四十四話、三竦み
【十九世紀イタリアの魔術師、アルベルト・リガノの著書『魔王』より抜粋】
……この恐るべき偉業を成し遂げた彼らに、私は『カンピオーネ』の称号を与えたい。
カンピオーネは覇者である。
天上の神々を殺戮し、神を神たらしめる至高の力を奪い取るが故に。
カンピオーネは王者である。
神々から簒奪した権能を振りかざし、地上の何人からも支配され得ないが故に。
カンピオーネは魔王である。
地上に生きる全ての人類が、彼らに抗うほどの力を所持できないが故に!
【二十一世紀にグリニッジの賢人議会により新たに作成された、安東海人についての調査書から抜粋】
安東海人というカンピオーネが確認されたのは、十八世紀半ばのことである。しかし、そのおよそ一世紀以上より前から彼は悪名高い『海賊』として、世界中の海に名が轟いていた。
安東海人はおよそ十八世紀中頃、イングランドのテムズ川流域から上陸した。この時、同地に滞在していたヴォバン侯爵の襲撃を受け、だがそれを彼はあっさりと退けたのだ。
狼王の行いに憤慨した彼はその後、狼よりも執拗にヴォバン侯爵を追跡し、イングランド各地で何度も戦闘を行い暴れまわった。
既に欧州で魔術師より畏怖されていたヴォバン侯爵、そんなヴォバン侯爵と何度も渡り合える者として、魔術師の間でも名が知れ渡っていったのだ。
武器は三つ又の槍。それが悪名高き海賊『カイト』の象徴でもあった。
後に賢人議会により名付けられた槍の権能──『
水が安東海人の掌に三叉槍の形に集まり、彼がそれを握る。すると水の集まりだったそれは、実体ある鋼の槍に変わるのだ。
他にも、『神獣を造り出す権能』、『怪力の権能』を持つ可能性が、何度も交戦したヴォバン侯爵の証言よりある。海人は神獣を作り出し、兵隊としたことでヴォバン侯爵と渡り合っていた。
三叉槍を呼び出す際のパフォーマンスも、それを握り暴れまわる安東海人の姿も、当時の海賊や魔術師に畏怖の対象であっただろう。
しかし一八五一年を境に、ヴォバン侯爵と共に足取りが消え、消息がぱったりと途絶える。ヴォバン侯爵がヨーロッパへ帰還した後も、世界各地のどこにも、安東海人らしき人物は確認できなかった。
それから百五十年間、彼の素性について判明したのは『東洋人である』ということだけ。近年になるまで、その姿は謎に包まれており、死亡したという説が主流であった。
だがそれも、あの事件が起こるまでの説である。安東海人の名を思い起こす切欠となった事件についても、軽く触れておこう。
【ヴォバン侯爵、まつろわぬ神招来の儀式の最中に、闖入者あり】
サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンは、邪知暴虐の魔王を体言する、最古参のカンピオーネの一人だ。
カンピオーネとは、日本では羅刹王とも呼ばれる、まつろわぬ神に勝利し、権能を簒奪した王のことを呼ぶ。ヴォバン侯爵はその中でも、十八世紀にカンピオーネとなった最古参の内のひとりであり、まさに『魔王』と呼ぶにふさわしい性格をしている。
欧州では最も悪名高きカンピオーネであり、名が通ると同時にその強大な実力も知れ渡っていた。なので魔術師達の中に歯向かおうとする者はおらず、畏敬の念を寄せており、逆にその力に魅入られた信奉者も多くいた。
そんな狼王にも、悩みはあった。それは自分の数々の悪行によって恐れられたのはいいが、その自分の噂が神々の世界にまでも広まってしまっていることだ。
そのためヴォバンの名を聞けば、まつろわぬ神は挑むどころか、ヴォバンを避けるまつろわぬ神のほうが多かった。ヴォバン侯爵は、自身の内から湧き出る闘争本能を満足させることができないのだ。
ヴォバンに挑んでくる者は、そのほとんどが自分の実力も見極められない雑魚ばかり。
それも仕方のないことで、数々の権能を持つヴォバンに対抗できる強者は、世界中を見渡しても数えるほどしかいない。
百五十年ほど前に一人、何度もしつこく追ってくる同族がいたが、それもアストラル界から帰還した時にはいなくなっていた。
来ないのならば自ら赴いてやろうと考え、部下に足取りを掴むよう命令を下したこともあった。しかし一向に掴むこともできず、百五十年が経ち、ヴォバンも奴は死んだと自然に考えるようになった。
そんな好敵手に飢えていたヴォバンのとった行動とは、『あちらから来ないのならば、こちらから呼び寄せよう』というものだ。
ヴォバンはまつろわぬ神招来の儀式を行い、まつろわぬ神を故意に顕現させようとしたのだ。
「ククククク……。儀式は順調だな。もう少しだ、あとわずかで『まつろわぬジークフリート』が降臨する!」
まだ見ぬ強敵に期待を膨らませ、ヴォバンは口の端から隠しきれぬ笑みを漏らした。
ヴォバンの周りには、何十人もの巫女達が言霊をつむいでいた。
まつろわぬ神の招来の儀式に必要なものは『きわめて巫力の高い魔女や巫女』、『神の降臨を狂気に近い強さで願う祭司』、『呼び寄せる神に血肉を与える触媒となる神話』の三つだ。
祭司は、この儀式を行うことを望んだヴォバンがなる。
神話は、『ニーベルンゲンの歌』を触媒に。
そして魔女や巫女は、ヴォバンが魔術師達に命令し、世界中から拉致まがいの方法で集めてきた者たちで行っていた。神招来の儀式は危険なものであり、生きて終えられる保障はなく、生きて終えることができても正気を保っていられる方が少ないからだ。
儀式も佳境に入り、巫女達はトランス状態になっており、逃げだすことはできない。無理に止めてしまえば、巫女達の命も危険に晒される状態だった。
ヴォバン侯爵もあとわずがで顕現する神に、その特徴的な『虎の瞳』を爛々と輝かせていた。
その時だった。ヴォバンは、儀式場の周辺で邪魔が入らないように警備にあたらせていた『従僕』が、消えたのを感じた。
「なに……?」
あっさりと従僕が消されたので、他の従僕を応援に向かわせる。
しかし焼け石に水。どんどん応援に向かわせた従僕も消され、消された場所から予測して、邪魔者はすごい速さで、どんどん儀式場に近づいているようだった。
「ほう、私にまだ歯向かう者がいるとは……」
集めた巫女達の関係者であろうか? 数はわからぬが従僕を簡単に倒していることから、それなりの実力者。
ならば生態ピラミッドの頂点に立つヴォバンの実力も、わかっているはず。それでも立ち向かってくるのだから、その反骨心と無謀な勇気だけは認めてやらねばなるまい。
ヴォバンは従僕に、侵入者に道を開けるよう命じた。従僕達は撤退し、殿を務めた最後の従僕が消えると、侵入者とヴォバンの間には誰もいなくなった。
「さあ、来るがいい。このサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンが──」
直々に手を下してやろう、と言おうとした瞬間、ヴォバンは強烈な悪寒に襲われた。
カンピオーネとしての本能が、ヴォバンに命の危機が迫っていると警告しているのだ。
この位置にいれば、自分の身が危ない。しかしヴォバンがこの位置から動けば、儀式が中断されてしまうかもしれない。
ヴォバンは瞬時に、待ち構えることを選んだ。
すると空から三叉槍が、ヴォバンの立つ位置に的確に降ってきたのだ。
「ぬうッ!」
ヴォバンは降ってくる三叉槍を体で受けた。だが直前に体をひねり、重要な臓器には刺さらぬよう誘導した。
三つの穂先がヴォバンの体を正確に貫き、ヴォバンは口から血を吐いた。
「ぐふっ! こ、この槍は……!」
ヴォバンは腹にささる槍を見て驚いた。忘れようはずもない、この三叉槍はヴォバンを百年もの間追い回した者の権能だったからだ。
刺さっていた三叉槍は、解けるように水に変わると足元に吸い込まれていってしまった。それを見てヴォバンは確信を深めた。
「しばらく見ない間に、ずいぶん老けたじゃねえか、狼王」
「やはり貴様か……。野垂れ死んだのかと思っていたぞ、海賊!」
「お前もな。大地の割れ目に落ちて、地獄まで行ったのかと思っていたがな」
馬に乗った海人が、颯爽と現れたのだ。馬は青いたてがみを生やし、体毛は白かった。おそらく神獣だろう。
「何をしに来た。儀式の邪魔をしに来たのではあるまいな」
「神招来の儀式ってやつか? まさか。俺の目的は……お前だ」
海人は、槍をヴォバンに向けた。
「さあ、百年前の戦いの続きを、今ここで始めようか!」
「ふん、いいいだろう。一捻りにしてくれるわ!」
海人は決着のついていない因縁に蹴りをつけるため、ヴォバンは儀式を忘れて目の前の極上の獲物喰らいついた。
ヴォバンが海人に目標を変える寸前、儀式工程は完遂され、発動した。呪力が高まり、まつろわぬ神が降臨しようとしていた。
だがヴォバンと海人にはそれも目に入っていなかった。
【サルバトーレ・ドニ、最古の同胞と邂逅する】
「あちゃあー、間に合わなかったかー」
儀式場から少し離れた場所で、頭を抱えて落ち込む人物がいた。
公には六人目のカンピオーネとされる、サルバトーレ・ドニだ。彼がヌアダから簒奪した権能『斬り裂く銀の腕』は、何でも斬り裂く最強の矛だ。ドニはこれを自分の剣に纏わせ、神をも殺す武器としている。
何でも斬り裂く剣だが、弱点もあった。斬る対象に近づかなくてはいけなかった。
「これじゃあ僕が着く頃には、じいさまと戦いになってるかもなぁ。弱っているのを相手してもなぁ」
ドニはまつろわぬ神や同じ神殺しと戦い修行を積み、剣の極地へと至ろうと画策していた。今回の儀式は、まつろわぬ神一柱とカンピオーネ一人と戦える、絶好の機会だった。
しかしヴォバン侯爵といえば、神からも避けられる歴戦の戦士だ。十中八九ヴォバンが勝ち、神は刹逆されてしまうだろう。
まつろわぬ神には期待しないほうがいいかな。戦力増強のため、あわよくば権能を簒奪しようとも思っていたドニは、一刻でも早く着くよう駆け出そうとした。
そんな時、天から何かが降ってきた。
かなり高い場所から落ちてきたわりには、小さな音でそれは着地する。着地の衝撃で舞い上がった土埃が収まると、それは人型で、右手には巨大な両刃剣を持っていた。
「ありゃあ、君は……。もしかして、ジークフリート? 僕と同じ神殺しが近くにいたはずなんだけど……」
「ふん、奴ら神殺し共なら、争いながら何処かへ行ってしまった。戦うために召還されたというのに、戦う相手がいなくて困っていたのだ。どうだ、剣を交えて、私の滾りを静めてはくれぬか?」
「神殺し、共……? まあいいか。望むところだよ!」
ドニは嬉しそうに言うと、担いでいた愛刀をつかんだ。
神殺しが二人いることに、ドニは自分と同じ考えの人がいた、としか考えなかった。
こうしてカンピオーネとなって一年と経たない成りたての剣狂いと、竜の血を浴び不死性を獲得した鋼の英雄の、一騎打ちが始まった。
◆
そして死闘の末、ドニはまつろわぬジークフリートの刹逆を成し遂げた。
ドニは重傷を負ってはいなかったが、それでも小さな切り傷は負っていた。それにジークフリートの魔剣グラムの一撃をまともに食らえば、いくらカンピオーネといえど戦闘は困難だったであろう。
一歩間違えれば死ぬ、死と隣り合わせの激戦を制し、ドニは確かな実感を得ていた。ジークフリートが消え去った後に、ドニはジークフリートの権能を簒奪していたのだ。
まつろわぬ神との闘いで酷使した体を整えていた、サルバトーレ・ドニ。そんな彼の背後の茂みから、ひとつの影が飛び出してきた。
馬の神獣に乗った、海人だった。彼は無骨な剣を持ったまま立ち尽くすドニを認めると、トリアイナを呼び出し問いかけた。
「てめえか、呼び出されたまつろわぬ神をやったのは」
「ん……? そうだよ。そう言う君は誰かな? 僕と同じカンピオーネみたいだけど。君みたいな人は聞いたことがないなぁ」
「海人だ。まあ知らねぇだろうな、俺が欧州にいたのは百年も昔だ。……そうか、まつろわぬ神は斃されたか。なら手前が代わりに相手してもらおうか」
海人は有利な馬上からドニを見下ろしながら、闘志をみなぎらせた。
海人が此処に来たのは、ヴォバンに逃げられたからだった。ヴォバンを追い詰めて、とどめを刺した海人だったが、ヴォバンの体は黒い灰となって崩れてしまったのだ。
ヴォバンの権能、『冥界の黒き竜』の力だった。
そのせいでヴォバンの居場所を見失ってしまい、海人はまつろわぬ神のいる場所に来ていないかと確認しに来たのだ。
「中途半端に終わってモヤモヤしていた所だ。お前を倒して、すっきりとした気分で帰らせてもらおう」
「ふう、長生きした同族は、みんなこんな風に血気盛んなのかな……。まあ、大歓迎なんだけどね! 三つ又の槍を使うのか。二人も武器を使う強者に出会うなんて、今日は最高の日だね!」
「楽しんでいられるのも今のうちだぞ、若造!」
そして両者は剣と槍を交え──ドニはあっさりと打ち負かされてしまった。
敗因は連戦で疲労が海人よりも溜まっていたこと、権能をまだ扱いきれていなかったこと。なんとか勝ち筋を見つけようとするも、多数の権能に翻弄されて逃げ道を潰されてしまったのだ。
海人は命までは取らなかった。ヴォバンは潰すべき敵だが、ドニは伸びしろがある若い芽だったからだ。
ドニは落ち込みはしなかったが、次こそは倒すと安東海人の名を記憶に刻み付けたのだった。
だが、ドニは知らない。この後、儀式で召喚された獲物を掠め取られてしまったことをヴォバンが知り、ドニを宿敵認定することに。
◆
この事件で、海人の名は魔術師界で再び躍り出ることになる。
一世紀前のカンピオーネが顔を見せたことは魔術師に報じられ、情報技術や衛星の活用により、海人の足取りは瞬く間に判明した。
それによれば彼のカンピオーネは日本の秋田に帰り、ヴォバン侯爵やサルバトーレ・ドニの証言から、名を安東海人というらしい。
それが知られるようになり最も頭を抱えるようになったのは、日本の魔術組織である正史編纂委員会であることは言うまでもない。