征海魔王   作:カンジョー

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十七話、輪廻転生

 ふと気がついたとき、海人は灰色で塗りつぶされた世界にいた。

 そういう部屋に居るのかとも思ったが、そうでもないらしい。黒いもやがかかって遠くを望めず、地以外に手をつけれそうになかった。

 

 現世にありそうにない景色。

 ならばここは、あの世か。

 とすれば、目の前の女性が神様か閻魔様なのかもしれない。

 

「いらっしゃい、生と死の境界へ。あなたは一度だけ来たことがあったのよね。アテルイさまは息災だったかしら?」

 

 威厳も何もない、友人に話すような軽い口調だった。

 女性といっても見た目は海人よりも年下、十代半ば頃であろうか。背も低く、ひと目見た印象も幼い。長い髪は横で二つに結わえられ、いわゆるツインテール。それも彼女の可愛さを立たせる要因だろう。

 だが海人の抱いた印象は、見た目にそぐわず艶かしい、だった。彼女がとる動作ひとつひとつに『女』がにじみ出ており、幼い外見がさらにそれを際立たせていた。女性と言ったのはそのためだ。

 跪きたくなる重圧はないが、愛らしさは伝わってくる。だが見た目と不釣合いな中身は、やはり人間ではないのだろうと海人に思わせた。

 

 彼女は神だ。七頭の竜と違った、真なる神だ。

 では、そんな神と対面している俺は何だ? 海人は必死に思い出そうとするが、意識を失う直前のことがまったく浮かばない。

 

「アテルイは……元気だった。百年以上閉じこもっていたとは思えないほどにな。それで……あんたの名前は? 何と呼べばいい?」

 

「私はパンドラ。『厄災の魔女』なんて神様たちは呼ぶけれど、海人は気軽に『ママ』って呼んでいいわよ」

 

 聞きなれない異国の言葉に、海人は疑問符を頭に浮かべた。

 

「ま……まま?」

 

「海人の国では、『お母さん』って意味かな。なんたって、あなたは私の息子に生まれ変わったのだもの」

 

 生まれ変わる。その言葉を聞いた海人の頭の中に、ようやく意識を失う前のことが思い起こされる。

 そうだ、確か俺は、竜の七つの頭すべてを斬り落としたあと、立ち上がる力が残っておらず、力尽きて倒れた。戦闘が激しく、周囲に気を配る余裕すらなかったが、噴火して溶岩が溢れだし、あたりの地表を覆っていたはずだ。

 思い返してみれば、よくもそんな状況で争っていたものだ、と海人は自分を恥じた。同時に、そんな状況で気を失えば、自分の肉体に起こることなど簡単に想像がついた。

 

「パンドラ。俺は」

 

「まーま」

 

「……」

 

 海人は大きな溜め息を吐くと、ぎこちなく言い直した。

 

「……かあ、さん。聞きたいことがある」

 

「あら、催促したけど、本当に言ってくれるとは思わなかったわ。欲を言うと、ママって言ってくれればもっと嬉しかったけど」

 

「勘弁してくれ。それで、どうなったんだ、七岐の大蛇は?」

 

 ママという言葉の響きが、海人にはどうしてか背中がこそばゆくなった。

 

「安心して、海人がここに居るということは、海人が『神殺し』という偉業を成し遂げ、私の養子にすると認めたからなの。あの方は海人に倒された。といっても、神話に還っただけで、また顕現するかもしれないけどね」

 

 神殺し。それがどれだけ偉大な功績か海人にはわからなかったが、海人はまつろわぬ神を倒した。あの強大な力を倒したと確信が持てなかったが、ようやく実感が持てた。

 それがわかると、心残りがすっと解ける感覚がした。

 俺は父さんの教えを使って、竜殺しを成したのだ。海人は心の底から喜んだ。

 

「そうか。……よかった」

 

 それに竜が斃れたのなら、もう罪のない人々に災いが降りかかることもない。今まで犠牲となった安東の人間の死も報われる。奥羽の大地に豊かさが行き渡る。良いことずくめだった。

 愛代たちの安否を、海人は心配してはいなかった。仁実は義兄の言葉は聞き分けがいいし、愛代を素直に聞いてくれるはずだ。重蔵が二人をつれて、無事に生還しているはずだ。

 海人は帰れなくなった場所に、思いをはせた。

 

 パンドラは面白おかしく、海人の感情の移り変わりを眺めていた。

 

「それじゃあ母さん、俺はこれから一体どうなる?」

 

「海人は私の息子として、現世に産み落とされるわ。神殺しなんてことを成し遂げたのだから、人間ではいられないわよ」

 

「輪廻転生か。犬か猫にでも生まれ変わるのか?」

 

「そんな可愛いものだったらよかったけどね。あなたは強靭な肉体を持ち、膨大な呪力を内包する、生まれながらにして魔王となる素質を秘めた存在に生まれ変わるのよ」

 

「人間じゃないのなら、何で呼べばいいんだ?」

 

「西の方では『エピメテウスの落とし子』『ラークシャサ』なんて呼ばれているけど、海人の国だったらそうね……『羅刹王』と呼ばれているわ」

 

「羅刹王……」

 

 本当に人間ではなくなるのだな、と海人は特に羅刹王という名に疑問を持たなかった。

 力が人一倍強く、敵からは化け物と恐れられきてきた海人だが、本当に人外になった。

 どんな種族だ、腕が四本に増えるのかと、検討外れに妄想していた。

 

「よしっ! 母さん」

 

「あ、今度はすらすら言えたわね」

 

「言い慣れていなかったからな。それに心の準備もできた。いつでもいいぜ!」

 

 物心ついた時には母親は他界しており、海人には母親の記憶がなかった。母親がいるというのが初めての体験だったのだ。

 

「そうね、私がここに居られる時間も少ないしね」

 

 じゃあ最後にひとつだけ、とパンドラは眉根を寄せた真剣な表情で言った。

 

「海人はこれから、生前とは比べられないほどの困難な試練が待ち構えていることでしょう。神を殺し、私という魔女に見初められた者の宿命よ。行く先々で厄災に見舞われ、決して逃れることはできない。だけどその壁を乗り越えることができれば、海人が本当に欲しいものが手に入るわよ」

 

「予言したかのように言うんだな」

 

「だって私はパンドラ。ありとあらゆる絶望と、ひとにぎりの希望を与える魔女ですもの」

 

 パンドラは神妙な面持ちからころりと一転して、にこりと眩しい笑顔を浮かべた。

 

「まあここで言ったことは、現世に戻ったら忘れちゃうでしょうけどね」

 

「だめじゃねえか!」

 

「まあまあ。忘れちゃったとしても、心の奥には残っているから」

 

 悟りをひらくような者なら、ここでの事も忘れずにいられるらしいが、そもそもそんな者は神殺しにならないという。

 

「だがそうだな、何事もやってみなきゃわからねえからな。時と場合によって良くもなり悪くもなる。悪い方向にばっか考えても仕方ねえ」

 

「そうそう、その意気だよ! ……あっ、もうすぐ時間だ。それじゃ海人、ファイト、おー!」

 

「おう!」

 

 ファイトの意がわからなかったが、海人には力強い響きを感じた。

 短く同調の返事を返すと、海人の体は眩い光に包まれて、生と死の境界から消えた。

 

 自分一人以外、誰もいない世界で、パンドラは溢した。

 

「さてと、次は西の方かな? 私の息子が二人も生まれるなんて、星が堕ちなければいいけど」

 

 

 

 

 海人が新しく生を受けたのは、広く澄みわたる、蒼の晴天の下だった。あの日海で見た、雲も高い木も障害物がなにもない、澄み渡った蒼天だ。

 しかしそう思っていたのは海人だけだった。

 

「海人!」

 

「兄様……! 本当に……良かった……!」

 

「ったく、一度心臓が止まった時は、本当に死んだかと思ったぞ、海人!」

 

 そこは悉く溶岩によって焼き尽くされ、焼け野原となった密林だった。

 そこに手足頭部、身体中に傷ひとつない状態で寝そべっていた海人に、取り囲んでいた愛代と仁実が感極まって抱きつく。重蔵は心底嬉しそうに海人を叩く。

 

「……は?」

 

 再び日の本、奥羽の地に戻ってきた海人は、訳も分からず気の抜けた声を漏らした。

 羅刹、安東の鬼として世に名を轟かす海人の、第一声がそれだった。

 

 神殺しとして第一歩を踏み出した海人。これより修羅の道を進むこととなる。

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