最近文庫版全巻購入して感動した四条によるまさかのガッシュ二次です。
かなり不定期更新です。
――カリグラ家の男子たるもの淑女(レディ)には優しくするものだ。
――カリグラ家再興の為だ。誰であっても利用しろ。そして『神の試練』を勝ち抜くのだ。
幼い頃から背反する教育を受けてきた。
黄褐色の表紙をしたずっしりとした重みを感じる程分厚い本をいざ手に取って、少年はそのように述懐した。
そして、再び少年は顎に手を当てて考える。
日々の弛まぬ努力と、絶対的な己の才気によって次期王を決める戦いの百人の候補者に選ばれた……までは良い。
問題はこの戦いで何方を優先させるかだ。
少年が生まれた家の第一の教え。“男子、淑女を貶めるべからず”……少年はこれが好きだった。女性は自分達、男とは違う。あれは華だ、宝石だ。穢れざるべき、不可侵の絶対聖域だ。其処にいるだけで心が豊かになる。依って、少年としては家訓を大事にしたい気持ちが強い。
併し、この戦いに少年の家の行く末が決まっているのも事実だ。少年はカリグラの屋敷の廊下を歩く。如何にも艶やかな赤い絨毯、見る者の心を掴んで離さない素晴らしい絵画の数々、並び立つ騎士甲冑。少年は歩いているだけで目にするそれらを誇らしく思った。だが、これらは総て虚栄だ。ただ煌びやかなだけの泡沫だ。いつ、若しかしたら、明日総て無くなってもおかしくはない。現に、少年は知っている。一つずつ、我が家から宝の一つ一つが無くなっているのを。これらを失わない為にも、自分は必ず勝ち抜いて王にならねばならない。ならば、手段など選んでいる場合ではないとも思う。
さぁ、一体何方を取るべきか。
悩んで、悩んで、悩み抜いて……。
併し、答えは出ないまま。呆っとして、頭が熱い。
自分の部屋へと戻り、窓を開け、夜風を浴びてみても、尚脳の火照りは止むことを知らない。
そうこうしている内に、蒼い空がどんどん白んできて、曙が少年に旅立ちの時を告げる。
結局答えは出ない儘――。
少年は首を鳴らし、思い切り肩を伸ばした。そして、洗面所で顔を洗い、いつも通りにブロンドの髪を整え、本だけ持って、自分の学校へと向かう。一応、『神の試練』には武器の持ち込みも許されているが、少年は剣術や棒術が別段に得意というわけでもない。寧ろ、下手に動きを鈍らせるものを持つくらいなら徒手空拳の方が良い。其方の戦闘術にはそこそこ覚えがある。
渺と、風が嘶いた。
少年は咄嗟に髪を押さえつけた。
――チッ。
気が付かぬままに、舌を打っていたので少年はおやと、首を傾げた。
折角整えた髪が乱れてしまうことに対する苛立ちだろうか? いや、屹度違う。考えが纏まらなかった所為だ。
……――まぁ、良い。向こうに行ってから、すぐパートナーを見つけられる訳じゃあないんだ。まだ時間はある。ゆっくり考えれば良い。
……――それより、俺が降りる場所は何処だったか。確か、パートナーと縁のある場所に降りることになっていたか。
……――“キューバ”。確かそんな名前だったような気がする。
そんなことを考えていると、何時の間にか、学校に到着していた。
†
ピンチ、ピンチ、ピンチ……。
嗚呼ピンチ、あなピンチ。
夜の街、ひび割れが目立つ煉瓦梁の通りを疾走する女の頭の中には『ピンチ』という単語しか存在していない。
一体、人生の中でピンチになったことがどれほどあっただろうか? 小学三年生の夏休み、絵画の宿題を最終日の夜になって漸く思い出した時。十八歳のセフレに逃げられた寂しい冬の日、うっかり街角でジャックナイフを買って、その所為で電気代が払えなくなった瞬間。
成程、女の人生二十四年、ピンチと言える瞬間は思い当たるだけでもかなりあったわけだ。
だが、それでも女は思う。今日こそ、本当に本当の、“ピンチ”であると。
走りながら、自分の履いているスカートの丈が長いことを忌々しく思いながら、一寸後ろを振り向く。
男が八名。此方を追ってくる。全員が黒檀の肌をしている。そこに問題は無い。女がいるのはキューバだ。女のような黄色人種(モンゴロイド)を見つける方が難しいだろう。問題は彼等の格好だ。全員が全員、腕や顔に刺青、耳や唇にピアスと如何にも不良少年風である。そして、手に持っているものはバッドやナイフ、拳銃に、果ては自動小銃。その形相で見て取れるのは怒り。更には現地語で、
「待てや、アバズレェ!」
「ぶち殺してやる!」
などと叫んでいる始末。
語るに及ばず、殺る気である。
――というか、何故さっきから道行く人誰も警察に通報しないのだろう? 日常茶飯事だから?
途轍もない危機故か。女の中に寧ろ、呑気な考えが生まれる。
だが、呑気な考えならば事態が呑気な方向に転ずるということは在り得ず、女は苦肉の策で路地裏に逃げ込んだ。
矢張り、追いかけてくる男たち。一体いつまで逃げれば良いのだろうか?
そんな疑問を抱きながら、女は足と腕を動かし続けたが、その答えは直ぐに見つかった。
自分が向かっていた先が袋小路だったからだ。
「あ、まずい」
自然とそんな声が漏れていた。
壁を背にギリギリまで逃げるがそんなことは意味を成さないだろう。
男たちが徐々に、徐々にとにじり寄ってくる。
男の一人が、バットを振り下ろしてきた。
「死ぬ……」
女は目を閉じた。確実に、頭に当たる。頭がかち割れて、死ぬ。そう思って。
だが、待てども待てども、痛みが現れなかった。
――あれ? 死ぬときでも、痛みは、ある筈なんだよね?
自問するが、その答えは自分にすら存在しない。死んだ経験など無いのだから。いや、自分にそういう概念があるのすら女には疑問だったが。
若しかしたら、トンネルを抜ければ雪国であるかのように、目を開ければあの世ということもあるのかもしれないと、漸く目を開けると――。
「綺麗……」
女は知らず知らずのうちにそう呟く結果と相成った。
一点の汚れすら存在しない白い肌、よく手入れされたブロンドの髪、空を思わせる澄んだ碧眼。女は感嘆した、目の前に現れた少年の美しさに。
――日本であれば小学校の高学年になろうかというくらいの年齢に見えた。
肌触りが良さそうな乳白色のYシャツに、駱駝色の質の良さそうなフェルトで作られたハーフパンツ、本物の金と思しきものでエンブレムがされた白のハイソックスとその恰好にどこか育ちの良さを感じさせる。
女は俄かには信じられなかった。この育ちの良さそうな少年に、自分が助けられたことを。
だが、現に少年が男の振り下ろしたバットの先端を片手で掴んでいる様子を見るに、それは確かなことであった。
「一人の女性に大の男が寄って集って武器まで持って……」
少年がはぁと、嘆息交じりに言葉を吐きながら、なんとバットの先端を握りつぶした。
丁度、力のある男が林檎を素手で割るあの感覚に近いだろうか。
それほどに、簡単に、何でもないかのように。
男たちからは悲鳴が上がった。
「人間は下等だと聞いてはいたが……。ここまで下等だとは……」
そう揶揄するような、あきれ果てたような口調で言い放つと今度は、男の顔に裏拳を入れた。
たった、それだけのことだというのに。
虞――!
男の顔はスレッジハンマーで叩かれたかのようにひしゃげる。
濤――!
威力によって体ごと近くの建物の壁に打ち付けられた。
「見下げる、とことん見下げるぜ、人間」
吐き捨てながら、さも億劫そうに少年は肩を鳴らした。
一体、彼は何者なのだろうか?
そんなことを思っていると今度は少年が自分の前に跪いていた。
「怪我は?」
「……ない、です」
プライベートでは滅多に使わない丁寧語が自然と口に出ていた。
人生で男性に、跪かれる経験が無い為に恐縮してしまったのだ。
そんなぎこちのない様にも、けれど少年は微笑んだ。心の底から安堵したと言わんばかりに。
「えっと……アナタは……」
「俺……いえ私はエシュロス」
少年は胸に手を当て、自分を示した。
――名前を聞いたわけじゃないんだけど。
単に、見ず知らずの自分を助けた理由を聞きたかっただけだ。けれど、名乗られてしまった以上、名乗らない訳にはいかない。名前を訊ねたという形になってしまった以上は尚更だ。
「私はリーサ……じゃない。今日は違う。……右京薫(うきょうかおる)です。ありがとう、エシュロス君……」
理由があって普段はリーサと名乗る機会が多かった為に、女――薫は本名を忘れかけていた。
歯切れの悪い自己紹介になっていないかと心配するが、直ぐにそんな心配は吹き飛ぶ。
突然エシュロスが立ち上がり、大きく両手を広げる。
瞬間、バァンバァンと、二回の銃声。男の一人が少年の、エシュロスの背中を撃ったのだ。
「ぐぬっ!」
痛々しく呻き声が上がった。
「エシュロス君!」
薫は少年の名を叫んだ。
薫は思い出した。自分を追っている男たちのことを。エシュロスの登場に吃驚して失念してしまっていた。自分に対する復讐は終わっていないことを。
いくら何でも今のは不味い。エシュロスは片手で男を殴り飛ばす怪力の持ち主だが、銃を食らって生きていられるという保証もない。それに、今の銃弾は心臓にダブルダップで二回、完璧に直撃した。
死んだ。薫はそう思った。
けれど――。
「大丈夫……私は銃弾の一発や二発じゃ死なない」
エシュロスは立ったまま、余裕とばかりに笑っていた。
だが、次の瞬間には神妙な顔つきになり、男の方を見た。正確には、その一人が持つ、自動小銃を。
「だが、正直あれは食らったらキツイかもしれない。それに私が倒れれば、貴女が危険になる」
そこでと、エシュロスは懐から本を取り出して薫に差し出す。三角形が二つ連なり、砂時計のような象形が刻まれた黄褐色の本であった。
「何……これ……?」
「読めるなら、声に出してみてくれ。徒手でもやれないことはないが……もしかしてということもある。だから、頼む」
薫はこんな本が何の役に立つと胡乱がりながらも、エシュロスの目は真剣そのものであった。
嗚呼、最早死ぬと思っていた身だ。
一時の僥倖で助かった身だ。
ならば、良い。読んでやる。生きる為に――。
薫はエシュロスから黄褐の本を受け取り開く。
捲る、捲る、捲る――。
その中には見たことない、象形文字めいたものが表紙と同じ色で描かれていた。矢張りその多くは意味不明であったが、唯一文字が読める頁が存在した。
「第一の術――」
銃を持った男がエシュロスに引き金を絞ろうとしていた。
急げ! 疾く!
「“グランダム”!」
瞬間、薫の手の中の本が、目を開け続けることも難い強い黄褐の光を放った。