征海魔王   作:カンジョー

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三十三話、まつろわぬポセイドン

「来い、ヒッポカムポスよ!」

 

 開戦の鐘が鳴った。ポセイドンは海人に突撃し、すぐさま刃を交える……というわけではなかった。迅る気持ちを抑えて、ポセイドンは高らかに声を張り上げて何かを呼んだ。

 するとポセイドンの遥か後方から、高くいななきながら接近してくるものがあった。

 近づいてくるのは馬だった。だが形は馬でも、海人の知っている馬とは体色が大きく違っていた。その馬は全身の体毛が空に近い青、たてがみは白く風にたなびいている。

 特に驚くべきは速度。初めは点だった姿が、十秒も経たない内に体格がはっきり見えるほど接近してきていた。そして見えたと思った時には速度を落とし、ポセイドンの横に並び立った。

 

「こ奴こそヒッポカムポス、我が愛馬よ!」

 

「てめえ、一騎打ちじゃなかったのかよ!?」

 

「互いに全力を出し切り、己の力総てを以って戦う。まさか我が権能で呼びだした神獣を従えること、卑怯とは言うまいな」

 

 ポセイドンは手綱を握り、ヒッポカムポスの鞍にまたがった。ポセイドンは三叉槍を構え手綱を引き絞り、ヒッポカムポスは海人に鋭い視線を向けた。

 敵として完全に認識された。ヒッポカムポスは前足で地面をかき、闘争心をみなぎらせた。

 

「行くぞ、我が一駆けは如何なる神とて止められぬと知れ!」

 

 ポセイドンが手綱を緩めた。途端にヒッポカンポスは駆けだし、驚異的なスピードで海人に突撃した。

 出方を伺っていた海人は一直線に駆けてくる馬を見て、右に回避する体制に入る。

 

「ふんッ!」

 

 ポセイドンもただ馬上で眺めているだけだはない。海人とすれ違いざまに槍を突き刺そうとする。

 

「ッ!」

 

 馬の車線上から逸れた海人は、咄嗟に手に持つ槍で受け止めた。だが馬のスピードが乗った槍の一撃は強大だった。

 海人は瞬時に判断すると、左に勢いを受け流した。

 ポセイドンの槍ははじかれ、ヒッポカムポスも轢くことはできなかった。ポセイドンはそのまま駆け抜けると、海人に向き直った。

 

「ほう、避けるとはな。たしかに前とは違う、セイレーンは貴様を成長させるほどの強敵だったか」

 

「見えない速さではないからな。それにたった一回打ち合っただけで理解されるほど、俺は浅い人間じゃねえぞ!」

 

 神速、というものがある。常人の目では捉えられない速さのことで、時空を歪めて移動するという、普通では手が届かないような恐ろしい能力だ。

 だが幸いなことにあのヒッポカムポスの速さは神速ではなく、物理的に速いというだけ。しかも当たり前だがスピードが速ければ小回りもきかないらしい。

 ヒッポカムポスに関してはあの爆発的な加速に注意していれば、神速を見切る鍛練をしてきた海人にとって脅威ではない。

 

「そこまで言うのならば、遠慮なく行かせてもらおう!」

 

 遠慮など覚えたことなど無いだろうに。また一直線に突撃してくるポセイドンを見極め、海人は槍を構えた。

 

 冷静そうに見える海人だったが、内心では心臓に冷や汗をかいていた。

 海人には、騎兵と殺り合った経験はなかった。陸での戦は何度か参加したが、本業は海賊だ。舟の上での命の取り合いこそ得意でも、舟の上で馬に乗った将がいるはずがない。

 

 すれ違いざまに、馬を斬ろう。突き貫くための槍だが、あれだけの速度が出ていれば、馬の通る空間に置くだけで肉を切り裂ける。

 余裕をもって直線上から離れ、通り過ぎるヒッポカムポスを斬りつけようとする。だがそれをポセイドンが良しとしなかった。

 馬に気をとられていた海人が上を見上げた時、ポセイドンも同じように三叉槍を海人に当たるように差しだしていたのだ。

 

「ぐっ」

 

 海人はとっさに槍を持っていない左腕でかばう。衝撃を流しきれずに海人ははじき飛ばされ、地面を転がった。

 両手をついて起き上がる。じんじんとしびれるが、左腕は折れていなかった。

 

「ふははははっ! それではいつまで経っても俺に致命傷を与えることなどできぬぞ!」

 

 離れた地点でヒッポカムポスを転回させ、ポセイドンは笑った。

 じり貧なことは海人自身、一番身にしみてわかっていた。だから油断し隙を見せたときに、大きな一撃を与えるのだ。

 空にはゆっくりと雷雲がかかりはじめていた。海人がポセイドンに気づかれないよう、慎重に念じているのだ。

 

「権能を使ったらどうだ、海人! 俺は権能を行使した貴様の全力と……はて?」

 

 ぽつぽつと雨が降り始め、雨粒がポセイドンの顔にかかった。ポセイドンが空を見上げると、そこには太陽を隠さず不自然なかかり方をした雷雲が。

 気付かれた! 海人は絞っていた栓を解放し、雷雲を一気に展開した。快晴だった空が、海人に呼び出された雷雲に埋め尽くされていく。

 

「ならお望み通り見せてやるぜ! 落ちろ!」

 

 雷雲から稲妻がポセイドンめがけて落ちる。辺りは轟音と眩い閃光に包まれた。

 

 

 

 

「きゃっ!」

 

 山の頂にある宮廷の窓から海人とポセイドンの一騎討ちを見守っていた仁実は、落雷の閃光に驚き、持っていた双眼鏡を落とした。

 驚きのあまり、尻もちをついたまま動けなかった。

 

「仁実様、大丈夫ですか?」

 

「……ッ! ええ、ありがとう」

 

 しばらく放心していたが、仁実は同郷の女性に声をかけられ我に返った。立ち上がり女性が拾った双眼鏡を受け取ると、窓から海人が戦っている戦場を双眼鏡で覗いた。

 

 戦場には、雨が降り始めていた。

 

 海人の権能を使った『まつろわぬ神との』戦いを見るのは、仁実はこれが初めてだった。権能だって一度だけ、海人が風を操っていた時しかない。

 海人がこの陸に来たと隣の同郷の女性から聞かされたとき、いの一番に会いたかった。しかしポセイドンの言葉を預かって来た女性が言うには、「ここを出て我らの近くにいれば、命はない」という。

 一般人とは違い、自分は魔術を使える。少しは海人の力になれると思っていたが、気付けば宮廷に魔術をかけられて出られなくなってしまったのだ。

 

 だがこの様子を見るに、海人の元に駆けつけなくてよかったと仁実は思った。まつろわぬ神にちょっとだけでも食いつけると思っていたが、あれでは自分の身すら守れるかも怪しい。自分はまつろわぬ神の恐ろしさの一端しか見えていなかったのだ。

 今回はポセイドンに助けられる形となった。仁実にとって義兄の力になれないのは心苦しかったが、戦場にいて足手まといになるのはもっと自分が許せなかった。

 

 その点で今の私は……。仁実は下唇を噛んだ。湊で女神に連れ去られたと思ったら、連れて閉じ込められた牢屋でさらに別のまつろわぬ神に誘拐される。海人に迷惑をかける自分が情けなかった。

 

「……あなたはポセイドンの持っている力をご存知ですか? 例えばあの馬がどれ程の力を持っているのか、とか?」

 

「いいえ、仁実様。私はあの白いたてがみの俊馬も見たことはありません。ポセイドンは自らに従う神獣達を、海に放しているのです。私たち人民に、見る機会などありません」

 

 女性は体を震わせて、恐ろしいと言いたげな表情で教えてくれた。

 

 そんな時、戦場に変化があった。雷が落ちてできた土煙が晴れ、ポセイドンの姿が出てきたのだ。

 

「ただ言えるとするなら、ポセイドンは度々『海と陸の王』を名乗っていました。それにまつわる権能を持っていると考えるのが自然です」

 

 

 

 

「アナーヒタでもセイレーンでもない力だ。蛇、天候を操る権能か。なかなか楽しませてくれる」

 

 海人の目の前で立ち上っていた土煙が晴れる。土煙が晴れた後に経っていたポセイドンとヒッポカムポスは、全く傷を負っていなかった。

 

「雷が避けられた……!?」

 

「かわしてはいない。ヒッポカムポスもあの一瞬で雷を振り切ることはできぬからな。俺も権能を使わせてもらったぞ」

 

 そう言ってポセイドンは自分の頭上を右手で指差した。よく見ればポセイドンは三叉槍をもってはいなかった。

 どこに行ったのかという疑問の答えは、指で示された頭上にあった。ポセイドンの頭上には水の塊が浮かんでいたのだ。

 水の塊はシャボン玉の様に宙に浮かび、時折バチバチと放電していた。

 

「そうか、水の槍に電気を通したのか!」

 

 ポセイドンは雷を避けてはいなかった。電気の通りの良い水の三叉槍を盾にして、電気エネルギーを水の塊となった三叉槍に封じ込めたのだ。

 

「このまま武のみで闘っていたかったが、貴様がそう出るのならば我も使うまでよ……。これこそがトリアイナの水を支配する力! 形を持たぬ水はトリアイナを中心に我に従うのだ!」

 

 ポセイドンから水の塊になった三叉槍──トリアイナへ、神力が供給される。すると水の塊となったトリアイナから呪力が周囲にほとばしった。

 その瞬間、海人はまるで時間が停止したように錯覚した。

 それは空の雷雲から降り注いでいた雨粒が、宙で静止したからだった。海人とポセイドン、ヒッポカムポス以外の動くもののない草原で、空中に水滴が浮かぶ幻想的な光景が広がっていた。

 強風が吹きすさび、停止していた時間は動き出した。

 

「そして支配する水は大地を断ち、万物を押し流す鉾の一部となる。雨水よ、我が元に集まれ!」

 

 静止していた雨粒はポセイドンの発した言霊で、トリアイナに渦を巻くように取り込まれていく。絶え間なく降り注ぐ雨を取り込み、トリアイナはどんどん膨張していった。

 

「……まずいな……」

 

 次第に大きくなっていく水の塊に、海人は危機感を覚える。

 アナーヒタという水を主体に操るまつろわぬ神と闘って、水を操れることがどれほど恐ろしいか理解している。しかし今更スイッチで証明を消すように雷雲を消し去ることはできない

 

「ふははは、そちらから俺に武器を運んでくるとはな! 後悔しても遅い。トリアイナの鉾のひとつ、その身で味わうがよい!」

 

 ポセイドンが腕を振ると、トリアイナから水が放射された。

 海人から見て点となってピンポイントで放たれた水鉄砲を、咄嗟に海人は右に避ける。だがポセイドンが左に手を振れば、右に避けた海人を追うように水鉄砲は左へなぎ払ったのだ。

 

「ちっ、面倒な!」

 

 海人はそれを姿勢を低くして避ける。頭の上を通り過ぎた水鉄砲は、次第に勢いを弱めて消えていく。しかし水鉄砲の切れ味は鋭く、背の低い草が刃物で切ったかのように真っ二つになっていた。威力も強力で、水鉄砲が通った地面がえぐれていた。

 立ち上がった海人に向かって、ポセイドンは馬上から見下して笑みを浮かべた。

 

「避けたか……。だがまだあるぞ。武器の源は天より無限に降って湧く。貴様が呼び寄せた雷雲からな。それにトリアイナの鉾はひとつではない!」

 

 ポセイドンが頭上のトリアイナに手をかざすと、今度はトリアイナから三本の水の筋が放出されたのだ。

 三本の水鉄砲はそれぞれ独自の動きをし、規則性は全く読めなかった。これでは目が二つあっても足りない。

 

「ふはははっ、どこを見ている!」

 

「なっ……ぐああっ!」

 

 そして水鉄砲を放っているトリアイナに気をとられている隙に、海人の目の前にはヒッポカムポスが迫っていた。

 よけきれないと察した海人は両腕でかばい、ヒッポカムポスに轢かれて跳ね飛ばされた。

 数メートル跳ね飛ばされて全身を強く打った海人は、即座に起き上がることができない。トリアイナを手放したポセイドンは手綱を引き絞り、トリアイナはポセイドンの頭上につき従っていた。

 

「俺を忘れてもらっては困る。貴様と闘っているのはトリアイナではない、この俺なのだからな!」

 

 三本の水鉄砲を発射するトリアイナ、それと同時にポセイドンの乗るヒッポカムポスにも気を配らないといけない。海人は乾いた笑いをあげながら、足りない頭を使って必死に打開策を考えていた。

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