは無い。
妖怪の性なのか、男は武具を纏い、鍛えた技で一対一で戦うこそその真価を発揮すると考えていた。
そして名工が打った武器ならば、そして腕の良い武芸者ならば妖怪は斬れるのだ。
目の前の武芸者が先日、それを証明した。
「だが、今までの武器では難しい。話が長くなったが、コレが私の答えだ」
つまり。
普通の剣では薄く脆いなら、身幅を厚く頑丈に。
軽く短いならば、一刀で断てるよう重く長大に。
鉄剣では妖怪は斬れないならば、もっと硬くしなやかな鋼を。
使い手を考えず、ただ武器としての性能を追求する。
「銘は〝楼観剣〟。そう名付けた」
妖忌に手渡されたのは、長大な太刀だった。
そりは浅く、身幅は厚い。大切先、直刃で掃掛帽子。柄頭に飾り緒、鞘は黒漆仕立て。
「さて、これは大太刀と呼ばれる代物だ。折れた青楼剣を元に新しく鋼を加えて打ち直し、鞘と柄は新しく拵えた。頑丈で切れ味も高いが、その代り、人間には重くてまともには振れない。まあ、
振ってみろと勧められるままに妖忌は楼観剣を引き抜き、切り落とし、切り払いと軽く振ってみる。太刀の重量に身体が流れた。素振りをしながら修正を繰り返し、自身が納得する動きにもっていく。無心で振っていくうちに、刀まで神経が通っていき、段々と全身の感覚が薄れていく。
そして、一太刀。薄れた感覚の中で、ふつ、と音が聞こえ、何かを斬った感触が残った。
納得する一太刀に妖忌は息を吐き出して呼吸を整えた。
「見事」小鉄が言った。
「良い剣だ」
言葉少なく、しかし思った通りの事を口にすると、小鉄は顔をほころばせた。やはり褒められるのは嬉しいらしい。
実際、楼観剣は今までのどんな剣よりも感覚が通しやすく、まるでずっと使ってきたかのように手に馴染んだ。
「しかし、本当に楼観剣の代金はいいか?」
「くどい。言っただろう? 久々に良いものを見せてもらったと。その礼だ」
妖忌は鬼退治で得た銭を払おうとしたが、小鉄が拒否したのだ。妖怪だから銭が無くとも生きていける。
それよりも、腕の立つ武芸者に自分の打った刀を使ってもらう。鍛冶師冥利につく話だ。それだけで十分な報酬だった。
「ま、何かあったら私を訪ねろ。生きていれば何処かで会えるだろう」
「私は二度と会いたくない」
妖忌はむっつりとした顔で言うと、小鉄はケラケラ笑った。ますます渋面になった。一週間の間、散々な目に遭った事を思い出したらしい。
まあ、思春期の少年は色々と難しいのだろう。かつて人間から聞いた話を思い出した小鉄は何も言わなかった。
「――ふん、もう行くぞ」
「そうか」
顔を赤らめた妖忌は楼観剣を背負い、さっさと歩きだした。
背が小さくなったところで、小鉄の声が聞こえた。
「達者でな、妖忌」
「ああ」
妖忌は旅を再開した。
◆
これで話は終わる。
その後も祖父はは行く先々で剣を振るい、武者修行を続けていく内に幻想郷にたどり着き、そして楼観剣と白楼剣は孫の私に受け継がれた。
祖父がまたその鍛冶妖怪に会ったどうかは分からない。聞いても答えてくれなかったのだ。
この話も、私が幼い頃に一度だけ聞いた内容だから所々覚えておらず、また聞き間違っているかもしれない。
ただ、この私が覚えている内容で良ければ、ぜひ役立ててほしいと思う。
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