征海魔王   作:カンジョー

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四十三話、一途

「なぜお前がここに……。どうして生きてるんだ、仁実!?」

 

 秋田氏の芽衣とその母親に案内された祠。そこにいたのはアテルイではなく、とっくの昔に寿命を向かえて亡くなったはずの海人の義妹、仁実がいたのだった。

 仁実は名残惜しそうに両手を下ろすと、海人にどうしてこの場に居れるのかを語った。

 

「兄様と別れるずっと前から、私は一緒の時を過ごせる方法を探していたんです。十三湊の貿易網を使って、数々の異国の魔術書を取り寄せ、読み漁りました。アテルイ様にも頭を下げて助力を請うたのです。数え切れないほどの試行を繰り返し、ついに私は『不死の存在』へと成ったのです! アテルイ様という、元まつろわぬ神という存在がいなければできない事でした」

 

 私は本当に運が良い! と仁実は両手を組み感涙にむせび泣いた。

 白昼夢を見ているわけでも、タイムスリップをして過去に飛んだわけでもない。本当に寿命がなくなり、不老の方法を見つけて老いから解放されたようだった。

 

「あ、ああ……本当に。お前とまた会える日がくるとは、思ってもいなかったよ」

 

「ささ、こちらへどうぞ。お茶でも飲んで、ゆっくりしていってください」

 

「それはいいんだが、俺はおば様という奴に会いにきたんだ。まさか……」

 

「はい、それは芽衣が私を呼ぶ時の呼び方ですね。他の者達はご先祖様やら大仰な呼び方をしてきますが、兄様は今まで通り呼び捨てで構いませんから。……さ、あれが私の家です。座ってゆっくり話しましょう」

 

 仁実の引っ張る先には、一階建ての木造家屋があった。

 

 

 

 

「ふふふ……。ああ、兄様……。ずっとこうしていたい……。幸せ……」

 

「……」

 

 仁実の家の縁側に腰掛けた海人は、擦り寄りもたれかかってくる仁実を突き放そうとはしなかった。どうしたらよいかわからなかった。

 仁実を傍目に、海人は茶をすすった。うまい。この茶葉も、檜山でとれた物らしい。海人がいた頃に比べれば農耕技術も発達し、檜山は本当に豊かになった。まつろわぬ神の毒に犯され、餓死者がいた頃とは天と地の差がある。

 それも仁実が二百年に渡って、安東氏を率いて支えてきたおかげだ。

 

「仁実、アテルイは何処にいる?」

 

「あー、ここに現在も住んでいますが、よく留守にします。なんでも日ノ本にいる他の神と話をしているとか……」

 

「なに、他にも神がいたのか」

 

 まつろわぬ神は危険だが、アテルイと話をできるなら理性的な神なのだろう。

 そこで会話は一旦途切れる。

 

「……」

 

「ああ……。これからは、ずっと一緒です、兄様……」

 

 海人が黙っていても、仁実は傍にいるだけで嬉しそうだった。

 迷っていても、悪戯に時間が過ぎていくだけだ。腹をくくって、海人は切り出した。

 

「仁実、ちょっといいか」

 

「……なんでしょう」

 

 海人の真剣な雰囲気を感じ取り、仁実はゆっくりと体を離した。

 

「義父に、重蔵はこの事を知っていたのか? お前が……不老になったことを」

 

「知っているはずがありません。私がそうしようと思い立った時には、既にこの世にはいませんでした」

 

「じゃあ愛代は、愛代は知っていたのか? お前がこの先何百年も生き続けていくと承知で、お前を残していったのか?」

 

「知っているはずがありません。私は誰にもそのことを話してません。アテルイ様にも暴かれるまで心の内を晒したりはしませんでした」

 

「……なんで、誰にも相談しなかった」

 

 それを聞いた仁実は、若干怒りをにじませた声で、けれどもなるべく感情を押さえ込むように言った。

 

「……それを兄様が、誰にも言わず日ノ本を出て行ったきり、帰ってこなかった人が言うんですか」

 

 その声には悲しみも混じっていた。こうして再び会うと思っていなかった海人は、言葉をつまらせた。

 

「私も当時は五十を越えていました。兄様とは十も離れていない、いつまでも子供じゃないんです! 自分で自分のことは決められます!」

 

 仁実は感極まったのかぼろぼろと涙を流し始めた。

 

「兄様に命を助けられたあの日から、私の命は兄様のために使うと決めたのです。……兄様のためなら生贄にだって。喜んで命を差し出しました……。ですが、兄様は行ってしまった! あの夜から日ノ本にはついぞ帰ってこなかった! この命を捧げぬまま、何処か遠い地に言ってしまった……」

 

 そして仁実は両手をあわせて指を組んだ。幸運に感謝する体勢だ。

 

「だから私は不老を望んだ。兄様と同じ時を生きれば、兄様が帰ってくる場所を守れば、必ず帰ってくると信じて。……そして現に! 兄様は帰ってきてくれました! 十三湊は遺憾にも奪われてしまいましたが、私以外に兄様を知る者はいません。書を焼かれたことが功に奏するとは、私も思いませんでした」

 

 海人について書かれた書が焼かれたのは、二男の業季の行いだ。母親の愛代を放りだし世界中を放浪する海人を憎み、十三湊の城の城主になった折、一切の記録を排除したためだ。

 

「海人兄様、好きです。家族としてではなく、私はあなたを異性として愛しています」

 

 仁実は海人の目をじっと見つめてくる。嘘をついている様子はない。真摯な瞳に、海人は先に視線を逸らした。

 

「ですが、私は五十の老体。体も衰え、少し激しい運動をしただけで骨を折りかねない……。ですので、多くは望みません。ずっと傍にいてくれるだけでいい。そんなささやかな願いを、聞き届けてはくれませんか?」

 

 仁実は這ってきて、海人の肩にそっと寄り添った。海人は子供の頃より大きく、大人の若い頃より小さい弱々しい肩を抱き寄せた。

 仁実が自分にそんな思いを抱いているとは思ってもいなかった。思いを知らなかったとはいえ、もう会うこともないからと、何も言わずに出て行ったのは自分だ。海人はそれで許されるのなら、傍にいてやろうと思った。

 だが、次に言われたことは受け入れられなかった。

 

「兄様、芽衣のことはどう思う?」

 

「……? いきなりどうした」

 

 突然、仁実は海人の遠い孫の芽衣のことを出した。彼女の母親も、ここに来るまでに執拗に思えるほど聞いてきたと思い出した。

 母親の場合は自分の気に触れたか心配なのかもしれないが、仁実も心配しているのだろうか。

 

「兄様の好みの女の子でしょ? 兄様が気に入ったのであれば、(めかけ)にさせてあげたいんだけど……」

 

「なっ!? 妾って……。あいつはいわば、なんというか、遠い親戚の娘みたいなもんで……」

 

「大丈夫ですよ、そのために兄様の血を薄くしたんですから。奇形児は生まれないはずですよ」

 

 海人は絶句した。仁実は、芽衣や安東の家系の者も、まるで道具のように言い放った。『おば様』として芽衣を叱っていたというが、そこに母の愛は一切感じられなかった。底冷えするような冷たい声に、海人はぞっとした。

 

「それに芽衣を見ていると、誰かを思い出しませんか? 箱入り娘なところとか、外の世界に興味津々なところとか……」

 

 仁実は今度は昔のことを懐かしむように遠い目をした。

 海人はばつの悪い顔をした。海人も道中で芽衣を見て、重ねあわしてしまっていたのだ。必死に目を逸らしていたが、仁実に言い当てられてしまった。

 

「愛代様にそっくりですね。芽衣はひとつの事を目標にしたら、それに向けて一生懸命で、そういう所も似ています」

 

「ああ……。ああ。明るい性格に育ったのはいい。だが、だけど、外の世界を全く知らないというのは……」

 

「ええ、私がそうさせました。母親に教育をさせて、城の中でぬくぬくと育てさせました。だって、そのほうが愛代様に近くなるでしょう?」

 

 海人は思わず仁実の肩を抱いていた腕をはなした。手のひらにいつのまにか汗をかいていた。

 少なくとも、自分や海賊の仲間達と一緒に世界を旅していた時は、こんな風に人を道具扱いする性格ではなかった。

 この二百年会わなかった間に、性格が歪められてしまったのか。海人は自責の念に駆られた。

 

「だからあの娘を愛代様の生まれ変わりだと思って、可愛がってあげてください」

 

「……それは、できない」

 

「なぜですか!? まさか、まだ再現が足りませんか?」

 

「違う。芽衣を見ていれば、若い頃を思い出すよ。仲間達を無駄死にさせて、三百年も生きた俺が言うのも何だが……。あいつは子供の頃の愛代に似ている」

 

「じゃあ……」

 

「だが仁実、死んだ人間は、決して生き返ったりはしない。あっちゃいけない」

 

「兄様……」

 

 仁実は心配そうな表情で、海人の顔を覗き込んだ。

 

 しばらく海人その場にとどまり、仁実と二人の時間を過ごした。落ち着ける空間だったが、時折仁実が見せる冷徹な態度が海人の肝を冷やした。

 帰る時になって仁実が引き止めてくるが、海人はまた来るからと言ってなだめた。しぶしぶ引き下がる仁実に別れの言葉もそこそこ、海人は逃げるようにして現世に戻っていった。

 

 

 

 

 そして当初の予定通り、海人は、愛代の墓参りをしていた。

 しかし隣に芽衣と彼女の護衛もいない。生け花と線香と水を持ち、海人ひとりだけで来ていた。

 

 祠から出て、本殿に戻ってきた時のことだった。

 

「お帰りなさいませ、海人様!」

 

 芽衣が駆け寄ってくる。手には護衛が買いに行ったであろう道具が握られていた。

 

「これ、お墓参りの」

 

「ああ、ご苦労」

 

 芽衣から道具を受け取る。

 

「それで海人様、義理の妹の『仁実』様のことですけど……」

 

「ああ、それはもういい。見つかった」

 

「へ……?」

 

「それよりも芽衣、お前はなぜ自分が俺の迎えを任されたか、その理由を知っているか?」

 

「い、いえ……。お母様もおば様も教えてはくれず……」

 

 海人は芽衣をじっと見つめた。見つめられた芽衣はうろたえるが、嘘を言っているようには見受けられなかった。

 

「そうか……。わかった、ありがとう」

 

「えっと……。何がなんだか……」

 

「疑問があったら、おば様に聞け。俺がそう言ったと聞けば、おば様も教えてくれるだろう」

 

 芽衣にはひとりで行くと伝え、こうして寺までやってきた。

 色々なことがありすぎて、気持ちが追いつかない。気持ちに整理をつけるため、ひとりだけにして欲しかった。

 

 寺の住職に愛代の墓の場所を聞き、墓まで行き、周囲の掃除をし、花や饅頭をお供えし、火をつけた線香を供えた後。

 ふぅと墓の前でしゃがみこんだ。

 

「どうしてこんなことに……」

 

 いつになく弱気に海人が黄昏ていると、ふっと音もなく忍び寄る黒い影があった。

 

「よう、海人」

 

 肩をたたかれ海人が振り返ると、そこにはアテルイがいた。

 

「アテルイ! 久しいな……。姿も、全く変わってない」

 

「神だからな。お前も変わらぬようで安心した」

 

「羅刹王だからな。祠にはいなかったが、何処にいたんだ?」

 

「知り合いの神のところだ。お前が知らぬだけで、この日ノ本に他にも神がいるのだ」

 

 海人とアテルイは、愛代の墓の前で酒盛りをした。愛代の前にも忘れず、酒をお供えした。

 酒を酌み交わしながら、海人は仁実のことを相談をした。

 

「アテルイは知っていたのか? 仁実の思いについて」

 

「ああ、知ってたさ。傍から見れば、とても分かりやすかったがな。不死になる方法について詳しい奴を、仁実に紹介したりして手伝った」

 

「どうして不死になる手伝いをしたんだ」

 

「仁実はずっとお前を思っていたんだ。だが海人は愛代のことしか目に入っていなかっただろう? 愛代も大切には思っていたから言い出せなかったんだろう……。だから仁実は待っていたんだ。いつか愛代に寿命が来れば、自分がひとり占めできると。だがお前が出て行ってしまったせいで、不死になる必要がでてきた。いいじゃないか海人、これほど一途な女はそうそう居ないぞ」

 

「だが、あいつは自分の子孫である芽衣を道具のように扱っている。俺に言ったんだ、妾にしてもいい、と」

 

「男は船、女は港……。あいつは兄妹という繋がりだけでは細いと思って、肉体の繋がりが欲しいんじゃないのか? お前が何処に行っても、最後は必ず此処に帰ってくるように……。不安なんだろう。だから安心させてやれば、あいつもそんな扱いはしなくなる」

 

 アテルイが、愛代の墓を見た。

 

「こいつも、仁実の思いには気づいていたぞ。懐かしい、お前みたいに相談してきた。仁実のために何ができるか、ってな……。婚姻しろとは言わねえ、だが傍にいてやれ。愛代もそれを望んでいる」

 

 海人はそれを聞いて決心した。

 

「俺も腰をすえる時がきたか。わかった、仁実の傍にいる。死が別つまでな」

 

「ははは、それを聞いて安心した。これで心おきなく行けるというもの」

 

「なに? 何処かに行くのか?」

 

「隠居するのさ。お前も仁実も危なっかしくて見てられなかったが、もう大丈夫だ。こうして現世に来て酒を飲むのも終わり、ずっと幽世に隠れるよ」

 

 

 

 

 その後、ぎこちなさは残るものの海人は仁実と共に生きはじめた。

 芽衣とその他の秋田の直系とは、関心の薄い仁実に代わり見守り続けた。

 

 海人はまつろわぬ神を引き寄せてしまうのを恐れた。民の命を危険にさらすからだ。

 しかし、まつろわぬ神はあまり顕れなかった。海人が幽世に住んでいたのもあるが、神々にも海人の名は轟いていた。神も海人をおそれて近寄らなかったのだ。

 

 こうして平和な時が過ぎ。

 時は二十一世紀。およそ百五十年の時が過ぎ去った。


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