「今起こっているすべての物事を明かすには、あなたの常識を改めねばなりません。そもそも、檜山と湊の両安東家は争ってなどいません。思想の違いにより安東は二つに分かれましたが、刃を交えたことは一度もないのです」
舜季は、大衆に向かって演説をするかのように弁舌をふるいはじめた。真実が知りたい海人は、男から短刀を喉元にあてられながらも、ピクリとも動かずその語りに耳を傾けていた。
「事の起こりは、安東家がかつて治めていたここ奥羽の地に、魔物が住み着いたことから始まります。魔物は安東家に、己に伏するよう、奥羽の地を明け渡すように脅してきました。無論、安東はおとなしく従うはずがありません。当然のように兵をまとめ、魔物の討伐へと山の奥地へと踏み込みました。しかし……」
舜季は横に首を振った。
「誰一人として、帰ってくる者はいませんでした」
山に住み着いた魔物は、討伐に出向いたおよそ一万にもなる大軍を、たったひとりで迎え撃った。そして、誰一人として逃さず、すべてを喰らい尽くしたのだ。
大将の首晒しは必要なかった。つい数日前に意気揚々と出征した家族が、帰らぬ人となった。霞の如くこの世から消え去った兵たちがその証拠であり、安東は前もって出された服従勧告が、去勢でもハッタリでもないことを身をもって知った。
「安東はようやく悟りました。彼の魔物は人の力など意に介さない。人智の及ばぬ、まさしく『神』と呼ぶにふさわしい存在だと。降伏する旨の書状を渡して、その神の姿を直接見た伝令兵は、『神話で語られる神の体現』と畏れを以って話したそうです」
七つの頭を持ち、全体躯は山をも超えて、開いた顎は村すら人吞みにする。
神話の上でしか語られることのない強大すぎる力を顕示し、人々に災いをもたらす禍つ神。勝機すら見えない安東は、わずかでも生き残る希望を見出し、安東は服従という道を選んだのだ。
「しかし、愚かにも神に逆らった代償は大きかった……。安東家を滅ぼさない条件として、安東家一族の若い娘を五年ごとに生贄として差し出すことを命じてきたのです」
その要求を受け入れたとき、安東家はゆるやかな滅亡を迎えることになる。怪物の出した条件を吞むか否かは、滅亡の時期が早くなるか遅くなるかを決めるだけでしかなかったのだ。
議論は紛糾した。おとなしく従うか、最期に滅びるまで抵抗するか。論争の規模は拡大して、ついには家を二つに分ける戦争にまで発展したのだ。
湊に残った者達は、安東家の女子を生贄に捧げ、しかし反逆の機を窺った。
檜山に移った者達は、檜山に堅牢な城を築き、徹底抗戦へと臨んだ。
事実、檜山と湊の間で戦をすると見せかけはするが、戦闘は一度も行われてはいない。両安東家は神を『共通の敵』とみなして、裏では協力して神を倒せないかどうか画策していたのだ。
『安東家を後世の世まで残す』。
人間は、共通の敵がいれば手を取り合い、団結することができる。両安東家はそれぞれの主張によって二つに別れたがしかし、真の目的は一致していた。家を分けて、城すら二つ作れども、争っている場合ではないと理解していた。
「そしてついに五年前、檜山は神の討伐に挑みました。湊は何十年何世代と耐え抜き、神の名と、酒に弱いという弱点を見つけていました。湊側から檜山に情報が流れ、湊が捧げた献上品の酒で眠っている間に、檜山の兵たちが袋叩きにする。そういう手筈でした」
「だが……結果は散々なものだった」
沈黙を貫いていた海人が、口を開く。忍の男が耳元で小声で警告するが、舜季がそれを手で制す。舜季は過去を憂うように、海人尾の言葉を引き継いだ。
「討伐軍は、壊滅しました。檜山は湊に一言も告げず、独断で遠征軍を出しました。……わずかに残った兵士たちも、祟りに触ってしまったと、おびえて何が起こったか頑なに語ろうとはしません。ただひとつ確実なことは、神は死んではいない。むしろ龍の逆鱗に触る行為をしてしまったのです」
どんな恐れや畏怖も、時が経てば風化するものだ。ましてやこの時代の人間は現代人よりも短命であり、事を直接見て聞いた者が生きているはずがなかった。何よりも早急な建て直しが図られた軍備は、その頃よりもずっと精強になっている。
先祖ができなかったことを、自分たちの代で成し遂げられる。そうと見込んで討伐へと踏み切ったのだが、見事に返り討ちにあったのだ。
「そして今、我々は最後の賭けに出ます。二つの安東家の総力をもって、神に抗う。今度の戦で神に致命傷を与えることができなければ、安東家は滅亡です。愛代には、罠を張った場所におびき寄せるための、囮になってもらいます」
海人は目を瞑って、記憶を整理した。
大まかには理解した。その神という存在は、強大な力を持っている。倒さなければ、一生その脅威に怯え続けて、みじめな生活をしなければならないことも。神の注意をひきつける、囮役が必要であることも。
だが海人は、まだ肝心の話を聞いていなかった。
「……まだ、初めの質問に答えていないぞ。どうして愛代が生贄になる必要がある! あいつは俺と同じ、成人の儀は済ませている。だが、まだ二十にもなっていない」
他に候補者はいなかったのか。当然ながら、誰も死なないようにできるのなら、そうしたほうがいい。海人は声高には叫べなかった。
けれども目の前の男が『囮になってもらう』と言ったときの顔。それは怒りでも悲しみでもなく、仕方ないといった『諦め』の感情が色濃く出ていた。
「その顔が気に入らなねぇ。何故愛代を生贄にする命令を、唯々諾々と受けた。お前の娘だぞ! 子供を守るのは、親の義務だ。お前のやっていることは、娘を死地に赴かせる行為だ!」
海人の実の父親は、鍛えた槍の腕を振るう場所が与えられずに、妻ともども流行病で亡くなった。幼き頃の海人に、『この槍で家族を守る』と聞かせてやまなかった。
そのため海人は、力がありながら娘一人を守ろうともしない舜季に、激しい怒りを抱いたのだった。
「動くな。聞いていれば貴様、舜季様になんと無礼な口を」
「邪魔だッ!」
「ッ!」
口を動かすことに気をとられ、忍びの男は注意を逸らした。その隙を突いて、海人は左に体をひねって脱出。そのいまま勢いを殺さずに、左肘を鳩尾へと叩き込んだ。
呼吸が一瞬止まり、痛みで動けなくなった男。海人は頭を両手で掴んで、その呆けた顔面に膝蹴りをお見舞いした。
「がぁッ!」
強烈な一撃を鼻にくらい、名も知らぬ男は鼻血を出す。最後に悶絶する男の顎に、海人は痛打を与えて、意識を刈り取った。
脳震盪を起こして倒れ伏し、海人はその男の襟首を掴むと、舜季の側に放り投げた。
「ほらよ、返すぜ」
倒れた部下を見ても、舜季は顔に嫌悪感を催す笑みを貼り付けたままだった。
「海人君、君は湊の現状を知らないからこそ、そのようなことが言えるのです。今湊の福山城に住んでいる人間で、安東の血を引いている者が何人いるかご存知ですか?」
「知るかよ。その中に平気で子孫を見殺しにするような、鬼の心の持ち主がいることだけは知っているぜ」
海人は足元に転がる愛槍を拾った。
「三人です」
「……は?」
耳に入った言葉が信じられず、海人はポカンと口を開けて呆然自失とした。
「福山城には、今や私と愛代、そして義父の三名しかいません。あとは泊り込みの侍女が数名、近衛兵が警備をしているだけ。……私は檜山の城で生まれた、れっきとした檜山の人間です。ですが湊に婿入りしまして、檜山生まれの私と湊生まれの妻との間にできたのが、
「……あんたは、お家存続のための種馬だったということか」
「返す言葉もありません。安東は外部にこのことが漏れないようにすることで必死でしたから。土地を追われ、日の本の端に追いやられ、あげくの果てには血脈すらも神に奪われました」
舜季は自棄になったようにまくし立てた。
「先祖代々受け継がれてきた、屈辱と怨念。安東はもはや、簡単に止まりませんよ。ですから愛代の犠牲は、神をおびき寄せるには仕方ないことです。どうしてもやめて欲しいのであれば、愛代の代役となれる者を差し出すことです」
「代役? そんな奴は……ッ!」
安東の一族であり、女性。海人は、舜季の言わんとしている人物が誰なのか理解する。そして溜まりに溜まった怒りを爆発させた。
「愛代を生贄にさせたくないのであれば、あなたの大切にしている義妹を差し出すことです。仁実さん、随分と大きくなっていましたね。愛代の次に若い女性は彼女しかいません。愛する人をとるか、可愛がっている義妹をとるか、あなたが決めてくれて構いませんよ」
「てめえッ!」
頭に血が上って、思考が真っ白になっている海人は、舜季が言っていることはもはや聞いていなかった。
二人の間を一足飛びで一気に詰めて、海人は胴体を狙って槍を突き入れた。しかし舜季は大胆に横に飛び退き、海人の突きをよけた。
「来るとわかっていれば避けることなど容易──ぐはぁッ!」
したり顔で巧拙をたれる舜季に腹に、海人は蹴りを入れた。舜季は飛び退いたときに地面に倒れ込んでいたので、蹴りを入れやすい丁度いい位置にいたのだ。
海人はうめく舜季の首元の襟をつかんで、片手で大人男性ひとりを吊り上げた。
「あんたには福山城に入るための通行証になってもらおうか」
「く、串刺しにしてから引きずっていくつもりだったのですか? まあどちらにしてもかないませんがね」
首をかしげた海人は、次の瞬間には膝をついていた。何が起こったか海人地震もわかっていなかったが、突如襲われた眠気に、海人の意識は抵抗する暇も無く落ちていった。
「ふぅ……。ようやく効きましたか、随分と時間稼ぎをさせてくれましたね。ですがこれで、起きたときには戦は終わっているでしょう」
腹を撫でながら立ち上がる舜季を端目に、海人の体は地面に倒れていった。朦朧とした意識の中で、耳打つ声を理解する力はなかった。
◆
「……寝たか。よし、もういいぞ、出て来い」
舜季が声をかけると、林の中から三人の男が現れた。全身を黒で統一して、真っ先に倒れた忍びの男と同じ服装をしていた。舜季の雇っている忍びの部下達だった。
「仲間を介抱してあげなさい」
「その男はどうしましょうか」
そう言った男の視線の先には、海人がいた。目を閉じて、ぐっすりと眠っている。
海人が突然眠ってしまった理由には、舜季が仕掛けた術があった。空気に毒を撒く呪術であり、今使った催眠効果の毒や致死毒まで、さまざまな毒を造れた。
しかし毒が回るには時間がかかり、毒が撒かれていると感覚が鋭い者ならば気づかれる可能性があった。そのため舜季は海人の注意をそらすため、一芝居打って出たのだ。
見事海人は周囲のことなど気に止める余裕なく怒り狂い、こうして眠りこけてしまった。
「そうですね、では」
舜季は庶民の家屋より立派にできた、祠を指した。
「あの祠の中で、柱か何かに縛り付けておきなさい」
舜季は術の修行を始めてから、五年ばかりしか経っていない。それまでは呪術などとは一切触れたことが無かった。チラリと一瞥した祠から、微細な神力が立ち上っていることなどは、感知することができなかった。