海人は海賊である。日々の生きる糧を得るために、海人たちは海賊行為を行っている。
だが海賊行為といっても、船を大砲で攻撃しながら、船で体当たりをして相手の船に乗り込んで、乗組員を殺して積荷を奪っていく。今回は、そんな野蛮な略奪を行うわけではない。あくまで今回は、だが。
今回海人たちは「正式な貿易船」と偽って港にもぐりこみ、貿易品を騙し取るという、詐欺まがいの行為をするために来たのだ。
そこで普通は当たり前の疑問が生じるだろう。『不審に思われて、偽装船だと悟られるのではないか』と。
だが海人たちは嗅ぎつかれることなく、とどこおりなく貿易品を受け取り、港を後にした。
どのような方法で明の役人を欺いたのか?
明はその頃「倭寇」による被害が特に大きかった。被害を少しでも減らすため、国は『勘合貿易』を編み出した。勘合貿易が主流だった当時、正式な貿易船だと証明するには、明が発行した『勘合符』が必要だった。
なぜ嘘を見破られなかったのであろうか。
それはこの海賊団の背後に、「国」という巨大な後ろ盾ができたからである。
◆
海人たち海賊団は、現在の秋田県の能代市にある城下町を拠点としている。
港に船を停泊させた海人は、積荷の降ろし作業を下っ端乗組員たちに任せた。自分と仁実は『海賊団の船長』に、無事何事も問題なく帰ってきたことを報告するため、真っ先に宿屋に向かった。
しかし、いつも寝泊りしている宿屋に船長の姿はない。
「親父はどこにいるって?」
「それが……。お父様は今、旧知の友人が会いに来たと言って、飲みに行ってしまったと……」
「あのクソ親父……」
こんな日差しが強い真昼間だというのに、酒か。海人はあきれた。
海人も酒はたしなむ程度には飲む。だが父は暇さえあれば酒をまるで水であるかの如く飲み下し、まったく酔わないのだ。
「いつもの店まで客人を連れて行ったようです」
「いつものって、親父が行き着けの酒屋か? そりゃ珍しいな」
仁実も驚きを隠せないようだった。
父は誰かと食事をしたり、酒を飲み交わすことは良くある。だが行き着けの酒屋にだけは、人を連れていくことはない。考え事をしながらじっくりと飲みたいらしい。
例外は、海人と仁実だった。つまり今回の客人は、家族と同じくらい親しい友人ということだ。海人たちの父親はどうやって知り合ったかわからない広い交友を持っているが、逆に特に親しくしている者はいなかった。
「まったく、兄様もお父様も、どうして酒なんかを浴びるように飲むのか。私には考えられません!」
「おいおい、俺を引き合いに出すなよ。親父はションベンが酒で出来ているようなザルだぞ」
「汚い例えをしないでください。それに私から見れば兄様もお父様も変わりありません」
「まあ仕方ねえか。猪口一杯で顔赤くして倒れちまう餓鬼のようじゃ、酒の良さはわからねえよな」
「餓鬼扱いしないでください! お酒ぐらい飲めます!」
そういえば酒類は身長が伸びなくなるらしいなー、とどこか呟くように聞かせると、仁実は目を点にして、うろたえ始める。
そのようにじゃれあいながら歩いていたため、仁実は前方への注意が散漫になってしまった。仁実は家屋の角から出てきた男性に気づかず、ぶつかってしまう。
「きゃっ!」
「おっと」
海人は突き飛ばされた仁実の体を受け止める。
「ほいっと。……すまねえな、妹が不注意で。あんたも大丈夫か?」
「ええ。お嬢さんもお怪我はありませんか?」
「は、はい。ありません」
「それは良かった。今度からはお気をつけて」
体の細い糸目の男性は、そう言うと一も二もなく歩き去って、人ごみの中に消えてしまう。
仁実は海人に向き直ると、いちゃもんをつけはじめた。
「もう、兄様がお酒を飲むと背が縮むなどと言うから! ……兄様?」
「……ん? なんだ?」
「聞いていなかったんですか?」
「ああ、ちと考え事をだな」
「考え事!?」
仁実はすっとんきょうな声を上げた。
「なんだその意外だ、という反応は。俺だって考え事はするし、お前は俺を一体なんだと思っている」
「大雑把でほとんど本能だけで生きている人だと」
「そんな印象はきれいさっぱり捨てて、もっと清らかな目で俺を見ろ。俺は未来を生きる男だ」
「的を射ていると思うんですけどねぇ……」
仁実は、海人に疑いの目を向ける。そんな仁実に律儀に突っかかっているうちに、海人は考え事のこともさっぱり忘れてしまった。
男性の後ろ姿が、海人と仁実の父親そっくりであることも。
◆
酒屋の暖簾をくぐると、父親はすぐに見つかった。カウンターにうつ伏せで寝ており、台の上には一升瓶が三つも転がっていた。どれも安い酒が五本は買える高級酒だ。
「起きろ親父」
「父様、起きてください」
仁実が体を揺らすと、父親──『
がっしりとした体躯に鍛え上げられたに筋肉、ぼうぼうに伸びた髭に酒臭いこの男こそ、海人と仁実の父親だった。
「……ああ、海人か」
「帰ってきたっつうのに、なに飲んだ暮れてんだ。客人はどうした?」
そう問いかけると、重蔵は背を伸ばして起き上がり、まぶたをはっきりと見開いた。
するとおもむろに一升瓶を持ち、漆器の盃に日本酒を注ぎ、それを口に近づけ──。
「なにごく自然に飲もうとしてんだ! 起きた途端に飲もうとしやがって」
「これ以上飲んだら死んじゃいますよ!」
「うるせー! その客のせいで飲まずにゃいられねえんだ! 奴め、昔は進めればちょっとは口つけたんだが、『娘が生まれてから酒はやめた』とか抜かしやがったんだ! 茶の一杯だけで帰っちまったよ!」
俺の酒が飲めねえってのかー! と姿のない知人に憤る重蔵と、それをなだめる仁実の構図。
話からすると、客人は既に帰ってしまったらしい。冷静に推測した海人は父の横の席に座ると、目の前で行われる光景に構わず、重蔵に成果を伝えた。
「親父、湊と取引されるはずだった貿易品はすべて騙し取ってきた。連中も最初は船が少ないことに不思議がってたが、勘合符を出したら簡単に嘘に騙されてた。血も流れねえし弾も飛び交わねえ、退屈な仕事だったぜ」
「……ッはあ。まさか湊の勘合符そのものが盗まれるとは誰も想像してないだろうな。初めての試みだったが、まあ上手くいってよかった」
「俺からしてみれば、全然良くねえ」
「何が不満だ?」
「お国様の命令に、淡々と従っていることがだよ。何故俺達が内部争いに関わらなきゃならねえんだ。親父はもう縁を切ったんだろう?」
海人は大変不服だと父親に意見した。明に出発する前にも、海人は重蔵にさんざん不満を漏らしていた。重蔵は帰ってきたら聞いてやると、出発前は聞く耳を持たなかったのだ。
海人たち海賊団が拠点とする東北の陸奥国と出羽国の北端──現在の青森県と秋田県──では、『
元は両家とも同じ『安東氏』であり、同様の祖先を持った一族であり、同じ血の通った家族だったはずなのだ。
だがどういう理由か安東氏は内部分裂し、陸奥国の北端に建つ『檜山城』に檜山安東家、出羽国の北端に建つ『湊城』に湊安東家が拠を構えている。
今海人たちがいる城下町は、檜山城を中心として栄えている。法政を布いているのは檜山安東家である。
そんな檜山安東家からの直接の依頼。それが今回の明への船出だったのである。
「手形も渡されて報酬も弾んで、いい取引だったと思う。だが、俺たちは傭兵でもなけりゃ奴らの手駒でもねえ、海賊だ!」
海人が拳で台を叩く。大きく派手な音が鳴り、店にいた他の客が何だ何だと注目しはじめた。
「役人の奴ら、俺達が金で動くと思って助長してくるぞ。俺達がいない間、奴らはなんて言ってた?」
「今度は直接、湊の船を襲ってくれ、とさ」
「やっぱり舐められてやがる! 城に篭ってのうのうと眺めることしかできない連中の言う事だ。親父、そんな仕事断っちまえ!」
「海人」
重蔵は大きくため息を吐くと、海人に向かって説くように言った。
「この辺りでは十数年前から凶作が続きに続き、野菜や米がまともに食えない。さらにそこに流行り病のせいでばったばったと死んで、餓死する奴が出てきたから結成されたんだ。商人たちもぱったりと来なくなり、活気のなくなった下町に、初代の船長は奪ってきた食糧を民に撒いて回った。いわば義賊だった。感謝された民からは見逃され、今回の依頼を受ければ国からも黙認してもらえるんだ。野郎共の生活を考えたら、この機会を逃すわけがなかった。こうやって」
重蔵は盃を傾ける。器の酒を飲み干すと、満足そうに息を吐いた。
「腹いっぱい飯が食えて、酒も飲める。これだけで最高の幸せだ。これだけあれば、俺達は必要ないんだ」
「犬に成り下がろうって言うのか」
「いざとなったらとんずらすりゃいい。というか海人、お前難しい言葉で誤魔化そうとしてるが」
重蔵は一拍おくと、海人の核心を突いた。
「単に暴れたいだけじゃないか」
「ぐっ」
海人がうめく。まるで仁実に字が書けないことを指摘された時のような顔だった。
「図星か。まあお前に計画とか策略とかいう言葉は似合わないとは思っていたがよ、もうちょっと隠す努力をしろよ。どうせそれも仁実からの受け売りだろ?」
「ぐぅ」
海人に反論の余地はなかった。まるで心の中が見えているかの如く指摘してくる。
そう、海人は海賊団の未来を憂えているのではなく、ただ単に行動が縛られて、自由に船出ができなくなることを嫌がっていたのだ。
「だが実際にそうだろう。此処いらで親父の名を聞けば、船乗りの誰もが恐れる海賊団だ。それが国に取り込まれちまったら、海賊じゃねえ!」
「だからそれでいいのさ。近辺に隠してある戦船およそ百隻、水軍と認めてもらおうか」
「ああくそっ! 親父には断る気もねえし、俺が口で勝てねえのもよくわかったよ!」
海人は跳ねるように立ち上がると、邪魔したなッ! と捨て台詞を吐いて暖簾をくぐった。
重蔵は出直してこーいと饒舌な口で海人を挑発した。そこで今まで重蔵の体に隠れておとなしくしていた仁実が、声を上げた。
「兄様、どちらに!」
日課だ、と最後に言い残すと、海人は酒屋から出て行った。
重蔵はまた酒に手を出し始めた。仁実は止めようとはしない。酒の飲みすぎが体に悪いと知ったずいぶん前から、説得は諦めているのだ。
それよりも、仁実は海人が居ては聞けなかった疑問を、父親に尋ねた。
「どうして本当のことを言わないのですか? いくら兄様が後先考えないで突っ走る性格だったとしても、隠すべきことは隠せる人だと、私は信じています」
「まあ俺も、猪突猛進で二つの事を同時に処理できない鈍い頭だってのはわかってる。だがあいつは多分逃げる。海人は鎖に束縛されることを何よりも嫌うからな。それまでしっかりと罠を張っておくのさ」
「……私はまだ納得していませんからね、その話」
「はっはっは。あちらを立てればこちらが立たずか。……安心しろ、二度と家族が離れることはない。絶対にだ」
「それは、つい先ほどまでいたお客様も含まれるのですか?」
重蔵は一瞬だけ驚くが、すぐ元に戻ると滑らかに口にした。
「奴は遠くに行くらしい。俺が手を伸ばしても届かないような遥か彼方にだ。……兄弟みたいな奴だったよ」
そうしみじみと語る重蔵の顔は、仁実からしてとても、苦々しい表情に見えた。