巨狼から人間へと戻ったヴォバンに、護堂の黄金の『剣』の一撃が叩き込まれた。
ヴォバンがアポロンの権能を解除したため、神格を斬り裂く剣から守る鎧がなくなり、護堂の渾身の一撃が直撃したのだ。
その瞬間、氷によって地面に縫い付けられていた全ての従僕が、塵となって消え去った。その中には海人の弟子だった者の姿もあった。
護堂の権能によって高名な魔術師達の魂が、ヴォバンの『檻』の呪縛から解き放たれたのだ。
「……この声は……!? お前なのか……?」
従僕達の姿が崩れ落ちていく時、海人は何者かの『声』を聴いた。それは何百人もの、海人と護堂に感謝を表す声だった。
それはヴォバンの権能から開放された、ヴォバンに殺された騎士や魔術師達の『声』だった。
檻の呪縛から開放され、元従僕達は真の安らぎを得たのだ。
『ありがとう……ありがとう……』
元従僕達の言葉からも、感謝の念とともに心安らぐ気持ちが伝わってくるようだった。
海人はしばらく棒立ちになり、弟子が昇っていったであろう天を見上げていた。
『来ます、海人様!』
トリアイナの声ではっと気付き、海人はヴォバンの方に向き直った。
「何を上の空になっている。まだ闘い終わっておらんぞ!」
そうヴォバンが吠えると、海人の頭上から稲妻が落ちてきた。
海人はまた雨粒を集めた水塊を避雷針にし、天から降り注いだヴォバンの雷撃を防いだ。
「ふん、小賢しい!」
雷撃を防いだ途端、海人に突風が襲い掛かった。
空中の水塊は風圧に飛び散らされ、海人も突然発生した台風のような強い風に吹き飛ばされてしまった。
なんとか倒れ込まずに四つん這いで着地する。しかし間髪居れず、ヴォバンを中心に強風が巻き起こった。
強風が海人達をまとめて吹き飛ばそうと迫る。
だが海人もまた風を操る権能を持っている。海人はすぐさま風を起こし、ヴォバンの風と真正面からぶつけた。
見えない力が衝突し、互いの風を相殺してせめぎ合う。
ヴォバンは風雲雷霆を支配する権能を行使し続け、ヴォバンはまさに台風の目となって、全方位に向けて風を放ち始めた。海人も余所見からの不意打ちから立ち直り、負けじと風を操る権能を行使をし続ける。
暴風の脅威は無差別に与えられた。護堂を守っていたエリカとリリアナは引き剥がされ、ヴォバンの召喚した狼達は地面から氷ごと剥がされ吹き飛ばされた。
「まずは誉めてやろう、小僧。予想以上の働きぶりよ」
風と雨が激しい嵐の中にも関わらず、ヴォバンの声がはっきりと聞こえる。だが言い放った会話の相手は海人ではなく、もう一人の神殺しのようだ。
海人は自らの権能で、ヴォバンの起こす烈風に対抗している。だが風に対抗する手段のない護堂は、必死に姿勢を低くして地面にしがみついている。
「貴様の神格を斬り裂く剣が、我がオシリスの権能を切り裂き、捕らえた従僕共を解放した。貴様を見くびっていたことを認めよう。だが、もうタネ切れのようだな?」
ヴォバンが護堂に向かって手をかざすと、天から雷が降り注いだ。落とされた雷は護堂に直撃する、はずだったが逸れて至近距離に落ちた。
どうやら呪力を跳ね除けるカンピオーネの特性を利用し、護堂が稲妻の軌道を逸らしたようだった。
「しぶとい。成り立てといっても流石神殺しといったところか。……先刻から気になってはいたが小僧、貴様は昔の私に似ているよ。魔術の心得も知らず、剣を修めてもいない身で『王』の権能を手に入れる。私も通った道だ」
そう言うと、ヴォバンの肉体がふくれ上がっていく。人間の体が、銀の巨狼へと変貌していく。
ウウウウォォォォォォォォォォォンンッッッ!
ヴォバンは再び巨狼となり、咆哮を上げた。
『私と海人の闘いを、そこで這いつくばって眺めているがいい』
銀の巨狼が、海人に向き直った。
『さあ、始めようか。貴様と私の一騎打ちを!』
「戯言を。従僕は解き放たれ、狼はこの嵐で吹き飛ばされる。不完全な上体で私に敵うとでも?」
『だが互いの手駒がいないこの状況は、限りなく対等だ。……常にそうだった。貴様と私の闘いは互いの手駒を出し合い、残っているのは私達のみ。最後に頼れるのは、我が身ひとつだけよ!』
ヴォバンは爪を天に突き立てた。両者はおのずと接近し、ヴォバンはその鋭利な爪を、海人は水の三叉槍を振るった。
互いの最も頼れる武器が激突する。
その瞬間、二人が吹き起こしていた風が、互いの勢いを巻き込んで取り入れた。風はより強い暴風となり、周辺のもの全てを吹き飛ばすようにその風威を撒き散らした。
◆
護堂は必死に、二人の神殺しの起こす暴風に抵抗していた。
轟々と吹きすさぶ風の音で、護堂の周りの声は聞こえていなかった。ヴォバンの底冷えするような声と、海人の頭に直接語りかけるような声は聞こえていた。だが背後にいるエリカや祐理、リリアナの声はかき消されてしまっていた。
……! ……!
護堂はこの場にいる五人以外の誰かが、叫んでいるような予兆を感じ取った。
うっすらと目を開ける。視線の先では、海人とヴォバンが接戦を繰り広げていた。
ヴォバンは膨張した厳しい体躯から、丸太のように太い腕を振り回している。その腕力で振るわれる鋭利な爪にかかれば、人間は紙の如く斬り裂かれてしまう。
海人は紙一重でヴォバンの爪をかわし、避けれない攻撃は水の槍を持った片手で受け止めていた。巨狼と腕力で競り合い、隙を見てまつろわぬ神も貫く槍の突きを繰り出していた。
このまま這い蹲って見ているだけでは終われない。護堂の闘争心に火がついた。
……! ……!
またあの声だ。どこか遠くから、何者かが呼ぶ声がする。立ち上がってくれ、闘ってくれと懇願する声が聞こえる。
ウルスラグナの聖句を唱え、護堂は何とか立ち上がった。その時、護堂は新たな力と声の正体を理解した。
護堂の体を甘美な全能感が駆け巡る。だがそれに流されず、抗い制御するように護堂は力を振るった。
「──義なる者たちの守護者を、我は招き奉る。義なる者たちの守護者を、我は讃え、願い奉る。天を支え、大地を広げる者よ。勝利を与え、恩寵を与える者たちよ。義なる我に、正しき路と光明を与え給え!」
ウルスラグナ第九の化身『山羊』の聖句を唱え、護堂は天を覆う雨雲へと手をかざした。
護堂の頭上より、稲妻が下った。
◆
海人はヴォバンとの近接戦において苦戦を強いられていた。その訳は、ヴォバンの纏う風にあった。
海人は、自身を水の体にして攻撃を受け流す権能を持っている。たとえ体が吹き飛ばされても、水を取り込めば補填することができる。
だがその水の体も、ヴォバンの攻撃をまともに受けた際に発動すれば、風で体を構成する水を吹き飛ばされてしまう可能性がある。
周囲の雨水を集めようにも、風のドームで跳ね除けられてしまう。攻撃を受けれる猶予は一回だけだ。
『どうした、昔の勢いは! 私を追い詰めた、殺気を込めた技の連撃を見せてみろ!』
海人はひたすら防御に徹した。ヴォバンがしびれを切らし、隙を見せる機をひたすら待った。
そんな最中、海人とヴォバンがいる場所とは違う場所に、天から雷が降った。
咄嗟に落ちた方角を見る。そこには雷をボール状にして掴む護堂の姿があった。しかもヴォバンと海人の生み出す風を受けても体勢を崩す様子も見せない。
『まだ闘う力を残していたか、小僧!』
「俺も混ぜてもらおうか。ヴォバン、これ以上お前の好きにさせて堪るかよ!」
護堂が手の内に溜め込んでいた雷撃をヴォバンに放つ。海人は巻き込まれないように後方に跳び退いた。
だがヴォバンも風雲雷霆の使役者。護堂の放った雷撃はヴォバンに当たる直前に軌道を曲げ、脇に逸れた。
(トリアイナ!)
海人はこれを千載一遇の好機と捉え、防御から一転、攻撃に転じた。
トリアイナに命じ、護堂が放ってヴォバンが逸らした雷撃を掌握したのだ。それの向きを反転させ、逸らしたと思い込むヴォバンの背中から叩き付けた。
『何ッ!? グオオオオオオオオオオオオオオッ』
ヴォバンの巨体が一瞬稲光に包まれる。だがそれでも、ヴォバンを倒すまでには至らない。
海人はヴォバンがひるんで出来た隙を逃さず、追撃に移る。ヴォバンの頭上に周辺の水を集結させ、瞬時に凝結、細く鋭い氷の槍を三本作り出した。
氷の槍を勢いよく投下する。堅牢な銀の体毛を破り、ヴォバンの両腕、首から胴までを貫いたのだった。
槍は地面に届き、ヴォバンを磔にする。
「いまだ、やれ護堂! トドメを、ありったけの一撃を!」
「おうッ! ──我は言霊の技を以て、勝利の聖句を謡う!」
ウルスラグナの聖句が唱えられ、護堂が雨雲の掌握に意識を向ける。
この時、最後の一撃を託した海人から、無意識の内に護堂へ呪力の受け渡しが行われた。海人からトリアイナを仲介し護堂に少なくない呪力が移され、『山羊』の化身の特性もあり、護堂の呪力が爆発的に高まった。
海人が一瞬だけ虚脱感に襲われる。
『おのれ海人、そして小僧! どこまでも小癪な真似をおおおおおオオオオオオッ!』
しかしヴォバンは止まらない。底なしの闘争心をふりしぼり、氷の槍を体に刺したまま地面から抜きにかかる。
槍が地面から抜けた。巨狼の頭の向く先には護堂がいる。
「やらせるかよッ!」
ヴォバンと護堂の間に、海人が立ちふさがる。そして高い呪力を発する護堂しか眼中にないヴォバンに、跳躍、眼前に現れた。
「うおおおおおおッ!」
『ガアアアアアアアッ!』
海人が突いた水の槍は、巨狼の顔面を貫いた。しかしヴォバンも腕を振りぬき、海人の体を上下に引き裂いた。
海人とヴォバンの駆け引きがまさに瞬く間に行われ、そこに全てを灰儘に帰すかの如く、護堂の渾身の雷撃が落とされた。
致命傷を負った二人の神殺しの姿が、稲光に包まれた。
◆
その後の顛末はこうだ。
極大の雷撃により出来た煙が晴れ、雷が落ちた地点の視界が晴れた。
護堂は海人の姿が健在なのを見て、胸をなでおろした。恐ろしい速度で自分とヴォバンの間に割ってはいった海人、胴のあたりが何故か歪んではいるが、二本の足で大地に立っていたからだ。
海人の奥の手であり、体を水で補填していたのだ。これがあれば、死の淵から蘇ることができた。
だが、それはヴォバンも同じようだった。雷が落ちた地点にある塵が巻き上がり、積もり、やがて人の形を成した。ヴォバンだ。
ヴォバンと海人が睨みあい、第二ラウンドが始まろうとした、その時だった。
天を覆う雨雲の隙間から、芝公園に朝日がかかったのだ。
「もう止めろ、ゲームはお前の負けだ、ヴォバン! 俺は立っているし、万理谷も無事だ。まさか侯爵様とあろうお方が、これでも認めない訳ないよな?」
しかしヴォバンは諦めが悪く、海人との決闘は終わってはいないとのたまう。
護堂は焦った。海人が乗り気なら、本当に第二ラウンドが始まってしまう。
だが心配は杞憂だった。護堂がどう説得するか思考を巡らせている間に、海人が腕を下ろしたのだ。そして水の槍の形を解いた。
『ヴォバン。お前には返しきれない積怨がある。貴様の命だけでは足りぬ程の心からの憎悪が燃えている。……だが今回は見逃そう。俺の弟子の魂を解放したことだけで見逃してやる。俺が何百年も願ってやまなかった事を為した、草薙護堂に免じてな』
海人はそう、護堂のいる方向に振り返りながら言ったのだ。
『今回の勝者は俺でもお前でもない。そこの草薙護堂だ。敗者は勝者に従う。勝者が闘いを止めろというのなら、それに従おうじゃないか』
こうして東京を舞台にした三人のカンピオーネの闘争は終わりを迎えた。
ヴォバンは去る際に、こんな言葉を残していった。
『覚えておくがいい。我ら『王』同士は互いを無視し合うか、不戦の協定を結ぶか、終生の敵と決めて戦い抜くか──いずれかだ。今より貴様は、私の敵のひとりとなる! いずれは其処の海人ともそうなる。この狭い島国で、互いの版図を競い合うがいい』
ヴォバンが去った後、芝公園は酷い有様であった。樹木は風であらぬ方向に曲がり、地面には雷の焼け跡が残る。さらには広範囲にわたって地面が凍りついているのだ。
一般人が見れば、夏が近い六月において異常なことだと口を揃えて言うだろう。
だが、凍りついた地面に関してはすぐに解決することになる。残った海人が、権能で氷を水に変えたのだ。
「うし、これでいいな。……終わったぞ、草薙護堂」
「助かった。あんたがいなければ、どうなっていたことやら……」
「いいさ、お互い様だ。俺も助けられた」
その様子を見れば、護堂はこの同郷の神殺しと敵対する関係になるとは思えなかった。
護堂の中での比較対象といえば、サルバトーレ・ドニとヴォバン侯爵だ。今まで見たところ、二人のように戦闘狂でもなく、常識人で、それに仲間思いでもある。
後のことは正史編纂委員会が行う、と安全な場所で戦いを見守っていた甘粕冬馬が申し出た。まつろわぬ神や神殺しとは戦えない替わりに、こうした隠蔽や処理などの後始末を請け負ってくれる。護堂もアテナとの戦いの後、世話になっていた。
「改めて草薙護堂、綾花を保護してくれたこと、そしてヴォバンに囚われた者達の魂を救ってくれたこと、感謝する。本当にありがとう」
「い、いや。俺も助けたいと思っただけだから……」
護堂は差し出された手を握り、海人と握手を交わした。するとまるで万力に締め付けられているかのように凄い握力で握り返された。
「いてっ、いてっ。いててててててててててッ!」
「お前と、あの黄金の『剣』がなけりゃ、俺じゃ一生かかっても解放できなかったかもしれん。だから謙遜せず素直に受け取ってくれ」
「ああ! 受け取る、受け取るから! 手を離してくれ!」
「おお、すまん」
握力が緩められ、海人からばっと手を離す。カンピオーネとなって頑丈になったはずの体だが、握手だけで手が悲鳴をあげていた。
「草薙護堂。いや、護堂と呼ばせてもらおう」
「じゃあ俺も、あんたのことは海人って呼ばせてもらうぞ」
海人は快諾した。いつのまにか海人の傍らには、蒼い体表と白いたてがみを持った馬の神獣がいた。海人がクサントスと名付けた神獣だ。
海人はクサントスの鞍にまたがると、手綱を握り護堂に言った。
「護堂。お前に返しても返せない借りができた。俺はこれから秋田に戻るが、助けが欲しいときは言ってくれ。何処にでも駆けつけ、出来る限りのことをしよう。……俺は綾花の様子が気になるが、お前はあの女衆を見てやったらどうだ?」
海人の視線をたどり護堂が振り返ると、祐理とエリカ、リリアナが倒れ込んでいた。
護堂はまだ気づいていなかったが、『山羊』の化身の副作用だった。周辺一帯の生命力を吸い取っていたのだ。
「じゃあな、また会おう。八人目の同胞、草薙護堂よ」
そう言い残し、最古参のカンピオーネは目にも留まらぬ速さで去っていった。
護堂は海人に出会う前に不安があった。前情報を一言で表すなら、荒くれ者の海賊。できるなら争いごとには発展してほしくないと思っていたが、不安は残っていた。
だがこうして話してみると、他の二人のカンピオーネに比べて常識人に感じた。護堂は同じ常識人同士、上手くやっていける気がした。
護堂は、へなへなと腰を抜かして倒れ込む三人の下に向かった。
余談だが、この日東京では深夜から朝方にかけて最低気温五℃を記録した。
カンピオーネ同士の戦いによって人的被害は皆無だったものの、海人の使った権能で気温が急激に低下した。これにより体長を崩す者が続出し、農作物に甚大な被害を与えたが、海人や護堂がこれを知るのは少し後の話である。