食事の後、一時間ほどショッピングを楽しんだ一行は薫の自宅へと向かうために、ダンの車に乗り込んだ。
“ディーノ”と呼称されたシャープなボディーが特徴的な赤い車である。
……如何やら、この車をダンは甚く気に入っているようで、鼻歌交じりで機嫌が良さそうにハイウェイを運転していた。それを指し示すかのように、車の速度計は法定速度をとっくの昔に振り切っている。
全開にしている窓が、外気を一気に呑み込んでいく。今、見たと思った景色がどんどん後ろへ遠ざかる。
疾い。兎に角、疾い。
「どうだ、エシュロス。俺の車の乗り心地は?」
ふとダンは、助手席に座るエシュロスに声を掛ける。
「悪くない」
短く、素っ気なさげに返したエシュロスは、その実、ダンに買って貰った濃いブラウンのサングラスの向こう側を緩やかに細めていた。
座り心地の良いシート、頬を激しく撫でつけていく風。
総てが最高であった。
「というよりも。ダンさんの車って“A4”じゃなかったっけ?」
後部座席の真ん中に陣取って煙草を吹かしていた薫が、ふと煙草を離してそう訊ねる。
「言ってなかったか? 俺、車が好きでよ。何台か持って、その日の気分で色々乗り回してんだよ」
但し、総てなんらかの理由で廃棄になった車を自ら修理したリサイクル製品であるともダンは補足する。
“なんらかの理由”には、うっかり人を撥ねてしまった大物議員が処分に困って……などという詳細をあまり聞きたくないようなものも多々あった。
「“やくざ”……というのは、色々やるのだな」
その車に纏わるエピソードの大半が仕事絡みの案件で手に入れた代物で、その仕事の内容が多岐に渡ることを受けてエシュロスは感嘆の声を漏らした。
「“暴力団”って言っても、近頃じゃ“ヴァイオレンス”でしのぎは立てられねぇ。専ら“インテリジェンス”がしのぎになる。だから色々出来るんだよ、今の極道ってのはな」
そう言うとフッと小さく笑うとダンは運転席の窓を開ける。そして、胸ポケットから“RONSON”と書かれたクラシカルな意匠の金色のオイルライターと、黒い紙巻の煙草を一本取り出す。
片手で器用にハンドルを操作しながら煙草を銜え、火を点けると、そのまま一度、紫煙を吐き出した。
チョコレートのような独特な甘い香りを残しながら、薄らと白い靄が置き去りになっていく。
「そうなのか」
それを呆と、横目で見ながらエシュロスはなんとなく納得したような声を出した。
すると、後ろから
「今の極道っていうより、ダンさんは特別色々出来るんだけどね」
と薫が口を挟む。
「私の働いてる“PARADISE LOST”の他に、キャバとかガールズバーとか色々お店経営して、全部成功させてるし。資格も一杯持ってる。私にも勉強とか教養とか色々教えてくれた」
「勉学まで……それは凄いな」
エシュロスのいた魔界にも、犯罪などの“悪”を生業として生きる無法者はいた。
だが、その殆どは、インテリジェンスなどという言葉には無縁の無頼でしかなかった。
やくざという職業は此の世界に於いて褒められるような職種ではないと聞きエシュロスは最初そういったアウトローを想像したが如何にもダンという男は違うのだと感じ始める。
「……テメェが俺を褒めるなんざ、珍しいこともあるもんだな、リーサ」
「ん? いつもこき使ってばっかだからね。ちょっとくらいねぎらってるつもり」
「言葉のみ、て。それを人は偽善というんだぜ?」
「“やらない善よりやる偽善”って言葉もある」
薫の減らず口にダンはヘッと皮肉めいた笑みを零すと、車載の灰皿に擦り切れた煙草を押しあてた。
その掛け合いが妙に息が合っている様に見えてエシュロスはムッと二人を凝視する。
何処か通じ合っているような雰囲気。薫を拾ったのはダンであり、また彼女に様々な知識を与えていたのも彼という事実。
故に二人の関係を邪推してしまう。
「男の嫉妬は見苦しいぜ?」
少しばかりエシュロスの方を向きながら、ダンは再び煙草に火を点ける。
「てか、俺とコイツはそういう関係だったことはねぇから。安心しろや、彼氏さん?」
横目にウインクをしながら煙を吐くダンを見て、エシュロスは自分と薫がそういう設定になっていたことを忘れかけていたことを自覚する。
故に、
「いや、そういうことではないんだ」
薫とダンの関係を何か特別に羨望するということは在り得ないのである。
ただ、エシュロスは気になっていたのだ。
「……彼女と近い関係のようだったから。だから屹度、今までのカオルをよく知っているのかと思って」
それはとても大事なことであったから。
「だから、もしそうなら教えて欲しいと思ったんだ。私は“今”と“これから”のカオルしか知り得ないから」
本の持ち主(パートナー)のことを知る。
人間界に降りて薫と出会うまでは如何でも良いと思っていたことはエシュロスにとってその重要性を強めていた。
惧れがあった。恐れがあった。
薫が見せた笑顔の正体が分からない儘ではいけないと思うようになっていた。
過去を知れば何か分かることがあるかもしれない。
そう思って、口にした質問の回答は、
「というか、エシュロス。それ、私に直接聞いたら?」
身を乗り出して、パートナーに笑顔を向ける薫自身によってもみ消される。
エシュロスもまた、
「それもそうだな」
と笑顔を返す。
「じゃあ、今度色々聞かせてくれ」
そう言いつつエシュロスは、薫自身に聞く気はまるでなかった。
屹度、誤魔化される。然も、薫は尋常な顔をして嘘を吐ける。吐かれてしまった方にしてみれば、それを真実と見極める事は不可能であるほどだ。
だから、真実はダンから聞き出さなければならない。
そして、今聞き出すつもりもエシュロスの中にはない。薫を交えてでは有耶無耶にされてしまう可能性もあるかもしれない。
……そこまで考えられているのに、如何して今この場面で聞き出そうなどというチョンボも良いところな選択肢が生まれたのかエシュロス自身には分からなかった。
その答えを知るのはもう少し後になる。
そのような出来事があった薫の自宅までの車内。
その後は、ダンが経営するバーで働いている進一という青年の恋がどこまで進展しただとか、それについてはあまり話せないだとか、取り止めの無い話が続いて――。
鬼松市中区、駅近く、五十階建てマンションの四十八階。薫の住まいが見えた辺りで、
「あ、リーサ。お前、今日と明日、休みな。名目上、大事を取ってということで」
と最後にさらりとそんなことをダンが告げてきた。
彼氏に日本のこと教えてやんなと、実際まるで不要な気遣いを見せて。