重蔵に、酒の席で南部氏の不審な動きを聞かされたその三日後。
南部は攻めてきた。
二つの国の国境近くに密かに軍を集め、国境の砦を強襲されたのだ。
海人はその知らせを受け取ると、すぐさま兵を集めて急行、南部軍と正面からぶつかった。夏泊山地の中での衝突だった。
「はッ」
最寄りにいた敵兵を三人一気になぎ払うと、海人は周囲を見回した。
周りは敵兵のみで固められ、海人の逃げ場はない状態。それだけ見れば追い詰められているのは海人側だが、両者の表情は真逆であった。
南部兵は化け物でも見るかのような恐れと焦りの表情。対して海人は近所に散歩に行くかのような余裕の表情だった。
「恐れるな! 鬼の如き怪力を持てど、安東海人は人の子ぞ! 奴を休ませぬよう波状攻撃を加えれば、必ず疲れが見える。攻撃の手を止めるな!」
「かかってくるがいい。だが恐怖を忘れてくれるな。忘れた者から倒れることになるぞ」
敵の大将は優秀で、海人の包囲を崩さない。海人は飛来する矢も弾き、闇雲に突撃してくる兵を斬り捌いた。
そんな時、黒のろしが上がった。
「あの方角は……」
黒のろしの上がった方角には、安東の城があった。それに黒のろしは救援要請、または緊急事態が起きた時に焚くもの。
城には仁実がいる。
何十の兵に囲まれても焦りを見せない海人が、のろしを視界に収めて、はじめて焦りを出した。それを好機と勘違いした敵大将が、号令を下す。
「いまだ! 一斉にかかり、首を取れッ!」
「邪魔だ、どけぇッ!」
襲い掛かる兵の包囲網。海人は強靭な肉体を武器に、被刃覚悟で強引に突破した。
◆
「親父、何があった」
「海人。……遅かったな、この遅れは高くつくぞ」
無残な姿をさらす城門をくぐり、海人は忙しく指示を出す重蔵に声をかけた。重蔵は敵の襲撃で混乱する場内の兵をなだめようと、必死に指揮を執っている。重蔵の命令が下った兵士たちが、城内のけが人を手当てしたり、壊れた城を修復したり、右往左往していた。
「疾風迅雷の奇襲だった。あっという間に城門を破壊され、目的の物のみをかっさらわれた。死人も少なくない」
ちょうど二人の横を、人が乗った担架が通り過ぎていく。ゴザの間からはみ出た手は、だらりと力なく垂れ下がり、ポタポタと水をしたたらせていた。
「おかしな事だ。傷跡もねえのに、城内の無差別な場所で、ずぶ濡れで死んでやがった。雨も降ってねえのにな」
ふと海人は違和感を感じた。
何か足りない気がする。今はこうして重蔵に状況を聞いてはいるが、いつもなら真っ先に自分に駆け寄り、教えてくれる者がいるはずだった。
仁実がいない。自分の後ろをちょこちょこ着いてくる義妹がいないのを、海人はようやく気づいた。
「親父、仁実は無事か? それとも仕事を与えて、此処にはいないのか?」
「ようやく聞いてきたか。……仁実は連れ去られた。襲撃した者の目的はそれだったらしい」
「なに?」
軽く放たれた言葉を、一瞬だけ海人は飲み込めなかった。
「怪我をしたでも死んだでもなく、攫われただと? 何故仁実が攫われなくちゃならねえ!?」
「知るものか。相手の思惑なんぞ分かっておれば、むざむざと仁実を攫われたりなんてしねえ。何考えてるかなんてさっぱりだ」
「ちっ。くそ……。今なら追いつけるかもしれねえ。俺は行くぞ!」
「待て、海人」
踵を返し、海人は走り出そうとする。しかし重蔵に肩を掴まれて止められる。
「今から行っても無駄だ。見つかりっこねえ」
「なんでだ! 仁実が危ねえんだ、どうしてもっと早く追っ手を出さない!?」
「どっちに逃げたかもわからないのに追っ手を出せるわけがない。それに見つけるのだって困難だ。城にいた奴等は、襲撃してきたのは女が一人だってのたまいやがる」
「女が……一人!?」
海人はしばらく自分の耳を疑い、振り返り破壊された城門を見て城内にいた兵士の耳を疑った。
現実に起きた出来事なのだろう。通り過ぎたときは流し目でしか見なかったが、注意深く観察すれば、城門は確かに不自然な壊れ方だった。
「一ヶ月前の俺なら信じなかっただろうが、神殺しとなった俺なら信用できる。そんな神の御業を行える者は、この世にいる。……親父、その襲撃してきた女は、術師の類か?」
「ああ。だが場合によっては、さらに厄介な存在かもしれん。兵士どもは、こうも言っていた。『城門が決壊し、城内に水が流れ込んだ。水が引いた後は見麗しき女子が気絶した仁実を抱えて、空の彼方に飛び去っていった』とな」
川も離れているこの山城にな、とため息交じりに言う。
重蔵は既に、女の正体に勘付いていた。勘付いたというよりは希望だが、海人が言うように神の御業、そんな事象が何度も起こせるならば、戦の常識が根本的に変わってしまう。
海人は、アテルイの言葉を思い出していた。神殺しは、まつろわぬ神と互角に戦える存在。そのせいか厄介ごとを引き寄せると。
それにまつろわぬ神と神殺しは宿敵同士。頭で考えるよりも本能が敵と理解し、お互いを討滅し合うと。
「海人、迂闊に飛び込むことは危険だ。もしかしたらその女は、神殺しでも難しい相手かもしれん」
「そうだとしても、俺は戦うことを躊躇わねぇ。俺達の想像通りなら、どんなに策を練り上げても徒労に終わる可能性がある」
相手はまつろわぬ神かもしれない。
重蔵としては複雑な心境だった。その女が只の人間であれば、ぽんぽんといる可能性が出てくる。そうなれば戦にならない。まつろわぬ神だとしても、周辺にどんな被害が及ぶか、想像しただけで憂鬱だった。
「十三湊に被害を与えるのだけは、やめてくれよ」
「元から南部の領地に攻め込むつもりだ。仁実を攫った女も、そのつもりだろうしな。……俺は一旦、湊の城に戻る。仁実を奴等から取り返すまで、俺抜きで持ちこたえてくれよ」
「誰に言ってる、お前が俺に物言うなんざ、百年早ぇ。……仁実のことは頼んだ、あいつは俺の一人娘だからな」
「おう、頼まれた」
海人は重蔵と拳を突き合わせると、踵を返して馬小屋まで走った。
◆
薄暗くじめじめと蒸した、石畳の牢獄の中、仁実はいた。
仁実が入れられた牢獄は、八畳はある広い空間だった。牢獄に小窓はなく、光源は木の格子の隙間から漏れる蝋燭の火のみ。八畳の空間にあるのは、用を足すのに使う壺だけだった。
「彼女が神殺しを釣る餌を持ってきたと聞いた俺は、興味本位で牢屋に向かった。俺は石階段を降りると、そこに君がいた。君を目に入れた瞬間、体に電流が走った! 君との出会いは、運命の神が仕組んだことだったと、その時確信した!」
男は手振り羽振り大仰に語っていた。
「どうでもいいです。それよりも手伝う気があるのなら、私がここから出る方法を考えてください」
格子越しに仁実があしらったのは、ただの一枚布を体に巻きつけたような独特の服装の、とても肌色が多い
なにやら爽やかに男は言い放ったが、あいにく髭を生やした中年の男であった。見た目が十代ほど若ければ気障な台詞も似合ったかもしれなかったが、仁実の父親と同じぐらいの年齢ではかみ合っていなかった。
仁実が手伝う気があるのかと聞いた理由は、牢屋の奥で伸びている衛兵があった。男が、言葉を交わす間もなく投げ飛ばしたのだが、その本人はいきなり一目惚れなどと語りだしたのだ。仁実は話半分に聞き流していたが。
それに、この木の格子、出入りする扉がついてなかった。仁実が目が覚めたのは牢屋の中で、どのように自分が入ったかはわからなかった。
「しかもあなた、先ほど海を渡ってきたと言いませんでしたか?」
聞き流した言葉の中でも、やけに耳に残ったフレーズがあった。
「うむ、言ったな」
「ではあなたは……術師、なのですか?」
仁実はそうであって欲しいという願いも込めて、推測を口にした。
彼女がこの牢屋に入る前の最後の記憶は、濃艶な美貌の女性に連れ去られたところまで。女性の腕の中で急に睡魔に襲われ、目を覚ますとこの牢屋の中だった。
妖艶な気配を纏う女性は、間違いなくまつろわぬ神だった。さらにこの男もまつろわぬ神であった場合、安東は二柱の超常現象を敵に回すかもしれない。
「それは違う」
男の一言で、仁実の願望は儚く砕け散った。
ふいに男は、網目状の木の格子に右手をかけた。
「そいっ」
男の軽い掛け声で、格子はあっさりと砕け散った。男が右手を後ろに引くだけで、頑丈な格子が引きちぎられてしまったのだ。
空いた格子の穴から、男が牢屋の中に入ってくる。そして無防備に仁実に近寄ってきた。
「見てのとおり、俺はまつろわぬ神だ。だが俺は人の子だ何だと差別はしない、女性は等しく扱う。この愛は本物だ。……俺の名はポセイドン。君の名を教えてくれ、マドモアゼル」
そう言って男──ポセイドンは仁実の前に跪き、驚きで立ち尽くす仁実の手をとった。
和の国の人間には浸透していない文化だが、仁実は何をされそうなのか理解していた。
異国の絵本を読んだことがある。ポセイドンは、仁実の手の甲に口付けをしようとしているのだ。惚れたと言っていたのも冗談ではないらしい。
「お断りいたします」
しかし仁実は口付けをされる前に我に返ると、ポセイドンにとられた手を激しく振り払った。
狭い牢屋の中で、仁実は後ずさった。嫌悪感を露に、石壁に手がつくほどに彼女はポセイドンから距離をとった。
「私には既に愛する人がいます。私はその人を、一生支え続けると決めました。ですので誰からの恋慕も、どんな愛の言葉も受け付けていません」
仁実はポセイドンをキッと睨みつけた。
すると目の前の男はゆらりと立ち上がり、急に顔を上げる。男の目を図らずも覗いた途端、仁実は急激に寒気に襲われた。強気な態度から一転、本性を表したまつろわぬ神の気配に当てられ、仁実は背筋が凍るような恐怖に顔を青くした。
崩れそうになるのを、懐にあるお札を握り締めることで堪える。お札は簡易な結界を作ることのできる、せめてもの護身用だ。まつろわぬ神相手には心もとないが、ないよりはずっとマシだった。
「強気な女は嫌いじゃない。むしろ弱気な奴よりもずっと……燃える」
舌をちろりと出す男に、仁実は別の寒気を覚える。
まつろわぬ神相手に、結界もいつまで持つかわからない。ぎゅっと手に爪が食い込むほど握り締めて、仁実は海人の助けが来ることを、強く願った。
◆
湊城に飛び戻った海人は、すぐさま愛代に事情を話した。いつになく真剣で切羽詰った海人の話を、愛代は口を挟まずひととおり聞き届けた。
海人から聞かされた今の状況を飲み込むと、すぐさま救出計画を立て始めた。
「ここが湊城、重蔵様が篭城している城がここ、戦場はこのあたり。そして南部氏の
愛代は地図を広げた。広げた地図は陸奥湾を中心に、津軽半島と下北半島に夏泊半島、津軽海峡とその先の蝦夷の地まで描かれていた。
愛代が指し示したのは、下北半島の中心あたり。恐山という霊山がそびえる場所だ。
「どうしてこんな場所に構えている? 公益の拠点としても重要な場所には見えないが」
「今までも真意はわかっていなかった。だけど南部の統治者がまつろわぬ神ならば、うっすらとだけど判断できるわ」
恐山は山岳信仰がされており、溶岩が固まり硫黄が噴出す恐山は、現代にある地獄の様。そのため地獄に行けば死者に会えると、古くから山岳信仰が盛んだった。
十和田湖周辺でも今現在灼熱地獄が広がっているのだが、今は置いておく。重要なのは、恐山では古くから宗教の信仰が盛んだということだ。
そんなことを耳にしながら、海人は愛代を見つめていた。
真剣に地図を見てひきしまった表情をする愛代は、だらしない面しか見ていない海人には新鮮に感じていた。
こんな時に何だが、とても綺麗だった。
「まつろわぬ神の力は、どれだけ名が民衆に広がっているかによって左右される、と教わりました」
愛代の発言に、海人は首をかしげた。民に信仰されるほど力が大きくなるなど、海人には初耳だった。
「だから仁実さんを攫ったまつろわぬ神は、ここの信仰をすべて奪い取り、自らを信仰するように仕向けたんじゃないかな?」
「……恐山を根城にしているのはわかった。だが愛代、信仰で力が変わるなんて、誰から教えてもらったんだ?」
愛代は言われてきょとんとしていた。
「アテルイさんに決まっているじゃない。まつろわぬ神について一番知っているのは、まつろわぬ神であるアテルイさんだけだよ」
「いつ教えてもらった!? いや、それより何時の間に仲良くなったんだ!?」
「一週間前、久しぶりに檜山に行った時だよ」
「あの時か!」
一週間前といえば、海人がひとりで祠の縁側で黄昏ており、直後に仁実の乗った貿易船が海賊に襲われた、あの時だった。
半日も経たない内に仁実はアテルイと仲良くなり、知恵を教授してもらう仲になったのか。
海人はますます怒りを湧き上がらせた。自分の知らない所で親密な仲になっていたことにも妬みを覚えるが、それよりも海人が腹を立てていることがひとつ。
「あいつ封じられているにもかかわらず、留守にして俺を待ちぼうけさせやがって。しかも愛代と歓談だと……」
海人は怒りままに勢いよく立ち上がった。
「ま、まあまあ。封じられていたのも自分の意思だって言うし。それよりもほら、仁実さんを救出する策を考えたから、聞いてよ」
愛代になだめられ、海人はしぶしぶと座る。
「まあ、それが先だな。あいつをに会うには後にもできる。……で、どんな策なんだ?」
海人は頬杖をつきながら、ぶっきらぼうな口調で尋ねた。
「簡単に説明すると、敵軍を一方に誘導して、手薄になったところを一点突破で抜けようって策。時間もないし、できるだけ早く救出するなら、おそらくこれが一番確実だと思う。……海人は、仁実さんの救出役をお願い。陸奥湾を横断して、恐山まで行くの」
そう言って愛代は、十三湊と恐山との間に墨で線を引いた。線は津軽半島の最北端である竜飛崎を超え、広大な海洋面積を持つ陸奥湾を通っていた。
「安東水軍の軍事力は諸国に響いている。南部も海の上に兵を相応に割いているはずだ。俺だけならまだしも、船を守っての突破は難しい」
行きだけではなく、帰りのことも考慮しなくてはいけない。船同士での戦では、海人の怪力を意味を成さない
それに船はひとりだけで動かせるわけではない。それなりの船員が必要だし、船をあちらで調達しても、乗ってくれる船員がいなければ動かせないのだ。
愛代はそれが聞きたかった、とでも言いたげに目を輝かせた。
「そう、そんな馬鹿なことをするはずがないって、南部も思っているはずよ。だからこそ、そこに穴があるの。誰もできないような馬鹿をできる奴が、この安東にはいるじゃない」
愛代は大きく見開いた目で、にこにこと海人を凝視する。海人は暗に自分が馬鹿だと言われて、複雑な気持ちになった。
「神殺しの力は戦場では無理に使ってはいけない。重蔵様が海人に言い含めていたけど、まつろわぬ神がいるならば話は別よ。まつろわぬ神から簒奪した権能、今使わないで何時使うの!」
目を輝かせて自分に期待してくる愛代に、海人は気をとりなおし、自信を込めて頷いた。
そして残りの問題なのだが、それは権能にあった。海人自身にも、権能の正体がはっきりわかっていなかった。
何度か人気のない場所で使ってみたのだが、権能の力と思わしき事象は起きれども、そのどれもが違っていたのだ。
やはり戦場でないと上達しないか……。海人はアテルイに教えられたことを思い出した。
会って間もない鬼だったが、自分を気遣ってくる姿はまるで保護者のようだ、と海人はふと思った。