征海魔王   作:カンジョー

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十三話、到着

「おーい、生きてるかー?」

 

 血まみれで倒れている男は、気絶していた。海人は容赦なく冷水をぶっかけた。

 あわててまぶたを開き、ぎょろりと辺りを見渡す男。名は、たしか舜季(きよすえ)とか言ったか。愛代の父親であるはずだ。

 海人は曖昧な記憶を呼び起こす。

 

「……愛代は?」

 

 前に聞いたのとは随分と違う、優しい声色で弱々しく呟いた。

 第一声にそれか。海人はきょとんと呆けた。

 それほどに娘が大事か。アテルイの言っていた、まつろわぬ神の狂信者は見せ掛けの演技だった。この今の姿が素、我が娘の安否を心配する父親の顔こそが本性なのかもしれない。

 

「お前が第一生存者だ。この嵐吹き荒れる未開の森で最初に会ったのがお前だ。まだ愛代は見つけていない」

 

「だったら早く愛代を。……愛代は、死ぬべきじゃ」

 

 舜季は血を吐き出した。

 

「おいおい喋るな、死ぬぞ。それになんて言っているか聞こえねえよ」

 

 まつろわぬ神が引き起こす嵐は、絶えず荒れ狂っている。あの七つの頭を持つ竜に嵐を起こす気はない。嵐の神性をもつ、意識しなくとも起こってしまうのだ。あの湖は例外で、いわば台風の目だった。

 海人と舜季は現在、森のどこか、木と崖に挟まれた空間で嵐の風雨を凌いでいる。

 ごうごうと木々に風が打ちつける音が響いて、舜季の声を掻き消す。不自然に成長した木々は葉と枝を揺らすだけだ。嵐に相当鍛え上げられたようだ。

 

 死ぬ前に、愛代の居場所を聞き出さなければならない。

 

 海人は、舜季の全身を上から沿って観察する。

 頭、胴、両手はちゃんとついている。だが、胴体から下がなかった。服の端から見るに、何かに噛み千切られた。下半身を丸ごと食いちぎられたのだ。

 それから上半身が、崖の上から落ちた。

 

 下半身が食われても失血死していない。男が魔術か何かの不思議な力で血を止めて、今まで生きていられたのだろう。

 海人には感知できなかったが。

 

「愛代はどっちに行った?」

 

 海人は、舜季の口元に耳を寄せて問いかけた。

 

「湖の……反対方向。檜山の本隊がある」

 

 それだけ聞ければ十分だ。海人は耳を離して、立ち上がる。

 そうして近くの木に立てかけた、愛用の槍を手に取った。

 

「何か言い残すことは?」

 

 槍を、舜季の首元にあてがった。

 

 何らかの方法で生き永らえてきた命だったが、それも尽きようとしていた。ならば一思いに頭を潰し、生の柵から開放してやる。海人からの情けだった。

 

 舜季の唇が動いた。だが風の音で聞こえない。

 仏に祈りでも済ませたのだろう。祠で顔を合わせた時はあれだけ激昂していた海人だったが、ふたたび会ってみても怒りが沸いてこない。

 自分を縛り付けたことには少しだけ腹が立ったが、この男が子煩悩だと知ればこの怒りも霧散するというもの。

 こうして舜季の命を掌に掴んでも、海人には何の感動もわかなかった。

 

 海人がまさに槍を振り下ろそうとしたその時、舜季がまた口を動かした。

 

「愛代を、頼む」

 

 ちょうどその時だけ、風と雨が止み、海人には声がはっきりと聞こえた。

 直後、あたりに轟音が鳴り響く。落雷の音だ、かなり近い。

 海人の手から、家業でよく知った感触が伝わってきた。

 

 

 

 

 雷が、目の前で落ちた。重蔵は目をしばたかせて、落雷のショックから視力を回復させる。

 落雷に直撃した者はいないようだ。仁実も無事だ。目の前にあった木の上に落ちたようだった。

 重蔵は焦げ屑となった木を見下ろす。この上からまた木を養分に、新しい木が生えるのだ。森の生命力は強靭で、重蔵には恐ろしくもあった。

 

 海人は無事だろうか。人一倍の怪力を持つ海人でも、雷が落ちれば命を落としてしまう。

 重蔵は、二人で話したいと言っていた海人の元へと向かった。

 

「海人」

 

 そこでは惨憺たる光景が広がっていた。

 鮮血が派手に飛び散り、舜季だったものの首から上は跡形もなく消し飛んでいた。そこから先へと血が飛散しているので、首は確かにあったのだろう。

 そんな中で、身の丈はある長槍を片手に立ち尽くしていた海人は、こちらに気づくと振り向いた。

 

「愛代の居場所は聞き出せたぞ。悪いが手加減できず、首は残らなかった」

 

「そうか。なら急ぐぞ。檜山の軍でも、いつまで持ち堪えられるかわからねぇ」

 

 重蔵はちらりと視線を落としただけで、死体に踵を返した。海人も木々を掻き分けて後に続く。

 埋めて埋葬してやることもできたが、あいにく時間がなかった。それに彼は檜山を裏切った身だった。他より少し親しくはあっても、重蔵が行う気にはなれなかった。

 家族の絆を大事にして、他よりも優先していた。

 

 草木を掻き分けて開けた場所、船員たちが待機している場所へと戻ってくる。

 

「兄様!」

 

 仁実が海人の元に駆け寄る。海人はすり寄ってくる義妹の頭を撫でると、感情がなかった表情に笑顔がともった。海人が笑うのを見てか、仁実はしぶしぶながらもそれを受け入れた。

 

「お前達は逃げ道を用意しろ。できるだけ素早くこの森を抜けれるように道を作れ」

 

「わかりました。お頭は」

 

「俺は海人のお守りだ。こいつは重要なところで詰めが甘いからな」

 

「必要ねえよ」

 

 海人は拗ねたように悪態をついた。重蔵は大口をあけて笑った。

 

「がっはっはっは。俺がいなかったらお前、どうやって此処まで来るつもりだったんだ?」

 

 重蔵は海人の背中をバンバン叩いた。

 

「いたっ、いてえよ親父。それは親父に聞こうと思って……」

 

「俺は会ったときからずーっと『人を頼れ』って言ってきたはずだぜ」

 

 海人は自分ひとりだけで何でもできる分、他人を頼るということを知らなかった。自分ひとりだけで出来ることは悪いことではない。だが賢い生き方とは言えなかった。

 

「人を頼るほうがずっと楽だ。たった一言、『頼む』といえば、力を貸してやる。今更俺達に何の隠し事があるっていうんだ。俺達海賊団は家族だ。家族に力を貸してくれって言われて、貸さない訳がねぇだろ。……そうだよな、お前等!」

 

『水臭いですぜ、若頭!』

 

「に、兄様、私も全力でお手伝いします!」

 

「……おう! よろしく頼む!」

 

 いつもの調子に戻ったのようで、重蔵は胸をなでおろした。

 策とも言えない稚拙なものだったが、今回の兵法には海人とその刀が必要不可欠だった。

 

 重蔵の掛け声により、海賊団の団員たちが森の奥に散っていく。

 

「海人。あの神妙あらたかな剣、なくしちゃあいねえだろうな」

 

「ああ、ここにしっかり」

 

 海人が懐から脇差を取り出し、腰の大小の刀を叩いた。

 

「肌身離さず身につけておけよ。まつろわぬ神を傷つけられるものは、それだけだ」

 

「分かるのか、親父には?」

 

「そのただならぬ気配を感じれば、そのアテルイとやらの言葉も真実味を帯びるというもの。と言うより、逆にお前は何も感じないのか?」

 

「私も感じます」

 

「そうか……」

 

 海人は脇差を見つめ、再び懐に戻した。

 

「仁実、お前はついてきてもいいが、絶対に愛代と一緒に逃げるんだぞ」

 

「そのようなわけにはいきません! 私だって術のひとつや二つはできます。必ずや兄様の力に」

 

「だめだ。……この際だ、はっきりと言わせてもらうが、お前がいると邪魔なのだ。お前はまだ大人でもなく、成長しきってもいない。お前がいては、俺が全力で力を発揮できないんだ」

 

 仁実が術を使えると教えられたとき、海人は驚き、そして少し頼もしさを得たものだ。しかし助けに行くのに、助ける対象を増やしては意味がないのだ。

 

「仁実、ここは海人の言うとおりにしてやれ。あの刀を止め処なく、思いっきり振り回せるようにしてやるのが、俺たちの役目だ」

 

「……わかりました。兄様、必ず戻ってきてくださいね」

 

 それでも不安な表情をする仁実に、海人は力強く答えた。

 

「おう、まかせとけ! 俺が一人で行って、帰ってこなかったときがあったか?」

 

 海人はしゃがんで仁実の目をまっすぐに受け止めた。仁実の頭に手を置き、ぐしゃりと撫でる。

 

「ないです。兄様はいつも、平気な顔をして帰ってきました」

 

「俺を信じろ。絶対に、生きて帰ってくる」

 

 今度こそ、決意した顔でうなずく仁実。海人もまた笑顔で頷くと、仁実から手を離して立ち上がった。

 

「これからまつろわぬ神を倒す」

 

「無理だと感じたら迷わず逃げろ、海人。ひとりでも多くの命を救う、それが第一だ」

 

「わかってるって」

 

 その受け応えの様子を見て、重蔵もまた、海人の行く先を憂える。

 海人の視線の先には話にしか聞かぬ、まだ見ぬまつろわぬ神があった。

 

 

 

 

 脚のあちこちに傷をつけながらも、愛代はなんとか檜山の本軍が駐屯している場所までたどり着いた。

 軍配を振るっていたのは、檜山に行ったときに何度か顔を合わせたことがある檜山安東家の男だった。

 話は父親方からついていたらしく、快く保護してくれた。

 

 愛代は安堵した。

 

 根拠のない信頼が、心を緩ませた。

 だが、それもほんの一時の希望にすぎなかった。

 大丈夫、安心してくれ。もう怯える心配はない。魔物は私達が倒す。男性はそう言ってくれた。大人の余裕と経験から来る威厳を感じさせる男だった。

 

 だがそれも、ついさっきまでの話。まつろわぬ神の姿を目にすると怯み、なんとか全軍を鼓舞して突撃させるも、片っ端から宙を舞う自軍の兵を見て、焦りを感じているのが丸分かりだった。

 一万以上の兵を纏め上げるその能力は本物だったろう。戦場に出れば稀代の名将と名が響いただろう。だが相手が悪かった。相手は、疲れの知らないまつろわぬ神だ。

 あの七頭の竜にとって、人を殺すなど徒労に入らないのかもしれない。例えるなら人が蟻を踏みつけるが如く、それほど容易いことなのだと。

 物量に任せた策は、疲れを覚える生物になら有効だ。休む暇も与えずに攻撃し続ければいい。だがまつろわぬ神には生物の範疇に収まっているのか。はなはだ疑問だ。

 

 愛代は目の前で繰り広げられる地獄絵図を、本でも読むかのように、第三者の視点で眺めていた。

 どうしてそんなことができるのか。それはまつろわぬ神は倒せないと理解してしまったか、目の先で人が肉塊に変わるのを見て脳が現実を拒否してしまったか、逃げられないと悟り諦めてしまったからか。

 

 総軍の指揮を執っていた男は、愛代の眼前で死んだ。いろんな液体で顔を汚しながら背を向けて逃げ帰り、後ろから迫ったまつろわぬ神に喰われて果てた。胃袋の中だ。馬に乗っていたので、背中を抉り取られた馬だけが倒れて残っている。

 

 呆然と立ち尽くし、ずりずりと体を地面に擦り付けながら迫る異形の怪物を、愛代はじっと眺めていた。

 

「どうした、人の子よ。逃げないのか」

 

 七対の瞳が愛代を見据える。まつろわぬ神に射すくめられて、今にも恐怖で体が震えそうだった。

 愛代は震えそうになる体を抑え、気丈に振舞った。竜の視線を真っ向から受け止めて、声を張り上げる。

 

「私が狙いなのでしょう。私はもう逃げません。その替わり、何の罪もない人を襲うことはやめなさい」

 

 その時、まつろわぬ神の頭のひとつから、口から直線状になにかが放たれた。

 愛代の足元に当たり、地面を盛大に抉り、大きな穴を開けた。愛代は反射的に腕でかばうが、飛散したなにかを浴びてしまう。

 それは水だった。水は土と交じり合って、愛代は泥水を被ってしまう。

 

「礼儀も弁えぬ小娘が! 何故貴様ごときの頼みを聞いてやらねばならん。我より搾取されるだけの存在が、その罪、我の腹の中で省みるがいい!」

 

 異形の獣はそう言うと幾百人もの血でまみれた牙をむき出しにし、愛代に迫る。

 それを聞いて愛代は、その場で額を地面にこすり付けた。竜の吐き出した水が土と混ざってぐちゃぐちゃになっているが、それでもお構いなし。土下座の姿勢で必死に頭を下げた。

 

「どうか、気をお静め下さい! 私の身はどうなっても構いません。ですがどうか、これ以上何の罪もない無垢な民を殺すことは、おやめ下さい!」

 

 愛代は決死の思いで頼み込んだ。

 先祖代々伝わる忠告を疑わず、素直に受け入れるべきだったのだ。それも後の祭りで、たくさんの命を散らしてしまった。ここで自分の命は潰えてしまうが、領主として一人でも多くの命を救うべきだ。

 だがそれも、まつろわぬ神には届かなかった。

 

「ならん、ここで死ね」

 

 ついにまつろわぬ神は首が届く距離に到達すると、自分の一人を差し向けた。

 

 時世の句も読ませてくれない遠慮のなさ。もはやここまでと目を瞑った。

 その時、愛代の脳裏には現在までに経験してきた人生が、走馬灯のように流れていった。海人と遊んだ良い思い出も、両親に叱られた辛い思い出も、瞼の裏に浮かんでは消えていった。

 そして最後には、海人の顔が思い浮かんだ。

 

「……え?」

 

 最後は思い人のことを考えて果てよう。そうしてその時を待っていた愛代だが、一向にその時が訪れない。

 もう既にここは黄泉の国で、痛みを感じる暇もなく死んでしまったのか。おそるおそる瞼を開けると、そこには横に倒れた世界が広がっていた。

 

 いや、違う。世界が倒れているのではない。私が気がつかないうちに、地面に倒れていたのだ。

 足元には竜の首が土を食べていた。愛代は咄嗟に竜の首を避けて、一息に右横に飛んで倒れたと、ようやく脳の理解が追いついた。

 

「……解せぬな。なぜ我が牙を逃れた、死すべき運命の子よ。死ぬ覚悟はできたと口では言っておきながら、何故足掻く」

 

 七つの竜が不快に呟く。

 愛代自身にも分からなかった。海人の顔を瞼に浮かべていたら、ひとりでに脚が動いていたのだ。

 海人の槍を鍛錬している真剣な顔、私に外の世界を話す得意げな顔、ふとしたときに零す笑った顔。

 

 何度も自問するうちに、愛代はようやく気づいた。

 自分は海人が好きで、好きで仕方がなくて、まだ一緒にいたい。一緒にこの先も歩みたい。婚姻を結んで、やがて子供ができて、幸せな家庭を築いて、子供が大きくなって独り立ちして、どちらかの寿命が尽きるまで、ずっと一緒にいたい。

 生きたい。

 

 まつろわぬ神の言うとおりだ。口では死ぬ覚悟ができたといっても、生きたい。やりのこしたこと、この世の未練がやり切れないほどにたくさんあるのだ。

 愛代は立ち上がろうと脚に力を入れる。激痛が走った。竜の頭を避ける時に捻ってしまったのだろうか。立つことができずに、また地面に倒れこむ。

 

 それでも諦めずに、今度は両腕を使って地面を這う。

 愛代の姿は、泥と赤い血でぐちゃぐちゃの酷い有様だった。それでも必死に腕を動かし、七首の竜から距離をとる。

 愛代は死んでしまう最後の時まで、生きることを諦めなかった。

 

「そうまで無様を晒しておいて、なお死にたくはないと死を恐れるか。……醜いな、人の子よ。いずれは訪れる結末、遅いか早いかの違いではないか。我の住む世界に、醜き虫は不要だ。山を下り、檜山の集落を洗い流すとしよう」

 

 まつろわぬ神は既に愛代を殺した後のことを考えていた。確かにこの状況で愛代が生き残ることは絶望的で無きに等しい。

 竜の首がずるりと動き、愛代を捉える。

 

 それでも、私は、生きることを諦めない…ッ! 命の危機を直感で感じ取っても、後ろを振り向かない。愛代は前へ前へと前進し続ける。

 

 竜の頭が大口を開け、首が伸びる。ついに食べられてしまう。

 その時だった。硬いものと硬いもの、金属が強く打ち合ったかのような甲高い大きな音が、森に鳴り響いた。

 

「……え?」

 

 予想外の音に、愛代は思わず振り返る。そこには、槍をつっかえ棒の如く上下の歯にひっかけ、竜の頭を抑える人の姿があった。

 間違えるはずがない。それは今までずっと愛代が思って止まない、脳裏に描いていた人物その人だったからだ。

 

 どうしてここにいるの?

 

「海人……?」

 

「間一髪。遅くなったな、愛代」

 

 夢でも見ているのだろうか。とうてい信じられない海人の姿に、今度は天国で、かっこいい海人の姿を幻視しているのだと愛代は思い込んだ。

 

「何……? 何者だ、小僧?」

 

 首を引っ込めるまつろわぬ神に向かって、海人は言い放った。

 

「重蔵海賊団副船長、安東海人。だが今は、でっけえ蛇を退治するため陸を越えてやってきた、唯のひとりの人間よ」

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