征海魔王   作:カンジョー

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九話、まつろわぬ神

 意を決して暗闇の中へと潜った海人であったが、入り込んだ先は真っ暗闇に覆われて光がまったく無かった。

 まさに一寸先は闇。地面は硬い鉄や金属に似たもので舗装されているが、先が見えないこの場所で歩みを進めるのは、不安でしかなかった。

 足をつく場所はあるが、方角がわからない。海人はあたりをぐるりと見回して言った。

 

「ここが……。幽世ってところか?」

 

 独り言として呟いた言葉だったが、思わぬ返答があった。

 

「いや、違うな。生と不死の境界とを結ぶ回廊、現世と幽世の境目だ」

 

 不意に海人の耳を、聞き覚えのある声が貫く。

 進むか進むまいか迷っていると、海人の傍に何の予兆もなく一人の男が現れた。

 

「人の姿を見るのはひさしぶりだ。お前が海人か?」

 

「ということは、あんたが短刀から聞こえた声の男か」

 

 闇から染み出るように現れたのは、百八十はあろう巨躯を誇る青年だった。

 海人は一瞬だけ身構えた。単に驚いたという理由もあるが、海人は筆舌に尽くしがたい恐怖に襲われた。現れた青年の体は太いというよりもスマートに引き締まり、ボロ布きれを一枚着ていたこともあり、より精強に見せていた。それ以上に目を引くのは、頭には生えた一本の大角。海人は男に未知から来る恐怖と、生物の根源的恐怖を覚えた。

 

「どうだ、俺を見て。何か思うところはないか? 神を信じる気にはなったか」

 

「角、か。たしかに人ではないようだな。だが神とは大仰すぎるんじゃないか?」

 

「……やはりな。海人、お前は呪力に対する抵抗力が強い。呪術に鈍感で、それに強情だ。意識せずともはじいてしまうほどにな」

 

 鬼は腕を組み、うんうんとうなずいた。

 何も感じなかったわけではない。表に出さなかっただけだ。ひとりで勝手に納得されて、海人は話についていけなかった。

 

「しかしこうして己の目で見て取ると、感慨深いものがある。貴様の父親の幼き頃とそっくりだ。くははははっ! 生意気な小僧めっ!」

 

「や、やめろっ! 手をはなせっ!」

 

 鬼は海人のかき乱すように撫でてくる。気恥ずかしくて海人は男の手から逃れると、髪を手櫛で整えていった。

 海人は鬼の喋っていた言葉の中に、父親と言っていたのを聞き逃さなかった。

 

「父さんを知っているのか!?」

 

「ああ、お前と同じぐらいの歳のころ、俺の話し相手だった。人から見たその時の世界を語って、俺には思いのほか新鮮だったぜ。俺の暇つぶしぐらいにはなった」

 

 男の鬼が言うには、海人の父親をここに招待したことがあるらしい。その時の父親の姿が今の海人にそっくりであったため、懐かしく思い返されたという。

 

「その時はまだお前が生まれていなかったからな。この祠を尋ねてきたのは奴ただ一人だけだった。だから奴の妻に命が宿り、真っ先に報告に来たときは、俺も自分のことのように喜んだものだ」

 

 鬼は海人をわが子のように見つめてくる。海人もそのような目を向けられるのは、亡くなった両親以外からは経験がなかった。居心地の悪そうに体をくねらせながら、海人は質問した。

 

「父さんしかいなかった? 他に誰も来る者はいなかったのか?」

 

「はて……。お前とお前の父親以外には、記憶にある限りでは、八十年前に老婆が参りに来たので最後だったか」

 

 八十年。途方もない年月だ。その数字と鬼の外見との齟齬に、怖いもの見たさで海人は問いただした。

 

「あんた……一体、何歳なんだ?」

 

 二十代だと名乗れば十分通用する若い顔立ちで、しかし額に存在を誇張する一本角と鋭く冴えた目つきで、人外の男はニヤリと笑った。

 

「三百から先は数えていない。人生の先達は敬えよ、小僧」

 

 

 

 

「元々、我等神々には名はなかった。神は己が意志でのみ行動し、時に大地に恵みを、気まぐれに人々に禍いをもたらした。元始の時代、神を縛るものはなかった」

 

 男の鬼はその場にあぐらをかいて座り込んだ。海人も倣ってその場に座る。足元は暗闇で、手でさわり、石橋を叩いてから座った。

 男の鬼のその手には、いつのまにかお猪口と酒が握られていた。

 

「人は天や地に、漠然とした神の姿を見出した。家を吹き飛ばす大嵐、曇天より落ちる雷、すべてが震える地揺れ、それらを神の怒りだと畏れた」

 

 酒を一献傾けると、男の鬼は語りを続ける。

 やがて人は神へと名を与え、神話を紡いだ。神話を紡ぐこと、それは人が神の脅威に対抗するための儀式であった。

 豊穣をもたらす大地の神、あまねく明かりを照らす太陽の神、相反する月の神、嵐を呼ぶ風の神、津波を引き起こす海の神。

 すべて人間が創り出した神話だ。

 

「人は神話という枠組みを、神に与えた。そうすることで神は枠を超えることはなくなり、己の役割に基づいて行動する。人は神の怒りへの対抗策を身につけた」

 

 だがもし、自らの役割を超えて、力を振るおうとする神が現れたら。

 元始の時代、まだ神話の制約が弱く、思うがままに動ける頃に回帰しようとする神がいるとしたら。

 

「与えられた役割を超えて、現世に顕現した神を、人は『まつろわぬ神』と呼んだ。まつろわぬ神は神話に背き、顕れた地を放浪する」

 

 まつろわぬ神は天災である。まつろわぬ神の故意か心となくかの意志にかかわらず、歩くだけ、ただその場にいるだけで、民に災いをもたらすのだ。

 まつろわぬ神は人の考えの及ばず、ふとしたきっかけで顕れる。凡人にできることは自分の身を隠し、じっと通り過ぎることを祈ることだけである。

 

「まつろわぬ神はそこに居るだけで、人に災いをもたらす。人型を成した嵐だ」

 

「……そのまつろわぬ神がすごく強いってのはわかった。じゃあ、一体どうやったら倒せるんだ?」

 

「倒せるわけがないだろう」

 

 阿呆を見るような目を向けられた。

 おかしなことは何一つ言っていない。海人は理不尽を感じて、カチンときた。

 

「俺が人に傷つけられると思っているのか? 俺は鬼だ。武を極めた達人が何十人がかりでも、腕力だけで力ずくで返り討ちにできるぞ」

 

「ならなんでここに封印されているんだ?」

 

「俺は倒されてねぇ。地上を何十何百、数えるのを忘れるほどにさ迷い歩き、歩くことすら飽きた頃に、この辺りで俺を封じた呪術師と会った。俺はここに望んで入っているんだ。……ここは酒も底しらずだしな」

 

 また男の鬼は、お猪口をぐいっと傾けた。

 

「だが、お前のお姫様が生贄に捧げられるまつろわぬ神、そいつはこの土地に深い縁があるようだな。ここに執着する訳があるのだろう。そしておそらく、冥府の神だ」

 

「どうしてそこまでわかるんだ?」

 

「いつだったか、十年ほど前、病が流行ったことがあっただろう。突然苦しみだし、ふいにコロッと死ぬ病、あれはまつろわぬ神が原因であろう。わずがに神力の跡が残っていたからな」

 

「なんだと!?」

 

 海人は驚愕し、思わず立ち上がった。

 十年前に流行った病といえばひとつしかない。それは、海人の父親と母親がかかり、死んだ病だった。

 流行り病で何百人も死んだことはただ運が悪かったのではなく、神の行いが関わっていたのだ。

 

「この辺りで凶作が百年昔から続いているのも、まつろわぬ神の所為だろう。豊作を嘆願しに訪れた人の子もいたが、あいにく俺は武の神である。実が結ばないとわかると、ぱったりと途絶えたよ」

 

「まつろわぬ神は、そんなことまで出来るのか……」

 

「ああ、だから倒そうなどとは考えるな。実際に、何千という兵を引き連れた軍が玉砕したのだろう。まつろわぬ神には人が何人たかろうとも、人にとっての五月の蝿に等しいのだから。故に、お前を縛りつけた男が計画しているように、神格を封じることを考えたほうがいいだろう」

 

「封じる、か……」

 

 海人は男の鬼の言う、『お前を縛りつけた男』に少し遅れて気づいた。

 

「俺を縛りつけたってことは、舜季(きよすえ)っていう愛代の父親のことを言っているのか」

 

 まつろわぬ神のことを狂信的に語ったあの男が、封じようとしている? 簡単に鵜呑みには出来なかった。

 

「お前を柱に縛りつけたら、影の忍びと話し合って出て行った。封じるとはその際に耳に入れた。まつろわぬ神を崇拝していたのも見せかけ、演技だったようだ」

 

「封印する機会を窺っているてことか」

 

「そこまではわからん。あとは、お前の養父に聞くといい」

 

 なぜこの話の流れで重蔵が出てくるのかと、海人は不思議に思った。だが、また舜季のことを思い出した。

 あの男は、重蔵が真実をすべて知っていると言っていた。

 

「安東の一族だと常に話していたではないか」

 

「……親父が、関わっているって言うのか」

 

「呪術師の言葉を信じるならばな。そもそも、そのお前の育て親には俺は顔すら見たことが無い」

 

 何年も祠から出ていないのだったか。すべてを見透かしたように話すので、うっかり忘れていた。

 

「あの呪術師を逆に利用する。奴を出し抜くための力を貸してやる」

 

 男の鬼は持っていたお猪口を足元に置くと、両手を宙にかざした。

 すると男の鬼の両手には突如として、一揃いの太刀と短刀が現れたのだ。

 右手に現れた短刀には見覚えがあった。祠に御神体として祀らていた、海人が封印を解くために蹴り飛ばした刀だった。

 左手に現れた太刀は、見たことが無かった。だがよく目を凝らすと、一揃いの刀は長さが違うだけで、意匠がそっくりであった。

 

「短い刀は小通連、長い刀は大通連。持って行け。必ずお前の力となるだろう」

 

「いや、俺には俺の槍が」

 

「持ってけ! ただの鉄尻の槍が、まつろわぬ神の体に刺さると思っているのか。撫でるだけで精一杯だ。持って行け。あ、でも娘を助け出したら、ちゃんと返してもらうぞ」

 

 海人は刀を有無を言わさず押し付けられた。しかも使ったら返せという。

 だがこれは有難いことだ。自称神が持っていたのだから、見ただけの刀ではないはずだ。

 人が敵わないのならば、どんな準備も無駄にならない。海人は貴重なものとして借りることにした。

 

「本当に借りてもいいのか? 大切なものなのか?」

 

「ああ。俺の愛した者の形見だ」

 

「そんなに大切なものだったのか!?」

 

 海人は軽く放たれた言葉に度肝を抜かれた。

 

「気に病むことではない。お前が生きて帰るにはそれが必要だ」

 

「……わかった。だがこれだけは教えてくれ。どうしてお前は、そこまで俺に肩入れしてくれる? 今初めて顔を見た俺に、恋人の形見を譲ってまで」

 

「くれてはいない、貸しただけだ。お前に協力した訳は、海人と愛代が俺がそこまでするほど大切なものだからだ」

 

 男の鬼は、その刀を腰に差してはいても、地上に顕現してからは一度も使っていないという。使うほどの外敵と遭遇しなかったためでもあるし、鬼が本気で脅威を排除しようとするなら、迷わず拳を選択するからでもあった。

 

「俺の中ではお前らのいる日々が、換えのきかない意義のあるものだ。どちらかが欠けてもいけない、その刀を預けるに値するな。無垢な人を斬り血で汚すよりも、民を苦しめる巨悪を討つことのほうが、あいつの為になる」

 

 鬼にとって、海人と愛代が外界に触れる唯一の手段であり、一番の娯楽であった。それに海人には祠を修理や清掃してもらった恩があった。一度や二度来ただけの者は気にも留めないが、海人は別だった。時が流れて参拝客が来なくなった今でも来てくれる二人の内の一人で、海人が訪れない週はなかった。

 手を貸す筋は十分に通っていた。

 

「そこを通れば、まつろわぬ神が潜む山の近くに出る」

 

「……いや、待ってくれ。義妹や義父が心配しているかもしれん。港の近くに出してくれ」

 

「そうか。……出来たぞ。必ず愛代を連れて帰って来い」

 

「ああ。初めからそのつもりだ」

 

 鬼の指す方向に手をかざすと、波紋が広がり、手が沈む場所があった。

 海人はためらい無く半身を沈めると、鬼のほうを振り返った。

 

「ありがとな。えーっと……名は、なんて言ったっけな?」

 

「言ってなかったか。俺のことは、アテルイと呼んでくれ」

 

 男の鬼──あてるい(・・・・)はニタリとあくどい笑みを浮かべた。

 

 海人はそれを聞くと、ずぶりと全身を沈めて、現世へと戻っていった。

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