一つ縛りに纏めた、波打つ黒髪。精気をまるで感じさせない人形めいた白い肌。桃色の唇。
少年の目には纏っている赤いカクテルドレスがとても色褪せて見えた。
屹度、少年はこの時、瞳を、否少年を構成する総てを、奪われた。
†
風にかき消されてしまいそうな程か細いのに妙に通る薫の声に呼応するようにエシュロスは、地面に手を当てた。
「何、意味分からねぇことしてやがる! 気でも狂ったかァ⁉」
男の一人がエシュロスの行動を嘲笑した。
――その時。
豪と、凄まじい音がした。そして、その音の後、男がエシュロスを嘲笑することも、別の男が同調することもなかった。
皆が、その光景を呆然と眺めていた。
人間には到底視認不能な速度で畳返しのように持ち上がった二枚の土壁が、エシュロスを笑った男を押し潰す様を。人間の常識では考えられない超常を。
土壁が消える。其処には、男はおらず、代わりに赤い水たまりめいたものが残っていた。
「今のは……?」
誰に聞くでもなく、薫は疑問を口にしていた。
それを質問と捉えたのか、エシュロスがにこやかに答えた。
「グランダム。私の呪文だよ」
「呪文?」
「俄かに信じがたいかもしれないが……私は此処とは違う世界からやって来た者。貴女達風に言うなら、魔物と呼ばれる存在なんだ」
胡乱に過ぎる、尋常な人間ならば嘘八百と断じる事であろう。
仮令、在り得ない事象を見せられたとしても、そこに論理的証明が介入できる種や仕掛(トリック)の存在を疑わずにはいられない。人間とは通常そういう生き物である。
エシュロスもそれを覚悟した。
だが、薫は――
「そう、貴女魔物なのね。そう――そう――そう……」
笑ってエシュロスの言葉を納得した。
笑って――。
頬が裂け、顔面の筋肉が半ば崩壊しかかっているかのような、凄惨としか表現しようがない笑みだった。
少なくとも、この場の誰もが、自らを魔物だと語るエシュロスでさえも、この種の笑みは見たことがない。
ドク、ドク――。
エシュロスは不自然な動悸を覚え、胸に手を当てた。
――どういうことだ? 何故、そんな顔をしている? 修羅場を経験しているのか? いや、見るからにトーシロだ。それが何故“死”を目の当たりにしてこんな顔をしている?
自らに問い掛けるが、明確な答えは見つからない。
加えて、薫はただ笑っているわけではなかった。
震えながら、顎をがくがくと鳴らしながら、冷汗を流し蒼褪めた顔で笑っているのだ。
薫の中には恐怖と歓喜が同居している。
エシュロスはそう考えたが、その理由についてまでは判然としなかった。
そうこうしている内に、
「悪魔(ディアブロ)!」
「悪魔(ディアブロ)!」
不良の男たちは震えながら恐々とした叫び声を上げた。
拳銃や小銃を持っている男の何人かはそれを発砲。
悲鳴を上げるガバメントとH&K。薫とエシュロスに降り注ぐ鉛の驟雨。
「拙ッ⁉」
エシュロスがそれに気が付いて振り返るが間に合わない。
当たる。
覚悟し、歯を食いしばる。だが、
「第二の術“クレイシル”!」
寸での所で発生した泥の壁に阻まれ、それは防がれた。
否、エシュロスが泥の壁を作り、それを防いだのだ。
「……成程。これを唱えると、君が魔法を使ってくれるわけね。さっきのは土の壁を使った攻撃。今のは土の盾か。でも、一体何の力を利用してるんだろ? 私が本を読むことをトリガーにしているんだから、“私の”何かを利用しているんだろうけど……」
そう、薫が説明した通りである。
本に書かれた呪文を読めば、魔物がその術を使う。名称によって現れる効果は様々であり、そしてそれらは本を読める者から発生される力を利用している。
「心の力だ」
「心の?」
「“アイツが憎い”“これが欲しい”。そういった人間の感情のエネルギーを利用して、私達が本の持ち主(パートナー)の唱えた呪文を使うんだ」
「ほへぇ……」
間抜けにすら声を上げていると薫は、逃げようとする不良たちを見止め、本を開いた。
瞬間、本から辺り一帯を包み込むほど強い光が放たれる。
「道を塞げ“クレイシル”」
ふざけている様にも聞こえる指示と、心の力から伝わって来た本の持ち主の“願い”を感じ取り、エシュロスは男たちの唯一の退路に泥の盾を発生させた。
「ひぃっ⁉」
男たちからは悲鳴を上げ、腰を抜かした。
動けない。立ち上がることもままなら無い。
当然だ。先程一人が殺されるのを見せつけられ、此方の攻撃が完全に防がれるということが証明されたのだ。
予測できるのだ、簡単に、未来が。
答えは、一方的な蹂躙でしかない。
「なるほど、こういう感じか」
一方、捕食者たる薫は至って淡々とした口調であった。
「レ、淑女(レディ)……」
「何、かな? あと、呼び方はリーサか薫か、でなければお姉ちゃんで」
「では、カオル。その、何だ……。貴女は、殺すのか?」
エシュロスの声は上擦っていた。
薫から齎される答えを恐れて。
うーんと、眉を寄せて頬を手に当て薫は唸り声を上げる。
エシュロスの目には、薫は子供がいてもおかしくない大人の女性に見えた。けれど、その仕草は如何にも幼く、だのに、妙に似つかわしいとも感じてしまう不可思議な感覚に襲われる。
常体であれば、エシュロスも見とれてしまっていただろう。
「あの人達なら……まぁ、X-MENか何かでないなら、死ぬんじゃないかな?」
他人事のように自分が殺す人間のことを語りさえしなければ。
ドク、ドク、ドク――。
未だに続く不自然な動悸を、エシュロスは鬱陶しく感じていた。
その胸の高鳴りに呼応するかのように、薫の手の中に在る本が更に光を強めた。
「エシュロス君、また呪文が出たよ。今度は二つ」
「何⁉」
「早速使うね」
エシュロスですらいきなりのことに驚愕しているというのに、薫には全くと言って言いほど躊躇いが無かった。
ドク、ドク、ドク、ドク、ドク――。
最早、動悸が止む気配はない。額に落ちる脂汗の滑りを感じながら、エシュロスはそう思った。
「第三の術“グランバオ”」
術の発動に従い、エシュロスは地面に手を当てた。
刹那、耳を劈くような音と膨大な光を伴って、地面が爆発した。
「ぎゃあぁぁぁぁ‼」
舞い上がる粉塵と共に、男たちも虚空へと投げ飛ばされる。
エシュロスは空を見上げた。千切れた四肢が点在していた。
阿鼻叫喚と、この光景を名付けてしまっても差し支えないだろう。
併し――あゝ、無情(レ・ミゼラブル)。
薫は、もう一つの呪文を、躊躇いなく唱えた。
「第四の術“グランガルゴ”」
ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク――。
厭な動悸は止まらない。それでも、エシュロスは唱えられた呪文を発動する。
本から伝わった心の力がエシュロスの両手を輝かせる。その手で以て、地面に、掴むようにして触れる。
針山地獄。
発生したその惨状はそう評するに相応しかった。
地面から幾本もの土で創られた棘が湧き上がり、最初の術(グランバオ)で投げ出された人間の腹に突き刺さっていたのだ。
死屍累々、鬼哭啾啾。
魔物を名乗ったエシュロスにとって見ても、その光景は惨憺たるものである。
にも関わらず――
「ふふふ」
その場で只一人、微笑みを零していたのは、人間であった。
「アッハハハハハハハハハハハハッ!」
哄笑する。天を仰ぎ、顔を覆い、先程と同じような笑みで。
「何、コレ? 分かんない。何て言ったら良いんだろう? ああ、でもなんか、ヤバイ」
分からない。
それは、今、エシュロスこそが言いたい言葉であった。
薫という人間が、まるで分からない。
人殺しが好きなのだろうか? だが、それにしては、彼女の足は生まれたての小鹿のように震えていた。
恐怖はしているのだ。
にも関わらず、笑っていた。
「ねぇ」
「な、何だ?」
針山地獄を仰いでいた薫が自分の方を振り向いた為に、エシュロスは身震いした。
ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク――。
鼓膜の裏にこびり付いて、心音が離れそうにない。このまま、耳を引きちぎってしまいたくなるような衝動に襲われるエシュロスに比べ、薫は至って普通に微笑んでいた。
可憐にすら映る程、至って普通に。
「エシュロス君、って言ったよね?」
「出来れば君は無しで頼みたいのだが……」
「じゃあエシュロス」
にこりと、楽しそうにその名前を口ずさんだ。
その表情を見て、
「ああ――」
エシュロスは感嘆した。人間相手とはいえ、戦闘中であった為、薫の顔を、姿を見ていなかったから。
改めて見て、電流が走る感覚を覚えた。
一つに束ねた波打つような緑の髪。憂いを帯び倦怠的に半眼した濃鼠の瞳は、死の気配すら感じさせられ見つめているだけで呑み込まれてしまいそうになる。薄っすらと菫がかった桃色の唇は、か細くもよく通る薫の声には成程、似つかわしいだろう。
ボディラインがはっきりと分かる赤いカクテルドレスを着ており、思春期を迎えるエシュロスにとって毒とも言えた。そのはっきりと分かるボディラインというのが、肉付きよく男性の性的な欲望を刺激してやまないものだったから。
ただそれらの総てがどこか態とらしい。
創り物だ。右京薫というのは、精工に作られた美だ。精気がまるで感じられない人形めいた白い肌と相まってエシュロスにはそう感じられた。
「エシュロス?」
「何でもない!」
存外に大きな声が出た為に、薫もエシュロス自身も、目を丸くした。
「そ、それで、何だ?」
「色々、君と話したいと思って」
薫は黄褐の本をエシュロスに見せながら、
「この本のこととか、君自身のことについてとか、ね」
と補足する。
「良い?」
自分をじっと見つめる薫を見て、エシュロスは
「愚問だよ、カオル」
と、幽かな笑声を零した。
「聞きたいことがあるのは、私も同じだ」