三十一話、デルピノス
セイレーンとの戦いから数日後、海人は北アメリカ大陸の南東部、多国籍の船が集まる港にいた。船を停泊させ、海人が何をしていたかというと、港町の至る所で頭を下げていた。
「頼むッ!」
男の前で海人は頼み込んだ。しかし海人の誠意もむなしく、男はも申し訳なさそうな表情を見せながら去っていってしまった。海人はため息をつくと来た道をとぼとぼと帰っていく。
海人は自分の船に乗ってくれる新しい乗組員を探していた。船はひとりでは動かせない。いや海人の権能さえあれば動かせるのだが、海人だけでは手が回らないのだ。
なのでこうして人が多いこの港町で募集したのだが、想像していたことではあったが、難航していた。
問題は、日の本の国が全く知られていなかったこと。そんな何処にあるかもわからない船に乗ってくれることなど、あるはずがなかっった。
そして最大の問題は海賊船であり、これから何が起きるかもわからない危険な島へ向かうということだった。乗組員も命をかけている。生きて帰れるかわからない船に乗ろうとする人などいないだろう。
海人は誠心誠意頼み込んだがしかし全て断られ、水平線の太陽は沈み日が暮れようとしていた。
今日のところは諦めて、海人は船に戻った。
◆
「ただいま……」
海人は港に停めた船の甲板に降りた。前なら大勢の乗組員達の返答が聞こえてきたのだが、今はしーんと静まりかえっていた。
妙な物悲しさに苛まれる海人。
そんな時だった。海人以外誰もいないはずの船内で、ガタンと大きな音がした。音は甲板の下、船の中から聞こえてきた。
「まだ元気なのか……。やっぱり、ただの魚じゃねえな」
海人は船内へと入っていくと、大きな物音のする部屋の戸を開けた。
そこには口先と全身を縄で簀巻きにされたイルカの神獣が転がっていた。
「おい
海人がそう問いただすと、イルカはブンブンと頭を振った。口先は縄で縛られており、開くことができない。
「おっと。すまねえ、忘れてた」
口を塞がれては人間だって喋ることができない。海人はイルカの口先を縛っていた縄を外した。するとイルカの神獣は早口でまくし立てた。
「知らないっす! 本当にあんたのことは、誓って何も知らされていないっす! ただ自分は、セイレーン様の島の様子を確かめてくるように命じられただけで……」
「命じられているじゃねえか! 吐け! ポセイドンは一体何考えてやがる!? どんな意図で、何しようとして仁実を攫った!?」
海人はイルカに詰め寄って、掴んで吊り上げ……ようとしたが、服も来ておらずつるりと滑らかな体表をしたイルカの体を掴めず、突き出した右手は手持ち無沙汰となり空気を握った。
「ほ、本当に知らないっす! それにポセイドン様に造られた自分達は、例え殺されそうになっても主人に逆らうようなことはできないっす。そう造られているっす!」
「ふむ、そうか……。だとしてもだ、俺のために出来ることが残っているだろ? ポセイドンの根城まで道案内をしてもらおうか」
「アトランティスのことっすか? 主人に危害を加えようとしてしている者を、先導するなんて出来るはずないじゃないっすか! 自分そう言いましたよね!」
「いいや、出来るはずだ」
床に転がるイルカの神獣の前で、海人はしゃがみこんだ。海人は幼子に絵本を語り聞かせるような口調で、イルカの神獣を諭した。
「いいか、お前はただポセイドンの元に戻るだけだ。ポセイドンに逆らおうって訳じゃない、なんせ奴に命令されたからだ。ポセイドンに島は沈んだと報告すればいいだけで、俺が後ろをついていくことには全く問題ない。そうだろ? お前は何も考えず、自分の巣に帰ればいいんだ」
「わ、わかったっす……」
にっこりと笑う海人に寒気を感じ、イルカの神獣はこくこくと頷いた。
海人は乗組員の勧誘をしている最中、ある噂を耳にしていた。それはこの大陸と東にある西洋諸国のある大陸、その間にあると言われる『幻の大陸』の話だ。
曰く、その大陸の周辺の海域には流れの強い海流が、渦を巻くように流れているのだという。そのためその大陸に行こうとする船はその大陸を見ることもかなわず、海流に弾き出されてしまうらしい。
西洋諸国からこの大陸に訪れようとする船も迷惑を被っている。海流のせいでその海域を避けねばならず、大きな遠回りをさせられるためだ。
海人はその大陸こそに、ポセイドンがいるのではと睨んでいた。
教えてもらった海域の方向と同じ方向を羅針盤はさしているし、何より教えられた方向から良くない予感をビンビンに感じ取っていた。
その大陸に行くには海流をどうにかしなければたどり着けない。だがそれもこの鯆の神獣がいれば、抜け道を案内させれば良い。
「そうと決まれば、早く乗組員を見つけなきゃな」
海人はいっそう気合いを入れた。仁実のいる島まであとちょっと、海をひとつ越えればいい。この大陸に来るまでの大海より小さい海だ。
しかしそんな海人のやる気を抜かせるかのように、イルカの神獣は言った。
「ポセイドン様と戦うのでしたら、人間は連れて行かなほうがいいっすよ」
「ん? 何故だ?」
「被害者を増やすだけだと思うので……。まつろわぬ神と神殺しの闘争に巻き込まれれば、命の保証はできないっすよ」
「だが、避難させていれば済むのではないか?」
「駄目っすよ!」
イルカの神獣は強く反論した。
「どんなまつろわぬ神を下したかは知らないっすが、ポセイドン様は海と大地の神。海の支配者でありながら、槍の一振りで大地を作り替えるっす。セイレーン様の島も、これから行く大陸も、全部ポセイドン様が造りあげたものっすよ!」
「なんだと?」
船の墓場が沈んだのはセイレーンがそうしたのであって、何もしなければずっとそこにあり続けたはずなのだ。
海人は驚いた。それだけの規模の権能を行使するとなると、島程度の大きさの戦場では足りないかもしれない。
「大陸には原住民も住んでいるっす。だけどその原住民さえ安全という保証はないっす。死にに行くのと同じっす!」
「……そうか。わかった、乗組員を集めるのは諦めよう」
海人はあっさりと忠告を受け入れた。イルカの神獣がきょとんとする素直さだった。
海人も頭のどこかで理解していたのだ。自分の船に乗ってくれる者など見つからないことは。
「じゃあ俺とお前の二人で行くか。……しかしその陸にはポセイドンだっているんだろ? そこに住む民はまつろわぬ神の圧政に苦しんでいるのではないか?」
「いえ、神獣の自分に言えることではないっすが、住民感情は良いようっすよ。ポセイドン様は海の王、王と呼ばれるだけあって人間相手でも
「そうか……。だが分かんねえな。その陸はポセイドンが造ったんだろ? 住んでいる民は、どうしてそこに住みたいと思ったんだ?」
「住んでいる人達は、大陸に住みたいと思って越してきたわけじゃないっす」
イルカの神獣は、気持ち沈んだ口調でぽつりと溢した。
「住んでいる人達は、ポセイドン様に
◆
「なんですか、この街は……」
仁実は、窓から展望できる街の異様な景色に、愕然としていた。
場所はポセイドンの寝床のある邸宅。そこの起きたら寝かせられていた巨大なベッドがある部屋から、街の全体が一望できた。
「これがこの大陸、アトランティスの正体です。この世界のあらゆる場所からポセイドンに運ばれ、つなぎ合わせて造られています」
街はまさにつぎはぎで、世界中の文化をひとつの鍋に入れて混ぜっ返したかのように混沌としていた。
赤レンガ造りの建物があれば、すぐ隣には石で造られた白い一軒家がある。木造の建物もあれば移動式のテントの家もある。そこに協調性はなく、だが文化の境は一目で判断できた。整地さえされておらず段差が階段のようになっていたからだ。
どうしたらこのような街が出来るのか教えられなければ気づくことはできないだろう。だが言われてみれば納得する。ポセイドンが切り取った大地を無作為に配置したためなのだと。
そのことを仁実に教えてくれたのは、彼女だった。黒髪に黒目の、同じ故郷の出身者。外見からして三十代の日本人の彼女は、仁実が起きた時から傍にいた。ポセイドンに命じられた事であり、同郷であるから言葉も通じると考えたからだ。
「この陸は二十年以上前からあるそうですが、私は十年前に連れてこられました。私はスペインにおり、ある村で一泊した時に連れてこられました。他にも私と同じ境遇の人々がふもとにいます。……日ノ本は今、どうなっていますか?」
「足利将軍家は力を失い、下剋上の風潮高まる乱世の時代です」
「そうですか、そんな物騒な時代に。ですが帰ってみたい、もう一度故郷の土を踏みたかったですね……」
「できますよ! どうして逃げないんですか? 外に逃げれば日の本にだって帰れます。周りは海、船を造れば脱出できるじゃないですか!」
「無理なんです」
壮年の女性は悔しさのにじむ表情で言った。
「この大陸の周りに流れる海流が、船出を邪魔します。一度流されてしまえば、またこの大陸に戻されてしまうのです」
◆
「大陸の周りを流れる海流は外からの船を来させないための壁でもあり、大陸にいる人間を外に出さないための檻の役割も果たしているっす」
「そうだったのか。……だが、お前ならいけるんだろ?」
「はいっす。自分なら抜け道を知ってるっすよ。然る順序で通れば、船で入ることだって出来るっす!」
イルカに表情があれば、自信満々の表情を浮かべていただろう。任せてくださいと言わんばかりのイルカの神獣を海に放した。
海人は首輪は必要ないと判断した。ポセイドンには逆らえないと言いながら、やけに協力的だったのだ。
「……なあ、どうしてお前はそこまで俺に協力してくれる?」
「自分は見たとおり、イルカから造られた神獣っす。元はイルカで、そこそこイルカの中では頭もいいほうだったっす。だからポセイドン様に神獣にされたら、頭もより一層良くなったっす。だからっすかね、他の奴らとは違って、人の痛みもわかっちまうんっすよ……」
「……ふーん」
甲板から肘をついて聞いていた海人は、どうでもよさそうに返事をした。しかし思うところがあったのか、海人はイルカの神獣に向かって問いかけた。
「お前、名はあるのか?」
「……? ええ、ありますっすよ。デルピノスっていう、これもポセイドン様からのもらいものですっすけどね」
「そうか、デルピノス。俺は海人だ。これから俺のことは海人様と呼べ」
「え!? いきなり何っすか!?」
「ほら、無駄口叩いてないで先導しろ、この魚風情が」
「痛っ、痛ッ! 何っすかこれ、見えないものがべしべしと自分の顔を叩くっす!」
そうして一人と一匹は、大きな港を出立した。目指すは幻の大陸、アトランティス。そこではギリシャ神話における全能神ゼウスの兄弟、海と陸の支配社ポセイドンが待ち構えている。