能代市の中心地からそれほど離れていない場所に、海人達の住む神社はあった。
築三百年の長い歴史をもつ建造物であり、周りを土塀に囲まれて、そこそこの面積があった。明治維新後の廃仏毀釈の的にならず、太平洋戦争の戦火をまぬがれ、ここまで取り壊されることなく現存していた。
そんな年季のはいった神社には、おもに三つの建物がある。御神体を祀る本殿、仁実が居住する幽世へと繋がっている社、綾花の暮らす一軒家だ。社務所もあるが、渡り廊下で本殿とつながっていた。
そんな神社に今回、海人を訪ねる客が来ていた。正史編纂委員会の使者だ。
綾花を訪ねる客であったなら、一軒家のほうに通していた。だが今回の客は日本の呪術師を纏める組織の使いとして、カンピオーネに面会しに来ていた。正史編纂委員会の使者は、本殿へと通された。
使者の目的は、日本にまつろわぬ神の脅威が迫った時に、海人が力を貸してくれるよう、約定をとりつけることだった。
『お断りいたします』
使者の応対をしていたのは、安東仁実だった。
案内役の巫女から『安東海人は、綾花が呼びに行っている』と聞かされ、使者は水晶玉を前にしてソファに座っている。水晶玉には仁実の顔が映っており、テレビカメラで会話しているかのようだった。
仁実の体が水晶玉に入っているわけではない。仁実は今、幽世にいる。仁実は水晶玉に姿を映し、使者と会話しているのだった。
『安東海人が正史編纂委員会に協力するいわれは御座いません。早々にお引取りください』
使者は仁実から開口一番、交渉の余地なしとばかりに撥ね付けられていた。
だが、はいそうですか、と引き下がるわけにはいかなかった。手を貸してもらわねば、まつろわぬ神の脅威にどう立ち向かえばよいと言うのだ。何の力もない人間では、とうてい勝ち目などない。
「で、ですが、カンピオーネはその比類なき力ゆえに、災いを引き寄せてしまいます。もしまつろわぬ神が訪れた場合、海人様の持つ、神々の権能の力が必要なのです」
使者は必死に食らいついていった。
カンピオーネはまつろわぬ神の仇敵であるため、魔術関連の騒動に中心にいることが多い。使者はそのことを持ち出し、安藤海人が呼び寄せたのだと言いがかりをつけ、責任をとらせようとした。
『神殺しがいなくとも、まつろわぬ神は顕現します。それに
だが仁実は、まつろわぬ神が顕れたとしても、それは必ずしも海人のせいとは限らない。加えてまつろわぬ神のほうから海人を避け、海人が災いを呼び寄せることはない、とした。
『少しでも調べたのなら分かるはずです。ここ二世紀ほど此処奥羽の地で、まつろわぬ神が顕現したことなど無いということに。……安東海人は欧州へ向かう数ヶ月前まで、ずっと幽世に篭っていました。幽世にいれば、民の生活を脅かすことはないのです』
「し、しかし……。現にこうして、海人様は現世へと姿を現し、ヨーロッパで騒動を起こしました。科学技術の発達により、居場所もこうして判明してしまいました」
幽世に引き篭っていた海人は、外界の科学技術がそこまで進歩しているなど考えが及ばなかった。
まさに江戸時代における、日本の鎖国状態。空から見張られているとはつゆ知らず、こうして住所を割り出されてしまったのだ。
「仁実様、これから海人様の力を利用せんと、各国の魔術組織がスパイを送り込んでくるでしょう。我々日本の正史編纂委員会が自国なので一番に接触できましたが、他もすぐに接触を試みてくるはずです……。まつろわぬ神に抗う力はなくとも、同じ人間相手ならば、どうにかできるかもしれません。どうか今一度考え直し、カンピオーネの力をお貸しくださらないでしょうか?」
使者は頭を下げた。しかしそれも、仁実の首を縦に振らせるには至らなかった。
『結構です。我々の身は自分達で守れます。それにこの辺りは安東の島。余所者など簡単に見分けがつきます。他人に手を出されると、かえって邪魔になります』
正史編纂委員会は、日本全国の呪術師を束ねる組織だが、此処秋田においては安東のほうが影響力が強い。全国に満遍なく手を伸ばす委員会よりも、三世紀前から集中して根を張る安東の違いだ。
これで、使者は切り札を出すしかなくなってしまった。委員会の印象は悪くなってしまうかもしれないが、背に腹は代えられない。
「では仁実様、先ほどの話で『海人様が騒動の中心にはならない』とおっしゃった。ですがヴォバン侯爵については一体どうなされるのですか?」
仁実は押し黙った。それを見て、使者はこれ幸いとばかりに攻め立てる。
「その口調ではまるで『安東海人は日本に災いは招かない』と言っているようでした。ですがヴォバン侯爵は、海人様とは因縁浅からぬ相手。つい先日もヨーロッパへ赴き、ヴォバン侯爵と刃を交えたそうではないですか。……海人様への報復目的で来日することは決まっているようなもの。どう責任を取るおつもりか?」
仁実は考える素振りを見せたあと、威圧的な態度は崩さず話し始めた。
『……確かに、争いの火種となることを起こしたのは安東海人です。だが居場所が此処であると暴いたのは人間です。空に星を浮かべて、知らなければいいことを知ってしまったのは、人間の責任。覗き見のような真似をして、興味本意で探らなければ、災いが降りかかることはなかったのです』
酷い言い草だった。安東海人を脅威と認定し、衛星で捜索したのは賢人議会だ。正史編纂委員会に非はなく、完全にとばっちりだった。
ヴォバン侯爵に日本が狙われたのは、人間の技術のせいだと、まるで人間を他人のようにのたまう。
「まるで己は人間ではないかのように仰るのですね」
『ええ、その通りですよ』
さも当然の様に仁実は言った。
『私が安東海人のことを普段なんと呼んでいるか教えてさしあげましょう……。『兄様』ですよ。血のつながりはなくとも、安東海人が私の実父の養子であることは、紛れもない事実です』
お引取りください、と仁実は水晶玉の傍に控えていた巫女に指示を出す。玄関までの案内役の巫女だ。
交渉材料も出尽くしてしまった使者は、もはやこれまでか……、とソファから腰を上げようとした。
その時だった。部屋の唯一の扉が勢いよく開かれ、男が一人、我が物顔で入ってきたのだ。
「すまん、待たせちまったな」
その男の後から、巫女の服装をした少女が一人、頭を低くしながら入ってくる。
男はわからなかったが、少女は見覚えがある。媛巫女のひとり、秋田綾花といったか。
『兄様……』
安東仁実が『兄様』と呼ぶ人物。つまりこの男が……。
「遅れてきて悪かったな、正史編纂委員会の使者。俺が安東海人だ」
男──安東海人は、使者の正面に水晶玉をはさんで、ソファにどかっと座り込んだのだった。
◆
海人が遅れたのには訳があった。綾花が海人を呼びにきて、神社までの帰路につくはよかった。
だがその帰路の道中、何故か綾花があれが欲しい、これが欲しいと要求して引きとめようとしてきたのだ。
最初から普段の綾花が欲しがる物ではないので、海人もおかしいと思っていた。要求が何度目かになってようやく問いただすと、仁実に『出来る限り到着を遅らせろ』と言いつけられたと白状した。
海人が到着する前に交渉を終わらせ、海人を参加させたくはなかったらしい。
海人は急いで神社へ戻ると、こうして応接室の扉を開いたのだった。
『兄様……。その……』
「仁実、お前との話は後でだ。あとは俺に任せてくれ」
『……はい……』
落ち込んだ様子の低い声で返事をすると、水晶玉の仁実の映像は消えた。そして海人は、使者に向き直った。
「遅れてきた身で悪いが、仁実に説明したこと、もう一度説明してもらえるかな?」
「あ、はい。では……」
海人の応対に面食らっていた使者だったが、我に帰ると再び交渉を始めた。カンピオーネの力を貸してほしいこと、ヴォバン侯爵の相手をしてもらいたいこと、味方になってくれるのであれば戦闘に参加する以外の支援を全力で行うこと。
それらを全て説明し終えた後、海人はしばらく悩む素振りを見せた。そしてこう答えた。
「いいだろう」
「い……今、なんと?」
「全面的に協力しよう、と言ったんだ。まつろわぬ神が顕れた場合、俺が斃そう」
使者は心の中で歓声をあげた。この場に一人だけだったら、両手を上げて万歳していたところだ。
「ほ、本当ですね!? 力をお貸ししていただけるのですね?」
「ただし条件というか、要求というか、付け加えて欲しいことが三つある」
「な、何でしょう」
「第一に、俺と委員会の関係は、あくまで協力関係だ。俺があんたらに望むことは、俺がまつろわぬ神と戦った後の事後処理のみ。それ以外はしなくていい」
各国の組織の諜報員を処理してくれるという申し出はありがたかったが、海人はそれを断った。安東からしてみれば委員会も己を利用しようとする組織であり、他の魔術結社と変わらない。この地に委員会の手が入るのを拒んだのだ。
「第二に、俺は『日本の』カンピオーネではないということ。確かに生まれたのは此処日本だが、住居は船だと思っている。つまり、海の上で生活しているってことだ」
海人はここ最近(およそ百年)、この神社で過ごしているが、海人自身は長い里帰りのようなものだと思っていた。
なので海人としては現住所は海の上であり、日本は故郷ということにしてほしかった。在住しているわけではない、と念押しした。
「最後に、二つ目の条件に繋がるんだが……。俺は船で世界中を移動するつもりだ。アメリカ、イギリス、ブラジルにだって行くかもしれねぇ。日本に留まらず、世界の港を渡り歩きたいと思っている」
星を飛ばせる時代になったのだ。この百年程で世界の景色も様変わりしているはずだ。海人は今一度、世界中を旅してみたかった。
「だから駆けつけられない距離にいたら、それはもう諦めてくれ」
◆
「ごめんなさい、
『いいのよ、綾花。来ちゃったものは仕方ないもの』
綾花が謝り、水晶玉の中の仁実がなだめる。やはり海人が神社につかないよう遅れさせようとしたのは、仁実の指示だったようだ。
「それで、どうして当事者の俺を除け者にしようとしたんだ?」
『……兄様を利用しようとする者達ですから、早々に立ち去ってもらおうと考えていました。兄様がいると交渉になりませんから』
「馬鹿にしてんのか? 俺だって考えて、お前等が被害にあわないよう考えているんだ」
『ですが兄様は、まつろわぬ神と後先考えず戦えるといわれたら、嬉々として受けるでしょう? 現にそういう条件で受けましたし……』
「おう、そうだな」
『まったくもう……』
やれやれと仁実は頬に手をあてた。面倒が見切れないといった、呆れた様子だった。
「だが利用すると言ってもだ、委員会は当たり前のことをしただけだろう? まつろわぬ神の脅威のため、カンピオーネを味方にしようとした」
『ですがそうとも言い切れません。……綾花、説明しなさい』
「はい! 実は正史編纂委員会の上には、『古老』といった方々がいるそうです。その方々は何百年も日本を守っていて、実質トップで、日本の呪術師は誰も逆らえないだとか……」
「何百年? ということはつまり、そいつらはまつろわぬ神。それか……」
『それか、不死の存在』
海人に続けて、仁実が呟いた。仁実もまた、寿命を克服した不死の存在となった者だった。
『その古老の方々には、私に不死の方法を教授いただいた方がいるかもしれません。その方は、アテルイ様から紹介して頂きました』
「アテルイが? ということは、つまり……」
『はい、アテルイ様もその『古老』の方々の中の一人かもしれません』
海人がこの檜山に戻ってきてから、一度顔を見せただけで、どこかに消えてしまったアテルイ。引っ越すと言い残していったが、そのアテルイが古老と呼ばれる者の中にいる可能性がある。
「アテルイ……?」
この場にいる中で一人、アテルイと会ったことのない綾花は、話についていけずに首をかしげるのだった。
◆
それから四年の月日が流れた。
何事もなく過ぎれども、海人のより詳しい情報が魔術師の世に浸透していった。
海人は世界を船で渡り歩いたが、世界一周とはならず、頻繁に檜山へと戻って仁実と綾花に顔を見せていた。
そして物語は五月の終わり頃、賢人議会が『草薙護堂』についての報告書、日本で二番目となるカンピオーネについて発表する所から、始まる。