征海魔王   作:カンジョー

41 / 58
幕間、魔教教主/洞窟の女王

 羅翠蓮濠は、中華武林の頂点であり、魔術結社『五嶽聖教』の教主でもある。そのような立場になったのも、その身に修めた武術を以って神より神功──権能を簒奪した、神殺しの一柱であるからだ。

 弟子達には、おもに羅濠教主と呼ばれている。

 普段は黄山の山奥に篭り、俗世にはあまり現れない羅濠だったが、彼女はロンドンの裏路地に現れていた。武術の達人である羅濠は飛翔の術を使い、ひとっとびで此処まで来た。羅濠教主にとっては地球の裏側であっても散歩気分なのだ。

 

 ロンドンに来た訳は、『鉄輪王』という武芸の達人からの頼みがあった。旧知の仲であった彼から末期の望みとして、羅濠は此の地に盗み出された神具『金剛三鈷杵』を始末しに来たのだ。

 

 時は一八五一年。ロンドンの裏路地は、悪臭が充満していた。あらゆる匂いを煮詰めたような混沌とした臭気が鼻をつき、路地にへたり込む浮浪者や阿片中毒者、表では決していい顔はできない黒い服を着た怪しい男達など。

 時刻は夜で、付近の怪しい店からの明かりのみが、裏路地を照らしていた。

 

 そんな文明の退廃を羅濠教主は悲嘆も侮蔑もせず、ただ冷然と眺めるだけだった。

 早く鉄輪王の依頼を済ませてしまおう。羅濠は裏路地を抜けようと歩みを進めた。

 

 歩みを止めるつもりはなかった。だがしばらくして、声をかけられた羅濠は思いがけず歩みを止めてしまった。

 

「おーい、そこの東洋人のお嬢さん。青い着物を着たそこのあんただ」

 

 青い服を着た女、と言った時点で羅濠は足を止めていた。声をかけたのは、建物にもたれかかり路地に座り込んでいた男だった。

 男の身なりは良いものとは言えず、他の浮浪者と紛れて違和感はなかった。男は持っていた酒瓶をぐびりとあおると、若干赤らめた顔を向けてきた。

 わずかな明かりで照らされた肌は、白と黒の中間あたり。男はここ欧州人から見れば、東洋人と呼ばれる人種だった。

 

「こんな遠い地で会ったんだ。同郷のよしみで頼みがある。俺に酒を恵んではくれねえか?」

 

 男は酒瓶を逆さにして、酒がなくなったことを示す。羅濠はひたひたと男に向かって、歩む向きを変えた。

 

「少し違います。私は大陸で生まれました、倭国の者よ」

 

「ふぅん、そうか。確かにその薄い服は日ノ本ではないな。大陸の者か。まぁいいさ。それでどうだ? 酒がなけりゃ、金子でもいいぞ」

 

 羅濠は物乞いの男の眼前まで近寄ると、座り込む男を見下ろす形で注視した。

 

「ひとつ尋ねましょう」

 

「うん? なんだ?」

 

「何故私の姿が見えるのですか?」

 

「は? 何を言って──」

 

 物乞いの男が言い切る前に、羅濠は蹴りを叩き込んだ。

 男はレンガの壁に叩きつけられ、路地にドンと轟音が響く。盛大に煙を巻き上げ、羅濠教主は壁に大穴を開けて男を吹き飛ばした。

 一斉に路地にいた人間の視線を集める。ただし視線の向いた先には大穴があり、羅濠には全く向かなかった。

 

「とぼけても無駄です。私は隠行の術で姿を隠していました。私の術ともなると、半端な術師では見破ることはできません。……あなたは何者ですか?」

 

 煙が晴れて、壁に開いた大穴の中から男が出てきた。肩には、身の丈もあるような巨大な三つ又の槍をたてかけていた。

 立ち上がった姿から男の身長は180センチほど。体格はがっしりとして、あの巨大な三叉槍を振り回せるほどには鍛えられているようだった。

 

「ほう、そうだったのか。中国から『武林の至尊』とやらが来るとは風の噂で聞いたが、お前が『羅濠教主』か」

 

 先ほどとは気力がみなぎりまるで別人となった男を見て、羅濠は直感的に判断する。

 この男は神殺しだ、と。

 だとすれば、隠行の術が効かないのも説明がつく。

 

「あなたの名、もしやサーシャ・デヤンスタール・ヴォバン……ではないですね」

 

「当たり前だ、俺の名は安東海人。その名は、絶対に殺すべき男の名だ」

 

 その名を聞いた男──海人の目がすっと細められた。

 がやがやと、外野が騒がしい。二人が視線を交わすこの間も、羅濠の姿は隠行で消えていた。傍から見れば、巨槍をかついだ男が、まるで見えない女の霊と喋っている光景になる。

 

「奴に用があるのか。なら……行かせるわけにはいかねぇな」

 

「邪魔をするというのであれば……押し通るのみです」

 

 海人が槍を持ち直し、羅濠も応じて構える。一般人でもわかるようなピリピリと緊張感をはらんだ、一瞬触発の雰囲気に包まれる。

 海人と羅濠がぶつかろうとしたその瞬間、二人の間に割って入る影が現れた。

 

「おふたりともっ、おやめくださいッ!」

 

 空気を読めないのか、それとも空気を呼んでそれでも飛び込んだのか、インド人の少女が神殺し二人の間に割り込んできたのだ。

 

「おふたりとも、喧嘩はいけませんっ!」

 

「……」

 

「……けっ」

 

 突然の闖入者に場がしらけたのを感じたのか、海人は槍の形を解いた。槍は水になって床に垂れると、地面に吸われてなくなってしまった。

 

「興が冷めちまった……。勝負はおあずけだ。観客も多いからな」

 

「逃げるのですか。私と同じ王の器を持つ者よ」

 

「違う。獲物を譲ってやる、と言っているんだ。俺はヴォバンが命を落とせばそれでいいからな。……ただし、トドメをさせ。ささなければ、俺が漁夫の利をもらうぞ」

 

 そういい捨てると、海人は羅濠に背を向けた。

 

「ああっ、待ってください! そこの逞しい方!」

 

 インド人の少女が声をかけるが、無視して海人はロンドンの闇に消えてしまった。インド人の少女は羅濠と海人を交互に見て、どちらを引き止めるか迷っているようだった。

 あの男と、私を? そこで羅濠は違和感に気づいた。この少女は隠行の術を使って姿を消しているはずの羅濠を、しっかりと捉えているようだった。

 気のせいだと自分に言い聞かせ、厄介ごとから遠ざかろうとした羅濠だったが、少女が声をかけて引き止めた。男性と女性のどちらかなら、話しかけやすい女性の羅濠にしたようだった。

 

「あの、私、アイーシャっていいます。あなたの名を教えていただけますか?」

 

 羅濠も無視して歩き出す。だが海人の時とは違い、羅濠に狙いをさだめたようだった。必死についてくる。

 周りをうろちょろとうっとおしい少女のことを無視しながらも、羅濠は頭の中で少女の正体を考えていた。

 王の器である神殺しには、隠行の術は効かないようだった。だがこのアイーシャと名乗る少女が自分と同じ器とは考えにくい。覇気も貫禄も、荒事には全くの不向きな柔弱な印象を受ける。

 

 結論として、羅濠はどこかの高名な魔術師なのかと考え至った。このロンドンは、多数の魔教徒が入り乱れている。羅濠の術を破るとは相当の使い手だとは思うが、そういう者もこの世にはいる。いないわけではない。

 

 こんな剣も握ったことのない少女が、私と同じ神殺しを成したはずがないのだ。どこか言い聞かせるように羅濠は思ったが、一日後にその考えが間違いだったと撤回することになる。

 

 

 

 

 羅水蓮濠と安東海人が邂逅したその日の内に、羅濠教主はヴォバン侯爵とも対面した。

 その翌日、さっそく狼王と魔教教主は『金剛三鈷杵』をめぐって決闘を始めたのだった。

 

 その始めた場所は、ヴォバンの邸宅の中だった。

 神殺しの激突により、二人の周囲に暴風が荒れ狂う。二人の神殺しが台風の目となり、ヴォバンの拠点の邸宅は跡形もなく破壊されてしまった。

 

 決闘が始まる少し前、ヴォバンの邸宅の周囲を、動く人影がひとつあった。

 影の正体はアイーシャ。あの羅濠と海人の間に割って入った少女だった。

 服装は黒と白のエプロンドレスに頭にカチューシャと、メイドの格好をしていた。彼女は数日前から金銭上の理由で、ヴォバン侯爵家に勤めていたのだ。

 

「御主人さまもお姉さまもひどいわ。わたしだけ除け者にするなんて」

 

 アイーシャはヴォバンを御主人さま、羅水蓮をお姉さまと呼んだ。

 彼女は侯爵家の使用人全員が休暇をだされる中、ひとりだけ独断で屋敷に顔を出すものの、ヴォバンに命令されたの従僕の手によって屋敷の外に放り出されてしまったのだ。

 少ししたら忍び込もうと考えていたのだが、決闘が始まり、衝撃波が入り混じった風にアイーシャは吹き飛ばされそうになった。

 

「あれえええええええええ~~~~~~~!」

 

 彼女は現在、その場で伏せて姿勢を低くし、なんとか踏みとどまっていた。暴風に必死に抵抗し、吹き飛ばされないように抗う。だがそれも限界が近かった。

 

「こうなったら……」

 

 アイーシャは決心し、言霊を唱えた。

 すると吹き荒れる暴風に雪が混じるようになり、やがて暴風は猛吹雪へと変わった。

 

 これはアイーシャの権能(・・)の力だった。女神ペルセポネの権能である春の癒しの力を、冬の死の力に反転させたのだ。

 この時ロンドンには、安東海人、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン、羅水蓮濠の三名の他に、四人目の神殺しがいたのだ。

 それがアイーシャだ。彼女は暴風を吹雪に変えると立ち上がった。権能でアイーシャは『冬の女王』となり、吹雪では彼女は止められなくなった。

 

 アイーシャはヴォバンと羅濠が闘っているであろう、屋敷の大広間だった場所へと向かった。案の定、二人はそこで激戦を繰り広げていた。

 アイーシャはやめるようにと必死に叫ぶが、暴風がうなり風の音で二人には聞こえない。こうなっては仕方ないと、『冬の女王』の力を闘争を続ける二人に向けようとした。

 

 台風の目に突入する前に、善なる者に幸運が来る権能をかけた、その時だった。

 背後からアイーシャの両側を抜けて、雷が迸ったのだ。

 

「きゃあっ!」

 

 突然の攻撃に悲鳴をあげるアイーシャ。雷撃はアイーシャには当たらず、抜けてヴォバンと羅濠が闘う戦場まで行った。

 

「ぬっ!?」

 

「なんだと!?」

 

 第三者からの攻撃を、狼状態のヴォバンは権能で逸らし、羅濠は瞬間移動で避ける。

 そして二人の視線は、離れた場所で蹲るアイーシャ、そしてさらに離れた場所で三叉槍を突き出す海人へと向かった。

 

「安東海人! 私の決闘に水をさすとは、一体いかなる了見があってのことですか!」

 

「ちっ、また貴様か。カイト・アンドゥー。いい加減私を殺すのは諦めたらどうだ!」

 

 羅濠は決闘の邪魔をされたことに対し怒りを露にし、ヴォバンはというと一世紀以上も命を狙われていることに、怒りというよりも諦めが強く感じられた。

 そして海人の苗字は、ヴォバンに間違って覚えられていた。

 

「……悪かったな。だが言い訳をすれば、雷はお前等に放ったもんじゃねえ、そこの小娘に放った物だ。そいつの呪力の高まりを感じなかったのか? 漂う危険な匂いを、只人には秘すことのできない呪力の量を。こいつは……」

 

 海人は苦々しい顔で言った。

 海人が喋る間、アイーシャはそっと後ろの様子を伺った。見ればアイーシャのすぐ後ろに、『金剛三鈷杵』が転がっている。風に巻き上げられて降ってきた『金剛三鈷杵』が、アイーシャと海人の間に割り込み、雷を逸らしたのだ。

 

 あの方が二人の喧嘩を止めてくださった。アイーシャは海人に感謝した。

 怖い思いはしたが、怪我をさせずにあの二人を止めてくれた。権能を持って日が浅いアイーシャでは、権能を上手く扱えず、手荒な真似をしなければお二方を止めることはできなかっただろう。

 アイーシャは蹲った状態からすっと立ち上がり、三名の視線を一身に集める。

 

「そうなんです。実は私、御主人さまもお姉さまも、海人様も昨日は気づいていらっしゃらなかった様ですけど」

 

 お二人は実はいい人なんです。ヴォバン御主人さまは私が失敗をしても何も言わずに許してくれるし、羅濠お姉さまは相槌をうって私の話に耳を傾けてくださいます。

 なので誠心誠意、心の底から説得すれば、必ず争いを止めてくれます! アイーシャはそう思っていた。

 

「神様の力を持っているんですよ! どうかお二方、喧嘩はおやめください!」

 

 だが、現実はそう上手くはいかなかった。

 

 

 

 

 その後の顛末はというと、二人の闘争は収まらなかった。

 ヴォバンと羅濠の両名は矛を納めようとはせず、それどころかアイーシャにもその牙を向けたのだ。

 さらにその中に海人が加わり、神殺しの各々が全員を纏めて相手取ろうとする。

 海人とヴォバンは宿敵同士であるし、羅濠と海人は元々邪魔が入らなければ昨日闘おうとしていた。ヴォバンと羅濠は今まで闘っていたし、アイーシャは他三名にとってイレギュラーと呼べる存在だ。

 

 こうしてバトルロワイヤルは始まり、最後はアイーシャがペルセポネの権能の切り札でもある『冥府落とし』を図らずとも使い、三人まとめて現世から姿を消してしまった。

 だがその三名は、ヴォバン、羅濠、海人ではない。ヴォバン、羅濠、アイーシャ(・・・・・)だった。

 

 『冥府落とし』を切り札と言われるだけあって強力だ。まともに食らえば仮死状態になってしまう。しかしヴォバンと羅濠の二人は地割れに落ちるも飛翔して堪え、海人はそもそも落ちなかった。

 そんな時、地割れの裂け目から強力な吸引力が働き始めた。地の底に向かって風が吹き始めたのだ。

 海人は槍を地面に突き刺し堪えていたが、ヴォバンと羅濠、そして近くにいたアイーシャが吸い込まれてしまったのだ。

 術者がいなくなったため地割れは閉じ、その場には海人一人だけが取り残される形となった。

 

 海人は呆然とした。一世紀以上追いかけていた仇敵と、昨日の夜出会った好敵手となりそうだった武闘家の同胞二人が、一気にあっけなく死んでしまったのだ。

 海人はその場で両膝をついて脱力してしまう。生きる目標を失った気分だった。

 

 実は地割れに吸い込まれた三名は、現世とは違う別の世界に行っているのだが、この時の海人は知る由もなかった。三人が生きていることを知るのは、少し先のこと。

 

 しばらく脱力していた海人だが、このままでいても仕方ないと立ち上がった。

 これからどうするか。この百年で海人は弟子を取るのを辞め、一人でこの島国を放浪していた。

 とりあえず、船を用意する。そして──。

 

「……十三湊に、帰ってみるか」

 

 目的地はそこにしよう。海人は側頭部に手を当て、デルピノスに連絡をとった。

 どうせなら、派手な船を造ろう。この先のずっと未来の誰も真似ができないような、見たら忘れない印象に残る船を──。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。