征海魔王   作:カンジョー

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三話、湊の姫

 この辺り、檜山城の城下町周辺の平野には、作物がまったく育たなかった。

 それも一時的な凶作ということではない。何十年、何世代も前から、養分の乏しい不毛の土地であった。じゃがいもやネギ等、他の土地であったら放置しても植えた本人が困るほど育つ野菜であっても、受け付けることはなかった。じゃがいもはか細く実り、ネギは折れそうに弱々しく直立する。

 

 だが町を囲んでそびえる山林には、春には花を咲かせ、夏には葉を青々と茂らせ、秋には真っ赤な紅葉と、野菜に行くはずの養分を奪われているのではないかと考えてしまうほど、樹木がその成長振りを見せ付けていた。

 植物が育たない荒れ果てた荒野ではないのだ。だが野菜だけは育たない。そのため食卓に上がるのは、海で獲れた魚か海藻類がほとんどで、野菜は保存の効く干物か漬物でしか出会えなかった。民は海の幸に感謝して、日々を食いつないでいたのだ。

 

 そんな人々に追い討ちをかけるように五年前、この町では風土病が蔓延する。

 

 病にかかった者は三日ともたずに死に至る、恐ろしい病だった。それが町中全土に広がって、民衆はパニックに陥ったのだ。

 すぐに感染源が特定された。しかし瞬く間に民衆に広がった感染源は、なんと魚。栄養源の魚類が、病原菌を持っているというのだ。混乱はさらに加速し、呪いだ何だと狂って叫ぶ者もいれば、檜山を捨てて北の湊に逃げる者も少なくはなかった。

 

 お国の対応も悪かった。この未曾有の疫災において、何も政策を立てなかったのである。

 ただ一言だけ、『国の金庫にそのような余裕はない』と発表した。

 それを受けた人々の感情は、怒りを抱くより先に、失望と落胆を覚えたのだ。

 金銭の余裕がないという布告を、民衆は事実であることを知っていた。なぜなら風土病が流行りはじめるつい直前に、お国は湊へと大規模な侵略攻撃を行ったからだ。

 しかし侵攻部隊は国の境を踏む前に、山岳を進行途中で何故か壊滅。何の成果も持ち帰らずに逃げてきており、まさに無駄骨であった。

 数千人分の食料が水の泡となったのだ。その食料で何百人の命が救えたのか、民衆たちに国の役人たちへの強い失望を抱かせた。そえれでも町に留まる人々がいたのは、小さくない愛着を持っていたか、まだここにいたほうが安心だ、と国の軍事力を信じていたからだろう。

 

 そんな風土病に感染して命を落とした平民の中には、海人の血のつながった両親も含まれていた。

 十五歳で天涯孤独の身となった海人だが、重蔵に拾われたことで命をつないだのである。

 

 

 

 

 そんなあまりにも突然に親をなくした海人だが、思い出のほかにも、父親から託されたものがあった。

 

 町のはずれの、人通りの多い街道や他所から町に入るための山道からも外れた、林の中。

 細い獣道を抜けると、開けた場所がある。そこには祠が淋しげにひとつだけ建っていた。

 

「……お?」

 

 祠といっても、小さくはなく、むしろ大きくて立派だった。屋根は海人の身長の二倍程はあり、瓦で覆われていた。縁の下もあり、頑丈で雨宿りもできるつくりであった。

 

 海人がそんな祠を視界に入れて、不思議そうに声をこぼした。祠の柱にもたれかかって、肩を上下させて、すーすーと小さく寝息を立てる少女がいたからだ。

 海人は少女の前に立ち、上から覗き込んだ。

 何度見ても、整った美しい顔だ。

 そう海人は思った。年は海人と同じ十九、肩まで伸びた長髪に、その寝姿からはお淑やかな大和撫子を思わせた。

 海人は、その少女を知っていた。海人は少女の肩に手をかけると、揺らして声を張り上げた。

 

「起きろ、愛代(ちかよ)

 

「……ん。……海人……?」

 

「おう、海人様だぞ。このねぼすけめ」

 

 少女は目元をこすると、んーと伸びをして目を覚ました。まだ寝ぼけているようで、どこか上の空だ。

 彼女の姓は安東(あんどう)、名は愛代(ちかよ)。安東の姓が示すとおり、彼女は安東一族であり、檜山の対立相手──湊のお姫様だった。

 

「ずっと此処にいたのか? ……たしかに、昼寝には丁度いい日差しではあるな」

 

「……そうでしょ」

 

「だが、ここ」

 

 海人は自分の口元を指した。

 

「よだれの跡がついてるぞ」

 

「──!」

 

 愛代は驚いてぱっちりと目を覚ますと、恥ずかしそうに口元を服の裾で拭った。

 

「こんなところで眠りこけて、一国の姫がはしたない」

 

「……ここにいると、不思議と気が緩んじゃうのよ」

 

「なら、また掃除を手伝ってくれ。埃を落とせば、気持ちがいい。此処に来たのも、どうせまた何時もの勧誘だろう?」

 

 羞恥で赤くなる愛代に気づかないふりをして、海人は続けた。

 寝るにしても喋るにしても、何日も放置しておいたから、蜘蛛の巣や埃が溜まってる場所だ。何かをするには汚かった。

 

「手伝ってくれたなら、耳を傾けてやらんでもないぞ」

 

「……分かったわ、手伝ってあげる」

 

 お前は蜘蛛の巣を払ってくれ、と持って来たはたきを差し出す海人。

 愛代は渡されたはたきを興味深そうに観察する。

 

「……掃除できないとか言わないよな」

 

「そ、そんなわけないじゃない」

 

「昔、雑巾がけの仕方を教えてもらったのは、どこの誰だったかなぁ?」

 

「う……」

 

 愛代は言葉に詰まり、今にも泣き出しそうに顔を歪ませた。

 さすがにいじり過ぎたかと、海人は素直に教えることにした。

 

「……まあいいさ。教えてやるからついて来い」

 

「あ、ありがとう」

 

 海人は片手をあげて返答し、二人は無言で裏手に回った。

 

 

 

 

 この祠、謎が多い。海人が知らないことだらけだった。

 こうして清掃を日頃のように行っているが、この祠も土地も海人のものではなかった。

 海人の財産であれば食うのに困って、とっくに売りに出しているところだ。

 

 それはともかく、この祠には謎が多い。見るからに立派に立てられており、風雨も凌げるので、そこらの家屋よりも堅牢に建てられているかもしれない。

 だが何時建てられたかも、これだけ立派に建てられておいて参拝客が一切合切皆無なのかも、どんな神様が祭られているのかも承知していなかった。

 

『ここで神様に祈りながら鍛錬を積めば、きっとご利益がある』

 

 とは言っても、手がかりがないわけではない。幼少の頃、実父にここに連れてこられて、そう言われたのを海人は覚えている。

 父の言葉から推測されるのは、ここに祭られている神様は、武に縁のある神様だということ。推測を裏付ける証拠として、屋内の神棚に置かれているご神体は『脇差』であった。

 

 ……と、なんやかんやと言葉を並べてはいるが、謎が多いことに変わりはなかった。

 いかんせん情報が少なすぎて、推理する以前の問題である。

 書物でも残っていればいいのだが、そう都合よく残っているはずもなく。それに残っていたとしても、海人本人に問題があった。

 そう、海人は生活に支障がない程度の字が読めるだけで、小難しい歴史書を読み解いて回答を導く教養を持っていないのである。

 

 このような理由で、海人は誰に依頼するでもなく、早々に解明することを諦めていた。

 

「おーい、終わったかー」

 

「ちょっと、まって、いま、いい、ところッ!」

 

 自分の分量の仕事を終わらせた海人は、愛代の様子を確認しに来た。

 愛代は掃除に熱中していた。ぴんと爪先立ちになり、高い位置にある蜘蛛の巣に向けて懸命にはたきを伸ばしていた。愛代は頭が悪いわけではなく、飲み込みが早い。要領を掴めば、海人より素早く仕事を片付けてしまう。

 

「お前の身長じゃ届かねえよ。台持ってきて使え、台」

 

「台なんか、なくても、できるッ」

 

 ただし頭が固く、非常に頑固なところがあった。一度自分でやると決めたことは、意地でもやり通すところなど。

 海人は肩をすくめると、表に戻って、愛代が終えるまで日課を行うことにした。

 

 日課とは、槍の鍛錬だ。幼少の頃から、海人はこの場所で実父から指導されてきた。形に残る物はすべて食いつなぐために売り払ってしまったので、この日課は、父の肩身であり、父がいた証でもあるのだ。

 海人は穂先の刃の部分にかぶせてある布を取って、槍の鍛錬を始めた。

 

 突いて、引く。

 槍を構えてから、この単純作業を何千、何万回と繰り返し、意識しなくてもできるまで行う。無意識にできるようになるまで行う、それが今は亡き父からの課題だ。

 血と汗がにじみても、気の遠くなるような時間の中、海人はこの行為を何年間も繰り返してきた。

 父のことを忘れないためだけに、一心不乱に続けてきた鍛錬であった。だがこの努力も実り、海賊行為の際には真っ先に飛び出して、槍を手足の様に扱って敵をなぎ倒していた。

 

 想像の相手に五百回目の突きを繰り出したところで海人は、先ほど居眠りをしていた場所に座り、じっと眺めてくる愛代に気がついた。

 

「おっと。もう終わったのか」

 

「とっくにね。声かけても気づかなかったんだもん」

 

「そりゃ悪いことをしたな。待たせてすまん」

 

「別にいいよ。見ていて退屈しなかったから。海人はなんと言うか、うまくて完成している、とでも言えばいいかな」

 

「はっはっは。世辞を言っても出るもんはねえぞ。何も持ってきてないしな」

 

「じゃあ私が出しちゃおう。……はい、お饅頭。おしぼりも持ってきたから、手を拭いて食べてね」

 

 愛代がふろしきを開くと、重箱に詰まれた饅頭が姿を見せる。

 

「おっ、うまそうだな。……だが、足りないものがあるんじゃないか?」

 

「それは一体?」

 

「お茶がない」

 

「あー。ごめんね。次は持ってくるよ」

 

「おう、頼んだぞ。……疑問に思ったのだが、ちと準備が良すぎるんじゃないか? しばらくいないとは言ったが、今日帰ってくるとは言ってないぞ」

 

「あなたのお仲間達に聞いたのよ。快く教えてくれたわよ」

 

「いつのまに仲良くなったんだ。一応、檜山と湊は憎み争う敵同士なんだがな」

 

 海人は饅頭を挟んで愛代の隣に腰掛けた。

 ここ檜山と湊はここ数十年家督争いが続いている。

 現在は五年前の大戦から、小康状態が続いている。大きな衝突は起きていない。

 

「いいのいいの。近いうちに湊と檜山は仲直りして、手を取り合って進むんだから」

 

「そうなればいいがな」

 

「そうなるように、私は頑張ってるんじゃない」

 

 やる気に燃えている愛代を傍目に、海人はおしぼりで汗で汚れた手を拭いて、饅頭に手を伸ばした。

 

 愛代は、湊のお姫様だ。

 彼女の出生は特別で、母親は湊系の人間だったらしいが、父親は昔出家した檜山系の人間だと言う。

 政略結婚として娘を敵対勢力の大名家に嫁がせることはあるが、檜山の人間はそのことを誰も知らないらしい。なので政治的に重要な位置にいるようだが。

 海人はそう聞いていた。

 

「だけど私の力だけじゃ駄目みたい。……私の夢のために、力を貸してくれない、海人?」

 

 愛代は首をかしげて、そう潤んだ瞳で海人を見つめてくる。愛代は故意にやっているわけではないだろうが、かなりあざとかった。

 はじまったな。いつもの勧誘だ。

 そのしぐさはなかなか可愛らしかったが、海人はその無意識の誘惑に慣れきっていた。

 

 彼女は、湊で愛情をもって育てられたのだろう。その些細な仕草からは育ちの良さが窺え、どこか気品があった。性格は天真爛漫、その場を暖かく照らすような明るい気性であった。

 愛代はその特別な生まれから、同じ血を引くもの同士、仲良くできないはずがないと考えているのだ。

 父親と母親が愛し合うことができたのだから、みんなだってできる。そう信じて疑わず、彼女は檜山と湊の仲を取り持とうとしている。

 ここ檜山には湊側の使者として何度も来ており、両安東家を行ったり来たり、日夜奔走している。

 だがいつも門前払い。湊の使者だと面会を許されても、愛代を子供だと思って軽く見て、真摯に受け取ってはもらえないと、ここで愚痴を溢すのだ。

 

 海人をこうして誘ってくるのも、父親──重蔵が元安東姓だから、少しでも力を貸してくれればという、安易で具体性のない思考から来ているのだろう。

 

「そうだな。考えておくよ」

 

「なにその冷めた態度。そう言っていつも考えてくれないじゃない」

 

 愛代は拗ねてそっぽを向いてしまう。

 

「そうは言うがな。俺は槍を振り回すぐらいしか出来ないし、親父はもう安東じゃない。もう関係ないから巻き込むなって話だ」

 

「いいじゃない。同じ檜山から抜けた者同士で手を組んだって」

 

「親父も檜山に恨みを抱いちゃいないらしいぞ。これ以上交渉しても無駄だ無駄。俺は協力しないぞ」

 

「むー」

 

 そして海人とは反対方向を向くと、完全に押し黙ってしまう。

 こうなるともう、時間が解決してくれるしかない。海人は饅頭の最後の欠片を飲み込むと、槍の鍛錬の続きをするために立ち上がった。

 

 その時、突然海人は服の端を引っ張られた。

 

 立ち上がる直前だった海人はバランスを崩してしまい、背中から倒れこむ。海人は文句を言おうとするが、引っ込む。服を引っ張った愛代が、倒れた海人の上に乗りかかってきたのだ。

 

「海人……」

 

 愛代の服がはだけて、染みひとつない綺麗な肩口が露になる。胸が大きく鳴り、海人の目が釘付けになる。

 

「あなたが協力してくれて、湊と檜山が仲直りしたら……私、どんなことでもしてあげる……」

 

「お、おい……」

 

 とろけたような声を出しながら、愛代は海人の体をよじ登る。

 態度が豹変した愛代に驚いて、海人は動揺して動けなかった。

 

「ね、おねがい……。私にできることなら……なんでも……」

 

 仰向けで倒れた海人の顔の横に、愛代は手をつく。至近距離で、海人と愛代は見つめあう。

 体の虚弱な愛代を無理やりどかすわけにもいかない海人は、なんとか冷静に心を落ち着かせながら、愛代のアクションを待つのだが……。

 

 愛代は海人を見つめたまま、固まってしまった。

 

「……まさかお前、次何をすればいいか知らないってことは……」

 

 愛代から反応はなかった。かわりに海人は、彼女の頬を伝う冷や汗を幻視した。

 海人の心がすっと冷える。

 

「生娘が粋がるんじゃねえよ! ったく動揺させやがって……」

 

「だ、だってこうすれば男はみんな言いなりだって本に……。あ、あれ? 今なんて……」

 

「生娘が粋がるな。その貧弱な体力と軽い頭をどうにかしろ。と言った」

 

「そんなこと言ってない! しかも酷い! 私だって体力は、ま、まあ海人には負けるけど……。だけど頭は海人なんかには引けをとらないよ! 海人なんかには!」

 

「なんかとはなんだ、馬鹿にしてんのか! 何度も言うが俺は頭は悪くねえ!」

 

「何度も……? みんなから言われてるんじゃない! 事実なのよ、私以外からも言われるぐらいに! バーカバーカ!」

 

「この貧弱!」

 

「馬鹿!」

 

「貧弱!」

 

 この後ずっと、子供のような罵り合いが続いて、喧嘩別れになる。

 

 だがまた数日が過ぎて、愛代がまた檜山を訪れれば、何事もなかったかのように落ち合い、他愛もない話に興じるのだった。

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