四十七話、教団
その日、世界に八番目のカンピオーネの誕生が報じられた。
魔王の名は、草薙護堂。日本人だった。
これにより歴史上類を見ない、同国にカンピオーネが二人居るという事態となった。
賢人議会の発表を耳にした日本の魔術協会──正史編纂委員会は、対応に追われていた。
草薙護堂はどんな人柄をしているのか、何処に住んでいるのかなど、早急な対応と調査に乗り出していた。
その調査する過程において、草薙護堂がイタリアから『神具』らしき物を日本に持ち込んでいることがわかり、その『神具』がまつろわぬ神と縁あるものとも確認された。
「これは……。なんとも、タイミングの悪いことで……」
正史編纂委員会、東京分室室長の沙耶宮馨は、頭を抱えていた。
草薙護堂が持ち込んだ神具が本物であるため、この日本にまつろわぬ神の襲来が予想される。
まつろわぬ神は嵐のようなものである。只の人間なら過ぎ去るのを待つしかない。
だが、今は違う。この国には安東海人というカンピオーネがいる。
助けを求めれば、まつろわぬ神の前に立ち盾となってくれると、約束をしてくれた。
指をくわえて見ているだけではない。
と思っていたのだが……。
「まさか一ヶ月以上前から行方不明とは……、本当にツイていませんね」
甘粕冬馬はそう口から溢した。彼の笑顔はひきつり、苦笑いになっていた。
この報を受け、安東海人に助力を求めるため、仲介役の秋田綾花に連絡を入れた。しかし綾花の口から、初めて安東海人の行方がわからなくなっていることが判明したのだ。
海人は一ヶ月前、欧州から日本へ戻るため、インドに停泊し、綾花に一報を入れてきたらしい。だがそれ以降行き先は知れず、船の位置もわからなくなってしまったという。
安東海人はカンピオーネだ。安否は心配していなかったが、正史編纂委員会としては頼れる相手がいなくなってしまったのは痛い。
こうなってしまっては、正史編纂委員会が縋れるのは、一人しかいない。
「草薙護堂に、まつろわぬ神を滅ぼして頂きましょう。どのような意図があったか分かりませんが、彼の王も神具がまつろわぬ神を引き寄せることは知っていたはずです。闘ってもらうしかないでしょう。それでよろしいですか、馨さん?」
「ええ、賛成です。直ちに万理谷祐理につなぎ、草薙王に協力を求めてください」
冬馬は携帯電話を取り出すと、万理谷祐理に連絡し始めた。
それを見ながら、馨は海人の行方について考えていた。
海人が連絡してきたというインドについて、魔術的に厄介な地であった。インド神話と叙事詩、ヒンドゥー教やイスラム教を代表とする様々な宗教がある。中には人間を生贄とする過激な宗教もあると聞く。
カンピオーネの騒動を引き寄せる体質が働いたのなら、もしくは……。
「馨さん。草薙さんがまつろわぬアテナを迎え撃ってくれるそうです」
それを聞いた馨は、海人のことをひとまず置いておくことにした。後で考えるとして、目下の脅威について頭を働かせるのだった。
◆
日本で二番目のカンピオーネの誕生に、魔術関係者が大混乱の中。
一番目のカンピオーネの安東海人はというと……。沙耶宮馨の思った通りのことになっていた。
「ぐっ……。くそっ……」
海人は胸を押さえつけながら呻いた。片膝をついている状態だ。
現在、海人は森の中を逃走している最中だった。こうして蹲っている間にも、後方から追っ手が近づいているはずだった。
急いで立ち上がり、海人は駆け出す。駆け出した直後、海人のいた地面に弓矢が突き刺さる。間一髪だった。
「くそッ……!」
海人は悪態をつくことしかできなかった。海人を追ってきているのは、人間であるのにだ。
追ってきているのは只の人間ではなかった。組織された集団であり、まつろわぬ神の加護を受けた軍隊でもあった。
数は多いが、加護を受けているといっても殺すことはできる。だが、きりがなかった。殺しても殺しても、時間が巻き戻ったかのように復活するからだ。
終わりがない。なので海人はこうして逃げに徹しているのだ。
森を抜ければ、開けた場所に出る。そこで権能で一網打尽にするつもりだった。
しかし森を抜ける前に追いつかれてしまった。海人は十数人の人間に包囲され、地上や木の上から追っ手が襲い掛かってくる。
追っ手達の服装はバラバラだが、口元に黄色い布巾を巻いていた。
「どけぇ! 退かねぇと、死ぬより恐ろしい苦痛を与えるぞ!」
まつろわぬ神の加護を受けているといっても、武器は普通の人間と同じである。刃物や弓で攻撃をしてくる追っ手を、海人はぎこちない動きでさばいた。槍は使わず素手で、喧嘩の延長線上のような戦い方だった。
そしてその中の一人を、水天の権能で水の塊の中に閉じ込めた。
ズキリと頭痛に断続的に襲われるが、海人は奥歯をかみ締めて顔に出さない。
閉じ込められた人間は目を見開き、息が出来ずにもがき苦しんでいる。
「さあ、かかってこい。死なないのなら、死にたくなるまで何度も溺死させてやる」
すると水塊の水圧が強くなり、中の人間は肺の空気を吐き出させられ溺死した。だが即座に復活し、満足に呼吸が出来ずにまた溺れはじめた。
息ができずに、だんだんと意識が遠のいて死ぬ。拷問にも使われる苦痛が何度も繰り返されるのだ。
それを見て躊躇した追っ手達が、海人を囲んで円を作ると、こう着状態に陥った。
じりじりと時間が過ぎ、埒が明かないと海人が一歩踏み出そうとした時だった。
「いけませんよ。我が子であっても、兄弟達をいじめることは許しません」
声が響き、追っ手達が割れると、そこから異形の女性が現れた。
足は二本で人と変わらないが、腕が二対あり、額には第三の目が輝いていた。
そして最も目を引く特徴として、人間の骸骨を数珠つなぎにしたものを、肩にかけていた。
海人の体が臨戦態勢に入る。目の前の女性は、まつろわぬ神だ。
「やっときたか、カーリー。疲れることは信者共に任せるせいで、体がなまっているんじゃないか?」
海人は出てきた親玉──まつろわぬカーリーを挑発した。だがカーリーにとってはのれんに腕押しどころか逆効果だったようで、聖母の笑みを返された。
異形の体からは考えられないような、慈愛に満ちた笑顔だった。
「そうね、本当に海人は速いわ。毒を盛られた状態でも、私が飛ぶ速度より速く走れるんだもの。驚いたわ」
カーリーの言う通り、海人の体は今も毒に犯されていた。海人はカーリーとその信者達の罠により、毒入りの酒を飲んで、権能が一部使えなくなってしまっていた。
トリアイナを出さずに、拳で戦っていたのもそのためだ。
しかも権能を使っている今も頭痛がして、集中力が途切れそうになる。
「前よりはマシになったからな。毒が抜けて、体の痺れもとれて、なにより権能が使えるようになった。これで手前を殺せるぞ、カーリー!」
「そう……。ならいらっしゃい、海人」
海人の傍らで信者を捕縛していた水塊が、ずるりと抜け落ちるように信者を解放した。
すると水塊は細長くなると、蛇のようにカーリーに絡みついたのだ。それでもなお、カーリーは笑みを崩さない。
そのまま体をへし折ってしまおうと海人は念じ、水塊がカーリーの体をすさまじい力で絞めつける。
鈍い音をたてて、あっさりとカーリーの背骨がへし折れてしまった。
信者共が復活するのを見て、カーリーも復活するのだろうと海人は警戒を崩さなかった。しかし次に起こった事態は予想外だった。
カーリーから突如火が吹き上がり、周囲の森に燃え広がった。あまりの熱気に海人は顔を背け、顔を上げた時には炎の燃え移っていない木はないほどだった。
奴は何処だ。周囲を見渡す海人だが、背後から突然抱きすくめられてしまう。
絞めるのではなく優しい力で、まるで我が子を抱きしめる愛さえ感じるような抱擁だった。
「ッ!」
「そう力まないで……。あなたは私の愛を受けるに相応しい子。さあ、私に身を委ねて……」
「離、せ……ッ」
海人が抵抗しようとするが、持ち前の怪力でも腕を振り払うことができない。それどころからカーリーの腕に抱きすくめられると、海人の意識が遠のいていった。
「そうよ、いい子ね……」
心地良く暖かいものに包まれて、海人の意識は深い眠りへと落ちていった。