海人は硬いベッドの上で目を覚ました。台の上にマットを敷いただけの簡易な寝台から上体を起こして、周囲を見渡す。
そこは鉄の骨組みにシートを被せただけの、テントのような場所だった。近くの椅子に座っていた男が、海人が起きたのに気づく。
「お、起きたか。穏やかに寝ていたな。あれだけ派手に暴れまわっていた奴の寝顔とは思えなかったよ」
白人男性だった。英語で話しかけられたので、海人も英語で会話することにした。
「……此処は……」
「救護テントだ。覚えているか? 貴方は我らが母であるカーリー様に包まれて、今まで気を失っていたんだ。身に余る光栄だな」
「死なない体をもつ集団でも、医者は必要なんだな」
「蘇るといっても、多少の切り傷や怪我なんかは此処に来る者が多いからな。楽な仕事だよ」
立てるかい? と海人に訪ねながら、白人の医者は椅子から立ち上がってテントの出口へ向かう。
海人もベッドから降り、医者に続いてテントをくぐって外に出る。
その先では密林の中であり、雨風を最低限凌げるだけの同じようなテントがいくつか立ててあった。外ではアジア系と分かる人々がおり、洗濯物が干されている等生活している様子が伺えた。医者のような白人は見当たらないし、女性の姿はほとんど見当たらなかった。仮面を着けている人もいない。
すると海人の存在に気づいた者から順々に作業の手を止め、海人をじっと見つめてくる。海人に視線が集まり、中には殺気が乗っているものまであった。そいつは海人を追ってきた、カーリーを信奉する者達の一人なのだろう。
いや、もしかしたら此処にいる全員、カーリーに並々ならぬ執心を持っているかもしれない。
「私達はこの森で暮らしている。……道を開けてくれ! カーリー様の命だ、お客人を神殿へ通す。もしかしたら客人から家族になるかもしれないがな」
「ふん、俺はその家族とやらになる気はないぞ」
「何を選択しようが構わないが、カーリー様には拝謁してもらうよ。こっちだ」
海人は白人の医者に先導され、好意的とは言えない視線を一身に浴びながら着いていった。しばらくすると森が開けて、大理石の荘厳な神殿が現れた。
しかし神殿に近づくにつれて、海人はそこから漂ってくる匂いに顔をしかめた。神聖な雰囲気に似つかわしくない、海人の嗅ぎなれた、血の匂いがした。
「カーリー様、お客様をお連れしました。……ッ!」
「下がりなさい」
「失礼しました」
神殿へと入ると、神殺しの体がまつろわぬ神に反応して、ドクンと高鳴る。医者がカーリーの前で跪と、そこに広がる光景にさすがに堪えたのか、医者も嘔吐く。カーリーも反応を予想していたかは分からないが、直ぐに下がらせた。
海人と玉座に座るカーリーの間には、百に届くかといった人間の生首が、山高く積まれていた。
「こいつは……」
「私への捧げ物。私の最も強い面である『破壊者』の面は、血と殺戮を求める。これが一番、私のエネルギー源となる」
「てめぇがやった、て訳じゃなさそうだな。捧げ物……。やったのはお前の手下共だな」
「そう、私の息子達からもらったの。海人、あなたも私の息子になって、同じように只人の命を捧げなさい」
「それが俺を誘った理由か……」
どうやらまつろわぬカーリーは力を貯め込んでおり、海人にはそれに加担しろと言っているのだ。
はいそうですか、と承諾するわけがない。要求を足蹴にする返答の代わりに、海人は先制攻撃として重い一撃を加えようとした。だが使える権能は、眠らされる前から使えた水天の権能だけだ。
しかも使おうにも、操る水がない。海人は、カーリーとの間に鎮座する人間の首の山に目をつけた。
海人はカーリーに察知されないよう、そっと人間の血を集めだした。
「何故、俺を狙った。俺の他に、居場所の分かりやすい神殺しが居るだろう」
集めるのに時間がかかる。海人は興味のあるふりをして、時間を稼ぐ作戦に出た。
話に乗ってきたことが嬉しいのか、カーリーはニタリと笑みを浮かべた。
「それは海人、あなたの持つ権能が私の目的に、最も適したものだからですよ」
海人は己の全てを見透かされているような感覚に襲われた。
「魚を操る権能のことか。だったらヴォバン侯爵のほうが適している。奴の権能は、自ら殺した者の屍を操るもの。ドラゴンだって従える」
公に知られている海人の権能は、ポセイドンの槍とアンフィトリテの神獣を創る権能。水を操るのは副産物とされ、あとは怪力の権能もあると推測されていた。
それを知っているのだろうと、海人は考えた。しかしめカーリーは首を横に振る。
「あなたを求めたのは、アナーヒタ、セイレーン、アンフィトリテの権能を持っているから。私がこの三つの目で見て、本質をよく知った同胞の権能を持っているから」
出てきた女神の名に、海人は驚いた。水天──アナーヒタの権能は、まさに今使っている最中だ。
随分と昔のことだが、仁実を攫っていった水天、道中で遭遇したセイレーン、そしてポセイドンは、伴って行動はせずとも連絡は取り合っているようだった。アンフィトリテもポセイドンを知っていたため、他の二柱を知っていたかもしれない。
では三柱の名を知っており、その権能を簒奪したのが海人であると知っているということは、こいつは……。
「お前は、あいつ等の仲間か……!」
「同志、と言ったほうが正しいかしらね。あの神等とは志を同じくするものである、けれども仲良くする相手ではなかったわ……。そんな神等だったけど、四百年前に現世に顕れたのは無駄じゃなかった。四柱の権能を簒奪した、あなたという存在が生まれたのだもの」
カーリーは海人に向かって大仰に手をひろげ、胸に抱きこむように手を伸ばした。
「来て、海人。私ならあなたを守ってあげられる。あなたの母になってあげられる。海人を死の恐怖から開放してあげられるわ」
母という言葉に、海人は奥歯をかみ締めた。
「そう言って、外にいる奴等を囲い込んだのか。不死の体が欲しければ、生贄を捧げろと殺戮を繰り返せと、そう指示したのか」
「ええ、そうよ。意味もなく殺さなければ、殺戮ではないでしょう?」
「俺がこの森に来たのは、港で幼子が泣いて懇願していたからだ。帰ってこない父を探して欲しい、と」
「海人を誘い込んでくれたあの子には、後で褒美を与えなくちゃね」
海人がインドに留まっていたのは、港で会った幼子の依頼があったからだ。父親を探してほしいと懇願する幼子を宥め、海人は森に入ったのだ。そこでその父親を食い殺したであろう神獣を倒し、誘われた宴会で酒を飲んだ。
その酒に毒が入っていたのだ。麻痺して権能が使えなくなるどころか、植物人間にする劇毒だった。
海人はうつむき、ぷるぷると肩を震わせた。
「ふふふ……。はーはっはっはっは!」
そして大声で笑い出した。
「……? 何か面白いことでもあったの?」
カーリーは何故笑っているのか、それどころか悪い事をしたことも理解していなかった。
「ああ……。俺の馬鹿さ加減と、不幸になった子供はいなかった。そのことが面白くて嬉しかったのさ」
「そう? 話は戻るけど、協力してくれる? 私の子になれば、そうすれば死ぬこともなく……」
「なあ、お前、焦ってるだろ?」
「……え?」
それまで慈愛の笑みを浮かべていたカーリーの表情が、すっと無表情になった。
「少なくとも四百年、お前はこの現世にいた。それなのに何故今頃俺を欲した?」
「それは、準備が整ったからで……」
「力を蓄えるとか言ってなかったか? それも時間をかければ人間だけでも出来そうなことを、俺にやらせようとしている。お前、時間がないんだろ」
カーリーは挙げていた手を下ろし、無表情で海人を睨み付けてくる。
「どうやら図星なようだな。最初から決まっていたが……。そうなれば答えはひとつだ」
海人は権能を発動した。血の塊が、首の山から飛び出す。
「そんなものは、くそくらえだッ!」
血液の塊が弾丸となって、脱力したカーリーに向かって放たれた。