一話、青の世界
青、青、青。視界一面が青。
遥か彼方まで飛んでいけそうな水色と、どこまでも沈んでいけそうな深い蒼。太陽が照りつける水平線を挟んで、雲ひとつない空とコバルトブルーの海が広がっていた。
この光景を眺めているのは、『
巨大な帆船の甲板の上で、手すりに肘をつき、頰杖をついて体をもたれ掛かせて眺めていた。マストが潮風を受けてたなびき、船が進んでも、その景色は一向に変わり映えがしなかったが、海人には飽きがこなかった。
あの水平線の向こう側には、一体どんな世界が広がっているのだろう。未発見の陸に、親交のない民族や美しい建築様式、見たこともない奇妙な生物まで。海人の頭の中では尽きることなく、どんどんイメージが膨らんでいた。
「兄様」
海人の背中に、誰かの影と声がかかる。
首だけ後ろに回して見ると、見慣れた顔が目に入る。背を伸ばして立った海人の、胸あたりに頭が来る小柄な少女だった。少女は、腰に両手を当ててこちらを見つめており、その表情はやや不機嫌そうだった。
「おう、『
「呑気にしていないで、そのだらしない格好をどうにかしてください。私たちは国の正式な交易船の、正式な役人なのですから、それらしい身なりに整えてください」
「いいじゃねえか、いちいち袖を通さなくても。『あの国の人間はそういう文化を持っている』とでも誤解させときゃいい」
「それは妹としても国に住む人としても不本意なのでやめてください」
仁実は目を細めて、ますます不機嫌を露にした。
だが海人は気に留めた様子もない。仁実が細かいことで海人を小言を言うのはいつものことだ。
海人は仁実から目を逸らすと、また海を眺めだした。
「まあ落ち着けって。もう少ししたら着替えるさ」
「……まだ海を観ているつもりですか。飽きませんか?」
「ああ、まったく飽きないな。あの向こうに何があるのか想像するだけで、ずっと観ていられる」
「本当に、子供みたいな人ですね」
「はははは! 十三のお前には言わちゃおしまいだな!」
海人は振り返ると、ぐりぐりと仁実の頭を撫で付けた。
「ッ……。……や、やめてくださいッ! 子供あつかいしないでくださいッ!」
二秒ほどなすがままだった仁実だが、すぐに海人の手を振り払った。顔が少し赤くなっているが、海人は微笑ましい気持ちで見なかったことにした。
「事実、子供だろうが」
「兄様よりは字も書けるし、頭も良いです! それともお兄様が私の仕事できるのですか?」
「あたたっ。痛いところを突かれちまったな」
海人は字を書くことができなかった。生活に必要な字は読むことができるのだが、書くことに関してはゼロといっていいほど能がなかった。
覚える必要のない環境で育ったというのが一番の理由である。平民として育った海人は、読み書きの力よりも労働力のほうが必要だったからだ。
そう、仁実は海人のことを「兄様」と呼んではいるが、実の兄弟ではない。海人は、仁実の父親によって引き取られた養子なのだ。
「でも、だからこそ感謝してんだ。お前がいなかったら『こんなこと』はできなかった。ありがとう、仁実」
そう海人は日頃の感謝を素直に述べると、また仁実の頭に手を乗せて撫でた。
さっきとは違いやさしく大切そうに撫でる。仁実は今度は海人の手から逃れずに、目を細めて気持ちよさそうに受け入れていた。
「ん……。で、ですから、子供扱いしないでと……」
「仁実は一人前だ。大人にだってこうやって褒めてほしい時があるんだ。恥ずかしいことじゃないさ」
「本当ですか?」
「おう。褒めなきゃ人間は育たないからな」
ひとまずは納得したのか、仁実はそれ以上何も口にしなかった。
そこで海人はふと気がつく。
「ところで仁実。なんで俺のところに来た? 何か伝えたいことでもあったか?」
「! え、えと……。その……」
そこで仁実は何故か口ごもる。
海人に用件があれば、すぐに言葉に出るはずだ。ど忘れしたというよりは、本当のことを言いずらそうであった。
「もしかしたら、ただ俺と喋りに来ただけとか」
「そんなばかな」
「なぜ片言になった」
「……そ、そうでした! もうすぐ明が見えるはずです。そのことを伝えにきました」
「そうでした?」
「……では!」
そう言い残すと、仁実は脱兎の如く海人から逃げていった。
あの様子だと目的地が近いことを伝えに来たのは建前で、本当の目的は俺と話すためだったのだろう。そう察すると、海人は周囲に言い放った。
「てめぇら! コソコソしてる暇があったら、自分達の仕事に集中しろ! 手が止まってるぞ!」
『へい、若頭!』
途端に周囲から快活な返事があがり、聞き耳を立てていた乗組員たちが蜂の巣を叩いたように持ち場に戻っていく。
隠れている者達がいるのは気づいていたが、「全員いるのでは?」と疑うほど出てくる。ここまでいるとは思っていなかった海人は面くらい、すばやく洗練された動きだと逆に関心してしまった。
海人と仁実の仲を邪推して聞き耳を立てる。この船ではよくある光景なのだ。
「おっ。着いたな」
船首に立った海人の目の先には、目的地の陸があった。
陸の上に栄える国の名前は、
十四世紀の後半から十七世紀の前半まで大陸を支配した、中国の王朝である。
◆
時は十六世紀中ごろ。
いまだ足利将軍が世を統べ、だが将軍の権威も明らかに弱体してゆく時代。
応仁の乱鎮まり、しかし幕府崩壊の前触れと、下克上の機運が高まる、不安定な政治体制。
そんな時、大名国が軒並み連なり、にらみを効かせる東北の地を拠点とした、ならず者の集団がいた。
明から『倭寇』と呼ばれる海賊団のひとつが、日の本本土の最北の地にあった。