征海魔王   作:カンジョー

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二十話、十三湊

『それで、貴様は一体、極東の蛮民族相手に何を手間取っているんだ?』

 

「口を慎みなさい、海の王よ。この私があなたと徒党を組んでいるのは、あなたに従属したからではありません」

 

 どことも知れぬ部屋の中で、二つの人影があった。はじめに喋った方が男、男を強く叱責した方が女性であった。

 女性はきめ細やかな和服を身に纏い、透き通るような青の羽衣をはためかせ、その布より遥かに勝る美貌を持っていた。シミひとつない整った顔立ち、腰まで届くかというさらさらとした長い髪。特にその整った容貌は、この世のものではないほどの美しさを持っていた。

 事実、彼女はこの世のものではない。半世紀経ったとしても、そのままでありつづける。真に生ける存在ではないのだ。

 彼女は、彼女の前に立っている男も、まつろわぬ神だった。

 

「我ら四神があなたに従っていると思うのなら、それは大きな誤解です。我等があなたに力を貸すのは、あくまでもあなたの欲と我等の目的が、偶然合致しただけのこと。この侵略行為が、我々の大願成就の近道だと考えているからです」

 

 女性はその青く澄んだ瞳で、目の前の男をすっと鋭く睨みつけた。

 神代──神話の時代に、たとえ従属と支配の縁にあったとしても、まつろわぬ神として顕現したからには、関係は対等だ。

 女性と、ここに居ぬ三神にとっても例に漏れず、男の前で膝を折ったと思われるのは甚だ不本意であった。

 それに彼女等が主と崇めるものは他にいた。

 

『わかってるって。あんたら地母神の創造主を探しに行くんだろ? それの邪魔はしない。だが成果を出してもらわなきゃ意味がない』

 

「成果を出せぬ理由、私の手を阻むほどの障害があるとしたら?」

 

『なんだと?』

 

 男の声色が低くなり、場が緊迫した雰囲気に変わる。

 

『まつろわぬ神を阻む壁となると、同じまつろわぬ神か、それを斃した簒奪者以外に有り得ぬ。いるのか?』

 

「ええ、神殺しが」

 

 男は腕を組むと、唇を結んで考え込みはじめた。

 神殺し。それは神を神たらしめる権能を簒奪し、それを気ままに振るう、生まれながらにしての勝利者である。

 まつろわぬ神から常人の身でも勝利を勝ち取るその在り方と、神の持つ聖なる力を具現した権能。本能的に敵と感じ合う、まつろわぬ神の宿敵だ。

 

『当代の神殺しのひとりか、まさかそのような辺境にいるとはな。勘違いではないのか?』

 

「つい先日魅了したばかりの海賊を走らせたわ。神の権能の一端、しっかりとこの目で確かめました。間違いなく神殺しよ」

 

 魅了した海賊というのは、仁実の乗った貿易船を襲ったあの海賊の頭領のことだった。

 女性のまつろわぬ神に手篭めにされたのはその頭領だけで、あとは金で雇われたごろつきだった。簡単な商売だと乗せられて、楽な気持ちで参加した者ばかりだった。

 海賊は、女のまつろわぬ神に与えられた術でまんまと逃げ果せていたのだ。今はもう用済みとばかりにかけられた呪いも解かれて、野に放たれている。

 

 男のまつろわぬ神はしきりに頷くと、喜色の面で言った。

 

『神殺しがいたのならば仕方がない。俺もそちらに行こう。お前だけでは荷が重かろう。我ら二神が力を合わせれば、神殺しのひとりなど取るに足らぬ』

 

 仕方ないと言う割には嬉しさを抑えられていない、男のまつろわぬ神。彼はとある理由により、拠点としている場所からの外出を禁じられていたのだ。表情に抑えきれぬ感情がにじみ出ていた

 男のまつろわぬ神は、神殺しの出現を理由に拠点を留守にしようとしていた。しかし女性のまつろわぬ神が待ったをかけた。

 

「その神殺しはまだ権能の扱いに不慣れな様子。おそらくまつろわぬ神を刹逆してから、それほど月日が経っていないのでしょう。神殺しといえどまだ新芽、摘むのに私のみで十分事足ります」

 

 女性のまつろわぬ神は武の神ではない。その華奢な体では、神殺しの強靭な体を傷つけることは敵わぬだろう。

 だが彼女は地母神の系譜に連なる女神であり、地母神はほとんどが魔術に秀でていた。彼女も魔術の扱いに長けており、特に水の魔術はそれだけで神の権能に匹敵した。

 

『いや、しかし』

 

「それに、あなたは助けになりません。助けどころかむしろ場を乱し、かえって邪魔です。来ないでくださいな。……それでも来ると言うのであれば、海を渡るあなたを沈めますよ?」

 

『……は、はははは。やれるものならばやってみるがいい! なんせ』

 

「なんせ、あなたの王妃に権限を頂いていますからね。あなたの愛おしい海の魔物達が、容赦なくあなたを沈めるでしょう」

 

 女性のまつろわぬ神がにっこりと満面の笑みを浮かべる。

 つい先ほどまでの喜びようはなんだったのか。一気にどん底に落とされたかのように顔を真っ青にさせて、男のまつろわぬ神は肩を落として落ち込んだ。

 

「吉報を持ち帰るまで、側室のご機嫌取りにでも奔走してなさい」

 

『……ああ』

 

 男のまつろわぬ神は生気の感じられない返事をする。

 

 女性のまつろわぬ神が手を大きく外に払うと、男のまつろわぬ神の姿が消えた。男のまつろわぬ神の姿は幻であり、本物ではなかったのだ。

 幻が消えた部屋で、女性のまつろわぬ神は独り言ちた。

 

「罠を十全に施すならば、私の領地に張るのが順道。しかし張るはいいが、どのようにおびき寄せるか。神殺しが飛びつく、うまい餌はないものか……」

 

 その独り言を聞く者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 海人たちは、十三湊に到着した。

 十三湊は、安東にとって重要な貿易拠点である。北はアイヌ、南は琉球まで、果ては朝鮮半島や中国とも公益を行っていた。北海道のアイヌと和人の間を取り持つ窓口であり、安東氏の発展に大いに貢献してきた。

 安東家が二つに分かれる以前もここを中心に根を伸ばしており、二つに分かれた後は湊安東家はここを本拠地に、檜山安東家は檜山城を本拠にしていた。

 

 十三湊の市場は活気に溢れていた。檜山も安東氏の領地の中では貿易が盛んな方だが、通行量も生気もこちらが圧倒的に多かった。

 海人が初めてここに訪れた時は、その人だかりに驚いたものだ。人口密度だけならば、音に聞く『堺』の市場にも劣らぬかもしれない。

 

 海人は、愛代と仁実の二人を侍らせて、市場を物見遊山も兼ねて見回っていた。

 愛用の槍は左手に、杖のようについて持ち歩いていた。腰に差すにも背中に背負うにも大きすぎる代物だ。人ごみの中でも少し目立っていた。

 

「どうですか、そこのべっぴんさん方。美しい反物はいかがかね? これなんか、お似合いだと思いますがね」

 

「そこのお兄さん、髪飾りなんかはどうかな? お連れの可憐な女性方に、贈ると喜ばれるよ」

 

 そしてよく女性陣は綺麗だから、と商いをする者達に声をかけられる。

 その褒め言葉に釣られて二人は、海人はしばらく動けそうになかった。

 

 手持ち無沙汰になった海人は、自分に声を掛けてきた男の商人の前、並ぶ商品を値踏みするように眺めた。

 商人の前には、ここらでは見かけない高級そうな櫛や髪飾り、簪が並んでいた。海を越えて渡ってくる物もあり、市場では多種多様な文化が溢れている。

 二人が他のものに気をとられている間に、男の商人に問うた。

 

「あの二人、可憐だと思うか?」

 

「ええ、可憐な方々だと思いますよ。あなた方はどこかの大名家のお侍様なのでしょう? 特に彼女、美しい髪をお持ちで」

 

「そうだな」

 

 二人とも百姓のようなつぎはぎを着ているわけではなく、上質な着物を着ている。髪も肌も手入れされており、農作業を行っているようには全く見えない。どちらも父親に大切に育てられたからだ。

 仁実は『美しい』よりも『可愛らしい』と表現したほうがいいかもしれない。あと二年で成人であるし、海賊だったという理由もあり、美しい物を見る目はある。

 ともかく声を掛けられる理由には、二人が美人だというのもあるだろう。

 

「二つもらおうか。どれかおすすめを選んでくれ」

 

「毎度ありがとうございます! そうですね……」

 

 海人はすすめられたものから二つ選び、包装してくれるよう頼んだ。

 この男も、あの二人が安東家の直系だと知ったら驚くだろう。海人の前にいるこの商人は、愛代のお膝元で商売をしているのだ。さぞや驚くだろう。

 愛代は長く城に引きこもっていたせいか、民に顔をあまり知られていない。

 病弱とされているが、本当は活発なお姫様なのにだ。

 

「お、海人じゃねえか。どうしたこんな所で」

 

 交通の邪魔にならない、かつ二人が見える道の脇で待っていると。

 二人が合流する前に、海人は重蔵に見つかってしまった。

 

「なんだ嫌そうな顔して、つれねえな。俺とお前の仲じゃねえか」

 

 そう言って肩を半ば無理やり組んでくる、いい年こいた中年。ぼさぼさの髭の間から、酒くさい息が吐かれる。

 そりゃあ親子だからな、と心の中で返し、海人はうんざりとした表情を露骨に顔に出した。

 いつものこと、日中から酔っ払うのは重蔵の日常だった。

 

「酒くせえぞ。それと自力で立て」

 

「ぐへへへへ、酔ってねえよ」

 

「聞いてねえし、酔っ払いこそがそう言うんだよ。頭冷やせ」

 

 酔っ払いを引き剥がそうとしていると、買い物を終えた愛代と仁実が戻ってきた。

 両手にいっぱい物を持っている。

 

「あら、重蔵様。ご無沙汰しております」

 

「おう、愛代さん」

 

 三ヶ月前から重蔵は、愛代を娘のように扱うようになった。遠慮や怪しい敬語で壁を作らなくなったのだ。

 挙式などはしていないが、海人と愛代の関係は重蔵公認のようなものだった。

 

 愛代にとって重蔵は、最も近い親族だ。上に曽祖父がいるが、床に伏せって死を待つ状態だ。海人の義父ということもあって、世話になっている人だった。

 

 それをよく思わないのが仁実だった。

 

「お父様。また昼間からお酒を飲んで、政務のお仕事はどうしたのですか?」

 

「いいじゃねえか、仕事の合間にちょっとぐらい。ケチケチすんな」

 

「お父様のちょっとは信用なりません!」

 

「あーうぜえ」

 

 仁実の説教も、重蔵は右から左に聞き流した。

 

「とにかく、海人をもらってくぞ。いい酒出す居酒屋を見つけたんだ。たまには親子水入らずで飲むとしようぜ」

 

「待ってください重蔵様! 海人は私達と市場を見て回るんですよ!」

 

 目の前で義理の父親と内縁の妻が自身を取り合っているのをぼーっと眺めながら、海人は別のことを思い出していた。

 海人は重蔵の酒という言葉に、アテルイを思い浮かべた。今度いい酒を土産にするという約束を取り交わしたことを、思い出したのだ。

 

「……そうだった。悪いな、二人とも。いい酒は俺も欲しいと思っていたんだ」

 

「そんな、兄様」

 

「代わりと言っちゃあ何だが、これ、やるよ」

 

 海人は持っていた贈り物を、それぞれ愛代と仁実に渡した。

 二人とも、鳩が豆鉄砲を食らった顔をした。

 

「んじゃ、また後で」

 

 海人は重蔵に肩を組まれたまま、大通りから路地裏に入っていった。

 海人が進行方向に顔を戻すまで、両名は信じられないものを見たかの如く、硬直したままだった。

 

 

 

 

 仁実は、愛代と仲良くそろって、海人と重蔵が人ごみの中に消えるまで、呆然と立ち尽くして見送った。

 あの粗暴な性格の海人が、自分達に贈り物をくれたのだ。

 驚天動地の出来事だった。

 

「私、兄様から物をもらったのって、初めてかもしれません……」

 

「そうね、私も一緒に食べ物をつまんだことはあるけど、残る物をもらったことなんてないわね。……開けてみましょうか」

 

「はい」

 

 市場で買ったものをひとまず置き、二人はゆっくりと包装から取り出す。

 

 愛代が貰った物は、櫛だった。漆塗りの櫛で、梅の花が蒔絵で入っている。

 

「綺麗……」

 

 仁実の貰った物は、簪だった。西洋の花であろうか? 棒の先に、見たことのない血のように紅い花がついていた。

 仁実には知りえぬことだったが、その花は西洋でアネモネと呼ばれる花だった。

 

「ですね。だけど……」

 

 仁実は自分の髪を撫でた。仁実の髪の長さは、うなじが見える程度に短く、簪を差せるほど髪が多くなかった。

 せっかく兄様から頂いたのに……。仁実は、海人に差して見せることができないのが悩ましかった。

 

「大丈夫。髪はまた伸びるじゃない。今度は肩に届くくらい伸ばして、海人に見せてあげましょ」

 

 複雑な表情で簪を見つめる仁実の心を見透かすように、愛代は励ました。

 その言葉に励みを感じ、仁実は沈んだ心を浮き上がらせた。

 

「……そう、ですね。ありがとうございます、愛代様」

 

 仁実は微笑を浮かべて、愛代にお礼を言った。愛代もまた笑みを溢す。 

 未だ二人の仲は悪い。だが愛代の優しさに触れて、着実に仁美の心も解けていった。

 

 二人は微妙な距離で湊城に帰路をとる。仁実にとっても湊城は家族のいる、帰るべき家になっていた。

 

 

 

 

 その頃、海人は酔いから覚めた重蔵に、酒の席であることを聞かされていた。

 

「南部が怪しい?」

 

 重蔵は愛用の盃に酒をつぎ、海人のお椀にもついだ。

 海人は小さく頭を下げて礼をすると、それに口をつけた。

 

「ああ、十和田山の噴火の被害が収まっていないっていうのに、隣国を攻め滅ぼそうとしているようだ。むしろ混乱している今こそは、といった所だろう」

 

 南部氏は北奥羽、下北半島を掌握した大名家のことで、領地には日本三大霊山の恐山がある。

 安東氏とは陸奥湾、平館海峡を挟んで向かい合っている。切ることのできない関係にあった。

 溶岩で被害は及んでいないにしても、火山灰はまだ大気を漂っている。他国に進軍する余裕はないと思っていたが。

 

「つい最近、領主が変わってな。それが野心家で、しかも女領主だから下町でも噂されている。草を放ったら、簡単に知れた」

 

 重蔵はそう言うと、ぐいっと盃を傾けた。重蔵はまた酔い直すつもりだった。

 だらしなさからは想像できないが、仕事はちゃんと行っているようだった。今は他国の動きを監視しているようだ。

 

「それよりも今は被災地の復興が最優先じゃないのか?」

 

「ああ、復興も平行してやっていかなきゃいけねえな。だがもっと優先することがあるぞ。お前の仕事だ」

 

 海人は力強く背中を叩かれた。力加減ができておらず、少し痛い。

 呂律は回っているが、もう酔いが回り始めたらしい。それか酔っている内に入らないのか。

 

「噴火で家や肉親を失った者が、賊になるかもしれねえ。しっかり目を光らせておいてくれ」

 

 重蔵が恐れていたのは、外敵よりも、内部の反乱だった。

 海人もその重苦しい雰囲気を感じ取り、無言でぐびっとお椀をあおった。

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