三十八話、魔術師の王
「まったく……まったく、嘆かわしい。魔術師どもはこんな事を隠していたのか」
彼はそう呟いて、手に持ったティーカップを傾けた。静けさが漂う図書室に、彼の低く重い声はよく響いた。
彼は三人の魔術師を傍らに侍らせている。名は、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。欧州の魔術師に、
だが彼は生来、自分が魔術師だと思ったことは一度もなかった。浮浪児であった彼は、魔術の基礎すら学んだことはなかったのだ。
ならば何故、ヴォバンは魔術師に恐れられているのか。それは彼がこの世に顕れたまつろわぬ神を刹逆し、魔術よりもはるかに強力な神の奇跡を操る、神殺しのひとりだったからだ。
「魔術師はこんなにも心躍ることを私に黙っていた。はてさて、私が一体どうすると思っていたのだろうな?」
ヴォバンはくっくっと笑いを漏らした。彼はその落ち着いた佇まいで椅子に腰掛けている反面、内心では熱く滾っていた。
もしこの昂ぶったヴォバンの姿を見た人間がいれば、重くのしかかる重圧に逃げ出していたに違いない。だがあいにく、ヴォバンのいる空間には、魔術師の三人以外にはいなかった。
その魔術師三人も、人間と呼ぶよりは『人間だったもの』と言うほうが相応しい外見だった。顔色は青白く、瞳孔も開いている。表情もうつろで、まるでリビングデッドやゾンビ、死者が立ちつくしているようだった。
「『カイト』。この名に聞き覚えのある者はいるか?」
ヴォバンは三人の魔術師に、疑問を投げかけた。
ヴォバンが持つ権能のひとつ、『死せる従僕の檻』。その力はヴォバンが殺した者の魂を呪縛し、己に仕える死霊として使役するというもの。
三人の魔術師は、元は高名な魔術師だった。しかしヴォバンに殺されてしまい、なまじ優秀だったためにこの権能で死にたくても死ぬことができない状態にされてしまったのだ。
魔術師のひとりが、口を開いた。命令さえあれば動けるのだ。
『……カイト。出身不明、容姿不明。優秀な騎士の人材を輩出したとして、魔術師界隈に名を残す。彼の弟子を称する者の中で、騎士として高名を馳せる者は多い。海洋を傷ついた帆船で放浪しているとされ、弟子以外でほとんどその姿を見た者はいない。彼が弟子を取るのは気まぐれである。彼の下で修行を積み免許皆伝を受けた者は、総じて達人級に近い槍の腕前である……』
「ふん、そうだ。私が聞き及んだ通りだ」
顎鬚を生やした、神父服の男が答えた。ヴォバンは答え合わせをするかのように頷いた。
アンドーの弟子はその年齢に比して優秀すぎるほどの剣の腕前を持ち、そして槍の腕前においては並ぶ者が弟子以外ではないとされている。彼等の魔術の腕はまばらであるが、幼くとも大人と渡り合える実力を持っている。
そのため貴族の間では『カイト』という名が広まり、その弟子を名乗る者にはまるでブランドの如く箔がついているのだ。
「だが私が聞きたいのはもっと別の事だ……。そのカイトという者の記録は、一体何年前から残っている?」
『……一世紀以上前……』
今度は別の男、白い顎鬚を胸元まで垂らした高齢の魔術師が答えた。
「そうだ! 百年も前から名を残していながら、未だ健在だというではないか。そんな長きに渡り活動できるのは仙人でもいない。可能性があるのはまつろわぬ神……。でなければまつろわぬ神を刹逆した同胞のみ」
ヴォバンは獰猛な笑みを浮かべた。好敵手となり得る者が目の前に現れたのだから。
ここ数年ヴォバンが戦った者の中に、『智慧の王』という老齢の神殺しがいた。その者がヴォバンに神殺しは老いず、外見の老化も抑えられると教えたのだ。
その老人の神殺しとも戦うことになるのだが、長く生きた故の多彩な権能に苦しめられた。その神殺しと同じかそれ以上生きている同胞と、一戦交えることになる可能性があった。
ヴォバンはここ数年、激戦に次ぐ激戦続きだった。まつろわぬ神との連戦、前述の『智慧の王』との決闘、休む暇のない闘争の日々だった。
ある日、パタンとまつろわぬ神とのゴタゴタが来なくなり、今のような大した事件もない平穏な日々を過ごせるようになった。
ヴォバンもはじめはこれを快く受け入れたのだが、神々との闘争に慣れきってしまった体はそうもいかなかったらしい。最後に戦ったまつろわぬ神が痛みわけだったこともあり、体は次の闘争を求めていたのだ。
どこかでこの体の疼きを発散できないか。そう考えていた時に、ある噂話が流れてきたのだ。
「大西洋に、そのカイトが乗っていると思わしき船が目撃された」
何らかの魔術的方法で船の姿は隠蔽されているらしく、魔術を知らない民衆には見えない。神力や魔術に強靭な抵抗力のある神殺しになら見破れるかもしれないが、カイトは世界を回っているといわれている。世界は広く、手当たり次第に捜すというわけにはいかないのだ。
今回はなんらかの理由で偶然、民間人にも姿が見えてしまったのだろう。今にも崩れてしまいそうなボロ船が浮かんでいるので、さぞ記憶に残ったであろう。
だから、偶然、運が良かった。ヴォバンは笑みを深め、その人より太く長い犬歯をぎらつかせた。
「そいつについて、少しでも情報が欲しい。特に権能についての情報を……。お前は何か知らないか?」
ぎらりとヴォバンは三魔術師の内最後のひとりに目を向けた。前の二人がしゃべっている間、口を閉じていた青年だった。
知っていれば儲けもの、程度の軽い問いかけだった。
だが飛び出してきた発言は、ヴォバンの想定を上回っていた。
『……フルネームはカイト・アンドー。外見は二十代、少なくとも百歳。十九の頃に蛇神を刹逆し、神殺しに至る。黒髪黒目、肌は黄褐色の東洋人。権能は風を操るもの、海流を操るもの、天候を操るものがある。流体の水の槍を扱い、魚と会話もできる。性格は』
「待て。何故そこまで知っている?」
放たれた予想外の未知の情報に、ヴォバンは発言を遮った。
最後の青年は、金髪の二十に満たない剣士だった。細身の剣を持ち、鎧を着ずに薄い衣服をまとっていた。青年と命のかけひきをした時、見せてもらったその剣さばきは見事なもので、ヴォバンも手駒に加えたのだが……。
「もしや……。お前は『カイト』の弟子だったのか?」
剣士の青年は、コクンと頷いた。
「フフフ……。そうか、手間が省けたな」
この青年の魂を縛り付けた時期は、ヴォバンが『死せる従僕の檻』を簒奪したばかりの頃。権能を試しにと思って青年他何名かに使った。
まさかこの青年が、『カイト』の弟子だとは偶然だった。ヴォバンは『死せる従僕』に一通り情報を聞き出した後、直接『カイト』の弟子を訪ね、『カイト』について詳細を吸い上げようと考えていた。
おとなしく答えない場合は、多少手荒な真似をしても必ず得ようと画策していたため、その手間が省けたことには素直に喜んだ。
「では詳しく聞かせてもらうぞ、カイト・アンドーという神殺しのことを……」
幽鬼の青年は、ぽつぽつと喋りはじめた。これまでは公にならなかった海人の個人情報が、後の時代に最も悪評知れ渡る魔王に知られていく。内側に獣を飼うヴォバンは、明らかになるにつれて笑みを深めていった。
◆
「は……! は……! ぶえっくしゅん!」
ヴォバン侯爵が暗がりで襲撃を企てていたその頃、海人は盛大なくしゃみをしていた。口を両手で押さえ、随分大きなくしゃみだったなと鼻を人差し指でこすった。
「船長、風邪ですか?」
「そんな薄い格好しているからですよー」
「うっせえ! 風邪なんて柔な病にかかるはずねぇだろ! 休憩終わったら、とっと鍛錬に戻れッ!」
はーい、と弟子二人が返事をして鍛錬に戻るのを、海人はため息を吐いて見下ろしていた。
海人がいるのは、大西洋のど真ん中。青い空の下、船の操舵をしながら、弟子の槍の鍛錬を見守っていた。
上はシャツ一枚に、下はふんどしの上にズボン。どちらも洋服だった。しかしそんな格好をしていても、風邪にかかるほど神殺しの体は弱くない。まつろわぬ神には勝てるというのに、風邪に負ける神殺しがいたらお笑いだ。
「ん……? 風が出てきたな……」
これは一雨来るかもしれない。海人は権能で、天候を操作しようか考えた。
天候を変えるには、いつものように頭の中で変えたい天気を思い浮かべ、空に向かって使えばいい。だが海人はこの時、あの暗雲のようにこの先に何やら嫌な予感を第六感で感じていた。
「おい二人とも、中に入れ」
「船長? なんかすっごい魔法みたいなやつで、晴れにできないんですか?」
「お前は権能を何か便利な道具と勘違いしてないか? こーゆーのは、人間だけで対処できれば、使わないほうがいいんだよ。わかったらとっとと中に入れ。……大丈夫だ。船がやられるような嵐だったら使うからな」
へーい、と弟子二人が鍛錬をやめて船内に入っていく。
「……デルピノス!」
「へい! 何かあったっすか、ご主人!」
船の近くで、デルピノスが水面から顔を出した。
「皆に警戒を強めるように伝えろ。……はっきりしてねえが、なんだか嫌な予感がしやがる」
「了解っす!」
デルピノスは水面に顔をひっこめた。デルピノスは司令塔を担っており、海人と
時は十八世紀中ごろ。海人は長年に渡る戦いの末に『まつろわぬアムピトリーテー』を討滅し、権能を簒奪していた。
権能の名はまだない。海人の名が魔術師界隈に轟くのも、もう少し先の話である。