征海魔王   作:カンジョー

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第三章 墓場の歌姫
二十五話、餓鬼


「それじゃ、行ってくる」

 

 そう言い残すと、海人は暖簾をくぐって酒場を出ていった。

 夜半の酒場は活気に溢れており、海人が去ったカウンター席には重蔵と愛代が残された。

 周囲が酒に酔った者達で熱く騒がしい中、二人の間は通夜の如く冷めた雰囲気だった。

 

「まったく、酔いも冷めちまった」

 

 酒のなくなった盃を片手に、重蔵は溢した。

 酒場に集まったのは他でもない。海人に恐山でどんなことがが起こったか、ひとつ残らず聞くためだった。重蔵としては海人が仁実を奪い返し、この酒場で勝利の祝杯を上げようと思って、先に飲んでいたのだ。

 しかし海人の報告に、さすがの重蔵も素面にならざるをえなかった。

 

 仁実が別のまつろわぬ神に再び誘拐されてしまったこと。

そのまつろわぬ神は、海人を正面から正々堂々打ち負かす力があること。

 

 このどちらも重蔵の頭を悩ませていた。特に仁実の救出は時間との勝負であり、海を当てもなく航海しなければいけない。下克上の風潮が高まって周辺諸国がざわつくこのご時世に、兵を軽々しく海外へ出すことはできない。

 

 愛代もこの時また、海人の口からはじめて聞かされたのだった。

 五体満足で帰還した海人の無事を喜び、その海人の隣に仁実の姿がないのを怪訝に感じた愛代。ここに来るまでの道中でも嫌な予感はしたものの、当たってほしくはなかったというのが本音だ。最悪の事態が過ぎ去っていないことに、愛代は顔をしかめていた。

 

 愛代は海人が去って空になった席と重蔵との間に置いてある、羅針盤に視線を向けた。

 

「そのまつろわぬ神、ポセイドンの話は信じられるのでしょうか?」

 

「信じるしかないだろうな。それしか仁実を追いかける手立てがねぇ」

 

 重蔵は大きくため息を吐きながら、視線を盃から羅針盤に移した。

 ポセイドンが置いていった羅針盤は、北を指すはずのN極が東を向いていた。何らかの力が働きどこかを示しているのは間違いない。ポセイドンの言葉を信じるならば、彼の神が造った島を指しているのだろう。

 だがその島に行くのに、一体どれだけの距離を航海すればいいのだろうか?

 船は一人だけでは動かせないし、長期間船の上で生活するのなら相応の食料と水が必要なのは当たり前。しかし肝心の距離がわからなければ、どれだけ積めばいいかも分からない。積めるのには限度があるし、少なくては餓死してしまう。

 

 それに重蔵たちが生きている時代は、下克上の機運が高まる戦国時代。

 マゼランが世界一周を果たしてはいるが、極東に位置する日本には『世界が丸い』などとは一般に知られてはいなかった。ヨーロッパのある西はある程度知られていても、東には巨大な滝から海水が流れ落ちる『世界の果て』が信じられている時代だった。

 

 仁実が連れ攫われて、さらに海人まで難破してしまえば、重蔵は己が死ぬより先に子供を二人失うことになる。

 そんなことは死んでも御免だ。重蔵は羅針盤が指す東に、顎を開く龍を幻視した。

 息子と船員をむざむざと死地へ赴かせるわけにはいかなかった。

 

「それに海人も心配だ」

 

「海人が? たしかに落ち込んでいましたけど、すぐに立ち直ると思いますよ」

 

「いや、俺はそうは思わん。あいつは刀の試合で負けることはあっても、槍を使った真っ向勝負では負け知らずだった。俺と出会った当初から、海賊団がやられても海人は負けてないなんてことは沢山あった」

 

 重蔵が海賊をやっていた頃、挫折がないわけではなかった。段取りが合わず裏をかかれて、こっぴどく叩き潰されたこともあった。

 団員を失うこともあった。そんな時も海人が獅子奮迅の働きをし、海賊団を支えてくれた。負け知らずの海人は、海賊団の精神的支柱でもあった。

 海人は海賊団員として負けたことはあっても、海人という個人での負けはなかったのだが。

 

「だが今回は、相手も得物が槍の問答無用の殺し合い、海人の得意分野で負けた。あいつにとっては相当に痛く重い衝撃だったろうさ」

 

 そんな海人の前に現れたのが、ポセイドン。海人が権能を使わない全力をもってしても、勝てない相手だった。

 しかもポセイドンの使う武器も槍。三又に分かれているという違いはあれど、同じ土俵で戦って負けたと海人は感じるはずだ。

 初めての敗北に『同じ土俵』という要素も加わり、海人の味わった衝撃は計り知れなかった。

 

「仁実は助けに向かう。それは決定事項だ」

 

 たった一人の血の繋がった娘を見捨てることは、重蔵には出来なかった。

 

「だが情けないことだが、俺にはまつろわぬ神を倒す力がねぇ。海人に頼るしかねぇんだ」

 

 息をするかのように地形を変えるまつろわぬ神相手では、覚悟も失せてしまう。己の全てを投げ打ってでも、一矢報いることさえできる気がしないからだ。

 

「愛代さんや、海人の面倒頼めるかい? 俺も航海の準備に平行して、気にかけてみるからさ」

 

「政は、どうなさいますか?」

 

「それも俺が片手間でやるさ。姫さんも政の勉強はしばらく休みだ。海人にかかりっきりになってくれや」

 

 海人がいなければ、ただでさえ細い道が途絶える。仁実の救出は絶望的になってしまう。

 

「……わかりました」

 

「よし、じゃあ景気付けに一杯飲むか! 親父、もう一本追加で!」

 

 酔い直そうとしている重蔵の横で、愛代はここから去った海人のことを思った。

 海人は今頃、あの祠に着いているはずだ、と。

 

 

 

 

 その話の渦中の人である海人は祠の前、アテルイが封じ込められていた異世界への扉の前に立っていた。

 右手には瓢箪を吊り下げていた。前に会った時約束した酒が入っている。

 海人は空いたもう一方の手で目の前にある顕明蓮をとった。顕明蓮は扉の閂。海人の眼前にどこまでも沈んでいきそうな黒い穴が開いた。

 三度目ということで慣れもあり、海人は躊躇なくその穴に体を沈めていく。一瞬の暗闇から見えた穴の先には、いつもどおりの足元がおぼつかない曖昧な空間があった。

 

『ん……? 来たか』

 

 不意に頭にアテルイの声が響く。どうやら持っている顕明蓮から流れてきているようだった。

 

『そのまま先に進め。出口がある』

 

 自分の声を届ける方法もわからない海人は、言われた通りに前進する。

 何処に足場があるかはっきりと見分けられないこの空間に、出口なんてあるのか。そんな疑問を飲み込み数分、海人はアテルイを信じて歩き続けた。

 すると前方に四角い穴があった。眩しい光が漏れ出ており、穴から向こう側は見えなかった。

 

 海人は意を決して穴をくぐり抜けた。

 

「……いたって普通だな」

 

 海人が見た率直な感想、第一声がそれだった。幽世と言ってはいたが、海人の出た空間に奇妙なものや違和感のあるものはなかった。

 そこは道場だった。木造りの二十人は雑魚寝できそうな広い空間に、床には鎧や掛け軸が飾られ刀や槍が立てかけられていた。

 

 そんな広い空間にぽつんと、中央に胡座をかいて座り込む一人の男がいた。いや、一鬼と言うべきだろうか。

 

「今通ってきた狭間と似た世界を想像したか? 残念ながら、あんな所は住みにくくってしょうがねぇ。退屈で死にそうになる」

 

 アテルイは空になった酒器を逆さにして、一滴も残すまいと盃を睨みつけていた。

 海人はアテルイの前に座ると、自分が持ってきた酒を差し出した。

 

「おっ、いいもん持ってるじゃねえか。どうした、これ?」

 

「前来た時にいい酒持ってくるって言っただろう。それが約束の品だ」

 

「ほう、そりゃありがたいねぇ。ちょうど切らしていたんだ、味わって頂くとしますか」

 

 アテルイは海人の持っていた瓢箪を受け取ると、代わりに海人にどこからともなく盃を差し出した。

 自分用にわざわざ出してくれたのだ。礼を言って受け取ると、アテルイが二つの盃に酒を注いだ。

 アテルイは盃に注がれた酒を一気に、見ている方も気持ちいいように飲み干した。はぁー、と溜まった息を吐き出すのを見て、海人も少しだけ酒に口をつけた。

 

「こりゃうまい。現界はこんな酒が溢れているのか」

 

「日の本で作ったらしいが、製法は海を渡ってきたそうだ。……ここでも酒は飲めるのか?」

 

 海人は隙間から青空を覗きながら、初めて会った時から聞きたかった疑問を投げかけた。

 

「ああ。全部俺が作っている。自然はあるが職人はいないからな」

 

 だが意外な答えが返ってきて海人はきょとんとあっけにとられた。

 

「その顔は俺が作っているとは思わなかったって顔だな。俺にもまつろわぬ神になる前の人だった記憶もある。人は初めっから鬼じゃねぇのさ」

 

「……それは違う。俺は生まれた時から鬼だった。こんな力を持って、他人から忌み嫌われて」

 

「それは理解できない力を目にした人間が、鬼と呼んで排斥したにすぎない。鬼の俺から見れば、お前は剛力を持ってはしゃいでいる餓鬼だ」

 

 きょとんとした表情から神妙な表情、ついには顔を赤くして火を吹いた海人は、だんと大きな音をたてて立ち上がった。

 感情を二転三転させる海人は、重蔵の言う通り追い詰められていた。

 

「餓鬼、だと……? 俺は『安東の鬼』、安東海賊団船長の海人だぞ。神様だからって調子に乗るんじゃねえぞ!」

 

「やれやれ……。その様子だと相当尊厳を踏みにじられたようだな。だったら相手をしてやる。拳を握れ、海人」

 

 海人の凄みを難なく受け流し、対照的にアテルイはゆっくりと立ち上がった。

 そんなアテルイに苛立ちをつのらせた海人は拳を握りしめ、その身に備わった怪力を叩きつけた。

 

 

 

 

 しかしまたしても、海人が見た光景は敵が倒れ伏した姿ではなく、抜けるような青い空だった。

 海人はアテルイに返り討ちにあい、道場の外で仰向けで伸びていた。

 道場の壁には見事に人型の穴があき、そこをくぐり抜けアテルイが外に出てきた。

 

「で、お前はどんな奴にやられたんだ?」

 

「……武神……」

 

「武神、か。武神は人が生涯かけて到達できる武の極致に、まつろわぬ神として顕現したその時から至っている。俺も武神の類に入っている」

 

 アテルイは海人の頭上まで近くと、海人の胸ぐらを片手で掴んで道場の方へひきずりだした。

 

「くそっ、おい、離せ!」

 

 必死に抵抗する海人をよそに、アテルイは語りを続ける。

 

「故に正面きって力任せに押しきろうなどとは愚の骨頂だ。湖に巣食うあの蛇相手ならよかったかもしれないが、お前は運が良かった。これが武神だったらお前は生きてはいなかったからな」

 

 アテルイは海人を肩に担ぐように持ち上げた。

 

「神殺しは権能と丈夫な体を手に入れたというだけで、まつろわぬ神には敵わないことが多い。だからかしこく戦え。上手く立ち回り、相手の脇を突け。仮にもまつろわぬ神を討滅できたんだ、お前にできるはず、だっ!」

 

 そして担いだ海人を道場の穴めがけて思いっきり投げ飛ばした。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ、がはぁッ!」

 

 狙いよく道場の穴に海人を投げ飛ばし、アテルイはひと息ついた。

 

「人の面倒を見るというのも中々大変だな。お前もこんな事をしていたのか」

 

 アテルイは現世にも幽世にもいない、遠くへ旅立ってしまった者に言葉を投げかけた。

 海人を一人前に育て上げる前に他界してしまった海人の父親に話しかけたのだ。

 懐かしむような目をしたのも一瞬、道場の中で騒ぎ始めた海人の声で目が覚めた。仕方ないなと言いたげに肩をすくめるも、アテルイはどこか嬉しそうだった。

 

 そしてしばらく、道場の中からは海人とアテルイが取っ組み合う音が聞こえてきた。時々海人が道場の壁を突き破って出てくるのだが、直ぐに道場の中に戻って再開された。

 近所迷惑にならないのが幸いだった。

 時間が忘れるほどに暴れ続け、アテルイと海人の気がすむまで行われた。

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