「エリート……俺が、エリートか……」
薫に言われた言葉を反芻してエシュロスは顔を綻ばせる。
“エリート”。
集団の中で抜きんでた者を指す言葉であるが、エシュロスはこの言葉が好きではなかった。
――お前は、常に先頭に立つ者、エリートでなくてはならない。エリートでなくてはならないのだ!
――ハン! エリートぶりやがってムカつく野郎だぜ!
――お前程度がエリート? 笑わせる。
過度の期待、疎外感、嘲笑……。その言葉に込められていたのはエシュロスにとって悪いものでしかなかったから。
だが薫の『エリート』という言葉は違った。
負の感情は感じなかった。代わりに感じたのは素直な称賛。
心臓が跳ねる。
――上手い言葉は、見つからない。だが、薫にエリートと呼ばれるのは、良い……かもしれない。
そう考えていると、ふと薫の笑顔が過った。
出会った時、岩棘(グランガルゴ)で串刺しにされた死体を直視し、ガタガタ震えながら浮かべた顔面が崩れたような笑みが。
人を揶揄うのと冗談が好きな、温和でよく笑う素敵な女性(ひと)。エシュロスは薫に対してそういう印象を抱いていた。
だが、あの笑顔だけは気にかかった。
他人を殺すことが悪いのではない。その行動の良い悪いは別にして、生きる為に殺さなければならない場合もある。魔界にだってそういう人々がいたことをエシュロスは知っている。
事実、あの時、薫は男たちに軟派をされて、それを断った為に追いかけられ殺されかけたとエシュロスは聞いている。その人間の善悪は別にして、屹度誰にとっても生きる為の必要悪だろう。
だが、あれは違う。あの時の薫はそういう意思で殺したのではない。エシュロスはそう考えた。
人殺しを楽しんでいるとすら感じられる、あの笑顔。
――……俺の見間違いかもしれないが、ちゃんと聞いておくべきだろうか。
そこまで考えて、エシュロスは興奮のあまりに念話を切ってしまったことを思い出し、
(……カオル、すまない。うっかり念話を止めてしまった。自分から話しかけておいて、無礼千万だった)
謝罪から入って、質問を切り出そうとする。
だが、その質問をすることは適わなかった。
(ああ、良いよそれくらい。それより、今ピンチだからちょっと助けて欲しいんだ)
薫から救援要請(メーデー)がされた。
刹那、エシュロスに問うという選択肢は失せた。
(ピンチ? 一体どうした?)
(ああ、その前に。エシュロスは“テロ”って言葉の意味分かる?)
エシュロスは自信と余裕たっぷりにフッと短い笑声を上げて、
(暴力を傘に、国家・政府等の権力に要求或いは訴えを起こすことか?)
と答えた。
(さすがはエリートだ。では次に、“ハイジャック”って言葉は分かる?)
(それは……分からない……)
エシュロスの声の調子が沈み、クスリと笑みを零して薫は、
(航行中の航空機を武装などの恐怖を用いて乗っ取ることを意味するんだよ)
と教えた。
(知らないことがあるからとあまり私を侮らないでくれ)
と、エシュロスは釘を刺して直ぐ後、
「あっ!」
と貨物室に声を木霊させた。
(気が付いたみたいだね。そ、現在私がいる旅客室は自爆テロを目的とした武装集団に占拠されているのです)
「呑気に言うことじゃねぇだろ!」
念話で話していることも忘れ、エシュロスは声を張り上げた。
……すぐに自分の行動を省みて、恥じ入るように咳払いすると、
(……すまない、取り乱した)
謝意を示した。
(だが、実際この状況相当拙いぞ)
念話の向こう側からも、エシュロスが緊迫しているのを受け取ってかそうだねと、薫から相槌が齎される。
一体自分の、自分たちの身に何が起こるのか? 自爆テロという概念は魔界には無かったが、エシュロスにもそれは想像ついた。
――爆裂するのだ、飛行機が。キューバの空港で見た巨大な鉄の物体が。
そうなればどうなる? 人間の薫は間違いなく死ぬ。魔物のエシュロスであっても耐え切れない。況や魔本なぞ形も残さず燃え去り消える。
エシュロスの首筋をじっとりと冷たい汗が伝う。
魔物の王という名の栄光が、泡沫へと消え失せる。そんなビジョンを想像してエシュロスはぶんぶんと首を振り、
(カオル、なんとしてでもこの状況打開するぞ!)
そう本の持ち主(パートナー)に訴えつつ、自らを奮い立たせる。
(うん、そうしようか。私も死にたくないし)
その声色は、エシュロスの目には映らない筈の薫の微笑みを感じさせた。
(よし、では作戦会議だ。カオル、詳しい状況はどうなっている?)
エシュロスの問いから数秒後に、薫は説明した。
(そうだね、人数は六人で多分全員男。顔は覆面で分からない。服装は……なんていうかラフだね。今から海にでも遊びに行ける感じ。それでいて、アサルトライフ……っていうのかな? 全員がそれ持って、旅客室の前面に立ってるね。あー、あと可愛いCAさんが一人羽交い絞めにされてるね。一寸、可哀想かも)
エシュロスは猛烈な苛立ちから舌を打った。
(女性を人質に取ったか。外道めが!)
(人質に取られてるのは、私達も同じなんだけどね)
そう茶化すような物言いの後、薫はああそうだと、ぼんやりとした声を上げ、
(要求を呑まないと飛行機を爆破するって言ってたから、爆弾を持ってるかもね)
と説明に補足を加えた。
ふぅむと、エシュロスは唸り、顎に手を当てた。
(ということは、土を起点に爆発を起こす第三の術“グランバオ”は使えないな……。誘爆させる可能性がある)
(……爆発の危険ならどの術でもあると思うよ。衝撃が加わるから。でも、確かにそれの危険はmostかもね。というか、それ以前の問題だけども)
(なんだ?)
(エシュロス、今、術使えるの?)
薫は素朴な疑問を口にする。
土棘(グランガルゴ)にせよ、土壁潰し(グランダム)にせよ、エシュロスの呪文は全て地面を起点にし、土を変化させ生み出される。
無論のことこの飛行機には土などあるわけがない。懸念は当然であろう。
だがしかし、エシュロスはそれを一笑に付した。
(カオル、貴女は私を何と言った?)
暫くしじまが辺りを包み込んだ後、
(エリート?)
と、ウィスパーした薫の声が返って来た。
(そう、貴女が言う通り、私はエリート! 故に、このエシュロス、大地が無くとも術を使うことは出来るのだ! ……流石に土がある所に比べれば質は落ちるが)
最後だけ声のトーンが落ちていたからか、薫は念話の向こうでクスクスと小さく堪えるように笑った。
(ま、まぁ見ていてくれ、カオル。テロリストだかなんだか知らないが、その相手など、私にとってはフールズ・メイトを指すより易いさ)
(……それはとても頼もしいんだけどね。一つ聞いても良いかな?)
(何だ?)
(相手の顔、見えてるの?)
薫が何気なく発したそいの言葉に、エシュロスはキッと音が鳴る程、歯をきつく結んだ。
顔が見えているか――詰りはテロリストの詳しい立ち位置が分かるかということ。
残念ながら、その答えは否だ。そもそもそんなことが出来るなら……
(って、出来るなら私に詳しい状況なんて聞かないよね)
……薫に頼る必要もないのである。
(仕方ない。こうなったら、運に賭けるしかない。盲滅法に術を放つ。下手な鉄砲も……人間の諺でそういうのがあったろう? あれで行こう)
(却下)
エシュロスの作戦を薫は切って捨てた。
(何故だ!?)
そうだねと、一呼吸置いてから薫は諭すように説明した。
(呪文は唱えないと発動しないよね? でも、目下ハイジャックの真っ最中という緊張常態。そんな中で声を出す、なんて目立つことをすれば彼等を刺激する。そうなったら、間違いなく私に危害が来るよね? ひょっとしたら銃で撃たれるかも)
エシュロスは薫の言わんとすることを察し、アッと声を上げた。
(まぁ、勿論私自身、死ぬなんて御免被るわけだけど……君的にも、私が死ぬのは困るでしょ?)
そう、一人の魔物に対して、本の持ち主(パートナー)は一人きり。それがこの“魔界の王を決める戦い”のルールだ。本の持ち主(パートナー)である人間以外には、その魔物が持つ本を読むことは出来ず、仮に本に書かれた呪文を把握してそれを唱えた場合にも術が発動することは出来ない。それは別の魔物の本の持ち主(パートナー)であってもだ。
……であるのならば、本の持ち主がいなくなった場合にはどうなるのであろうか?
エシュロスは考えた。屹度、王になる者には“運”も必要な要素なのであろうと。恐らく不慮の事故や、病気で本の持ち主(パートナー)が失われた魔物はその時点で――。
そこまで思考が及んでエシュロスは白い顔をより真っ白にした。
(あと、もう一つ問題があって、この飛行機にいるカタギの人達に呪文が当たって怪我したり――最悪死なせたりするかもしれないっていうのがあるんだ。まぁ、君的には人間なんて私も含めて蛆虫同然だろうから、如何でも良いだろうけどね)
この非常時にあっても意地の悪い言い方をする薫に、さらにエシュロスの顔は青みがかる。
暫し沈黙が流れた後、
(冗談だよ。ごめんね)
薫は小さく笑った。
(笑えないぞ、カオル)
そう言いつつも、エシュロスの顔は色を取り戻していた。汗こそ、だらだらと流れているが。
(……と、ここでふと思ったんだけど、これ)
(これ?)
(そう、これ)
最初エシュロスは、“これ”がどれのことを指しているか分からなかったが、今こうしているこの状態を指していることに気が付く。
(念話のことか?)
エシュロスの言葉に、薫は溌剌とした声で、“YES”と返す。
(これなんだけどね、エシュロス、使うのに条件がいるって言ったよね?)
(ああ、言ったが……。それがどうしたんだ?)
(確か、顔が分かっていないといけない。会話できる距離にも限りがある。だったよね?)
(勿体振らずに、答えてくれないか?)
エシュロスの言葉に、
(焦れ易い男の子は、女の子に嫌われるよ)
と冗談めかしく窘めてから、薫は本題に入った。
(ひょっとしたら、私がいる正確な位置が分かるかもと思ってね)
その指摘にエシュロスはハッとし、急いで真相を確かめた。
(分かる! 凄いぞ、カオル! 貴女がいる場所がハッキリと分かる! 知らなかった! こんなことが出来るなんて!)
エシュロスは興奮気味に結果を伝えた。
(うん、ならなんとかなるね)
(な⁉ まさか、もう打開策を見つけたというのか!?)
驚愕に目を見開く間もなく、エシュロスに
(うん)
と短く、落ち着きながらも、自信が籠った返事が届く。
(……でも、成功させるには二つあるんだ)
薫の言葉にエシュロスは急かす様に、
(それは何だ?)
と訊ねる。
作戦に重要な点。その答えとは――
(運と、君の優秀さ)
――で、あった。